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  • 悪魔主義の興亡
    目ざめよ! 1994 | 9月22日
    • 悪魔主義の興亡

      祭壇に縛り付けられた犠牲者たちのために祈りが唱えられ,揺らめくろうそくの炎が壁に不気味な影を落とします。真っ暗な地下室で,黒いマントに身を包んだ祭司が自分たちの神,サタンの崇拝として執り行なう悪魔の儀式が進行しているのです。このオカルトの探求に加わっている若者たちは,超自然的な気配のする,共有の何らかのなぞめいた秘密の知識により一つに結ばれ,その場に満ちるぞくぞくするような興奮を味わいます。参加者は,自分たちだけが持つ神秘的な仲間意識を抱きつつ,祭壇へと近づきます。悪意のない,一時の流行ですか。それとも,現代社会に広く行き渡る悪霊的な弊害でしょうか。

      新聞,雑誌,書籍に載せられた悪魔主義的カルト教団の身の毛のよだつような行為は,おびただしい数に上ります。広がりを見せる過激な悪魔主義グループの行動が事細かに全国ネットのテレビやラジオで放送されてきました。悪魔主義は,アメリカ,カナダ,ヨーロッパの大小さまざまな都市の警察にとって,大きな問題となっています。

      現代の若者にとって,悪魔主義には特別な誘引力があります。サタン教会の創設者は,1993年6月号のティーン誌で報告されたように,その理由をこう説明しています。「我々は,自然の欲求を抑えるよう教会員に命じる代わりに,そういう欲求に従うよう教えている。これには肉欲,復讐心,物欲も含まれる」。

      悪魔の霊感を受けたこのイデオロギーは,神の霊感を受けたキリスト教の原則に反するのですから,サタンはどんなにか喜んでいることでしょう。

      悪魔主義は勢いを増し加えています。その脅威はますます大きくなっていますが,その終わりは差し迫っています。その神は死の宣告下に置かれています。サタンの世とその支持者についても同じです。『全世界は邪悪な者の配下にある』からです。(ヨハネ第一 5:19。ローマ 6:16)サタンの崇拝者をはじめ,意識的に,あるいは無意識にサタンの目的を推し進めるすべての人に対する,エホバからの音信は次のとおりです。「平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなた方の足の下に砕かれるでしょう」― ローマ 16:20。

      では,苦悩する人類には,「平和を与えてくださる神」からもたらされるどんな将来があるのでしょうか。続く三つの記事は,悪魔主義の興亡,およびそれに代わる地上の状態を明らかにします。

  • 現代の若者たちは悪魔主義の格好のえじきなのか
    目ざめよ! 1994 | 9月22日
    • 現代の若者たちは悪魔主義の格好のえじきなのか

      「サタン崇拝は若者の間で広まりつつある」と,1993年2月27日付のフィンランドの一新聞は報じました。フィンランドのタンペレ警察が入手した情報によれば,麻薬の取り引きにかかわる犯罪者が,若い人々を,特に少女たちを悪魔崇拝に引きずり込んでいます。多くの場合,これらの犠牲者および新会員は,10歳から15歳くらいの子供たちです。同紙は,「サタン崇拝は,現代の十代の若者たちの間に肥沃な温床を見いだした」と伝えました。

      同紙はこう警告しました。「サタン崇拝の新たな到来は,国内(フィンランド)だけの流行ではない。例えば,南アフリカの雑誌『ヨハネスブルク・スター』は最近,サタン崇拝が同国内の裕福な白人の若者を駆り立てていると警告した」。確かに,親にとっても子供にとっても,悪魔崇拝は国境のない悪夢です。

      悪魔主義は本質的に,ほとんど何もしなくてもたくさんのものが得られるという偽りの約束をします。「悪魔を崇拝せよ。その下劣な行ないに加われ。そうすれば悪魔はその見返りに,君の欲しいものを与えてくれる。これが,一部の子供たちにとって悪魔主義が非常に魅力的に思える理由である」と,ティーン誌は説明しました。

      ある悪魔主義グループの一員であることを自任する十代の若者は,「僕は人生を目一杯生きたいんだ」と語りました。そして,「自然界には善と悪という二つの勢力がある。人が悪だと言うものがみな,僕らを幸せにしてくれるんだ。罪は感情的,肉体的,精神的満足感を与えてくれる」と述べました。

      悪魔主義的カルト教団を専門とする,米国コロラド州デンバーの刑事は,十代の若者が悪魔主義の影響を受けやすいように思える理由について意見を聞かれ,こう答えました。「ある十代の悪魔主義者が言ったことを私は決して忘れない。その子は,『生きる目的って何だい? 俺たちはきょうこの日のために生きて,やりたいことをするのさ。将来なんかない』と言ったのだ」。

      カナダのダートマスにあるノバスコシア病院で青少年科の医長を務めるカリル・アフマド博士は,悪魔主義の誘引力について次のような意見を述べました。「十代の若者は刺激を求めている。意志の弱い,多くの場合,無力な子が[悪魔主義]に引かれる。力が得られるという間違った印象を抱くのである」。

      もう一人,警察の権威者で悪魔主義にかけては名高い,あるサンフランシスコの刑事はこの問題を正確にこう指摘しています。「我々の世界は冷淡な場所である。互いのことより,自分のことを考える。我々は暴力的かつ非建設的な社会で生活している。若者はそれが普通の生き方なのだと考え,結果として悪魔主義に引かれてゆくのである」。

      現代の若者は悪魔主義にどれほど深くかかわっていますか。カルト犯罪衝撃ネットワークの会長であり,米国アイダホ州ボイシ警察の警部補でもあるラリー・ジョーンズは,「若者は自殺したり,友人を殺したりしている。我々は問題を抱えてしまった」と警告しました。警察からハイスクールに派遣される指導教官という職務上,悪魔主義の問題を追っている米国イリノイ州の別の警察官は,悪魔崇拝に手を出す若者の9割は,流行だからというのでかかわりを持つが,1割は「それにのめり込み,どんどん深みにはまってゆく」と語りました。

      米国ニューヨーク州ブルックリンの,学校に関する事柄を扱う新聞「スクール・ニュース・ネーションワイド」1994年1月-2月-3月号の「宗教」欄には,「悪魔主義が十代の若者を引きつける理由」というタイトルの記事が載せられました。その記事はこう伝えています。「二人の男子がハイスクールの食堂でけんかをし,勝ったほうの男子は飛び上がって一瞬奇妙なサインを手で作って見せた。こぶしを握りしめ,人差し指と小指を上げたのである。美術の教師は,ヤギの頭を持つ悪魔のような姿の人間の絵を描く生徒がなぜこれほど多いのかを理解できなかった。また,オカルトに関する本が学校の図書室からどんどんなくなっていった。

      「事実上,若者たちは悪魔主義の力,魔力,神秘と戯れていた。ほとんどの者にとって,それは楽しくて興奮を誘うことであったが,ある者にとっては遊びではすまされなかった。17歳のロイド・ギャンブルにとっては生死にかかわることだった。彼は,悪魔主義の犠牲となって命を失ったのである。

      「ロイドが死に,15歳になるその弟が殺人罪で逮捕されてから,ニューヨーク州モンロー郡の大人たちは,以前ずっとなぞに包まれていた種々のしるしを理解するようになった。手で作る『悪魔のサイン』,ヤギの頭の絵,十代の若者の想像力をたくましくさせていた本,さまざまな儀式や呪文といったしるしである」。

      この記事は,きりがないと思えるほど,サタン崇拝のために親兄弟を殺害した十代の若者たちのことを伝えています。そうした崇拝行為のために子供が子供に殺されました。悪魔主義の大人と同様,子供たちも動物の手足を切断したり,殺したりしてきました。家庭で飼われるペットが,悪魔主義の儀式で祭壇の犠牲とされました。悪魔崇拝という宗教を信奉する子供たちが行なった虐殺については,その一部を書き記すのにさえ,誌面が足りないほどです。

      これらは,悪魔主義にちょっと手を出しただけの子供たちの例ですか。悪魔崇拝に深くかかわっている子供はごくわずかで,めったにいないのでしょうか。これらオカルト実践者たちを調査してきた人々は,そうではない,と答えています。風紀犯罪取締班の刑事から,若者に動機づけを与える講演者に転職したデービッド・トーマは,講演先のどの学校でも,「君たちの中で,悪魔主義の慣行にかかわっている人を知っている,もしくはそういう人について聞いたことがある人はどれくらいいるかね」という同じ質問をする,と語りました。トーマ氏は,「まる3分の1の生徒が手を挙げる」と見ています。

      全国情報システムの会長シェーン・ウェストハルターによれば,中高生の3割から4割が何らかの形のオカルトにかかわっています。ウェストハルター氏はさらに,13歳以上17歳未満の若者による犯罪全体の7割までが,オカルトとのかかわりで起きていると主張しています。

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      サタン崇拝は,現代の若者たちの間に肥沃な温床を見いだした

  • 悪魔主義に付き物の麻薬とヘビーメタル
    目ざめよ! 1994 | 9月22日
    • 悪魔主義に付き物の麻薬とヘビーメタル

      デンバー大学人文科学研究所の所長カール・A・ラシュケは,次のように記しました。「我々が『サタンの時代』の20年代に向かうにつれ,麻薬,ヘビーメタル,残忍性,非道な暴力などがみな,荒廃した人類の頭上に翻る,身の毛のよだつような旗になったのは偶然ではない」。同氏はさらにこう述べました。「自称悪魔主義にとってヘビーメタル・ロックは,キリスト教にとってのゴスペル・ミュージックのようなものだと言われるかもしれない。ラジオのゴスペル・ミュージックを聴いただけでキリスト教に改宗する人は極めてまれであるが,ヘビーメタルは非常に強力な援軍である。それは,若者がすでに熱中している汚らわしい事柄を正当化する」。

      このことは,現代の非常に多くの若者が生活上の思い煩いからの正常な逃避手段と考えているもの,すなわちヘビーメタルと麻薬に対する強力な告発になります。こうした告発は正当とされますか。麻薬やヘビーメタルは悪魔主義の兆候であるという可能性があるでしょうか。悪魔崇拝者の暴力行為に実際に直面した人や,それらを調査した人の所見を考慮してください。

      ラシュケは自著「ペインテッド・ブラック」の中でこう記しています。「驚くには当たらないかもしれないが,ヘビーメタルのかき立てるようなメッセージは宇宙を取り仕切る高位の力を称賛しているという意味において『宗教的』である。しかし,その力とは神ではない。それは,……魔王サタン自らが工作したものである」。彼はさらに,「悪魔的なものが示す力や暴力は,希望を失ったり良心の発育を阻害されたりした若者が容易に引きつけられる要素である。……悩まされ,虐待された若者たちは,いわば体験を通して次第に刻み込まれてきた考えに基づき,高位の力は悪に違いないと信じている。ヘビーメタルはこの『神学』を支持し,曲の中でそれを規定化しているのである」と語りました。

      合衆国上院でヘビーメタルについて証言したテネシー大学のポール・キング博士によれば,この音楽が大勢の悩める若者に好まれるのは,「暴力,憎しみ,反抗,粗野なセックス,女性虐待,サタンへの賛美などの,型にはまらないテーマ」によります。「若者のライフスタイルに麻薬が伴う場合は,さらにこの音楽への嗜好が強くなると思われる」とのことです。ヘビーメタルは悪の力を賛美し,褒めたたえる,とキング博士は語りました。ヘビーメタルの場合,「コンサートで悪事が礼賛され,新たな頂点を極める」と,同博士は述べました。

      下記の事例を通して,ヘビーメタルが送り出す,潜在意識に働きかけるメッセージが生み出した結果について考えてみてください。

      昨年,米国ニュージャージー州で15歳の少年二人が,ある家でペットとして飼われていたプリンセスという名のラブラドル犬を惨殺しました。二人に言わせれば,「あれは,サタンへの犠牲だった」のです。彼らは,付いていた鎖で犬をぶら下げ,犬を蹴って殺し,その舌をもぎ取って悪魔主義の儀式に用いました。そして,体がめちゃめちゃになった犬の死体を大きな鉤状の金具に刺し,それを近所の家の庭につり下げました。犬の頭部には幾つか悪魔主義のしるしがあり,犬の死体のすぐ下の地面にはペンタグラム(円の中に描かれた五角の星形 ― 悪魔主義のシンボル)が鮮明に描かれていました。犬を殺した晩,二人はデイサイド(神の殺りくの意)というヘビーメタルのバンドの演奏を聴いていました。そのリードボーカルは,動物を痛めつけて殺すことを誇らしげに歌うのです。

      米国カリフォルニア州でのこと,友人の話によればサタン崇拝に取りつかれたという十代の恋人同士が,残忍にも,女性のほうの母親を刺したり,スパナで殴ったりして殺害しました。同じ地域で,別の若者がサタンに祈りをささげ,次いで父親を射殺しました。この犯罪を調査した警察は,ヘビーメタルが原因であることを確信しました。「基本的に言って,そうした音楽が教えるのは,親の言うことなど聞く必要はない,好きなように生きればいいということである」と,警察の一当局者は語りました。

      英国では,輪姦の被害に遭った人たちが,強姦者の一人はあるヘビーメタルのバンドの紋章の入れ墨をしていた,と警察に報告しました。このバンドは,レイプと暴力のメッセージを歌詞に含めています。

      米国アーカンソー州でのこと,農村部の十代の若者が両親をこん棒で殴り,大型の肉切り包丁で死体を薄切りにするという企てを立てました。警察はこの少年のカセットプレーヤーに入っていたテープを見つけましたが,テープは,あるヘビーメタルのバンドの「犠牲の祭壇」という歌の頭出しがしてありました。金切り声で歌われる,その歌詞は次のとおりです。「短刀を手に大祭司は待ち,汚れなき処女血を滴らせる。サタンの虐殺,死の儀式。彼のすべての命令にこたえ応じよ。サタンの王国に入れ。……『サタン万歳』という聖なる賛美の言葉を覚えよ」。

      ほかにも,ヘビーメタルのバンドのメンバーが金切り声を上げて歌う歌の歌詞 ― 多くの場合,コンサートで熱狂したファンがそれに合わせて口を動かしたり,何時間も続けてテープで聴いたりする ― に関して言えば,そうしたメッセージは多感な若者にどんな影響を及ぼすでしょうか。例えば,次のような歌詞について考えてみてください。「我らの支配者サタンは凶悪な暴力をもって,そもそもの初めから我らを導く」,また「お前の血を流し,その血をわたしのもとへ流れ来させよ。わたしの手を取り,お前の命を手放すのだ。……お前は血を流した。お前の魂はわたしのもの」。

      カール・ラシュケはこう書きました。「ポルノが子供に対する性的いたずらを助長する場合があるという前提がすでに認められているのであれば,殺せ,手足を切り離せ,かたわにしろ,拷問を加えよ,抹殺せよなどとわめき散らす歌詞について考えることが,頭の混乱した者を実際に駆り立てて,そのとおりの行動を起こさせないことがあろうか」。

      どこに住む研究者たちも,麻薬の乱用と悪魔主義には切っても切れないつながりがあると見ています。かつて風紀犯罪取締班の刑事を務めたデービッド・トーマは,「麻薬をやらないサタン崇拝者に一人として会ったことがない」と嘆きました。ティーン誌は,麻薬の使用が「悪魔崇拝に入る」十代の若者たちの問題を複雑化させ,「麻薬とアルコールというもやを通して見るとき,実際の現実と現実に見えるにすぎない事柄とを区別するのがいよいよ難しくなる」と伝えました。

      ラシュケは,「ギャンブルに病みつきになっている人に宝くじが付き物であるのと同様,ヘビーメタルには大量の麻薬の使用が付き物である。薬物依存の若者は,横柄で残忍な,盗みや節度を欠いた性行動を主としたライフスタイルを受け入れる。そしてこれらの悪徳すべては,ヘビーメタルのグループが発する苦悩の叫び声やうなり声によって強められるのである」と述べました。

      健全な考えを失い,倒錯的で暴力的な考えがそれに取って代わるとき,若者がサタンの影響を受ける格好のえじきになってしまうことに疑いの余地はありません。

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      健全な考えが失われ,倒錯と暴力が流れ込むとき,人はサタンの影響を受ける格好のえじきになってしまう

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      あなたは自分の思いをどんなもので満たしていますか

  • 悪魔主義の日数は数えられている
    目ざめよ! 1994 | 9月22日
    • 悪魔主義の日数は数えられている

      エホバ神はアダムとエバを創造して二人を楽園に置き,殖えて多くなり,義にかなった子孫で地を満たすようにとお告げになりました。二人は園を世話し,耕し,管理しながら永遠に生きてゆくはずでしたが,それには一つだけ,次のような簡単な条件がありました。『園の真ん中の,ある木からは食べてはならない。それを食べるなら,あなたは死ぬであろう』。―創世記 1:27,28; 2:8,9,15-17。イザヤ 45:18。

      一人の強力なみ使いが神に反逆し,「抵抗者」を意味するサタンになりました。支配権を掌握したかったからです。自分が人類の崇拝の対象になることを望みました。このみ使いはエバに働きかけ,禁じられた実を食べさせようとしました。その実は食物として良く,エバは死ぬどころか,神のようになって何が善で何が悪かを自分で決められるようになると唱えたのです。エバの最初の決定は間違っていました。禁じられた実を食べるのは良いことであると判断しました。エバは食べ,アダムにもその実を幾らか与えたところ彼も食べ,二人とも最後には死にました。こうしてアダムは子孫に罪と死をもたらし,以来,アダムの子孫は死に続けています。(創世記 3:1-6。ローマ 5:12)最初の人間夫婦はサタンに従うことを選び,サタン崇拝への最初の改宗者となりました。今日に至るまで,非常に大勢の人々が,自分たちにとってその最初の親の宗教は昔も今も十分満足のゆくものであると考えてきました。「あなた方は,自分を奴隷としてだれかに差し出してそれに従ってゆくなら,その者に従うがゆえにその奴隷とな(る)」のです。―ローマ 6:16。ヨハネ 17:15,16。ヨハネ第一 5:19。

      エホバはサタンの最終的な死を宣告されましたが,少しの間,生き延びることを許されました。こうしてサタンには,神は試練のもとでご自分に忠実を実証する者を地上に置くことなどできないという,自ら持ち出した挑戦が正しいことを証明する機会が開かれました。聖書のヨブ記の最初の二つの章はその挑戦を大変劇的に描写し,その論争において神の側を支持する答えを提出しています。ヨブは,サタンからの残酷で悪意に満ちた攻撃のもとでも神に忠誠を保つことを選び,それによってサタンが偽り者であることを証明しました。(創世記 3:15。出エジプト記 9:16。ヨブ 42:7)ヘブライ人への手紙の11章にも,宇宙主権の論争においてエホバの側を擁護した証人たちの名が連綿とつづられています。

      キリスト・イエスは,宇宙主権と神に対する人類の忠誠という大論争に関してエホバの側を擁護し,永遠にわたる完ぺきな答えを出された際立った方です。このことは,サタンにとって決定的な敗北でした。サタンは自分に対して一度だけ崇拝行為をすれば,その見返りとして全世界に及ぶ支配権を与えようとイエスに申し出ましたが,イエスはそれをきっぱりと退けられました。さらにイエスは,苦しみの杭の上で死を遂げるというすさまじい試練をひるむことなく耐え忍ばれました。イエスはサタンとサタンの世の両方を征服し,わたしたちが従うべき完全な手本を残されました。―マタイ 4:8-10; 27:50。ヨハネ 16:33。ヘブライ 5:7-10。ペテロ第一 2:21。

      わたしたちが生活している災いの多い時代のことを考えると,サタンはこれまでになく強力になり,悪魔主義も勢力を伸ばしつつあるように思えるかもしれません。しかし,聖書の啓示の書は,その12章7節から9節,また12節で,それとは全く異なる事柄を描写しています。

      「天で戦争が起こった。ミカエル[キリスト・イエス]とその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,優勢になれず,彼らのための場所ももはや天に見いだされなかった。こうして,大いなる龍,すなわち,初めからの蛇で,悪魔またサタンと呼ばれ,人の住む全地を惑わしている者は投げ落とされた。彼は地に投げ落とされ,その使いたちも共に投げ落とされた。このゆえに,天と天に住む者よ,喜べ! 地と海にとっては災いである。悪魔が,自分の時の短いことを知り,大きな怒りを抱いてあなた方のところに下ったからである」。

      地上の楽園の日数は数えきれない

      サタンは「自分の時の短いことを知り」,この「終わりの日」に,その悪魔的な活動をエスカレートさせています。(ヤコブ 5:1-3)とはいえ,わたしたちの時代の暗雲にも明るい面があります。啓示 21章1節,また3節から5節はそれが何かを明らかにしています。「わたしは,新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去っており,海はもはやない。それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ! 神の天幕が人と共にあり,神は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである』。そして,み座に座っておられる方がこう言われた。『見よ! わたしはすべてのものを新しくする』。また,こう言われる。『書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである』」。

      こうしてキリスト・イエスは千年間統治し,その期間中エホバは,地球を創造して人類を地上に置かれた当初の目的を遂行されます。(啓示 20:1,2,6)人類は当初,義にかなった子孫で地を満たし,地球を管理して地上の動植物の世話をし,平和に暮らし,互いに愛し合うはずだったことを読者は思い起こされるでしょう。その目的の成就は一時的に保留にされてきました。すべての人をエホバ神に背かせることができるという挑戦が正しいかどうか,サタンに証明させるためです。サタンは幾十億もの人々を奴隷にしてきましたが,何百万もの忠誠を保つ人々に関しては,彼らを奴隷にすることはできませんでした。―ローマ 6:16。

      回復の期間中,キリスト・イエスを通して示されるエホバの憐れみは,墓の中にまで差し伸べられます。過去数千年間に亡くなった何百億もの人々に,地上の楽園で永遠に生きるための機会が与えられるのです。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことを習わしにした者は裁きの復活へと出て来るのです」― ヨハネ 5:28,29。

      その時,その新しい地の義にかなった環境に自分を合わせることを拒むような人が残り,地球や地上の動植物,人類の平和,またエホバ神への真の崇拝を汚したり,滅ぼしたりすることはありません。詩編 37編10節と11節,また29節がこの点を確証しています。「ほんのもう少しすれば,邪悪な者はいなくなる。あなたは必ずその場所に注意を向けるが,彼はいない。しかし柔和な者たちは地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだすであろう。義なる者たちは地を所有し,そこに永久に住むであろう」。

      ミカ 4章2節から4節は真の平和と安全を約束しています。「多くの国の民が必ず行って,こう言う。『来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう』。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである。そして,神は多くの民の間で必ず裁きを行ない,遠く離れた強大な国々に関して事を正される。それで彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。そして彼らはまさに,各々自分のぶどうの木の下,自分のいちじくの木の下に座り,これをおののかせる者はだれもいない。万軍のエホバの口がこれを語ったのである」。

      この平和な状態は広まり,動物にも及びます。ホセア 2章18節が述べるとおりです。「わたし[エホバ]はその日,……野の野獣,また天の飛ぶ生き物や地面をはうものに関して必ず契約を結び,弓と剣と戦いをこの地から断ち,彼らを安全に横たわらせる」。エゼキエル 34章25節も,「害をもたらす野獣」の存在を完全に排除するための契約について語っています。

      さらにイザヤ 11章6節から9節は,楽園で動物同士が平和な関係になることを約束しています。「おおかみはしばらくの間,雄の子羊と共に実際に住み,ひょうも子やぎと共に伏し,子牛,たてがみのある若いライオン,肥え太った動物もみな一緒にいて,ほんの小さな少年がそれらを導く者となる。また,雌牛と熊も食べ,その若子らは共に伏す。そしてライオンでさえ,雄牛のようにわらを食べる。そして乳飲み子は必ずコブラの穴の上で戯れ,乳離れした子は毒へびの光り穴の上にその手を実際に置くであろう。それらはわたしの聖なる山のどこにおいても,害することも損なうこともしない。水が海を覆っているように,地は必ずエホバについての知識で満ちるからである」。

      柔和な者は地を受け継ぎます。彼らは大気,水,土壌を大切にします。乾き切った土地は,泉や水の流れで豊かに潤います。私利私欲のために禿山にされた山々は,森の木々に覆われます。森林地帯は栄え,かつての砂漠はバラのように花を咲かせます。盲人は見,耳の聞こえない人は聞き,足のなえた人は歩き,口のきけない人は話すのです。(イザヤ 35:1-7)人間はエホバの創造された輝くばかりに美しい山々や渓谷,そして波の打ち寄せる海に接する海岸を貴重なものとみなすので,またもや貪欲が頭をもたげて地を損なうようなことはありません。エホバの霊の実に満たされた完全な人類にとっては,一人一人が喜んで隣人を自分自身のように愛すること,また何よりも,心と魂と思いと力をこめてエホバを愛することは容易であり,自然なことです。全人類が,「愛,喜び,平和,辛抱強さ,親切,善良,信仰,温和,自制」という霊の実を表わすのです。―ガラテア 5:22,23。

      できすぎた話ですか

      ここまで読み進んでこられた読者の中には,『できすぎた話のような気がする』と言う方もおられるでしょう。しかし,そうではありません。現在の状況が,このまま存続するにはできが悪すぎるのです。わたしたちは聖書の言う,「終わりの日」に生活しています。身の回りの状況をご覧になれば,確かにそのとおりであることがお分かりになるでしょう。神の言葉はこう述べています。「終わりの日には,対処しにくい危機の時代が来ます。というのは,人々は自分を愛する者,金を愛する者,うぬぼれる者,ごう慢な者,冒とくする者,親に不従順な者,感謝しない者,忠節でない者,自然の情愛を持たない者,容易に合意しない者,中傷する者,自制心のない者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,片意地な者,誇りのために思い上がる者,神を愛するより快楽を愛する者,敬虔な専心という形を取りながらその力において実質のない者となるからです。こうした人々からは離れなさい。しかし,邪悪な者とかたりを働く者とはいよいよ悪に進み,惑わしたり惑わされたりするでしょう」― テモテ第二 3:1-5,13。

      わたしたちの時代に関するこれほど写実的な描写を見ても,依然としてあざける人は少なくありません。それも予期されていることです。そうした人々のあざけりそのものが,わたしたちが終わりの日にいることを示す数々の証拠の一つなのです。「終わりの日にはあざける者たちがあざけりを抱いてやって来(ま)す。その者たちは自分の欲望のままに進み,『この約束された彼の臨在はどうなっているのか。わたしたちの父祖が死の眠りについた日から,すべてのものは創造の初め以来と全く同じ状態を保っているではないか』と言うでしょう。……今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれているのです。……神の約束によってわたしたちの待ち望んでいる新しい天と新しい地があります。そこには義が宿ります」― ペテロ第二 3:3,4,7,13。

      エホバは,義の宿るご自分の新しい世において,サタンの世のこの邪悪で古い体制は思い出されることさえないと約束しておられます。「いまわたしは新しい天と新しい地を創造している……。以前のことは思い出されることも,心の中に上ることもない。しかし,あなた方はわたしが創造しているものに永久に歓喜し,それを喜べ」。(イザヤ 65:17,18)悪魔主義の日数は数えられており,神のご予定の時にサタン自身も永遠に滅ぼされます。―啓示 20:1-3,7-10。

      地上の楽園にもたらされる将来の祝福された状態が,できすぎた話などではないのは確かです。エホバは,サタンの支配下にあるこの古い体制の現状が,このまま存続するにはあまりにできが悪いと考えておられるのです。

      [10ページの図版]

      地上の楽園にもたらされる将来の祝福された状態は,できすぎた話などではない

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