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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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「当時,大会でバプテスマを受ける人は驚くほど多く,出席者の10%を上回ることもありました。会衆によっては資格ある兄弟が少なく,長老や奉仕の僕の必要を満たせませんでした。一人の長老が五つの会衆の主宰監督を兼任していたことさえあったのです。私はその兄弟から,一つの会衆で記念式の話を行なうよう頼まれました。出席者は804人に上り,話が終わると皆すぐに会場を出なければなりませんでした。続けて別の会衆がそこで集まることになっていたからです。ところが,次の話し手が会場に向かう途中で交通事故に遭い,時間に間に合わなくなったので,私が再び話を行なうことになりました。その時の出席者は796人でした。ですから,二つの会衆だけで1,600人もの人が記念式に出席したのです。当時,人々がどれほど真理に関心を持っていたかがよく分かります」。
エホバは収穫が「速やかに」なされるようにする
エホバはみ言葉の中で,ご自分の「望ましいもの」を集める業が「速やかに」なされるようにすると約束しておられました。(ハガ2:7。イザ 60:22)1980年,サンクトペテルブルクには伝道者が65人いて,KGBの厳しい監視下にありながらも,聖書に関して市民と話し合うよう努めていました。1990年には,170人余りの証人たちが市のあちこちの街路で非公式の証言を行なっていました。1991年3月にロシアのエホバの証人の活動が登録されると,間もなく市内に五つの活発な会衆が設立されます。さらに,1992年にサンクトペテルブルクで開かれた国際大会や,他の神権的な行事は,急速な増加をもたらしました。2006年には,サンクトペテルブルクにおける活発な会衆の数は70を超えました。
1995年,カザフスタンの国境からさほど遠くないアストラハンには会衆が一つしかなく,その会衆には長老も奉仕の僕もいませんでした。それでも,兄弟たちは巡回大会と特別一日大会を開きました。プログラムで話を扱ったのは,700㌔以上離れたカバルディノ・バルカルから来た長老たちです。それらの兄弟は,大会で何人がバプテスマを受ける予定かを知りませんでした。ローマン・スキバはこう言います。「私ともう一人の長老は,会衆と共に野外奉仕をし,バプテスマ希望者との討議を行なうために,大会が開かれる2週間前に到着しました。しかし結局,宣教に出かける時間は全くありませんでした。時間はすべて,20人のバプテスマ希望者との討議に費やされたのです」。
エカテリンブルクでは1999年に,兄弟たちが市場にいた行商人を幾人か記念式に招待しました。行商人たちは友達も連れて行ってよいか尋ね,100人ほどの人が会場にやって来たので,兄弟たちは非常に驚きました。借りたホールは大きいものでしたが,立って話を聞かなければならなかった人もいました。
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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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[グラフ]
(出版物を参照)
伝道者数
開拓者数
伝道者数
開拓者数
旧ソ連の15の国々の伝道者数
360,000
300,000
240,000
180,000
120,000
60,000
40,000
20,000
1890 1910 1930 1950 1970 1990 1990 2000
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