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サムエル記聖書に対する洞察,第1巻
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信ぴょう性 サムエル記に記述されている事柄の信ぴょう性は十分に確証されています。キリスト・イエスご自身,パリサイ人の提起した反論を論駁する際に,ダビデが祭司アヒメレクから供えのパンをもらったことに関する,サムエル第一 21章3-6節に記録されている出来事を引き合いに出されました。(マタ 12:1-4)使徒パウロは,ピシデアにあったアンティオキアの会堂でイスラエルの歴史上の出来事を手短に概説した時,サムエル第一 13章14節を引用しました。(使徒 13:20-22)
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サムエル記聖書に対する洞察,第1巻
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記録の率直さも際立っています。この記録は,祭司の家系であるエリの家の悪行(サム一 2:12-17,22-25),サムエルの息子たちの汚職(サム一 8:1-3),
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サムエル記聖書に対する洞察,第1巻
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この記録は聖書の他の部分と完全に調和しています。このことは詩編を調べるとき,特にはっきり認められます。詩編の多くは,サムエル記に記されている事柄によって意味が明らかになるのです。サウル王がダビデを殺すために使者たちを遣わしてダビデの家を見張らせたことは,詩編 59編の背景になっています。(サム一 19:11)死を免れるために狂気を装った,ガトでのダビデの経験は,詩編 34編と56編の中で暗に言及されています。(サム一 21:10-15。詩編 34編の表題に出ているアビメレクという名は,アキシュ王の称号とみなすべきであろうと思われる。)詩編 142編は,サウルから逃れてアドラムの洞くつの中か(サム一 22:1),エン・ゲディの荒野にある洞くつの中に隠れていた時の(サム一 24:1,3)ダビデの考えを反映しているのかもしれません。恐らく,詩編 57編もそのような状況の中で作られたのでしょう。しかし,詩編 57編6節をサムエル第一 24章2-4節と比較すると,これはエン・ゲディの荒野にある洞くつの中にいた時のことであったように思われます。というのは,サウルはそこでいわば自分がダビデのために掘った坑に落ちたからです。詩編 52編は,ドエグがダビデとアヒメレクとの交渉についてサウルに知らせたことと関係しています。(サム一 22:9,10)詩編 54編が作られる基になったのは,ダビデの居所をサウル王に明らかにしたジフ人の行動です。(サム一 23:19)
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