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エホバの天界の王座の荘厳さ啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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でも感謝の伴う心を抱く人を元気づけて,四つの生き物と24人の長老たちと共に,祈りとそのみ名を公にふれ告げる業の両面で神をたたえることに加わらせずにはおかないはずです。この方こそ今日,クリスチャンがその証人となる特権に恵まれている神なのです。(イザヤ 43:10)ヨハネの幻は,わたしたちが今生きている主の日に当てはまることを忘れないでください。「七つの霊」は,いつもわたしたちを導いたり強めたりする用意ができています。(ガラテア 5:16-18)今日,神のみ言葉は,聖なる神に仕える点で,わたしたちが聖なる者となるための助けとして役立てることができます。(ペテロ第一 1:14-16)確かにわたしたちは,この預言の言葉を朗読するので幸福です。(啓示 1:3)それは,エホバに対して忠実を保ち,この世に屈して活発に神をたたえる業からわたしたちの気持ちをそれさせないようにするための何とすばらしい動機づけを与えるのでしょう。―ヨハネ第一 2:15-17。
28 天のあの開かれた戸を通って近づくよう招かれたヨハネは,これまでに自分の見ている事柄を描写しました。最も際立った点として,ヨハネは,エホバがその威厳と威光を帯びて荘厳そのものの有様でご自分の天界の王座に座しておられることを伝えています。エホバはあらゆる組織の中で壮麗さと忠節の点で輝かしい最も力ある組織に囲まれています。神の法廷は開廷中です。(ダニエル 7:9,10,18)ある驚くべき事柄が起きる舞台が整っています。それは何でしょうか。それは今日,わたしたちにどのように影響を及ぼすでしょうか。展開してゆくその場面を見守ってゆきましょう!
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『巻き物を開くにふさわしい者はだれか』啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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15章
『巻き物を開くにふさわしい者はだれか』
1 ヨハネの幻の中で今や何が起きますか。
火のともしび,ケルブたち,24人の長老,およびガラスのような海などの真ん中に収まっているエホバの王座の感動的な幻は,まさに崇高です! 畏怖の念を抱かせます! しかし,ヨハネよ,次に何が見えますか。ヨハネはこの天の場面のまさしく中心に焦点を合わせて,わたしたちにこう告げます。「それからわたしは,み座に座っておられる方の右手に,内部にも裏側にも書き込まれた巻き物があるのを見た。それは七つの封印で堅く封印されていた。そしてわたしは,ひとりの強いみ使いが,『巻き物を開いて,その封印を解くにふさわしい者はだれか』と大声でふれ告げているのを見た。しかし,天にも地にもまた地の下にも,巻き物を開きあるいはその中を見ることのできる者はひとりもいなかった。それで,巻き物を開きあるいはその中を見るにふさわしい者が見いだされなかったので,わたしは激しく泣きだした」― 啓示 5:1-4。
2,3 (イ)ヨハネは巻き物を開くために何とかしてだれかを見つけたいと思っていますが,それはなぜでしょうか。(ロ)現代の神の油そそがれた民は何を切望してきましたか。
2 全創造物の主権者なる主であられるエホバご自身が,その巻き物を差し出しておられます。それにはたいへん重要な情報が一杯あるに違いありません。その巻き物は表にも裏にも字が書かれているからです。わたしたちは好奇心にかられます。その巻き物にはどんな事が収められているのでしょうか。エホバが,「ここに上れ。必ず起きることをあなたに示そう」と言ってヨハネを招かれたことが思い起こされます。(啓示 4:1)わたしたちは期待に胸をはずませながら,そのことについて知りたいと思っています。しかし,悲しいかな,その巻き物は堅く閉じられていて,七つの封印でしっかり封印されているのです!
3 強いみ使いは巻き物を開くのにふさわしい方を見つけるでしょうか。「王国行間逐語訳」によれば,その巻き物はエホバの「右手の上に」置かれています。これは,エホバがその開いたたなごころにそれを載せて差し出しておられることを示唆しています。しかし,その巻き物を受け取って開くのにふさわしい者は天にも地にもいないようです。このような高貴な誉れを受ける資格のある者は,地の下の亡くなった忠実な神の僕たちの中にさえいません。ヨハネが明らかにろうばいしているのも不思議ではありません! もしかすると,「必ず起きること」はヨハネにも結局分からないのかもしれません。今日でもやはり,神の油そそがれた民は,エホバが啓示の書に関するご自分の光と真理を送ってくださることを切望してきました。エホバはそのことを預言の成就する定められた時に漸進的に行なわれます。それは,ご自分の民が「大いなる救い」の道を歩めるよう導くためです。―詩編 43:3,5。
ふさわしい方
4 (イ)巻き物とその封印を開くのにふさわしいどんな方が見つかりますか。(ロ)ヨハネ級の人たちとその仲間たちは今,どんな報いや特権にあずかっていますか。
4 そうです,その巻き物を開くことができる方は確かにいます! ヨハネはこう述べます。「しかし長老の一人がわたしにこう言う。『泣くのをやめなさい。見よ,ユダ族の者であるライオン,ダビデの根が征服を遂げたので,巻き物とその七つの封印を開くことができる』」。(啓示 5:5)ですから,ヨハネよ,涙をぬぐってください! 今日,ヨハネ級の人たちとその忠節な仲間たちも啓発を辛抱強く待つ間,何十年も厳しい試練に耐えてきました。わたしたちは今,幻の意味を理解して,慰めをもたらす何とすばらしい報いを得ているのでしょう。また,その音信を他の人々にふれ告げて,その成就にあずかるのは,何と貴重な特権でしょう。
5 (イ)ユダに関してどんな預言が述べられましたか。ユダの子孫はどこで支配しましたか。(ロ)シロとはだれのことですか。
5 ああ,「ユダ族の者であるライオン」です! ヨハネは,ユダヤ民族の祖先ヤコブが四番目の息子ユダに関して申し渡した次のような預言をよく知っています。「ユダはライオンの子。我が子よ,あなたは必ず獲物のもとから上って行く。ライオンのように彼は身をかがめ,身を伸ばした。ライオンのように,だれがあえてこれを起こそうか。笏はユダから離れず,司令者の杖もその足の間から離れることなく,シロが来るときにまで及ぶ。そして,もろもろの民の従順は彼のものとなる」。(創世記 49:9,10)神の民の王統はユダに由来します。ダビデを初めとして,バビロニア人がエルサレムを滅ぼすに至るまで,その都で支配した歴代の王はすべて,ユダの子孫でした。しかし,それらの王はだれもヤコブの預言したシロではありませんでした。シロとは,「それが自分の[権利]である者」という意味です。預言的には,この名は,今やダビデの王国を永久に所有する方であるイエスを指し示していました。―エゼキエル 21:25-27。ルカ 1:32,33。啓示 19:16。
6 イエスはどのような意味で,エッサイの「小枝」であると共に,「ダビデの根」でしたか。
6 ヨハネは「ダビデの根」との関連をすぐに認めます。約束のメシアは預言的に,「[ダビデ王の父]エッサイの切り株から[出る]小枝……新芽」,ならびに「もろもろの民のための旗じるしとして立ち上がるエッサイの根」とも呼ばれています。(イザヤ 11:1,10)イエスはエッサイの子ダビデの王統に生まれたので,エッサイの小枝でした。さらに,エッサイの根であられるイエスは,ダビデ王朝を再び芽生えさせた方でした。そして,同王朝に命と滋養物を永久にお与えになります。―サムエル第二 7:16。
7 イエスは,王座に座っておられる方の手から巻き物を取るのにふさわしい方ですが,それはどうしてでしょうか。
7 完全な人間であられたイエスは,忠誠を保ちつつ極度の試練のもとでエホバに仕えた際立った方です。そして,サタンに対する完全な答えを提出されました。(箴言 27:11)ですから,イエスは犠牲の死を遂げる前夜言われたように,「わたしは世を征服したのです」と言うことがおできになりました。(ヨハネ 16:33)そのような訳で,エホバは「天と地におけるすべての権威」をイエスに委任されたのです。とりわけ,イエスは神のすべての僕たちの中で,ただ一人その巻き物の重大な音信を知らせるために,それを受け取る資格のある方です。―マタイ 28:18。
8 (イ)王国に関して言えば,イエスがふさわしい方であることを何が示していますか。(ロ)24人の長老の一人が,その巻き物を開くのにふさわしい方がだれかをヨハネに明らかにするのは,どうして適切なことですか。
8 イエスがその巻き物を開くのは実に適切なことです。1914年以来,イエスは神のメシアによる王国の王として即位しておられ,その巻き物はイエスの王国,ならびにその王国が成し遂げる事柄に関して,たいへん多くのことを明らかにしています。イエスはこの地上におられた時,王国の真理について忠実に証しをされました。(ヨハネ 18:36,37)そして,その王国が来ることを祈り求めるよう追随者たちに教えられました。(マタイ 6:9,10)また,キリスト教時代の初めに,王国の良いたよりを宣べ伝える業を創始し,その宣べ伝える業が終わりの時代に頂点に達することをも預言されました。(マタイ 4:23。マルコ 13:10)同様に,24人の長老の一人が,イエスこそ封印を解く方であることをヨハネに明らかにするのも適切なことです。なぜでしょうか。なぜなら,それら長老たちは王座に座して冠をかぶっており,キリストと共にその王国の共同相続人となっているからです。―ローマ 8:17。啓示 4:4。
『ほふられた子羊』
9 ヨハネは,ライオンの代わりに何が『み座の真ん中に』立っているのを見ますか。彼はそれをどのように描写しましたか。
9 ヨハネはこの「ユダ族の者であるライオン」を見ようとします。しかし,何と驚くべきことでしょう。全く異なった象徴的な姿が現われるのです。「するとわたしは,み座と四つの生き物との真ん中に,また長老たちの真ん中に,ほふられたかのような子羊が立っているのを見た。それには七つの角と七つの目があり,その目は,全地に送り出された神の七つの霊を表わしている」― 啓示 5:6。
10 ヨハネの見た「子羊」とはだれのことですか。この言葉遣いはどうして適切ですか。
10 四つの生き物や24人の長老たちが輪になっており,その輪の中の王座のそばのまさに中央に子羊がいます! 確かにヨハネは,この子羊が「ユダ族の者であるライオン」や「ダビデの根」と同一であることを直ちに見分けます。60年以上も前に,バプテスマを施す人ヨハネが傍観者のユダヤ人たちにイエスを「世の罪を取り去る,神の子羊」として紹介したことをヨハネは知っています。(ヨハネ 1:29)イエスは地上での一生の間,丁度きずのない子羊のように,世に汚されないようにして,ご自分の潔白な命を人類のための犠牲として差し出すことができるようにされました。―コリント第一 5:7。ヘブライ 7:26。
11 栄光を受けられたイエスのことを「ほふられたかのような子羊」と表現するのは,どうしてその威厳にかかわることではありませんか。
11 栄光を受けられたイエスのことを「ほふられたかのような子羊」と表現するのは,この方を何となくさげすむ,あるいはその威厳にかかわることでしょうか。決してそうではありません! イエスが死に至るまで忠実であられたことは,サタンには重大な敗北を,またエホバ神には大勝利を意味しました。イエスのことをそのように表現すると,イエスがサタンの世を征服なさったことが生き生きと描写される上,その表現はエホバとイエスが人類に対して抱いておられる深い愛を思い起こさせます。(ヨハネ 3:16; 15:13。コロサイ 2:15と比較してください。)ですから,イエスは,巻き物を開く際立った資格のある約束の胤として指し示されています。―創世記 3:15。
12 子羊の七つの角は何を表わしていますか。
12 ほかに,この「子羊」に対するわたしたちの感謝の念を深める,どんな事柄がありますか。その子羊には七つの角があります。聖書の中で,角は多くの場合,力もしくは権威の象徴で,七は完全性を示唆しました。(サムエル第一 2:1,10; 詩編 112:9; 148:14と比較してください。)ですから,子羊の七つの角は,エホバがイエスに委託された満ち満ちた力を表わしています。イエスは,「あらゆる政府と権威と力と主権,またとなえられるあらゆる名のはるか上に」おられ,「単にこの事物の体制だけでなく,来たるべき体制においても」そうなられます。(エフェソス 1:20-23。ペテロ第一 3:22)イエスは特に,エホバにより天の王として即位させられた1914年以来,力,つまり行政権を行使してこられました。―詩編 2:6。
13 (イ)子羊の七つの目は何を表わしていますか。(ロ)子羊は何を行なわれますか。
13 その上,「神の七つの霊を表わしている」子羊の七つの目によって示されているように,イエスは聖霊によって完全に満たされています。イエスはエホバの活動する力がご自分の地上の僕たちに十分流れる際の経路となっておられます。(テトス 3:6)イエスは明らかに,地上で起きている事柄をこの同じ霊によって見ておられます。イエスはみ父のように,完全な識別力を持っておられます。その注意を免れるものは一つもありません。(詩編 11:4; ゼカリヤ 4:10と比較してください。)明らかに,このみ子 ― 世を征服して忠誠を保たれた方,ユダ族の者であられるライオン,ダビデの根,ご自分の命を人類のためにささげられた方,すべての権威,満ち満ちた聖霊,およびエホバ神からの完全な識別力を備えた方 ― この方こそ,エホバのみ手から巻き物を取るのに際立ってふさわしい方です。この方はエホバの高貴な組織内のこの使命を受けるのをちゅうちょされるでしょうか。いいえ,むしろ,「彼は行って,み座に座っておられる方の右手からそれ[巻き物]をすぐに受け取(られまし)た」。(啓示 5:7)喜んで従う何と優れた模範でしょう。
賛美の歌
14 (イ)四つの生き物と24人の長老は,イエスが巻き物を受け取られる際,どのように反応しますか。(ロ)24人の長老に関してヨハネが受け取る情報は,彼らの実体と地位をどのように確証していますか。
14 エホバの王座の前にいる他の者たちは,どのように反応しますか。「そして彼が巻き物を受け取った時,四つの生き物と二十四人の長老は子羊の前にひれ伏した。彼らは各々たて琴と,香を満たした黄金の鉢とを持っていた。その香は聖なる者たちの祈りを表わしている」。(啓示 5:8)24人の長老たちは,神の王座の前のケルブに似た四つの生き物のように,イエスの権威を認めて,この方に身をかがめます。しかし,たて琴と香の鉢を持っているのは,それらの長老だけです。a そして,長老たちだけが新しい歌を歌います。(啓示 5:9)ですから,彼らは,やはりたて琴を持って新しい歌を歌う,聖なる「神のイスラエル」の14万4,000人の人たちに似ています。(ガラテア 6:16。コロサイ 1:12。啓示 7:3-8; 14:1-4)さらに,24人の長老については,幕屋でエホバに香をたいてささげた古代イスラエルの祭司の務めによって表わされていた,天の祭司の役割を果たしている様子が示されています。イスラエルの祭司の務めは,神がモーセの律法をイエスの苦しみの杭にくぎづけにして取り除かれた時に地上で終わりました。(コロサイ 2:14)このすべてからどんな結論を引き出せますか。それは,困難を克服した油そそがれた者たちが,ここで,「神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」という,自分たちの究極的な割り当てを受けた者として示されているということです。―啓示 20:6。
15 (イ)イスラエルでは,だれだけが幕屋の至聖所に入る特権に恵まれていましたか。(ロ)至聖所に入る前に香をたくことは,大祭司にとってどうして生死にかかわる事柄でしたか。
15 古代イスラエルでは,エホバが象徴的な仕方で臨在しておられる至聖所に入ることは,大祭司だけに限られていました。大祭司にとって,香を携えて行くことは,生死にかかわる事柄でした。エホバの律法はこう述べています。「[アロン]は,エホバの前にある祭壇の燃えるおき火を満たした火取り皿を取り,また両の手のくぼみに細かな薫香を満たして,それを垂れ幕の内側に携えて行くように。次いでその香をエホバの前で火の上に置かねばならない。香の煙が証の上にある箱の覆いを覆いつくすようにして,彼が死ぬことのないようにするのである」。(レビ記 16:12,13)大祭司は香をたかない限り,至聖所に首尾よく入ることはできませんでした。
16 (イ)キリスト教の事物の体制の中では,だれが対型的な至聖所に入って行きますか。(ロ)油そそがれたクリスチャンはどうして『香をたか』なければなりませんか。
16 キリスト教の事物の体制の中では,対型的な大祭司イエス・キリストだけでなく,14万4,000人の従属の祭司の各々もまた,やがて対型的な至聖所,つまり天のエホバのおられる場所に入ることになります。(ヘブライ 10:19-23)24人の長老によってここで表わされている,これらの祭司たちは,『香をたか』ない限り,つまりエホバへの祈りと祈願を絶えずささげない限り,この至聖所に入ることはできません。―ヘブライ 5:7。ユダ 20,21。詩編 141:2と比較してください。
新しい歌
17 (イ)24人の長老はどんな新しい歌を歌いますか。(ロ)聖書では「新しい歌」という表現は普通,どのように使われていますか。
17 今や,美しい旋律の新しい歌が響き渡ります。子羊の仲間の祭司である24人の長老が子羊に向かってその歌を歌います。「そして彼らは新しい歌を歌って言う,『あなたは巻き物を受け取ってその封印を開くにふさわしい方です。あなたはほふられ,自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人々を買い取ったからです』」。(啓示 5:9)「新しい歌」という表現は聖書中に数回出ており,普通,力ある救出の業ゆえにエホバをたたえることに関連しています。(詩編 96:1; 98:1; 144:9)ですから,それは新しい歌です。なぜなら,今や歌い手はエホバの特別なくすしい業をふれ告げ,その輝かしいみ名に対する新たな感謝の念を表明することができるからです。
18 24人の長老はその新しい歌をもって,何のためにイエスをたたえますか。
18 しかし,ここでは,24人の長老はエホバの前ではなく,イエスの前で新しい歌を歌います。ですが,原則は同じです。彼らは,神のみ子であるイエスが彼らのために行なわれた新しい事柄のゆえにイエスをたたえます。イエスは仲介者としてご自分の血によって新しい契約を成立させ,こうしてエホバの特別な所有物としての新しい国民を生み出すことを可能にされました。(ローマ 2:28,29。コリント第一 11:25。ヘブライ 7:18-25)この新しい霊的な国民の成員は多くの肉の国民の中から来ましたが,イエスは彼らを一つの会衆である一国民として結合させました。―イザヤ 26:2。ペテロ第一 2:9,10。
19 (イ)肉のイスラエルは自分たちの不忠実さゆえに,どんな祝福の成就にあずかりませんでしたか。(ロ)エホバの新しい国民はどんな祝福を享受するようになりましたか。
19 エホバは昔,モーセの時代にイスラエル人を一国民として組織した時,彼らと契約を結び,彼らがもしその契約に対して忠実を保つならば,ご自分の前で祭司の王国となることを約束されました。(出エジプト記 19:5,6)イスラエル人は忠実ではなかったので,その約束の成就を決して体験しませんでした。一方,イエスの仲介で成立した新しい契約のおかげで組織された新しい国民は,忠実を保ちました。ですから,その成員は王として地を支配し,また祭司として奉仕して,人類の中の心の正しい人たちがエホバと和解するのを助けるようになるのです。(コロサイ 1:20)それは新しい歌の歌詞の中で次のように表現されている通りです。「そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配するのです」。(啓示 5:10)栄光を受けられたイエスに向かってこの新しい賛美の歌を歌う,それら24人の長老は,何という大きな喜びを抱いているのでしょう。
天の合唱
20 今や,子羊に対するどんな賛美の歌が響きますか。
20 エホバの組織の膨大な天軍の他の者たちはこの新しい歌にどのようにこたえ応じますか。ヨハネは彼らがその歌声に次のように心から和するのを見て胸を躍らせます。「それから,わたしが見ると,み座と生き物と長老たちの周りにいる多くのみ使いたちの声が聞こえた。彼らの数は数万の数万倍,数千の数千倍であり,大声でこう言った。『ほふられた子羊は,力と富と知恵と強さと誉れと栄光と祝福を受けるにふさわしい方です』」。(啓示 5:11,12)何と感動的な賛美の歌でしょう。
21 子羊がたたえられているために,エホバの主権もしくは地位が損なわれていますか。説明してください。
21 これは,今やイエスがどうしたわけかエホバ神に取って代わり,全創造物がみ父ではなく,イエスをたたえるようになったという意味ですか。決してそうではありません! むしろ,この賛美の歌は,使徒パウロが次のように書いた事柄と調和しています。「神は[イエス]をさらに上の地位に高め,他のあらゆる名に勝る名を進んでお与えになったのです。それは,天にあるもの,地にあるもの,地の下にあるもののすべてのひざがイエスの名によってかがみ,すべての舌が,イエス・キリストは主であると公に認めて,父なる神に栄光を帰するためでした」。(フィリピ 2:9-11)イエスはここで,エホバの主権の正当性を立証するという主要な問題を全創造物の前で解決することにあずかっておられるゆえに,ほめたたえられているのです。その結果,確かに,何と輝かしい栄光がみ父にもたらされているのでしょう。
高まる賛歌
22 地上の領域から上がる声は,どんな賛歌に和しますか。
22 ヨハネの描写する場面の中で,天軍はイエスの忠実さとその天的な権威を認めて,美しく響く歓呼の声を上げています。ここで,地上の領域から上がる,み父とみ子のお二方をたたえることにあずかる同様の声が,それら天軍の歓声に和します。人間の息子の業績が大きな名誉を両親にもたらすように,イエスの忠実な歩みは全創造物の中で『父なる神の栄光』を高めるものです。ですから,ヨハネはさらにこう伝えています。「そして,天と地と地の下と海の上とにいるあらゆる被造物,およびそこにあるすべてのものがこう言うのが聞こえた。『み座に座しておられる方と子羊とに,祝福と誉れと栄光と偉力が限りなく永久にありますように』」― 啓示 5:13。
23,24 (イ)その賛歌が天でいつ歌われるようになるかを何が示唆していますか。(ロ)年がたつにつれて,その賛歌の声量はどのように増大してゆきますか。
23 この壮大な賛歌はいつ響き渡りますか。それは主の日の初めごろ響き渡るようになりました。サタンとその悪霊が天から放逐された後,「天……にいるあらゆる被造物」は,この賛美の歌に共に加わることができました。そして記録が示すように,1919年以来,地上の増大する大勢の人々が声を合わせてエホバをたたえ,その人数は数千人から2005年までに優に600万人以上に増加してきました。b サタンの地上の体制が滅ぼされた後には,「地……にいるあらゆる被造物」が,エホバとそのみ子をたたえる歌を歌うことでしょう。やがてエホバのご予定の時に,幾千幾百万もの数知れぬ死者の復活が始まると,神の記憶にとどめられている「地の下……にいるあらゆる被造物」は,その賛歌に和する機会に恵まれるでしょう。
24 「地の果てから……海と……もろもろの島」から来た何百万もの人々がすでにエホバの世界的な組織と交わって,新しい歌を歌っています。(イザヤ 42:10。詩編 150:1-6)この喜ばしい賛美の歌声は,人類が完全な状態に引き上げられる千年期の終わりに次第に高まってゆくでしょう。その後,あの年を経た蛇である大欺まん者サタン自身も,創世記 3章15節の完全な成就として滅ぼされ,霊者と人間を含め,生ける全創造物は勝利の最高潮を迎えて,「み座に座しておられる方と子羊とに,祝福と誉れと栄光と偉力が限りなく永久にありますように」と一斉に歌います。異議を唱える声は全宇宙に一つもないでしょう。
25 (イ)この宇宙的な賛歌に関するヨハネの記述を読むと,わたしたちは何をするよう動かされますか。(ロ)この幻の終わりの箇所で四つの生き物と24人の長老は,どんな見事な模範をわたしたちに示していますか。
25 それは何という喜ばしい時となるのでしょう。確かに,ヨハネがここで描写している事柄はわたしたちの心を幸福感でいっぱいにさせ,天軍に加わって,エホバ神とイエス・キリストをたたえる歌を心から歌うようわたしたちを鼓舞します。わたしたちは正しい業を忍耐強く行なうよう,これまで以上に固く決意するよう促されるのではないでしょうか。もしそうであれば,わたしたちはエホバの助けを得て,個人個人その喜ばしい最高潮を迎え,あの宇宙的な賛美の合唱に和することが期待できます。確かに,ケルブのような四つの生き物と復活させられた油そそがれたクリスチャンは全く一致しています。それは,この幻が次のような言葉で終わっているからです。「すると,四つの生き物は『アーメン!』と言い,長老たちはひれ伏して崇拝した」― 啓示 5:14。
26 わたしたちは何に信仰を働かせるべきでしょうか。子羊は何をする用意をしていますか。
26 親愛なる読者のあなたも,「ふさわしい方」であられる子羊の犠牲に信仰を働かせ,「み座に座しておられる方」であられるエホバを崇拝して,この方に仕えるあなたの謙虚な努力が祝福されますように。「時に応じてその[必要な]定めの[霊的な]食糧」を備えているヨハネ級の人たちが,今日,あなたをも助けますように。(ルカ 12:42)ところで,ご覧なさい,子羊は七つの封印を解く用意をしています! 今や,胸の躍るようなどんな事柄がわたしたちのために明らかにされようとしているのでしょうか。
[脚注]
a 文法的に言えば,「各々たて琴と,香を満たした黄金の鉢とを持っていた」という表現は,長老たちと四つの生き物の両方を指していると取ることもできます。しかし,文脈からすれば,この表現は明らかに24人の長老だけを指しています。
b 64ページの表をご覧ください。
[86ページ,全面図版]
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四人の騎手の馬は疾駆する!啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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16章
四人の騎手の馬は疾駆する!
第3の幻 ― 啓示 6:1-17
主題: 乗り進む四人の騎手,祭壇の下にいる殉教した証人たち,憤りの大いなる日
成就する期間: 1914年から,この事物の体制が滅ぼされる時まで
1 エホバは,イエスの開かれる,興味をそそる巻き物の内容をどのようにしてヨハネに明らかにされますか。
危機の時代である今日,わたしたちは,「ほどなくして必ず起きる事柄」に深い関心を抱いているのではありませんか。確かにそうです! なぜなら,わたしたち自身が関係しているからです。それでは,イエスがあの興味をそそる巻き物を開き始められるので,これからヨハネに同行してみましょう。驚くべきことに,ヨハネはそれを読む必要がありません。なぜでしょうか。なぜなら,その内容は,活動で満ちた力強い一連の場面を通して,「しるしにより」ヨハネに伝えられているからです。―啓示 1:1,10。
2 (イ)ヨハネは何を見,また聞きますか。そのケルブの姿は何を連想させますか。(ロ)第一のケルブの命令はだれに対して述べられていますか。どうしてそのように答えますか。
2 イエスが巻き物の最初の封印を開かれる際,ヨハネの言葉に耳を傾けてください。「そして,子羊が七つの封印の一つを開いた時にわたしが見ると,四つの生き物の一つが雷のような声で,『来なさい!』と言うのが聞こえた」。(啓示 6:1)これは第一のケルブの声です。そのライオンのような姿は,エホバの組織が義にかなった裁きを執行する際,勇気を奮って行動することをヨハネに連想させたことでしょう。では,その命令はだれに対して述べられていますか。ヨハネに対してではありません。ヨハネはそれらの預言的な場面にすでに一緒に加わるよう招かれているからです。(啓示 4:1)その「雷のような声」は,活動に満ちた一連の四つの挿話的な出来事の最初の場面の他の参加者たちを呼び出しているのです。
白い馬とその傑出した乗り手
3 (イ)ヨハネは今度,何を描写していますか。(ロ)聖書の象徴的な表現と調和して,白い馬は何を表わしていますか。
3 ヨハネ,およびヨハネと共にいる今日の熱心なヨハネ級の人たちと仲間の人々は,急速に展開する劇を見る特権に恵まれています! ヨハネはこう言います。「そして,見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,彼に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」。(啓示 6:2)そうです,あの雷のような「来なさい!」という声に答えて,白い馬が突進して行きます。聖書では馬は多くの場合,戦闘を象徴しています。(詩編 20:7。箴言 21:31。イザヤ 31:1)成熟した美しい雄馬と思われるこの白い馬は,汚れのない神聖さを示唆する白さできらりと輝きます。(啓示 1:14; 4:4; 7:9; 20:11と比較してください。)これはエホバの聖なる目に清くて義にかなった戦闘を描写しているので,何と適切なのでしょう。―啓示 19:11,14もご覧ください。
4 白い馬の乗り手はだれですか。説明してください。
4 この馬の乗り手はだれですか。その乗り手は戦争で使う攻撃用の武器である弓を持っていますが,冠をも与えられています。主の日の間,冠をかぶっているところを見られる,義にかなった者たちとは,イエスと,24人の長老で表わされている級の人たちだけです。(ダニエル 7:13,14,27。ルカ 1:31-33。啓示 4:4,10; 14:14)a 24人の長老の一団の一成員が自分の功績ゆえに冠を受けるということが表わされているとは,まず考えられません。ですから,このただ一人の騎手はほかならぬイエス・キリストご自身であるに違いありません。ヨハネは1914年の歴史的な瞬間に天におられるイエスを見ます。その年にエホバは,「わたしは,まさしくわたしは……わたしの王を立てた」と宣言し,それは『わたしが諸国の民をあなたの相続物として与える』ためであることをイエスにお告げになるのです。(詩編 2:6-8)b こうして,イエスは第一の封印を開いて,新たに王冠を頂いた王であるご自分が,神の定められた時にどのように戦いに打って出るかを明らかにしておられます。
5 詩編作者はその乗り手のことを啓示 6章2節と同様の仕方で,どのように描写していますか。
5 この場面は,エホバにより即位させられた王に語りかけられている,次のような詩編 45編4節から7節の言葉と見事に調和しています。「そして,あなたの光輝をもって成功を収めよ。真理と謙遜と義のために乗り進め。あなたの右手は畏怖の念を起こさせることをあなたに教え諭す。あなたの矢は鋭く ― あなたの下にもろもろの民は倒れてゆく ― 王の敵の心臓に突き入る。神は定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたの王座。あなたの王権の笏は廉直の笏。あなたは義を愛した。そして邪悪を憎む。それゆえに,神,あなたの神は,歓喜の油をあなたの仲間にもましてあなたにそそがれた」。ヨハネはこの預言的な描写によく通じていたので,それが王としてのイエスの活動に当てはまることを認識しました。―ヘブライ 1:1,2,8,9と比較してください。
出て行って征服する
6 (イ)その乗り手はなぜ出て行って征服しなければならないのでしょうか。(ロ)どの期間中,乗り進んで征服するのでしょうか。
6 それにしても,新たに王冠を頂いたその王は,どうして戦いのために乗り進まなければならないのでしょうか。なぜなら,その王権は,エホバの主要な敵対者である悪魔サタンと ― それと知りながら,あるいは知らずに ― サタンの目的にかなっている地上の人々からの厳しい反対があるにもかかわらず確立されているからです。王国それ自体の誕生も,天での主要な戦いを必要としています。イエスはミカエル(「だれか神のようであろうか」の意)という名で戦い,サタンとその悪霊たちに打ち勝って,彼らを地に投げ落とされます。(啓示 12:7-12)イエスは主の日の初めの何十年かの間に,引き続き乗り進んで征服なさる一方,羊のような人々が集められてゆきます。全世界は依然として「邪悪な者の配下に」ありますが,イエスはご自分の油そそがれた兄弟たちとその仲間の人たちを引き続き愛を込めて牧し,信仰による征服を遂げるよう個人個人を助けてくださいます。―ヨハネ第一 5:19。
7 イエスは主の日の初めの何十年かの間に,地上でどんな征服を行なってこられましたか。わたしたちは何を決意しているべきでしょうか。
7 イエスは過去90年余りの主の日の間,ほかにどんな征服を行なわれましたか。エホバの民は地球上の至る所で個人的に,また会衆としても,使徒パウロが奉仕の務めに携わっていることの証拠として述べたのと同様な幾多の困難や圧迫や迫害を経験してきました。(コリント第二 11:23-28)エホバの証人は特に戦争や暴虐の舞台で忍耐するために『普通を超えた力』を必要としてきました。(コリント第二 4:7)しかし,忠実な証人たちは極めてつらい状態にあってさえ,パウロと同様,「主はわたしの近くに立って,わたしに力を注ぎ込んでくださいました。それは,わたしを通して,宣べ伝える業が十分に遂行され(るためでした)」と言うことができました。(テモテ第二 4:17)そうです,イエスは彼らのために征服なさったのです。それで,わたしたちが自分たちの信仰による征服を完了することを決意している限り,イエスはわたしたちのために引き続き出て行って征服を行なってくださいます。―ヨハネ第一 5:4。
8,9 (イ)エホバの証人の世界的な会衆はどんな征服にあずかってきましたか。(ロ)エホバの証人の増加はどこで確かに際立っていますか。
8 エホバの証人の世界的な会衆は,征服を行なっておられるその王の指導のもとで数多くの征服にあずかってきました。それら聖書研究者がサタンの政治組織によって一時的に『征服された』1918年に,その王は彼らを目ざましい仕方で保護して絶滅を免れさせました。そして,1919年に,いわば刑務所の窓格子を破って彼らを救い出し,その後,「地の最も遠い所にまで」良いたよりをふれ告げさせるために彼らを活気づけられました。―啓示 13:7。使徒 1:8。
9 第二次世界大戦前,および同大戦中,独裁主義の枢軸国は,宗教指導者,それも特にローマ・カトリック教会位階制の指導者たちが公然と,あるいは暗黙のうちに圧制的な独裁者を支持した多くの国々で,エホバの証人を一掃しようとしました。しかし,同大戦が始まった1939年当時の7万1,509人の証人たちは,そのうち1万人以上が刑務所や強制収容所で長い歳月を過ごし,約2,000人が殺されたにもかかわらず,1945年に同大戦が終わったころには14万1,606人になっていました。全世界の活発な証人の人数は今日,600万人を超えるまでに増大しました。カトリックの土地や,ドイツ,イタリア,および日本などの迫害のたいへん厳しかった国々では増加が際立っており,これら三つの国は今や合計で優に60万人以上の野外の活発な奉仕者を報告しています。―イザヤ 54:17。エレミヤ 1:17-19。
10 征服しておられる王は,「良いたよりを擁護して法的に確立することにおいても」,どんな勝利をもって,ご自分の民を祝福してこられましたか。
10 征服しておられるわたしたちの王は,法廷や支配者の前で「良いたよりを擁護して法的に確立することにおいても」,数多くの勝利を得させるよう,ご自分の熱心な民を導き,祝福してこられました。(フィリピ 1:7。マタイ 10:18; 24:9)このことは国際的な規模で,つまりアルゼンチン,インド,オーストラリア,カナダ,ギリシャ,スイス,スワジランド,トルコその他の国々でも起きてきました。エホバの証人が米国最高裁判所で得た50件の法律上の勝利には,良いたよりを『公に,また家から家に』宣明し,愛国主義的な偶像崇拝の儀式を拒む権利を保障する勝訴が含まれています。(使徒 5:42; 20:20。コリント第一 10:14)こうして,証言を世界的に拡大する道が開かれてきました。
11 (イ)その乗り手はどのようにして「征服を完了」なさるのでしょうか。(ロ)第二,第三および第四の封印が開かれることにより,わたしたちはどんな影響を受けるでしょうか。
11 イエスはどのようにして「征服を完了」なさるのでしょうか。c それはこれから調べますが,イエスは偽りの宗教を取り除き,次いでサタンの見える組織の残りの部分を滅びを象徴する「火の湖」に投げ込んで,エホバの主権の正しさを立証することにより,そうなさいます。わたしたちは今や,わたしたちの「王の王」がサタンの圧制的な政治組織に対して最終的な勝利を収められるハルマゲドンのその日を,確信を抱いて待ち望んでいます!(啓示 16:16; 17:14; 19:2,14-21。エゼキエル 25:17)一方,エホバが心の正直な人たちを地上のご自分の義にかなった国民に加え続けてくださるにつれ,白い馬にまたがる無敵の征服者は引き続き乗り進んで行かれます。(イザヤ 26:2; 60:22)あなたはこの王国の喜ばしい拡大の業に油そそがれたヨハネ級の人たちと共にあずかっておられますか。もしそうでしたら,次の三つの封印が開かれる時,あなたは使徒ヨハネの見る事柄により,現代のためのエホバの業になお一層あずかるよう鼓舞されるに違いありません。
ご覧なさい,火のような色の馬です!
12 イエスはどんな事柄がご自分の王としての見えない臨在をしるし付けるものになると言われましたか。
12 イエスが地上で奉仕の務めに携わられた期間の終わりごろ,その弟子たちは,「あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」と,ひそかにイエスに尋ねました。イエスはそれに答えて,「苦しみの劇痛の始まり」となる災いを予告し,こう言われました。「国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がるでしょう。そして,大きな地震があり,そこからここへと疫病や食糧不足があります。また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう」。(マタイ 24:3,7,8。ルカ 21:10,11)巻き物の残りの封印が開かれる時,ヨハネの見る事柄は,その預言と驚くほどよく類似しています。さあ,栄光を受けられたイエスが第二の封印を開かれる際,よく見てください。
13 どんな対照的な事柄がヨハネに明らかにされようとしていますか。
13 「また,彼が第二の封印を開いた時,わたしは,第二の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた」。(啓示 6:3)この命令を出しているのは,雄牛のような姿をした第二のケルブです。ここでは力という特質が象徴的に表わされていますが,その力は正しく用いられています。ところが,それとは対照的に,ヨハネは今や,力が振るわれて死がもたらされる恐ろしい光景を見ようとしています。
14 ヨハネは次にどんな馬と乗り手を見ますか。この幻は何を表わしていますか。
14 では,「来なさい!」という第二のこの呼び出しに対する応答はどのようになされますか。それはこうです。「すると,別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」。(啓示 6:4)実に凄惨な幻です! また,それが何を表わしているかについては疑問の余地がありません。戦争です! それは征服なさるエホバの王の義にかなった勝利の戦いではなく,不必要な流血と苦痛を伴う,人間の仕業である国際的な残忍な戦争です。その乗り手が火のように赤い馬にまたがっているのは,何とふさわしいのでしょう。
15 わたしたちはどうして第二の騎手と共に乗りたいなどと思うべきではありませんか。
15 確かにヨハネは,突進するその馬にこの騎手と共に乗りたいとは思わないでしょう。というのは,神の民に関して,「彼らはもはや戦いを学ばない」と預言されていたからです。(イザヤ 2:4)ヨハネ,それに拡大解釈して,ヨハネ級の人たちと大群衆は,今日,依然として「世におり」ますが,血だらけのこの体制の「ものでは」ありません。わたしたちの武器は,肉の戦いは別にして,真理を活発にふれ告げるために「神によって強力にされた」霊的なものです。―ヨハネ 17:11,14。コリント第二 10:3,4。
16 赤い馬の乗り手には,いつ,またどのように,「大きな剣」が与えられましたか。
16 白い馬の乗り手が王冠を受けた年である1914年以前にも,多くの戦争がありました。しかし,今や赤い馬の乗り手には「大きな剣」が与えられています。これは何を暗示していますか。第一次世界大戦の勃発と共に,人間の戦争はかつてないほど一層血生臭くて,一層破壊的なものになりました。1914年から1918年まで大虐殺が行なわれた間,戦車,毒ガス,飛行機,潜水艦,巨砲,および自動火器などが初めて,あるいは類例のないほどの規模で使われました。およそ28か国の職業軍人だけでなく,住民全体が戦争努力を強いられました。死傷者は恐るべき数に達し,900万人以上の将兵が殺され,一般市民の死傷者は天文学的な数字に達しました。戦争が終わった後でさえ,地上には真の平和が戻りませんでした。同大戦から50年以上たった後でさえ,ドイツの政治家コンラート・アデナウアーは,「1914年以来,安全と静けさは人々の生活から失われた」と述べました。火のような色の馬の乗り手はまさしく,地から平和を取り去ることを許されたのです!
17 第一次世界大戦後,「大きな剣」はどのように引き続き振るわれてきましたか。
17 その後,血に対する渇望をそそられた,赤い馬の乗り手は,第二次世界大戦に突進しました。大量殺人の手段はなお一層残忍なものになり,死傷者数は第一次世界大戦の4倍にも急上昇しました。1945年には2個の原子爆弾が日本の上空でさく裂し,一瞬のせん光がきらめいた後,その各々は何万人もの犠牲者をせん滅しました。第二次世界大戦中,赤い馬の乗り手はおよそ5,500万人もの膨大な数の人命を刈り取りましたが,それでも満足しませんでした。第二次世界大戦以来,信頼すべき報告によれば,少なくとも優に2,000万を超える魂が「大きな剣」の下に倒れたと言われています。
18,19 (イ)第二次世界大戦以来の大虐殺は軍事科学技術の勝利というよりはむしろ,どんな事実の証拠ですか。(ロ)人類はどんな危険に直面していますか。しかし,白い馬の乗り手はそれを相殺するために何を行なわれますか。
18 わたしたちはこれを果たして軍事科学技術の勝利と呼べるでしょうか。それはむしろ,無慈悲な赤い馬が疾駆している証拠です。では,疾駆するのをどこでやめるのでしょうか。核による計画的な大火災は言うまでもなく,偶発的な核戦争も起きかねない,と語る科学者もいます! しかし,幸いなことに,白い馬の乗り手はこのことに関して別の考えを持っておられます。
19 社会が国家主義的な誇りや憎しみに基づいている限り,人類は引き続き核の危険という火薬庫の上に座らざるを得ません。たとえ諸国家が必死になって核兵器を全廃したところで,その製造技術を保持しています。諸国家は殺人核兵器を再び製造しようと思えば,直ちにそうすることができるでしょう。ですから,在来型の兵器を使うどんな戦争でも,やがて急速に発展して大破壊を招く恐れがあります。ああ,そうです,白い馬の乗り手が火のような色の馬の狂気じみた疾駆を阻止しない限り,今日,諸国民を包んでいる誇りや憎しみの感情は人類の自殺をもたらすに違いありません。ですから,王キリストはサタンの支配する世に対する征服を完了すると共に,愛 ― 神と隣人に対する愛 ― に基づく新しい地上の社会を確立するために乗り進んでおられることを確信いたしましょう。そのような愛こそ,狂気じみた現代の当てにならない核抑止力よりもはるかに勝った,平和のための力です。―詩編 37:9-11。マルコ 12:29-31。啓示 21:1-5。
黒い馬が突進する
20 白い馬の乗り手がいかなる悲惨な事態にも対処なさることを保証する,どんな事柄がありますか。
20 イエスは今や第三の封印を開かれます! ヨハネ,何を見守っておられるのですか。「また,彼が第三の封印を開いた時,わたしは,第三の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた」。(啓示 6:5[前半])幸いなことに,この第三のケルブには,愛という特質を表わす「人間のような顔」があります。その優れた特質が今日,エホバの組織全体に行き渡っている通り,神の新しい世には原則に基づく愛があふれます。(啓示 4:7。ヨハネ第一 4:16)わたしたちは,「すべての敵を彼の足の下に置くまで……王として支配しなければならない」,その白い馬の乗り手が,次にヨハネの凝視する悲惨な事態を愛をもって除去してくださることを確信できます。―コリント第一 15:25。
21 (イ)黒い馬とその乗り手は何を表わしていますか。(ロ)その黒い馬が依然として暴れ回っていることを何が明らかに示していますか。
21 では,「来なさい!」という第三の呼び出しに対する応答がなされる時,ヨハネは何を見ますか。「そして,見ると,見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手にはかりを持っていた」。(啓示 6:5[後半])紛れもない飢きんです! これがこの預言的な場面の示す恐ろしい音信です。それは,食物がはかりで量って配給されなければならなくなる主の日の初めごろの状況を指し示しています。1914年以来,飢きんは引き続き世界的な問題となってきました。現代の戦争の後には飢きんが生じます。というのは,普通なら空腹な人々を養うために使われる資源が,大抵,兵器を供給するために転用されるからです。農場で働く人たちは徴用され,畑地は戦闘のために損なわれ,焦土政策が取られるため,食糧生産は減少します。何百万もの人々が餓死した第一次世界大戦中,このことは何と真実だったのでしょう。その上,飢えを表わす黒い馬の乗り手は,同大戦が終わっても哀れに思いませんでした。1930年代には,ウクライナ地方の飢きんだけで500万もの人々が滅びました。第二次世界大戦の後にはもっとひどい食糧不足や飢きんが起きました。黒い馬が疾駆し続けているため,1987年の半ばに世界食糧会議は,5億1,200万人が飢えている上,飢餓の関係している原因で毎日,4万人もの子供たちが亡くなっていると報告しました。
22 (イ)その声は,何をする必要があることをどのように言い表わしていますか。(ロ)小麦一リットルと大麦三リットルの値段は何を暗示していますか。
22 ヨハネはわたしたちにさらにこう告げます。「そしてわたしは,四つの生き物の真ん中から出るかのような声が,『小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損なうな』と言うのを聞いた」。(啓示 6:6)四人のケルブは全員一斉に,食物の蓄えを注意深く見守る必要があることを言い表わしています。それはちょうど,西暦前607年にエルサレムが滅びる以前,人々が「心配しながら目方によってパンを食べ」なければならなくなったのと同様です。(エゼキエル 4:16)ヨハネの時代には,小麦一リットルが兵士のための一日分の配給量とみなされました。この配給量の値段は幾らでしたか。一デナリ,つまりまる一日の賃金に相当しました!(マタイ 20:2)d もし男の人に家族がいたら,どうでしたか。小麦の代わりに,精白されていない大麦を三リットル買えました。それでも,小人数の家族しか養えなかったでしょう。それに,大麦は小麦ほど良質の食物とはみなされていませんでした。
23 「オリーブ油とぶどう酒を損なうな」という声明は何を示唆していますか。
23 「オリーブ油とぶどう酒を損なうな」という声明は何を示唆していますか。中には,多くの人々が食物の不足に悩み,餓死する人さえいるのに,金持ちのぜいたく品は損なわれないことを意味していると考える人たちもいます。しかし中東では,油やぶどう酒は実際ぜいたく品ではありません。聖書時代には,パンや油やぶどう酒は基本的な食糧品とみなされていました。(創世記 14:18; 詩編 104:14,15と比較してください。)水は必ずしも良質ではなかったので,ぶどう酒が飲み物として,時には薬用として広く用いられました。(テモテ第一 5:23)油について言えば,エリヤの時代のザレパテのやもめは貧しい人でしたが,残りの麦粉を調理するのに使う油がなお少し残っていました。(列王第一 17:12)ですから,「オリーブ油とぶどう酒を損なうな」という命令は,それらの基本的な必需品をあまり早く使ってしまうのではなく,かえって節約しながら使うようにという忠告のようです。さもないと,それらのものは『損なわれる』,つまり飢きんが終わらないうちに尽きてしまうでしょう。
24 黒い馬は余り長い間疾駆し続けるわけではありません。それはどうしてですか。
24 白い馬の乗り手が間もなく,あの疾駆する黒い馬の手綱を引いて止めてくださるので,わたしたちは何と幸いなのでしょう。というのは,新しい世のためのその方の愛ある備えに関して,こう記されているからです。「その日には義なる者が芽生え,豊かな平和が月のなくなるときまで続くことでしょう。……地には穀物が豊かに実り,山々の頂であふれんばかりに実ります」― 詩編 72:7,16。イザヤ 25:6-8もご覧ください。
青ざめた馬とその乗り手
25 イエスが第四の封印を開かれる時,ヨハネはだれの声を聞きますか。それは何を示唆していますか。
25 この話はまだ完全に述べ終えられてはいません。イエスは第四の封印を開かれ,ヨハネはその結果をわたしたちにこう告げます。「また,彼が第四の封印を開いた時,わたしは,第四の生き物の声が,『来なさい!』と言うのを聞いた」。(啓示 6:7)それは,飛ぶ鷲に似たケルブの声です。先を見通す知恵が示唆されているので,ヨハネやヨハネ級の人たちや他の地的な神の僕たちは皆,ここで描写されている事柄を考慮して,確かに洞察力を働かせて観察したり,行動したりすることが必要でした。そうするなら,わたしたちは今日の高慢で不道徳な世代の世故にたけた人々を悩ます神罰から,ある程度守られることでしょう。―コリント第一 1:20,21。
26 (イ)第四の騎手はだれですか。その馬の色はどうして適切ですか。(ロ)だれが第四の騎手の後に従っていますか。その犠牲者はどうなりますか。
26 では,第四の騎手がその招きにこたえ応じると,ぞっとするようなどんな新たなものが放たれますか。ヨハネはわたしたちにこう告げます。「そして,見ると,見よ,青ざめた馬がいた。それに乗っている者には“死”という名があった。そして,ハデスが彼のすぐあとに従っていた」。(啓示 6:8[前半])この最後の馬の乗り手には名前があります。それは死です。この乗り手は黙示録の四騎手の中で,その実体を単刀直入に明らかにしている,ただ一人の騎手です。適切なことに,“死”が青ざめた馬に乗っています。というのは,「青ざめた」という言葉(ギリシャ語,クローロス)はギリシャ文学では,あたかも病気のために青白くなった顔を描写するのに使われているからです。また適切にも,ハデス(墓場)が,説明されていない何らかの仕方で“死”の後に従っています。というのは,ハデスは第四の騎手の振るう猛威の前に倒れる犠牲者の多くを自らの内に受け入れるからです。幸いなことに,『死とハデスがその中の死者を出す』時,それらの人々の復活が行なわれます。(啓示 20:13)しかし,“死”はどのようにしてそれらの犠牲者の命を奪うのでしょうか。
27 (イ)“死”という乗り手は,どのようにしてその犠牲者の命を奪うのでしょうか。(ロ)“死”が権威を持つ「地の四分の一」とは何を意味していますか。
27 この幻はその方法の幾つかを列挙しています。「そして,地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた。長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すためである」。(啓示 6:8[後半])必ずしも地上の人口の文字通り四分の一ではなく,住民が密集しているか散在しているかにかかわりなく,地の相当の部分がこの馬の突進の影響を受けるでしょう。この騎手は第二の騎手の大きな剣や第三の騎手の飢きんや食糧不足の犠牲者を刈り取ります。この騎手はまた,死の災厄のもたらす自らの収穫物と,ルカ 21章10節と11節の述べる地震による収穫物をも刈り取ります。
28 (イ)「死の災厄」に関する預言はどのように成就してきましたか。(ロ)今日,エホバの民は多くの病気からどのように守られてきましたか。
28 ここで現在,重要な意味を持っているのは「死の災厄」です。第一次世界大戦が猛威を振るった後に,スペイン風邪が1918年から1919年までのほんの数か月間に2,000万人以上の人命を刈り取りました。地球上でこの疫病を免れた唯一の地域は,小さなセントヘレナ島だけでした。住民の大多数が死んだ所では,積み重ねられた火葬用のまきに火を付けて死体の山が燃やされました。また,今日,心臓病や,たばこによる汚染が原因の多くを占めているガンなどの発生率には,恐るべきものがあります。1980年代の「醜悪な十年間」と評される期間に,聖書の規準からすれば不法な生き方のために,この「死の災厄」にエイズという疫病が付け加えられました。2000年に,米国公衆衛生局長官がエイズは「おそらく史上最悪の流行病だろう」と述べたと報道されました。同長官によれば,すでに世界で5,200万人がエイズに感染し,そのうちの2,000万人が死んでいました。エホバの民はそのみ言葉の賢明な助言のおかげで,たいへん多くの病気の伝染経路となる淫行や血の誤用を避けられるので,何と深く感謝できるのでしょう。―使徒 15:28,29。コリント第一 6:9-11と比較してください。
29,30 (イ)エゼキエル 14章21節の『害をもたらす四つの行ない』は,今日,どのように当てはめられますか。(ロ)わたしたちは啓示 6章8節の「野獣」のことをどのように理解できるでしょうか。(ハ)この預言的な場面の要点はどんなことだと思われますか。
29 ヨハネの幻の中では,早死にの四番目の原因として野獣が挙げられています。実際,第四の封印が開かれて,大きく取り上げられた四つの事柄 ― 戦争・飢きん・病気・野獣 ― は古代の人々の早死にの主要な原因とみなされていました。ですから,それは今日の早死にの原因すべてを予表していると言えるでしょう。それはエホバがイスラエルに次のように警告された通りです。「わたしがエルサレムから地の人と家畜を断ち滅ぼそうとして,その上に実際に送り出す,害をもたらすわたしの四つの裁きの行ない ― 剣と,飢きんと,害をもたらす野獣と,疫病 ― があるときにも,それと同じになるであろう」― エゼキエル 14:21。
30 熱帯地方の国々では,野生動物の犠牲になる人は一向に跡を絶っていませんが,野獣に殺される事件は余り現代の新聞記事にはなりません。しかし,将来,戦争のために土地が荒廃したり,あるいは飢きんのためにやせ衰えた人々が飢えた動物を追い払おうとしたりするなら,もっと多くの人々が動物の犠牲になるかもしれません。その上,今日,理性のない動物のように,イザヤ 11章6節から9節で描写されているのとは大いに対照的な獣のような性向を表わす人間が少なくありません。それらの人々は,現代の世界で地球的な規模で増大している性犯罪・殺人・テロ行為および爆弾事件などに対して主に責任があります。(エゼキエル 21:31; ローマ 1:28-31; ペテロ第二 2:12と比較してください。)第四の騎手は,彼らの犠牲者をも刈り取っています。実際,青ざめた馬の乗り手が早死にする人間を数多くの仕方で収穫することが,この預言的な場面の要点のようです。
31 赤い馬,黒い馬,および青ざめた馬の乗り手が猛威を振るってきたにもかかわらず,どうして励みが得られるのでしょうか。
31 最初の四つの封印を開いて明らかにされた情報は,わたしたちを元気づけてくれます。なぜなら,それは戦争,飢え,病気,ならびに今日あまりにも広く見られる早死にの他の原因のゆえに絶望しないよう,わたしたちを教えるものとなるからです。また,人間の指導者が現行の諸問題を解決できないからといって,希望を失うべきでもありません。たとえ,世界情勢から見て,赤い馬,黒い馬,および青ざめた馬の乗り手が方々に向かっているのが明らかであっても,最初に進み出たのは白い馬の乗り手であったことを忘れないでください。イエスは王となって,すでにサタンを天から追い出す程度まで征服を行なわれました。イエスのなさるそれ以上の征服には,霊的なイスラエルの子らの残っている者たちと何百万という数に上る国際的な大群衆を,大患難を切り抜けて生き残らせるように集め出すことが含まれています。(啓示 7:4,9,14)イエスは征服を完了するまで引き続き乗り進んで行かなければなりません。
32 最初の四つの封印が各々開かれた時,どんな独特なことが起きましたか。
32 最初の四つの封印が各々開かれる度に,「来なさい!」という呼び出しの言葉が後に続きました。その度に,馬とその乗り手が突進して来ました。第五の封印から始めて,そのような呼び出しの言葉はもはや聞かれなくなります。しかし,それらの騎手はなお馬に乗って走っており,事物の体制の終結の期間中ずっと疾駆し続けるでしょう。(マタイ 28:20と比較してください。)イエスは残りの三つの封印を開いて,極めて重要なほかのどんな出来事を明らかにされますか。それらの出来事の幾つかは肉眼では見えません。ほかの出来事は目には見えますが,なお将来の事柄です。とはいえ,成就するのは確かです。では,どんな出来事なのか見てみましょう。
[脚注]
b イエスが1914年にご自分の王国を受け継がれたことを示す詳しい証拠については,エホバの証人の発行した「聖書は実際に何を教えていますか」と題する本の215-218ページをご覧ください。
c 多くの翻訳者はこの句を「征服するため」(改訂標準訳,新英訳聖書,ジェームズ王欽定訳),あるいは「征服を決意して」(フィリップス訳,新国際訳)と訳していますが,この箇所の原語ギリシャ語のアオリスト仮定法の用法は,完了もしくは最終状況を意味しています。ですから,ロバートソン編,「新約聖書の絵画的表現」という本は,「ここのアオリスト時制は究極的な勝利を指している」と述べています。
d 「参照資料付き 新世界訳聖書」の脚注をご覧ください。
[92ページの囲み記事]
王は勝ち誇って乗り進む
1930年代および1940年代中,頑強な敵は,エホバの証人の宣教活動を不法な犯罪行為,もしくは破壊活動だとさえ考えさせるよう腐心しました。(詩編 94:20)米国では1936年だけで,1,149人が逮捕されたと記録されています。証人たちは数多くの訴訟を米国最高裁判所にまで提出して戦いました。証人たちの際立った勝訴の幾つかの例を次に掲げます。
1943年5月3日,米最高裁判所はマードック 対 ペンシルバニア州事件で,証人たちは金銭と引き換えに文書を配布するための認可を必要としないという判断を下しました。その同じ日に,マーティン 対 ストラザーズ市事件で,招待ビラその他の宣伝用印刷物を戸別訪問で頒布する際,玄関の呼び鈴を鳴らすのは不法行為ではないという判決が出されました。
1943年6月14日,米最高裁判所はテイラー 対 ミシシッピ州事件で,証人たちは伝道活動により政府に対する忠誠違背行為を助長してはいないという判断を下しました。その同じ日に,ウェスト・バージニア州教育委員会 対 バーネット事件で,同裁判所は,国旗敬礼を拒否するエホバの証人の子弟を放校する権利は教育委員会にはないという判断を下しました。また,その翌日,判事全員が出席したオーストラリアの高等裁判所は,エホバの証人に対する国家による禁令を「専断的で気まぐれな圧制的」処置と断定して取り除きました。
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「地から平和を取り去ることが許された」
科学技術は何をもたらすか。カナダ,トロントの1987年1月22日付,グローブ・アンド・メール紙は,国際開発研究センターの所長アイバン・L・ヘッドの演説を一部次のように伝えています。
「研究ならびに技術開発に従事している世界の科学者や科学技術の専門家のうち四人に一人は武器のために働いている。……1986年の比率では,支出は1分間に150万㌦(約1億9,000万円)を上回る。……科学技術がこのように強調された結果,我々は皆,一層安全になったであろうか。超大国の所有する核兵器庫にある兵器の爆発力は,第二次世界大戦の全期間に全戦闘員が使った武器すべての爆発力の6,000倍,つまり第二次世界大戦を6,000回行なえる爆発力に相当する。1945年以来,世界で軍事活動が行なわれなかった日は7週間にも満たない。これまでに,国際的もしくは内戦的な性格の戦争が150回以上行なわれ,推定1,930万人の人命が奪われており,その大半はこの国際連合の時代に出現した新しい有効な科学技術が利用された結果なのである」。
2005年までに,軍事活動によって優に2,000万人を超える人命が奪われました。
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啓示の書の構造
啓示の書に関する論議がここまで進んできたので,わたしたちはこの書の構造を一層はっきり理解できるようになりました。感動的な紹介の言葉の後(啓示 1:1-9),啓示の書は次のように16の幻に分けて考察することができます。
1番目の幻(1:10–3:22): ヨハネは霊感により,温かい助言の音信を七つの会衆に送る,栄光を受けられたイエスを見ます。
2番目の幻(4:1–5:14): エホバ神の天の王座の荘厳な光景。この方は巻き物を子羊に手渡されます。
3番目の幻(6:1-17): 子羊は巻き物の最初の六つの封印を解き,主の日に起きる予定の出来事の複合的な幻を漸進的に明らかにされます。黙示録の四人の騎手が乗り進み,殉教の死を遂げた神の奴隷たちは白くて長い衣を受け,次いで憤りの大いなる日のことが述べられています。
4番目の幻(7:1-17): 霊的なイスラエルの14万4,000人の人たちが証印を押されるまで,み使いたちが滅びをもたらす風を引き止めます。すべての国の民の中から来る大群衆が,救いを神とキリストに帰し,大患難を切り抜けて生き残るために集められます。
5番目の幻(8:1–9:21): 第七の封印が開かれると,七つのラッパが吹き鳴らされます。その最初の六つのラッパが第五の幻を構成しています。吹き鳴らされるそれらの六つのラッパは,人類に対するエホバの裁きの表明を告げ知らせます。第五と第六のラッパはまた,第一と第二の災いを紹介します。
6番目の幻(10:1–11:19): 一人の強いみ使いが小さな巻き物をヨハネに与え,神殿が測られ,次いでわたしたちは二人の証人の経験について学びます。この幻の最高潮として,神の敵に対する第三の災い,すなわちエホバとそのキリストの来たるべき王国を告げ知らせる第七のラッパが吹き鳴らされます。
7番目の幻(12:1-17): この幻の中では,王国の誕生が描写されており,その結果,ミカエルが蛇であるサタンを地に投げ落とします。
8番目の幻(13:1-18): 強力な野獣が海から出て来ます。そして,子羊のような二本の角のある獣が,その野獣を崇拝するよう人類を促します。
9番目の幻(14:1-20): これはシオンの山に立つ14万4,000人の様子を示す見事な予告編で,み使いからの音信が地上の至る所で聞こえ,地のぶどうの木が刈り取られ,神の怒りのぶどう搾り場が踏まれます。
10番目の幻(15:1–16:21): 天の法廷の様子をもう一度かいま見ることを許され,続いてエホバの怒りの七つの鉢が地に注ぎ出されます。この箇所もまた,サタンの体制の終わりに関する預言的な描写で終わります。
11番目の幻(17:1-18): 大娼婦である大いなるバビロンが緋色の野獣に乗ります。その野獣は短期間,底知れぬ深みに入りますが,再び出て来て,彼女を荒れ廃れさせます。
12番目の幻(18:1–19:10): 大いなるバビロンの倒壊と最終的な滅びに関する発表が行なわれます。彼女が処刑された後,ある者たちは嘆きますが,ほかの人たちはエホバを賛美します。子羊の結婚が発表されます。
13番目の幻(19:11-21): イエスは天の軍勢を指揮して,サタンの体制とその軍勢,および支持者たちに対する神の憤りの裁きを執行されます。腐肉を食べる鳥が彼らの死体を食べます。
14番目の幻(20:1-10): 悪魔サタンが底知れぬ深みに入れられること,キリストとその仲間の王たちによる千年統治,人類の最後の試み,およびサタンとその悪霊たちの滅びが示されています。
15番目の幻(20:11–21:8): 一般人類の復活と大いなる裁きの日が示され,新しい天と新しい地が出現し,義にかなった人類に対するとこしえの祝福がもたらされます。
16番目の幻(21:9–22:5): 啓示の書は新しいエルサレム,つまり子羊の妻に関する輝かしい幻で最高潮を迎えます。人類にいやしと命をもたらす神の備えがその都市から流れ出ます。
啓示の書はエホバ,イエス,み使い,およびヨハネ自身からの温かいあいさつと助言の言葉で結ばれています。すべての人に,「来なさい!」という招待が差し伸べられます。―啓示 22:6-21。
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『ほふられた魂』は報いを受ける啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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17章
『ほふられた魂』は報いを受ける
1 わたしたちはどんな時期に生きていますか。そのことを示すどんな証拠がありますか。
神の王国は支配しています! 白い馬の乗り手は征服を完了しようとしています! 赤い馬,黒い馬,および青ざめた馬も地上の至る所で疾駆しています! イエスの王としての臨在に関するご自分の預言は成就しつつあります。(マタイ 24,25章。マルコ 13章。ルカ 21章)そうです,わたしたちはこの事物の体制の終わりの日に生きているのです。(テモテ第二 3:1-5)ですから,子羊イエス・キリストがあの巻き物の第五の封印を解かれる際,注意深く見守りましょう。わたしたちは今や,さらにどんな啓示に一緒にあずかれるのでしょうか。
2 (イ)第五の封印が開かれた時,ヨハネは何を見ましたか。(ロ)天の象徴的な犠牲の祭壇について読んだからと言って,どうして驚くべきではありませんか。
2 ヨハネは感動的な場面をこう描写します。「また,彼が第五の封印を開いた時,わたしは,神の言葉のために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂が祭壇の下にいるのを見た」。(啓示 6:9)それは何ですか。犠牲をささげる祭壇が天にあるのですか。その通りです! ヨハネが祭壇に言及するのは,これが初めてです。しかしヨハネはすでに,王座に座っておられるエホバ,その周りにいるケルブたち,ガラスのような海,ともしび,および香を携えている24人の長老たちを描写しています。このすべては,イスラエルにおけるエホバの聖所である,地上の幕屋の特徴と類似しています。(出エジプト記 25:17,18; 40:24-27,30-32。歴代第一 24:4)では,犠牲をささげる象徴的な祭壇が天にもあるからと言って,驚くべきでしょうか。―出エジプト記 40:29。
3 (イ)古代ユダヤ人の幕屋では,どのようにして魂が「祭壇の基部に」注がれましたか。(ロ)ヨハネはどうしてほふられた証人たちの魂が天の象徴的な祭壇の下にあるのを見ましたか。
3 その祭壇の下のほうには,「神の言葉のために,またその行なっていた証しの業のためにほふられた者たちの魂」があります。これは何を意味していますか。それは,異教のギリシャ人が信じていた魂のような,肉体から分離した魂などではあり得ませんでした。(創世記 2:7。エゼキエル 18:4)むしろヨハネは,魂つまり命が血によって象徴されており,また古代ユダヤ人の祭司たちが幕屋の傍らで犠牲の動物をほふった時,その血を「祭壇の上の周囲に」振り掛けたり,「焼燔の捧げ物の祭壇の基部に」注いだりしたことを知っています。(レビ記 3:2,8,13; 4:7; 17:6,11,12)ですから,動物の魂は,犠牲の祭壇と密接に結びつけられていました。しかし,どうしてそれら特定の神の僕たちの魂もしくは血が,天の象徴的な祭壇の下にあるのが見えたのでしょうか。なぜなら,彼らの死は犠牲の死とみなされているからです。
4 霊によって生み出されたクリスチャンの死は,どんな点で犠牲の死と言えますか。
4 実際,神の霊の子として生み出される人たちはすべて,犠牲の死を遂げます。それらの人はエホバの天の王国で果たす役割ゆえに,地上で永遠の命を受ける希望を一切断念して犠牲にしますが,それは神のご意志なのです。この点で,それらの人はエホバの主権のために犠牲の死を甘受します。(フィリピ 3:8-11。同2:17と比較してください。)これは,ヨハネが祭壇の下で見た人たちにまさに真の意味で当てはまります。それらの人は,当時,エホバのみ言葉と主権を擁護して奉仕の務めを熱心に行なったために殉教の死を遂げた[英語,martyred<マータード>],油そそがれた人たちです。その魂は,「神の言葉のために,またその行なっていた証しの業[ギリシャ語,martyrian<マルテュリアン>]のためにほふられた」のです。
5 忠実な人たちの魂は死んでいるのに,復しゅうを叫び求めているのは,どうしてでしょうか。
5 シナリオはさらに次のようなことを明らかにします。「そして,彼らは大声で叫んで言った,『聖にして真実な,主権者なる主よ,あなたはいつまで裁きを控え,地に住む者たちに対するわたしたちの血の復しゅうを控えておられるのでしょうか』」。(啓示 6:10)聖書は死者が無意識であることを示しているのに,どうして彼らの魂,もしくは血は復しゅうを求めて大声で叫ぶことができるのでしょうか。(伝道の書 9:5)ところで,カインが義人アベルを殺害した後,その血は叫びませんでしたか。その後,エホバはカインに対して,「あなたは何をしたのか。聴け! あなたの兄弟の血がわたしに向かって地面から叫んでいる」と言われました。(創世記 4:10,11。ヘブライ 12:24)アベルの血が文字通り言葉を発していたのではありません。むしろ,アベルは罪のない犠牲者として死んだので,公正がいわばその殺人者の処罰を叫び求めたのです。同様に,それらクリスチャンの殉教者は罪のない人たちですから,その復しゅうが公正に行なわれなければなりません。(ルカ 18:7,8)こうして幾千人もの人々が死んだので,復しゅうを求めるその叫び声は大声なのです。―エレミヤ 15:15,16と比較してください。
6 罪のない人々の血が流された,どのような行為に対して,西暦前607年に復しゅうが行なわれましたか。
6 この状況は,西暦前716年にマナセ王が王座に就いた当時の背教したユダの状況になぞらえることもできるでしょう。マナセは罪のない人々の血をたくさん流し,預言者イザヤを『のこぎりで切り裂いた』ようです。(ヘブライ 11:37。列王第二 21:16)マナセは後に悔い改め,改心しましたが,その血の罪は残りました。西暦前607年にバビロニア人はユダ王国を荒廃させましたが,「これがユダに対して起きたのは,エホバの命令によることであり,また,マナセが流した罪のない者の血のためであって,彼は罪のない者の血でエルサレムを満たした。それでエホバは許しを与えようとはされなかった」のです。―列王第二 24:3,4。
7 「聖なる者たちの血」を流したことでおもに罪を負っているのはだれですか。
7 聖書時代と同様,今日でも神の証人たちを殺した個々の人々の多くは死んで久しくなるかもしれません。しかし,それら証人たちの殉教の死をもたらした組織は依然として盛んに活動しており,血の罪を負っています。それはサタンの地的な胤である,その地的な組織です。その中でも顕著なのは,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンです。a 同バビロンは,「聖なる者たちの血とイエスの証人たちの血に酔っている」女として描かれています。そうです,「彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされ」ました。(啓示 17:5,6; 18:24。エフェソス 4:11。コリント第一 12:28)何という重大な血の罪の重荷なのでしょう。大いなるバビロンが存在する限り,その犠牲者たちの血は公正な裁きを叫び求めることでしょう。―啓示 19:1,2。
8 (イ)ヨハネの生涯中,殉教の死を招くどんな事件が起きましたか。(ロ)どんな迫害がローマの皇帝により引き起こされましたか。
8 残忍な蛇とその地上の胤が,油そそがれたクリスチャンの増大する会衆と戦った際,ヨハネ自身も1世紀当時の殉教者の死を目撃しました。ヨハネは杭に付けられた,わたしたちの主を見ましたし,ステファノや自分自身の兄弟ヤコブ,それにペテロやパウロその他の親しい同僚が殺害された後まで生き残りました。(ヨハネ 19:26,27; 21:15,18,19。使徒 7:59,60; 8:2; 12:2。テモテ第二 1:1; 4:6,7)西暦64年にローマ皇帝ネロは,ローマ市を炎上させたとしてクリスチャンを非難し,その罪は同皇帝にあるという風評をもみ消すための身代わりにしました。歴史家タキツスはこう伝えています。「彼ら[クリスチャン]はなぶりものにされる仕打ちを受けて死んでいった。ある者は野獣の毛皮をかぶせられて犬に引き裂かれ,ある者は[杭につけ]られ,b ある者は夜,光を照らすたいまつ代わりに焼かれたりした」。ドミティアヌス皇帝(西暦81-96年)の治世中,さらに迫害の波が襲った結果,ヨハネはパトモス島に流刑に処せられました。「彼らがわたしを迫害したのであれば,あなた方をも迫害するでしょう」と,イエスが言われた通りです。―ヨハネ 15:20。マタイ 10:22。
9 (イ)サタンは西暦4世紀までに,どんな欺まんの傑作を生み出しましたか。それは何の主要な部分ですか。(ロ)キリスト教世界の一部の支配者は第一次および第二次世界大戦中,エホバの証人をどのように扱いましたか。
9 あの年を経た蛇,悪魔サタンは西暦4世紀までに,その欺まんの傑作である,キリスト教世界の背教した宗教,つまり“キリスト教”という皮をかぶったバビロン的な制度を生み出していました。それは蛇の胤の主要な部分で,相争うおびただしい数の宗派を出現させました。キリスト教世界は昔の不忠実なユダのように,第一次および第二次世界大戦で双方の側に深く関係して,重大な流血の罪を負っています。キリスト教世界の一部の政治支配者たちは,油そそがれた神の僕たちを殺害する口実として,これらの世界大戦をさえ利用しました。フリードリヒ・ジッフェル著,「ドイツの諸教会の戦い」に関する書評は,エホバの証人に対するヒトラーの迫害について報告し,こう述べています。「彼ら[証人たち]の三分の一は処刑,あるいは他の暴力行為,飢え,病気,もしくは奴隷労働などのために殺された。その苛酷な隷属状態は先例のないものであり,国民社会主義の理念と調和させることのできない断固とした信仰の結果であった」。僧職者を含め,キリスト教世界に関して,確かに,「あなたのすそには罪のない貧しい者たちの魂の血こんが見いだされた」と言うことができます。―エレミヤ 2:34。c
10 大群衆の中の若い人たちは多くの国々で,どんな迫害に遭いましたか。
10 1935年以来,大群衆の中の忠実な若い人たちは,多くの国々で迫害の矢面に立たされてきました。(啓示 7:9)第二次世界大戦が終わった後でさえ,ヨーロッパでは,ある一つの町だけで14人の若いエホバの証人が絞首刑に処せられました。彼らの犯罪行為ですか。『もはや戦いを学ぼうとは』しなかったためだったのです。(イザヤ 2:4)もっと最近では,東洋やアフリカの若い人たちが同じ問題で打ち殺されたり,銃殺執行隊により処刑されたりしました。イエスの油そそがれた兄弟たちの立派な支持者である,それら青年の殉教者たちは,約束された新しい地に確かに復活させられます。―ペテロ第二 3:13。詩編 110:3; マタイ 25:34-40; ルカ 20:37,38と比較してください。
「白くて長い衣」
11 殉教した油そそがれたクリスチャンは,どのような意味で,「白くて長い衣」を受けますか。
11 使徒パウロは忠誠を保った古代の人たちの信仰を実例を挙げて証拠立てた後,こう述べました。「しかしなお,これらの人々は皆,その信仰によって証しされながらも,約束の成就にあずかりませんでした。神はわたしたちのためにさらに勝ったものを予見し,わたしたちを別にして彼らが完全にされることのないようにされたからです」。(ヘブライ 11:39,40)パウロや他の油そそがれたクリスチャンが期待している,その「さらに勝ったもの」とは何ですか。ヨハネはここでそれを幻の中で見ます。「すると,白くて長い衣がその一人一人に与えられた。そして彼らは,自分たちが殺されたと同じように殺されようとしている仲間の奴隷また兄弟たちの数も満ちるまで,あとしばらく休むように告げられた」。(啓示 6:11)彼らが「白くて長い衣」を受けることは,復活させられて,不滅の霊の被造物になることと関係があります。彼らはもはやほふられた魂として祭壇の下に横たわっているのではなく,よみがえらされて,神の天の王座の前で崇拝する24人の長老の一団の成員となります。彼らはそこで王座を与えられ,王としての特権を受けていることが示されています。そして,彼らは『白い外衣で身を装って』いるので,これはあの天の法廷のエホバの前の誉れある場所に座るのに値する,義にかなった者と宣告されていることを示しています。これもまた,サルデスの会衆の忠実な油そそがれたクリスチャンに対して,「征服する者はこのようにして白い外衣で身を装うのである」と言われたイエスの約束の成就です。―啓示 3:5; 4:4。ペテロ第一 1:4。
12 復活させられた油そそがれた者たちは,どのように「あとしばらく休む」のでしょうか。いつまでそうしますか。
12 すべての証拠は,イエスが1914年に即位し,サタンとその悪霊を放逐して天を清めて,ご自分の王としての征服を始めるために乗り進まれた後,1918年にそのような天的な復活が始まったことを示しています。しかし,復活させられた,それら油そそがれた者たちは,「仲間の奴隷……の数も満ちるまで,あとしばらく休(ま)」なければならないと告げられます。依然,地上にいるヨハネ級のそれらの人たちは,試練や迫害のもとで忠誠を実証しなければなりませんし,そのうちのある人々はこれから殺されるかもしれません。しかし,結局,大いなるバビロンとその政治上の情夫によって流された,義にかなった人たちの血すべてに対する復しゅうが行なわれます。その間,復活させられた人たちは,確かに天での務めに忙しく携わります。それらの人は無活動のこの上なく幸せな状態でくつろぐのではなく,エホバの復しゅうの日を辛抱強く待つことによって休みます。(イザヤ 34:8。ローマ 12:19)彼らが偽りの宗教の滅びを目撃し,また,「召され,選ばれた忠実な」者として,この地上にいる,サタンの邪悪な胤の他のすべてのものに対する裁きを執行する主イエス・キリストに同伴する時,その休みは終わります。―啓示 2:26,27; 17:14。ローマ 16:20。
「死んでいる者たちが最初によみがえる」
13,14 (イ)使徒パウロによれば,天的な復活はいつ始まりますか。だれが復活させられますか。(ロ)主の日まで生き残っている,油そそがれた者たちは,いつ天に復活させられますか。
13 第五の封印が開かれて洞察できるようにされた事柄は,天的な復活を扱っている他の聖句と申し分なくよく合致します。例えば,使徒パウロはこう書きました。「主の臨在の時まで生き残るわたしたち生きている者は死んで眠っている者たちに決して先んじないということ,これが,エホバの言葉によってわたしたちがあなた方に伝えるところなのです。主ご自身が号令とみ使いの頭の声また神のラッパと共に天から下られると,キリストと結ばれて死んでいる者たちが最初によみがえるからです。その後,生き残っているわたしたち生きている者が,彼らと共に,雲のうちに取り去られて空中で主に会い,こうしてわたしたちは,常に主と共にいることになるのです」― テサロニケ第一 4:15-17。
14 これらの節が述べているのは,何と感動的な話なのでしょう。すでに亡くなった人たちは,イエスの臨在の時まで生き残っている,つまりその臨在の期間にもなお地上で生きている,イエスの油そそがれた兄弟たちに先んじて天に入ります。キリストと結ばれて死んだ,そのような人たちは,最初によみがえるのです。イエスは下って,つまり彼らにご自分の注意を向けて,彼らを復活させて霊の命を得させ,「白くて長い衣」をお与えになります。その後,人間としてなお生きている人たちは地上での歩みを終え,その多くは反対者の手に掛かって非業の死を遂げます。しかし彼らは自分たちより以前の人たちのように死んで眠るのではありません。それどころか,これらの人たちは死ぬと,直ちに変えられ ―「またたくまに」― 天に取り去られて,イエスおよびキリストの体の仲間の成員と共になるのです。(コリント第一 15:50-52。啓示 14:13と比較してください。)ですから,油そそがれたクリスチャンの復活は,黙示録の四人の騎手が乗り進み始めた後,間もなく始まるのです。
15 (イ)第五の封印が開かれると,どんな良い知らせがもたらされますか。(ロ)白い馬にまたがる征服者は,どのように最高潮に向かって乗り進んで行きますか。
15 巻き物の第五の封印が開かれた結果,死に至るまで忠実を保って征服した,忠誠を保つ,油そそがれた人たちに関する良い知らせがもたらされました。しかし,サタンとその胤にとっては良い知らせは何ももたらされていません。白い馬にまたがる征服者は引き続き何ものにも妨げられることなく乗り進んで行き,「邪悪な者の配下にある」この世に対して清算が行なわれる時,最高潮を迎えます。(ヨハネ第一 5:19)このことは,子羊が第六の封印を開く時に明らかにされます。
[脚注]
b 「参照資料付き 新世界訳聖書」の1769ページの付録 5ハ「苦しみの杭」と比較してください。
[102ページの囲み記事]
『ほふられた魂』
マクリントクとストロング共編,「百科辞典」は,フランス人のユグノー教徒の両親から生まれた18世紀の英国のプロテスタント,ジョン・ジョーティンの言葉を一部次のように引用しています。「迫害が始まると,キリスト教は終わる。……迫害の恐るべき災いが非常な力を帯びて,福音の宗教に激しい影響を及ぼしたのは,キリスト教が[ローマ]帝国の宗教として確立され,富や栄誉がその聖職者に授けられた後のことであった」。
[103ページの図版]
「すると,白くて長い衣がその一人一人に与えられた」
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主の日の地震啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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18章
主の日の地震
1,2 (イ)激しい地震を切り抜けるのはどんな経験だと言えるでしょうか。(ロ)第六の封印が開かれると,ヨハネはどんなことを描写しますか。
激しい地震を切り抜けたことがありますか。それは気持ちの良い経験ではありません。大地震は不気味な横揺れと地鳴りで始まるかもしれません。身の安全を求めて ― 多分,机の下などに潜り込んだ途端,震動は一層ひどくなるかもしれません。あるいは,突然,激しくぐらっと揺れたかと思うと,瀬戸物や家具や建物さえもすさまじい音をたてて落ちたり倒れたりして,壊れるかもしれません。大変な被害が生じ,余震も頻繁に起きてさらに被害が生じ,状況は一層悲惨なものになるかもしれません。
2 そのようなことを念頭に置いて,第六の封印が開かれる際,ヨハネが描写することを考慮してください。「また,彼が第六の封印を開いた時に見ると,大きな地震が起こった」。(啓示 6:12[前半])これは,ほかの封印が開かれるのと同じ時間の枠内で起きるに違いありません。一体,この地震は主の日のいつ起きるのでしょうか。それはどんな地震ですか。―啓示 1:10。
3 (イ)イエスはご自分の臨在のしるしに関する預言の中で,何が起きることを予告されましたか。(ロ)文字通りの地震は,啓示 6章12節の大きな象徴的な地震とどのように関連していますか。
3 聖書は文字通りの地震や比喩的な地震に何回か言及しています。イエスは王国の権力を行使するご自分の臨在のしるしに関する偉大な預言の中で,「そこからここへと……地震がある」ことを予測されました。それは,「苦しみの劇痛の始まり」を示す事柄の一つとなります。1914年以来,地上の人口は爆発的に増加して何十億人にも達すると共に,文字通りの大地震が現代の苦悩を大いに助長してきました。(マタイ 24:3,7,8)とはいえ,そのような地震は預言を成就するものであるにしても,物理的な自然の災害でした。それは啓示 6章12節の象徴的な大地震の前触れです。実際,その大地震は,サタンの支配する地上の人間の事物の体制を根底まで揺り動かす,一連の事前の震動の壊滅的な終幕として襲います。a
人間社会の震動
4 (イ)エホバの民は,破局的な出来事が1914年に始まることをいつから予期していましたか。(ロ)1914年はどんな期間の終わりを画する年となりましたか。
4 エホバの民は1870年代の半ばごろから,破局的な出来事が1914年に起き始め,異邦人の時の終わりをしるし付けるようになることを予期していました。その異邦人の時とは,エルサレムのダビデの王国が西暦前607年に滅ぼされてから,イエスが西暦1914年に天のエルサレムで即位される時まで続く「七つの時」(2,520年)の期間のことです。―ダニエル 4:24,25。ルカ 21:24,ジェームズ王欽定訳。b
5 (イ)1914年10月2日,C・T・ラッセルはどんな発表を行ないましたか。(ロ)1914年以来,政治上のどんな大変動が起きてきましたか。
5 こういうわけで,C・T・ラッセルは,1914年10月2日の朝,ニューヨーク市ブルックリンのベテル家族と共に朝の崇拝を行なうため姿を見せた時,「異邦人の時は終わりました。その王たちの日は過ぎ去ったのです」という劇的な発表を行ないました。実際,1914年に始まった世界的な大変動は極めて広範囲に及んだため,長年存続した多くの君主政体は消滅しました。1917年のボルシェビキ革命でロシア皇帝の権力が覆された結果,マルクス主義と資本主義の長い対立が生じました。政治上の変化という震動は,全世界の人間の社会を動揺させています。今日,一,二年以上存続できない政府が少なくありません。政界が安定していないことを示す好例はイタリアの場合で,この国では第二次世界大戦後のほんの42年間に47の新政府が立てられました。しかし,こうした事前の震動は,政府に生じる大変動の最高潮の前触れにすぎません。その結果ですか。神の王国が地の支配権を一手に引き継ぐことになります。―イザヤ 9:6,7。
6 (イ)H・G・ウェルズは重大な新時代をどのように描写しましたか。(ロ)哲学者や政治家は1914年以来の時代について何と書きましたか。
6 歴史家,哲学者,および政治指導者は1914年を重大な新時代の始まりとして指摘してきました。その時代に入って17年後,歴史家H・G・ウェルズはこう述べました。「預言者は楽しい事柄なら喜んで預言もしよう。しかし自分の見ることを告げるのが,その務めなのである。預言者が見ているのは,依然として兵士,愛国主義者,高利貸し,金融投機師などにしっかり支配された世界で,疑いや憎しみに屈し,残された個人の自由を急速に失いながら,うっかりすると無情な階級闘争に陥る恐れのある,しかも新たな戦争の準備をしている世界である」。1953年に哲学者バートランド・ラッセルは一部次のように書きました。「1914年以来,世界の趨勢に気づいている人はみな,運命づけられているかに思える,より大きな災いに向かっての行進を深く憂慮している。……彼らは人類を,ギリシャの悲劇の主人公のように,怒れる神々に追いたてられ,もはや運命の支配者ではなくなった者と見ている」。1980年に政治家ハロルド・マクミランは20世紀が始まった平和な時期を回顧して,こう述べました。「すべての事が次第に良い方に向かっていた。わたしが生まれたのはそのような世界であった。……1914年のある朝,突如,全く不意に,すべてが終わった」。
7-9 (イ)1914年以来,どんな大変動が生じて,人間の社会を揺り動かしてきましたか。(ロ)イエスの臨在期間中の人間社会の大変動に含まれるものとして,ついには人類の間にどんな状態が生じますか。
7 第二次世界大戦はほかにも大変動の波をもたらしました。そして,小規模な戦争や国際テロが引き続き地を揺り動かしています。大量破壊兵器を使うテロリストや国家の恐るべき脅威から考えて,将来を疑問視する人は少なくありません。
8 しかし,1914年以来,戦争以外にほかの事柄が人間の社会を根底から揺り動かしてきました。1929年10月29日に起きた米国の株式市場の崩壊は,極めて衝撃的な影響を及ぼした大変動の一つを誘発しました。それは,すべての資本主義国に影響を与えた,例の大恐慌でした。その大恐慌は1932年から1934年にかけて最悪の事態を招きましたが,わたしたちはいまだにその影響を感じています。1929年以来,経済的に病んだ世界は,急場しのぎの施策で取り繕われてきました。政府は赤字財政をほしいままにしています。1973年の石油危機や1987年の株式市場の株価大暴落で金融帝国は一層揺り動かされました。一方,大勢の人々はおもにクレジット方式で物を買います。いい加減な資金運用商法,ネズミ講式の金もうけ方法,および宝くじその他,とばくなどのごまかしの手段の犠牲者となる人々は無数にいますが,人々を保護すべき政府がそのような方策の多くを後援しているのです。キリスト教世界のテレビ福音説教師さえ,何千万ドルもの分け前を求めて手を差し出す始末です!―エレミヤ 5:26-31と比較してください。
9 ずっと以前のことですが,経済上の問題のゆえにムッソリーニやヒトラーが政権を執る道が開かれました。大いなるバビロンは早速彼らの好意を得ようと努め,バチカン当局は1929年にイタリアと,また1933年にはドイツとそれぞれ政教条約を結びました。(啓示 17:5)その後に続いた暗い時代は確かに,ご自分の臨在に関するイエスの預言の成就の一部となりました。そして,やがて,「逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあ(り)……人々は,人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失(う)」という事態が生じます。(ルカ 21:7-9,25-31)c そうです,1914年に人間社会を揺り動かし始めた震動は,強力な余震を伴って続いているのです。
エホバも揺り動かすことを多少行なわれる
10 (イ)どうしてそれほど多くの震動が人間社会の営みの中で起きているのでしょうか。(ロ)エホバはどんなことをする準備として,何を行なっておられますか。
10 人間は自分自身の歩みを導くことができないために,そのような震動が人間社会の営みの中で生じてきました。(エレミヤ 10:23)その上,「人の住む全地を惑わしている」,あの年を経た蛇であるサタンは,全人類をエホバの崇拝から引き離そうとする最後の必死の努力を続けて,災いを加えています。現代の科学技術は地上の人間関係を単一の隣人関係に縮めてしまい,その中では国家的,また人種的な憎しみが人間社会を根底から揺り動かしており,いわゆる国際連合も有効な救済策を見いだしかねています。かつてないほど,人が人を支配してこれに害を及ぼしています。(啓示 12:9,12。伝道の書 8:9)とはいえ,天地の造り主であられる主権者なる主エホバは,地上の諸問題をこれを限りに解決する準備として,ほぼ90年,ご自分の独特の仕方で揺り動かすことを行なってこられました。どのようにしてでしょうか。
11 (イ)ハガイ 2章6節と7節には,何を激動させることが述べられていますか。(ロ)ハガイの預言はどのように成就していますか。
11 ハガイ 2章6節と7節にはこう記されています。「万軍のエホバはこのように言われたのである。『あと一度 ― それはしばらくのことであるが ― わたしは天と地と海と乾いた地とを激動させる。またわたしはあらゆる国民を激動させる。あらゆる国民のうちの望ましいものが必ず入って来る。わたしはこの家を栄光で満たす』と,万軍のエホバは言われた」。特に1919年以来,万軍のエホバは,地上の人間社会のあらゆる構成分子の間で,ご自身の裁きをご自分の証人たちにふれ告げさせてこられました。サタンの世の体制は,この地球的な規模の警告を受けてきました。d この警告が激しさを増すにつれ,「望ましいもの」である,神を恐れる人々が,国々の民と別れるよう促されてきました。それらの人々は,サタンの組織が揺れ動くことによりほうり出されるのではありません。かえって,それらの人は事情をはっきり認識して,油そそがれた残りの者と共に,エホバの家を栄光で満たす業の一端にあずかることを自ら決意するのです。その業はどのようにして成し遂げられますか。樹立された神の王国の良いたよりを宣べ伝える熱心な業によって成し遂げられます。(マタイ 24:14)イエスとその油そそがれた追随者たちで構成されるその王国は,エホバに栄光をもたらす「揺り動かされることのない王国」として,いつまでも存続します。―ヘブライ 12:26-29。
12 もしあなたが,マタイ 24章14節で予告されている宣べ伝える業にこたえ応じるようになられたなら,啓示 6章12節の大きな地震が起きる前に何を行なうべきでしょうか。
12 あなたは,その宣べ伝える業にこたえ応じるようになられましたか。あなたは,もしかすると,近年,イエスの死を思い起こす記念式に出席してきた幾百万もの人々の一人ですか。もしそうでしたら,聖書の真理を学ぶ点で進歩し続けてください。(テモテ第二 2:15; 3:16,17)滅びに定められている,サタンの地上の社会の人々の腐敗した生活様式を完全に捨て去ってください! そうです,クリスチャンの新しい世の社会に入って,最後の破局的な「地震」でサタンの世が打ち砕かれる前に,新しい世の社会の活動に十分あずかってください。ところで,あの大きな地震とは何でしょうか。では,調べてみましょう。
大きな地震!
13 その大きな地震は,人間の経験としてはどんな点で全く新しいものですか。
13 そうです,今日の危機的な終わりの日は,文字通りの地震や比喩的な地震の多い時代となりました。(テモテ第二 3:1)しかし,これまで起きた地震は,第六の封印が開かれる時にヨハネが見る最後の大地震ではありません。事前の震動の時期は終わり,今や人間の経験としては全く新しい大きな地震が起こります。それは余りにも大きな地震なので,引き起こされる大変動や激変の規模はリヒタースケールその他の人為的な測定方法では測れません。それは単なる局地的な衝撃ではなく,全「地」,つまり退廃的な人間社会全体を荒廃させる大激変をもたらす震動なのです。
14 (イ)どんな預言が大きな地震とその結果を予告していますか。(ロ)ヨエルの預言と啓示 6章12節と13節は何に言及しているに違いありませんか。
14 ほかのエホバの預言者たちもそのような地震とその壊滅的な結果を予告しました。例えば,西暦前820年ごろ,ヨエルは「畏怖の念を抱かせる,エホバの大いなる日の来る」ことについて語り,その時,「太陽は闇に変わり,月は血になるであろう」と述べ,また後に次のような言葉を付け加えています。「群がる民,群がる民が決定の低地平原にいる。エホバの日が近く,決定の低地平原に臨んでいるからである。太陽や月も必ず暗くなり,星さえその輝きをとどめる。そして,シオンからエホバはとどろき,エルサレムからその声を放つ。そして,天と地は必ず激動する。しかしエホバはその民のための避け所となり,イスラエルの子らのための要害となる」。(ヨエル 2:31; 3:14-16)このような激動は,大患難の際,エホバが裁きを執行される時にのみ適用できるでしょう。(マタイ 24:21)それで,啓示 6章12節と13節の並行記述は当然,同様の仕方で適用されることになります。―エレミヤ 10:10; ゼパニヤ 1:14,15もご覧ください。
15 預言者ハバククはどのような大変な震動を予告しましたか。
15 ヨエルの時からおよそ200年後,預言者ハバククは神に祈って,こう言いました。「エホバよ,わたしはあなたに関する報告を聞きました。エホバよ,わたしはあなたのみ業に恐れを抱くようになりました。その年月の間にどうかそれをよみがえらせてください。その年月の間にそれを知らせてくださいますように。激高の時にも,憐れみを示すことを思い起こしてくださいますように」。その激高とは何でしょうか。ハバククはさらに大患難を生々しく描写して,エホバについてこう述べています。「神は立ち止まった。地を揺るがすためであった。神は見た。そして諸国民を躍り上がらせた。……糾弾しつつあなたは地を行進してゆかれました。怒りを抱いて諸国民をからざおで打ってゆかれました。それでもわたしは,ただエホバにあって歓喜し,わたしの救いの神にあって喜びにあふれます」。(ハバクク 3:1,2,6,12,18)エホバは諸国民をからざおで打つ時,何という大変な震動を全地で引き起こされるのでしょう。
16 (イ)預言者エゼキエルは,サタンが神の民に最後の攻撃を行なう時,何が起きることを予告していますか。(ロ)啓示 6章12節の大きな地震はどんな結果をもたらしますか。
16 エゼキエルもまた,マゴグのゴグ(卑しめられたサタン)が神の民に最後の攻撃を行なう時,エホバが「イスラエルの土地に大きな震動」を起こされることを予告しました。(エゼキエル 38:18,19)文字通りの地震が関係しているかもしれませんが,啓示の書の内容はしるしを用いて示されていることを覚えておかなければなりません。この預言も,また引き合いに出された他の預言も,非常に象徴的な預言です。したがって,第六の封印が開かれると,この地上の事物の体制に臨むすべての震動の最高潮,つまりエホバ神の主権に反対する人間すべての滅ぼされる大きな地震のことが明らかにされるように思われます。
闇の時代
17 その大きな地震は,太陽や月や星にどのような影響を及ぼしますか。
17 ヨハネがさらに示しているように,その大きな地震は,天をさえ含む,恐るべき出来事を伴います。ヨハネはこう述べます。「そして,太陽は毛の粗布のように黒くなり,月は全体が血のようになった。そして,いちじくの木が激しい風に揺り動かされてその熟していない実を投げ落とす時のように,天の星が地に落ちた」。(啓示 6:12[後半],13)何という異様な現象でしょう。もし,この預言が文字通り成就するとしたら,その結果生じる驚くべき闇を想像できるでしょうか。日中,人を元気づける暖かい日光はもはやないでしょう! 夜,銀のように輝く,優しい月光ももはやないでしょう! また,ビロードのような夜空を背景にした無数の星ももはやきらめかないでしょう。その代わり,あるものといえば,冷たい無情な暗黒だけでしょう。―マタイ 24:29と比較してください。
18 西暦前607年,エルサレムにとって,どのように『天は暗くなり』ましたか。
18 そのような闇が霊的な意味で古代イスラエルに対して預言されました。エレミヤはこう警告しました。「全土は荒れ果てた所となる。わたしは完全に滅ぼし絶やすことをしないだろうか。このために,その地は嘆き悲しみ,上なる天は必ず暗くなる」。(エレミヤ 4:27,28)その預言が成就した西暦前607年当時,物事はエホバの民にとってまさしく暗くなりました。彼らの首都エルサレムはバビロニア人の前に倒壊し,その神殿は破壊され,自分たちの土地は捨てられました。彼らにとって人を元気づける天からの光はありませんでした。かえって,エレミヤが嘆き悲しみながらエホバに向かって次のように語った通りになりました。「あなたは殺して,同情を示されませんでした。あなたはご自分に近づくものを雲塊をもって阻み,祈りが通って行けないようにされました」。(哀歌 3:43,44)その天界の闇はエルサレムにとって死と滅亡を意味しました。
19 (イ)神の預言者イザヤは古代バビロンに関して天の闇をどのように描写していますか。(ロ)イザヤの預言はいつ,またどのように成就しましたか。
19 後に,天の同様な闇が古代バビロンにとって災難を示唆しました。このことについて,神の預言者は霊感を受けて次のように書きました。「見よ,エホバの日が来ようとしている。それは憤怒と燃える怒りを伴う残酷なものであり,その地を驚きの的とし,その地の罪人たちをそこから滅ぼし尽くすためである。天の星もケシルの星座もその光を放たず,太陽はその出て行くときに実際に暗くなり,月もその光を輝かせない。そして,わたしは産出的な地にそれ自身の悪を,邪悪な者たちに彼ら自身のとがを必ず帰させる」。(イザヤ 13:9-11)この預言は,バビロンがメディア人とペルシャ人の前に倒壊した西暦前539年に成就しました。その預言は,世界第一の強国としての地位から永久に倒れたバビロンの暗闇,絶望状態,すなわち人を元気づける光が少しもないことをよく表わしています。
20 その大きな地震が襲う時,どんな恐ろしい結末がこの事物の体制を待ち受けていますか。
20 同様に,その大きな地震が襲う時,この世の全体制は完全な絶望の闇に包まれるでしょう。サタンの地上の体制の明るく輝く啓発者たちは,希望の光を少しも照らさなくなるでしょう。すでに今日,地上の,特にキリスト教世界の政治指導者たちは,汚職,うそをつくこと,および不道徳な生活の仕方で悪名を馳せています。(イザヤ 28:14-19)彼らはもはや信頼できません。エホバが裁きを執行なさる時,それら指導者たちの弱々しい光は完全に消滅してしまうでしょう。地上の物事に対する月明かりのような影響力は,死をもたらす,血で汚れたものであることが暴露されるでしょう。この世の彼らの超大スターたちは突進する流星のように消え去り,吹きすさぶ暴風の中の熟していないいちじくのように散らされてしまいます。この地球全体は,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」に遭遇して震動するでしょう。(マタイ 24:21)何という恐ろしい見通しでしょう。
「天」は去ってゆく
21 ヨハネはその幻の中で「天」や「すべての山と島」に関して何を見ますか。
21 ヨハネの幻はさらにこう続きます。「また,巻き上げられてゆく巻き物のように天が去ってゆき,すべての山と島がその場所から取り除かれた」。(啓示 6:14)これらは明らかに文字通りの天,もしくは文字通りの山々や島々ではありません。では,それらは何を象徴していますか。
22 エドムではどのような「天」が,『書の巻き物のように巻き上げられ』ましたか。
22 諸国民すべてに対するエホバの憤りについて述べる次のような同様の預言を考えると,「天」について理解するよう助けられます。「また,天の軍勢の者たちはみな必ず朽ち果てる。そして,天は書の巻き物のように必ず巻き上げられる」。(イザヤ 34:4)特にエドムは苦しみに遭わなければなりませんでした。どのようにしてそうなりましたか。エルサレムが西暦前607年に滅ぼされた後,ほどなくしてバビロニア人はエドムを踏みにじりました。その時,文字通りの天で起きた著しい出来事として記録された事件は何もありませんでしたが,エドムの「天」では破局的な出来事が起きました。e エドムの人間の立てた政府の権力は,天のように高められた所から低くされました。(イザヤ 34:5)それは「巻き上げられ」,あたかももはやだれにも全然使われなくなった古い巻き物のように取りのけられました。
23 『巻き物のように去ってゆく』「天」とは何ですか。ペテロの言葉は,このような理解の仕方が正しいことをどのように確証していますか。
23 ですから,『巻き物のように去ってゆく』「天」は,この地を支配する,神に反対する政府を指しています。それらの政府は,すべてを征服する白い馬の乗り手によって最終的に取り除かれてしまいます。(啓示 19:11-16,19-21)このことは使徒ペテロの語った言葉により確証されています。第六の封印が開かれることにより示された出来事を予期していたペテロは,「今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれているのです」と述べました。(ペテロ第二 3:7)それでは,「すべての山と島がその場所から取り除かれた」という表現についてはどうですか。
24 (イ)聖書預言の中で,山々や島々はいつ激動する,あるいは動揺すると言われていますか。(ロ)ニネベが陥落した時,どのように『山々は激動し』ましたか。
24 聖書預言の中で,山々や島々は重大な政治的激変の時期に激動する,あるいはそうでなければ,動揺すると言われています。例えば,預言者ナホムはニネベに対するエホバの裁きを予告して,「山々は神のゆえに激動し,もろもろの丘も溶けてゆくのであった。また,地はみ顔のゆえに隆起する」と記しました。(ナホム 1:5)西暦前632年にニネベが実際に陥落した時,文字通りの山々が倒壊したことは何も記されていません。しかし,それまで力の点で山のようなものと思われていた世界強国は,突然崩壊しました。―エレミヤ 4:24と比較してください。
25 この事物の体制の来たるべき終わりの時に,「すべての山と島」はどのように所定の位置から除かれますか。
25 ですから,第六の封印が開かれた時に言及された,「すべての山と島」は,論理的に言って,人類の多くにとって大変安定しているように思われてきた,この世の政治政府やそれに依存している諸組織であると言えるでしょう。それらのものは激しく揺り動かされて,まさしく所定の位置から除かれるので,これらのものにそれまで信頼してきた人々は仰天し,恐怖に襲われるでしょう。この預言がさらに述べているように,エホバとそのみ子の憤りの大いなる日,つまりサタンの組織すべてを除き去る最終的な震動の生じる時が来て,復しゅうが行なわれようとしていることには疑問の余地がありません!
『わたしたちの上に倒れかかれ。そしてわたしたちを隠してくれ』
26 神の主権に逆らう人間は,恐怖のあまり,どのように行動しますか。また,自分たちの抱く恐れの気持ちをどのように言い表わすようになりますか。
26 ヨハネの言葉はこう続いています。「そして,地の王たち,高位の者たち,軍司令官たち,富んだ者,強い者,すべての奴隷また自由人は,ほら穴や山の岩塊の間に身を隠した。そして山と岩塊とにこう言いつづける。『わたしたちの上に倒れかかれ。そしてみ座に座っておられる方の顔から,また子羊の憤りからわたしたちを隠してくれ。彼らの憤りの大いなる日が来たからだ。だれが立ちえようか』」― 啓示 6:15-17。
27 サマリアの不忠実なイスラエル人はどんな叫び声を出しましたか。それらの言葉はどのように成就しましたか。
27 ホセアは北のイスラエル王国の首都サマリアに対するエホバの裁きを告げ知らせた時,こう述べました。「イスラエルの罪,ベト・アベンの高き所はまさに滅ぼし尽くされる。いばらとあざみが彼らの祭壇にはい上る。そして民は山に向かって,『我々を覆ってくれ!』と言い,丘に向かって,『我々の上に倒れかかれ!』とまさに言うであろう」。(ホセア 10:8)この言葉はどのように成就しましたか。西暦前740年にサマリアが残忍なアッシリア人の前に陥落した時,イスラエル人が助けを求めて走って行ける所はどこにもありませんでした。ホセアの言葉は,征服されたその民族が味わった絶望感,屈辱的な恐怖感,および自暴自棄に陥った気持ちを言い表わしています。文字通りの丘や,山のようなサマリアの諸制度は,かつては恒久的なものと思えたかもしれませんが,いずれも彼らを保護できませんでした。
28 (イ)イエスはエルサレムの婦人たちにどんな警告をお与えになりましたか。(ロ)イエスの警告はどのように成就しましたか。
28 同様に,イエスはローマの兵士たちに連行されて処刑されようとしていた時,エルサレムの婦人たちに語りかけて,こう言われました。「人々が,『うまずめは,そして子を産まなかった胎と乳を飲ませなかった乳房とは幸いだ!』と言う日が来(ま)す。そのとき彼らは,山に向かって,『我々の上に倒れかかれ!』と言い,丘に向かって,『我々を覆ってくれ!』と言い始めるでしょう」。(ルカ 23:29,30)エルサレムが西暦70年にローマ人により滅ぼされたことは証拠資料で十分証明されていますから,イエスの言葉には明らかにホセアのそれと同様の意味がありました。当時,ユダヤに残っていたユダヤ人にとって,隠れる場所は一つもありませんでした。彼らはエルサレムの中で,あるいは山頂のマサダの城塞に逃げることさえして,どこかに隠れようとしましたが,エホバの裁きの激しい表明を逃れることはできませんでした。
29 (イ)エホバの憤りの日が来る時,専ら現在の事物の体制を支持している人々は,どんな窮状に陥りますか。(ロ)エホバが憤りを表明される時,イエスのどんな預言が成就しますか。
29 さて,第六の封印が開かれることにより,来たるべきエホバの憤りの日にも同様の事柄の起きることが示されました。この地上の事物の体制が最終的に揺り動かされる時,専らその体制を支持している人々は,隠れる場所を必死に探し求めるようになりますが,一つも見いだせないでしょう。偽りの宗教である大いなるバビロンは惨めにも,すでに彼らの期待に背いてきました。文字通りの山々のほら穴や,山のような政治組織や商業組織はいずれも,経済的な安定はおろか,他のどんな助けも与えてはくれないでしょう。彼らをエホバの憤りからかばえるものは一つもありません。イエスの次のような言葉はそれらの人々の恐怖をよく表現しています。「その時,人の子のしるしが天に現われます。そしてその時,地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう」― マタイ 24:30。
30 (イ)「だれが立ちえようか」という問いは何を示唆していますか。(ロ)エホバの裁きの時にだれか立ちえる人がいるでしょうか。
30 そうです,勝ち誇る白い馬の乗り手の権威を認めようとしない人々は,自分たちの間違いを強制的に認めさせられるでしょう。サタンの世が過ぎ去る時,自ら進んでその蛇の胤の一部となってきた人間は,滅びに直面するでしょう。(創世記 3:15。ヨハネ第一 2:17)その時,世界情勢は,多くの人々が事実上,「だれが立ちえようか」と問うような状態となるでしょう。それらの人々は恐らく,その裁きの日にエホバのみ前に是認された者として立ちえるような人は一人もいないと考えることでしょう。しかし,啓示の書がさらに示すように,それは間違いであることが分かるでしょう。
[脚注]
a 文字通りの地震では,大抵,犬にほえさせたり,跳ね回らせたりし,他の動物や魚を興奮させたりする地震性変動が先行しますが,人間は地震が実際に起きるまで,それとは知らずにいるものです。―「目ざめよ!」誌,1982年10月8日号,14ページをご覧ください。
b 詳しい説明は22および24ページをご覧ください。
c 1895年から1931年までの35年余の間,荒れ狂うあらしの海の夜空を照らす灯台を背景に描いた「ものみの塔」誌の表紙には,ルカ 21章25節,28節および31節の言葉が引用されていました。
d 一例として,エホバの証人は1931年の特別運動の際,「王国は世の希望」と題する小冊子を世界中で僧職者,政治家,および実業家に何千部も個人的に届けました。
e 「天」という言葉の同様の用法としては,イザヤ 65章17節と18節の「新しい天」に関する預言がありますが,この預言はユダヤ人がバビロンへの流刑から戻った後,総督ゼルバベルと大祭司エシュアの関係した新しい政府の機構が約束の地で確立された時,最初の成就を見ました。―歴代第二 36:23。エズラ 5:1,2。イザヤ 44:28。
[105ページの囲み記事/図版]
予見された1914年
「神の王国が終わり,王冠が取り除かれ,全地が異邦人に与えられたのは,紀元前606年であった。紀元前606年から2,520年の期間は,紀元1914年に終わる」f ―「三つの世界」(英文),1877年発行,83ページ。
「『異邦人の時』が,紀元前606年から紀元1914年までの,そして同1914年を含む,2,520年の期間であることを示す聖書の証拠は明確,かつ強力である」―「聖書研究」(英文),第2巻,C・T・ラッセル著,1889年発行,79ページ。
チャールズ・テイズ・ラッセルと同僚の聖書研究者たちは,1914年が異邦人の時,もしくは諸国民の定められた時の終わりをしるし付けることを何十年も前に認識していました。(ルカ 21:24)そのような初期の当時,これらの人たちはその意味するところを十分理解していませんでしたが,1914年が世界の歴史の転換点としての年代となることを確信していました。彼らは正しかったのです。次のような一新聞の引用文に注目してください。
「ヨーロッパで勃発した恐ろしい戦争は,途方もない預言を成就した。過去四半世紀間,『千年期黎明派』として最もよく知られている『国際聖書研究者』は,聖書で預言されている,憤りの日が1914年に始まることを伝道者や新聞紙上により世界に宣明してきた。幾百人もの福音伝道者が,『1914年に注意せよ!』と叫んできた」― 1914年8月30日付,ニューヨークのワールド紙。
[脚注]
f これは神意によることでしたが,当時の聖書研究者たちは,「紀元前」と「紀元」の年代の間に0年という年がないことを理解していませんでした。後に,研究が行なわれて,紀元前606年を紀元前607年に訂正することが必要になった時,0年も除かれたので,予言は「紀元1914年」の年にも有効でした。―エホバの証人が1943年に発行した,「真理はあなたを自由にする」(英文)と題する本の239ページをご覧ください。
[106ページの囲み記事]
1914年 ― 転換点
1987年にデンマークのコペンハーゲンで発行された,「ポリティケンの世界史 ― 歴史の力と意義」と題する本は40ページで,次のような所見を述べています。
「社会の進歩に対する19世紀の信仰は,1914年に致命的な打撃を被った。戦争の勃発する前年に,デンマークの歴史家で政治家でもあるピーター・ムンクは楽観的な見方を次のように書いた。『すべての証拠は,ヨーロッパの列強間で戦争の起こる可能性がまずないことを示している。1871年以来,何度もそうであったように,「戦争の危機」も将来なくなるであろう』。
「それとは対照的に,彼が後に著した回顧録にはこう記されている。『1914年における戦争の勃発は人類史の重大な転換点となった。我々は妥当な範囲で安全に様々な事柄を追求し得た,進歩を目指す,明るい時代から,どこへ行っても不安のつきまとう,災害と恐怖と憎悪の時代に突入した。あの時,我々を覆った闇が,幾千年もかけて人間が築いてきた文明全体を永久に滅ぼすものとなるかどうかについて語り得る人は一人もいなかったし,今日でさえ一人もいない』」。
[110ページの図版]
『すべての山はその場所から取り除かれた』
[111ページの図版]
彼らはほら穴に身を隠した
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神のイスラエルに証印を押す啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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19章
神のイスラエルに証印を押す
第4の幻 ― 啓示 7:1-17
主題: 14万4,000人の人々が証印を押され,大群衆がエホバのみ座と子羊との前に立っている様子が見える
成就する期間: キリスト・イエスが1914年に即位してから,その千年統治の期間に入るまで
1 神の憤りの大いなる日には,『だれが立ちえるでしょうか』。
「だれが立ちえようか」。(啓示 6:17)そうです,実際,だれが立ち得るでしょうか。神の憤りの大いなる日にサタンの体制が荒廃させられる時,世の支配者や諸民族がそのように尋ねるのは良いことです。それらの人々にとって,差し迫った大激変はすべての人間の命を奪い去るように思えるかもしれません。しかし,そうでしょうか。幸いにも,神の預言者は,「エホバの名を呼び求める者はみな安全に逃れることになる」と,わたしたちに保証しています。(ヨエル 2:32)使徒ペテロやパウロも,このことを確証しています。(使徒 2:19-21。ローマ 10:13)そうです,エホバのみ名を呼び求める人たちは生き残るのです。それはだれでしょうか。次の幻が現われる際,そのことを考えてみましょう。
2 エホバの裁きの日に生き残る人がいるということは,どうして本当に注目すべき事柄でしょうか。
2 だれかがエホバの裁きの日を生きて通過できるとすれば,それは本当に注目すべきことです。というのは,神の預言者の別の人はその日のことを次のように描写しているからです。「見よ,エホバの風あらし,激しい怒り,吹き進む大あらしが出て行った。それは邪悪な者たちの頭上に渦を巻く。エホバの燃える怒りは,ご自分の心の考えを成し遂げて,遂行するまで元に戻らない」。(エレミヤ 30:23,24)そのあらしを乗り切るための処置を講ずるのは,まさしく急を要する事柄です!―箴言 2:22。イザヤ 55:6,7。ゼパニヤ 2:2,3。
四方の風
3 (イ)ヨハネはみ使いたちがどんな特別の奉仕を行なうのを見ますか。(ロ)「四方の風」は何を象徴的に表わしていますか。
3 エホバがそのような激怒をあらわにされる前に,天のみ使いたちは特別の奉仕を行ないます。今やヨハネはそのことを幻の中で見ます。「この後わたしは,四人のみ使いが地の四隅に立ち,地の四方の風をしっかり押さえて,地にも海にも,またどの木にも風が吹かないようにしているのを見た」。(啓示 7:1)これは今日のわたしたちにとって何を意味していますか。この「四方の風」は,邪悪な地上の社会や,不法な人類の波立つ「海」や,地の人々から支持と生活に必要な物とを得る木のような高位の支配者たちに対して,まさに容赦なく執行されようとしている,壊滅的な結果をもたらす裁きを生き生きと表わした象徴的な表現です。―イザヤ 57:20。詩編 37:35,36。
4 (イ)四人のみ使いは何を表わしていますか。(ロ)四方の風が放たれる時,サタンの地上の組織はどんな影響を受けるでしょうか。
4 これらの四人のみ使いは,裁きの執行を定められた時まで差し控えるためにエホバがお用いになる,み使いたちの四つの集団を表わしているようです。み使いたちが神の憤りのその風を放ち,それが渦を巻いて東西南北から一度に吹きすさんだなら,恐るべき荒廃がもたらされるでしょう。これはエホバが四方の風を用いて古代エラム人を散らして粉砕し,絶滅させられた時のような,しかし途方もない規模の出来事となるでしょう。(エレミヤ 49:36-38)そのあらしは,エホバがアンモンの国民を滅ぼし尽くすのに用いられた「大荒れ」よりもはるかに壊滅的な恐ろしい暴風となるでしょう。(アモス 1:13-15)エホバがご自分の主権の正しさを未来永劫にわたって立証なさる,その憤怒の日には,サタンの地上の組織のいかなる部分も立つことはできないでしょう。―詩編 83:15,18。イザヤ 29:5,6。
5 神の裁きが全地を包含するものであることを理解するのに,エレミヤの預言はどのように役立ちますか。
5 神の裁きは全地を損なうほどのものであることを確信できますか。神の預言者エレミヤの言葉に再び耳を傾けてください。「見よ,災いが国から国へと出て行き,激しい大あらしが地の最果てから引き起こされる。そして,エホバに打ち殺される者は,その日,地の一方の果てから地の他方の果てにまで及ぶであろう」。(エレミヤ 25:32,33)この大暴風が襲う際,この世界は暗黒にすっぽりと包まれるでしょう。この世の統治機関は揺り動かされて滅び,忘れ去られてしまうでしょう。(啓示 6:12-14)しかし,将来はすべての人にとって暗くなるわけではありません。では,四方の風はだれのために引き止められているのでしょうか。
神の奴隷たちに証印を押す業
6 だれがみ使いたちに四方の風を引き止めるよう命じますか。その結果,何をするための時間の余裕ができますか。
6 ヨハネはさらに,ある人々が生き残るための印をどのように付けられるかを説明して,こう述べます。「また,別のみ使いが日の昇る方角から,生ける神の証印を携えて上って行くのを見た。彼は,地と海を損なうことを許された四人のみ使いに大声で叫んでこう言った。『わたしたちが,わたしたちの神の奴隷たちの額に証印を押してしまうまでは,地も海も木も損なってはならない』」― 啓示 7:2,3。
7 第五のみ使いは実際にはだれのことですか。どんな証拠がその実体を確認するのに役立ちますか。
7 この第五のみ使いの名は挙げられていませんが,すべての証拠は,そのみ使いが栄光を受けられた主イエスであられるに違いないことを示唆しています。イエスがみ使いの頭であられることと調和して,そのみ使いはここでほかのみ使いたちに対して権威を持つ方として示されています。(テサロニケ第一 4:16。ユダ 9)そのみ使いは「日の昇る方角から来る王たち」― エホバとそのキリスト ― のように,東から上って来ます。これらお二方は,ダリウスとキュロス両王が古代バビロンを卑しめた時のように,裁きを執行するために来られるのです。(啓示 16:12。イザヤ 45:1。エレミヤ 51:11。ダニエル 5:31)このみ使いもまた,油そそがれたクリスチャンに証印を押す務めをゆだねられている点でイエスに似ています。(エフェソス 1:13,14)さらに,その風が放たれる時,イエスは諸国民に対して裁きを執行するために天軍を導かれます。(啓示 19:11-16)では,論理的に言って,イエスこそ,神の奴隷たちに証印が押されるまで,サタンの地上の組織のその滅びを差し控えるよう,お命じになる方であると言えるでしょう。
8 証印を押すとはどういうことですか。それはいつ始まりましたか。
8 証印を押すとはどういうことですか。また,それら神の奴隷たちとはだれのことでしょうか。証印を押すことは,最初のユダヤ人のクリスチャンたちが聖霊で油そそがれた西暦33年のペンテコステの日に始まりました。後日,神は「諸国の人たち」を呼び出し,油そそぐことを始められました。(ローマ 3:29。使徒 2:1-4,14,32,33; 15:14)使徒パウロは,「キリストに属する」ことを保証するものを持っている油そそがれたクリスチャンについて書き,さらに,神は「またわたしたちにご自分の証印を押し,来たるべきものの印,つまり霊をわたしたちの心の中に与えてくださった」と付け加えました。(コリント第二 1:21,22。啓示 14:1と比較してください。)ですから,それらの奴隷たちは神の霊的な子として養子にされると,天の相続財産に関する事前の印,つまり証印,もしくは保証の印を受けるのです。(コリント第二 5:1,5。エフェソス 1:10,11)それで,彼らは次のように言うことができます。「霊そのものが,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子供であることを証ししています。さて,子供であるならば,相続人でもあります。実に,神の相続人であり,キリストと共同の相続人なのです。ただし,共に栄光を受けるため,共に苦しむならばです」― ローマ 8:15-17。
9 (イ)霊によって生み出された神の子たちの残っている人々は,どんな忍耐を要求されますか。(ロ)油そそがれた人たちを試すことは,いつまで続きますか。
9 「ただし……共に苦しむならばです」とは,どういう意味でしょうか。油そそがれたクリスチャンは命の冠を受けるために,死に至るまでも忠実に忍耐しなければなりません。(啓示 2:10)それは,『一度救われたなら,いつまでも救われたことになる』という事柄ではありません。(マタイ 10:22。ルカ 13:24)かえって,「自分の召しと選びを自ら確実にするため,いよいよ力を尽くして励みなさい」と諭されています。使徒パウロのように,最後に,「わたしは戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り,信仰を守り通しました」と言えなければなりません。(ペテロ第二 1:10,11。テモテ第二 4:7,8)ですから,霊によって生み出された神の子たちの残っている人々を試したり,えり分けたりすることは,自分たちが試みられた忠実な「わたしたちの神の奴隷」であることを決定的,また最終的に実証する人たちすべての「額に」,イエスと付き添っているみ使いたちとが証印をしっかり刻み込むまで,この地上で続けられなければなりません。その時,その証印は永久の印となります。患難を意味する四方の風が放たれる時,霊的なイスラエルの少数の人々はなお肉の体で生きているとしても,そのすべては最終的に証印を押されていることでしょう。(マタイ 24:13。啓示 19:7)その成員の数は完全にそろうでしょう!―ローマ 11:25,26。
証印を押されるのは何人ですか
10 (イ)どんな聖句は,証印を押される者たちの数が限定されていることを示唆していますか。(ロ)証印を押される者たちの人数は全部で何人ですか。それらの人たちはどのように列挙されていますか。
10 イエスは証印を受ける見込みのある人たちに向かって,「恐れることはありません,小さな群れよ。あなた方の父は,あなた方に王国を与えることをよしとされたからです」と言われました。(ルカ 12:32)啓示 6章11節やローマ 11章25節などの他の聖句は,この小さな群れの人数がまさしく限定されており,実際には予定されていることを示唆しています。ヨハネの次の言葉はそのことを確証しています。「そしてわたしは,証印を押された者たちの数を聞いたが,それは十四万四千であり,イスラエルの子らのすべての部族の者たちが証印を押された。ユダの部族の中から一万二千人が証印を押され,ルベンの部族の中から一万二千人,ガドの部族の中から一万二千人,アシェルの部族の中から一万二千人,ナフタリの部族の中から一万二千人,マナセの部族の中から一万二千人,シメオンの部族の中から一万二千人,レビの部族の中から一万二千人,イッサカルの部族の中から一万二千人,ゼブルンの部族の中から一万二千人,ヨセフの部族の中から一万二千人,ベニヤミンの部族の中から一万二千人が証印を押された」― 啓示 7:4-8。
11 (イ)12部族のことが指摘されているのに,これはどうして文字通りの肉のイスラエルには当てはまらないのでしょうか。(ロ)啓示の書にはなぜ12部族の一覧表があるのでしょうか。(ハ)神のイスラエルにはどうして王もしくは祭司の職を独占する部族がないのでしょうか。
11 これは文字通りの肉のイスラエルを指しているのではないでしょうか。いいえ,そうではありません。啓示 7章4節から8節の一覧表は,通常の部族の一覧表とは異なっているからです。(民数記 1:17,47)ここの一覧表は明らかに,肉のユダヤ人を部族によって見分けるためではなく,霊的なイスラエルのための同様の組織的な構造を示すためのものです。このイスラエルは釣り合いが取れています。この新しい国民の成員は,12部族の各々から1万2,000人ずつ取られて,ちょうど14万4,000人になります。この神のイスラエルには,王もしくは祭司の職を独占する部族はありません。この国民は成員全員が王として支配し,また国民全員が祭司として奉仕することになっています。―ガラテア 6:16。啓示 20:4,6。
12 24人の長老が啓示 5章9節と10節に記されている歌を子羊の前で歌うのは,どうしてふさわしいことですか。
12 生来のユダヤ人とユダヤ教への改宗者には霊的なイスラエルになるよう選ばれる最初の機会が与えられましたが,その国民の中の少数の人々がこたえ応じたにすぎませんでした。ゆえに,エホバはその招待を異邦人に差し伸べられました。(ヨハネ 1:10-13。使徒 2:4,7-11。ローマ 11:7)かつては「イスラエルの国家から疎外され」ていたエフェソス人の場合のように,今やユダヤ人ではない人々が神の霊によって証印を押され,油そそがれたクリスチャンの会衆の一部になることができるようになりました。(エフェソス 2:11-13; 3:5,6。使徒 15:14)ですから,24人の長老が子羊の前で次のように歌うのは,ふさわしいことです。「あなたは……自分の血をもって,あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために人々を買い取(りました)。そして,彼らをわたしたちの神に対して王国また祭司とし,彼らは地に対し王として支配(しま)す」― 啓示 5:9,10。
13 イエスの異父兄弟ヤコブはその手紙を「各地に散っている十二部族」にあてて書き送ることができましたが,それはどうして適切なことでしたか。
13 クリスチャンの会衆は「選ばれた種族,王なる祭司,聖なる国民」です。(ペテロ第一 2:9)それが神の国民である生来のイスラエルに取って代わって,「真に『イスラエル』」である,新しいイスラエルとなるのです。(ローマ 9:6-8。マタイ 21:43)a このようなわけで,イエスの異父兄弟ヤコブが「各地に散っている十二部族」,つまりやがて成員が14万4,000人になる,油そそがれたクリスチャンの世界的な会衆にあてて牧羊の手紙を書き送ったのは,たいへん当を得たことでした。―ヤコブ 1:1。
今日の神のイスラエル
14 エホバの証人は,14万4,000人が霊的なイスラエルを構成する成員の文字通りの人数であるという見方を一貫して固守してきましたが,何がこのことを示していますか。
14 興味深いことに,チャールズ・T・ラッセルは,この14万4,000人が霊的なイスラエルを構成する個々の成員の文字通りの人数であることを認めました。ラッセルは1904年に発行された,自著,「聖書研究」の第6巻,「新しい創造」(英文)と題する本の中で,こう書いています。「選びを受けた者[選ばれて,油そそがれた者たち]の定められた決まった人数は,啓示の書(7:4; 14:1)で何度か述べられているあの数,すなわち『人々の中から請け戻された』14万4,000人であることを信ずべき十分の理由がある」。1930年に聖書研究者が発行した「光」(英文)と題する本の第1巻では同様に,「こうして,キリストの体の14万4,000人の成員は,選択され,油そそがれた,もしくは証印を押された者として示されている集められた人々の中にいるのである」と記されています。エホバの証人は,文字通り14万4,000人の油そそがれたクリスチャンが霊的なイスラエルを構成しているという見方を一貫して固守してきました。
15 誠実な聖書研究者たちは主の日の直前のころ,異邦人の時が終わった後,生来のイスラエルが何を享受するようになると考えていましたか。
15 それにしても,今日,生来のイスラエルは何らかの特別の恵みを受けるに値するのではありませんか。誠実な聖書研究者たちが神のみ言葉の基本的な真理の多くを再発見してきた主の日の直前の時期には,異邦人の時が終わると,ユダヤ人は再び神のみ前で特権的な立場を享受するようになると考えられていました。ですから,1889年に発行された,C・T・ラッセルの著した,「時は近づけり」(「聖書研究」,第2巻,英文)と題する本では,エレミヤ 31章29節から34節が生来のユダヤ人に適用され,次のような注解が記されています。「世界は,異邦人の支配のもとでイスラエルの受ける処罰が紀元前[607年]以来続いてきたこと,また依然として続いていること,さらに『七つの時』,つまり2,520年の限界である紀元1914年よりも前に彼らの国家的再組織が行なわれるのを期待すべき理由はないということの証人である」。当時,ユダヤ人は国家的な回復を経験するのではなかろうかと思われましたし,パレスチナにおけるユダヤ人の母国建設を英国が支持することを保証したバルフォア宣言が出された1917年には,その見通しは一見明るく見えました。
16 エホバの証人はキリスト教の音信をユダヤ人に伝えるため,どんな努力を払いましたか。結果はどうでしたか。
16 第一次世界大戦に続いて,パレスチナは英国の委任統治領となり,多くのユダヤ人がその地に帰国する道が開かれました。1948年には政治上のイスラエル国家が生まれました。これは,ユダヤ人は神の祝福を受ける見込みがあることを示唆していませんでしたか。エホバの証人は多年,そうであると考えていました。ですから,証人たちは1925年に,「ユダヤ人のための慰め」(英文)と題する128ページの本を発行しました。1929年には,ユダヤ人に訴えるために書かれると共に,聖書のヨブ記をも扱った,「命」(英文)と題する,360ページの魅力的な本を発表しました。特に,ニューヨーク市では,メシアに関するその音信をユダヤ人に伝えるため,大変な努力が払われました。幸いにも,少数の個々の人はこたえ応じましたが,大方のユダヤ人は彼らの1世紀の父祖たちと同様,メシアの臨在に関する証拠を退けました。
17,18 地上の神の奴隷たちは,新しい契約や回復に関する聖書の預言に関してどんな事柄を理解するようになりましたか。
17 一民族ならびに一国民としてのユダヤ人が,啓示 7章4節から8節,あるいは主の日に関係のある聖書の他の預言の中で述べられているイスラエルでないことは明らかでした。ユダヤ人は伝統に従って,引き続き神のみ名を用いることを避けてきました。(マタイ 15:1-3,7-9)エホバの証人が1934年に発行した「エホバ」(英文)と題する本は,エレミヤ 31章31節から34節を論じ,「新しい契約はイスラエルの生来の子孫や一般の人類とは何ら関係がなく……霊的なイスラエルに限定されている」と最終的に述べました。回復に関する聖書の預言は,生来のユダヤ人にも,また国際連合の一成員国で,イエスがヨハネ 14章19節と30節および18章36節で話された世の一部である政治上のイスラエルにも関係がありません。
18 地上の神の奴隷たちは1931年にエホバの証人という名称を大きな喜びを抱いて受け入れました。証人たちは,「光が義なる者のために,歓びが心の廉直な者たちのためにきらめいた」と記されている詩編 97編11節の言葉に心を込めて賛同できました。証人たちは,霊的なイスラエルだけが新しい契約に入れられたことをはっきりと識別できました。(ヘブライ 9:15; 12:22,24)こたえ応じようとしなかった生来のイスラエルも,また一般の人類も,その契約にはあずかりませんでした。このことを理解したので,神からの光が輝かしくきらめく道が開かれました。これは神権的な歴史の記録の中で目覚ましい事柄でした。それは,エホバがご自分に近づく人々すべてに対してご自身の憐れみや愛ある親切や真理をどんなに豊かに示される方であるかを明らかにするものとなりました。(出エジプト記 34:6。ヤコブ 4:8)そうです,み使いたちが滅びをもたらす四方の風を引き止めているので,神のイスラエル以外のほかの人々も恩恵を受けるようになりました。それはだれでしょうか。あなたもその一人になれるでしょうか。では,調べてみましょう。
[脚注]
[114ページ,全面図版]
[116,117ページの図版]
真の神のイスラエルを選び出す全般的な業は,西暦33年のペンテコステの日から始まって,1935年まで続き,同年米国のワシントン特別区で開かれたエホバの証人の歴史的な大会で,それまでとは異なり,地的な命の見込みを持つ大群衆の取り入れを行なうことが強調されるようになりました(啓示 7:9)
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おびただしい大群衆啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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20章
おびただしい大群衆
1 ヨハネは14万4,000人に証印を押すことを述べてから,ほかのどんなグループの人々を見ますか。
ヨハネは14万4,000人に証印を押すことを述べてから,さらに聖書全巻の中で最も感動的な啓示の一つについて報告します。そして,次のように報告した時,喜びで胸が躍るのを感じたに違いありません。「これらのことの後,わたしが見ると,見よ,すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が,白くて長い衣を着て,み座の前と子羊の前に立っていた。彼らの手には,やしの枝があった」。(啓示 7:9)そうです,四方の風を引き止めることにより,霊的なイスラエルの14万4,000人の成員のほかに別のグループ,つまり多国語を用いる国際的な大群衆の救いが可能になるのです。a ―啓示 7:1。
2 世の注釈者たちは大群衆のことをどのように説明しましたか。昔の聖書研究者たちでさえ,このグループの人々のことをどのように考えましたか。
2 世の注釈者たちはこの大群衆のことをキリスト教に改宗した,肉のユダヤ人でない人々,もしくは天に行くクリスチャンの殉教者たちと解釈してきました。昔の聖書研究者たちでさえ,1886年当時,「聖書研究」第1巻の「代々に渉る神の経綸」(英文)と題する本の中で指摘されているように,この「大群衆」を二次的な天的級の人々とみなしていました。こう記されています。「彼らはみ座および神性という賞を失うが,ついには神性を備えた存在よりも低級な霊者として生まれることになる。それらの人々は確かに聖別されてはいるが,自分の命を犠牲としてささげることができないほど,世の霊に打ち負かされるのである」。さらに,1930年当時でさえ,「光」(英文)と題する本の第1巻は,「この大群衆を構成する人々は,主の熱心な証人になるようにとの招きにこたえ応じていない」と述べて,同様の考えを表明しました。これらの人々は真理の知識を持っていながら,それをほとんど宣べ伝えようとしない,独り善がりなグループの人々であると言われていました。彼らはキリストと共に統治することにはあずからない二次的な級の者として天に行くことになっていました。
3 (イ)後に宣べ伝える業に熱心になった,正しい心を持っていた,ある人たちに,どんな希望が差し伸べられましたか。(ロ)1923年の「ものみの塔」誌は,羊とやぎに関するたとえ話をどのように説明しましたか。
3 しかし,油そそがれたクリスチャンと交わるほかの仲間で,後に宣べ伝える業にたいへん熱心になった人たちがいました。それらの人々は天に行く願望を少しも抱いていませんでした。実際,彼らの希望は,エホバの民が1918年から1922年にかけて呼び物として行なった公開講演の主題と合致していました。それは最初,「世の終わりは近し ― 現存する万民は決して死することなし」という主題で行なわれました。b その後まもなく,1923年10月15日号の「ものみの塔」誌は羊とやぎに関するイエスのたとえ話を説明し(マタイ 25:31-46),「羊は,霊によって生み出されていないが,イエス・キリストを主として知的に認め,その統治の行なわれる,より良い時代を待ち望む,義に心の向いている諸国の民の人々すべてを表わしている」と述べました。
4 地的な級の人たちに関する光は1931年,1932年,および1934年にそれぞれどのように一層明るく輝きましたか。
4 何年か後の1931年に,「証明」(英文)と題する本の第1巻はエゼキエル 9章を論じ,世の終わりに際して守られるよう額に印を付けられる人たちの実体は,前述のたとえ話の羊であることを明らかにしました。次いで,1932年に発表された「証明」(英文)と題する本の第3巻は,イスラエルの油そそがれた王エヒウの兵車に同乗して,偽りの宗教家を処刑するエヒウの熱心さを見守るために出かけた,イスラエル人ではないエホナダブの廉直な心の態度について述べました。(列王第二 10:15-17)その本はこう注解しています。「ヨナダブ(エホナダブ)は,[エホバの裁きを告げ知らせる]エヒウの業が進行している時代の今,地上にいる,あの級の人々を表わしていた,もしくは予表していた。彼らは善意を持つ人々で,サタンの組織と調和せず,義の側を支持する人々であり,主はハルマゲドンの際に彼らを守り,その困難を切り抜けさせ,地上で彼らに永遠の命をお与えになるのである。これらの人はその『羊』級の人々を構成している」。「ものみの塔」誌は1934年に,地的な希望を抱くそれらのクリスチャンもエホバに献身し,バプテスマを受けるべきであることを明らかにしました。この地的な級の人たちに関する光は一層明るく輝いていました。―箴言 4:18。
5 (イ)1935年に,大群衆の実体はどのように明らかにされましたか。(ロ)1935年にJ・F・ラザフォードが,地上で永遠に生きる希望を抱いている大会出席者に起立するよう勧めた時,どんなことが起きましたか。
5 啓示 7章9節から17節に関する理解は今や,さん然と輝く光そのものの中で突如明らかにされようとしていました!(詩編 97:11)「ものみの塔」誌は,米国ワシントン特別区で1935年5月30日から6月3日まで開催される予定の大会が,エホナダブ(ヨナダブ)によって表わされていた人たちに「真の慰めと益」をもたらすものになるという希望を繰り返し表明していましたが,まさにその通りになりました! 当時,世界的な宣べ伝える業を率先して進めていたJ・F・ラザフォードは,約2万人の大会出席者に話した「大いなる群衆」と題する感動的な講演の中で,現代のほかの羊は啓示 7章9節の大群衆と同一であることを示す聖書的な証拠を提出しました。その話が最高潮に達した時,講演者は,「地上で永遠に生きる希望を抱いておられる方々は皆,起立していただけますか」と尋ねました。聴衆の中のかなり多くの人々が起立すると,講演者は,「ご覧なさい! 大いなる群衆です!」と宣言しました。と,一瞬静まり返ったかと思うと,万雷の拍手喝さいがわき起こりました。ヨハネ級の人たちは,それにエホナダブのグループの人々も,どれほど歓喜したことでしょう。翌日,840人の証人たちがバプテスマを受けましたが,その大半の人々はあの大群衆の者であることを公言しました。
大群衆の実体を確認する
6 (イ)大群衆とは,地上で永遠に生きることを望む,献身した現代のクリスチャンのグループであることを,どうしてはっきり理解できますか。(ロ)大群衆の白くて長い衣は何を象徴していますか。
6 大群衆とは,神の所有なさる地球の上で永遠に生きることを望む,献身した現代のこのクリスチャンのグループであると,どうしてそのように断言できるのでしょうか。ヨハネは以前に,『あらゆる部族と国語と民と国民の中から神のために買い取られた』天的なグループの人たちを幻の中で見ました。(啓示 5:9,10)大群衆は同様のところから来ますが,前途の定めは異なっています。神のイスラエルとは違って,その人数は予定されていません。それらの人々が何人になるかは,だれも事前に告げることができません。彼らの長い衣は子羊の血で洗われて白くなっていますが,これは彼らがイエスの犠牲に対する自分たちの信仰により,エホバのみ前で義にかなった立場を得ていることを象徴しています。(啓示 7:14)そして,彼らはやしの枝を振って,自分たちの王であるメシアを歓呼して迎えています。
7,8 (イ)やしの枝を振ることで,使徒ヨハネは多分,どんな出来事を思い起こしたでしょうか。(ロ)大群衆の人々がやしの枝を振っていることは,どんな重要な意味を持っていますか。
7 ヨハネはこの幻を見ながら,60年余り前にイエスが地上で過ごされた最後の1週間のことを思い返しているに違いありません。西暦33年ニサン9日に,群衆は群がって来て,エルサレムに入城されるイエスを歓迎しました。その時,彼らは,「やしの木の枝を取って彼を迎えに出て行った。そして,大声でこう叫びはじめた。『救いたまえ! エホバのみ名によって来たる者,イスラエルの王こそ祝福された者!』」と記されています。(ヨハネ 12:12,13)同様に,大群衆がやしの枝を振って大声で叫ぶことは,抑え難い喜びを抱いてイエスをエホバの油そそがれた王として受け入れていることを示しています。
8 また,やしの枝や歓喜の叫びは,多分,古代イスラエル人の仮小屋の祭りのことをヨハネに思い起こさせるでしょう。エホバはこの祭りに関して次のようにお命じになりました。「そしてあなた方は,自分たちのため,最初の日に,壮麗な樹木の実,やしの木の葉,茂った木の大枝,奔流の谷のポプラを取るように。あなた方の神エホバの前で七日のあいだ歓び楽しむのである」。やしの枝は歓びの印として用いられました。一時的な仮小屋は,エホバがご自分の民をエジプトから救い出して,荒野で天幕に住まわせたことを思い出させるためのものでした。「外人居留者,父なし子,やもめも」この祭りに加わりました。イスラエルは皆,「ただ喜びに満ちる」ことになっていました。―レビ 23:40。申命記 16:13-15。
9 大群衆は喜びにあふれたどんな叫び声に加わりますか。
9 それで,大群衆が霊的なイスラエルの一部ではないにしても,やしの枝を振るのはふさわしいことです。というのは,ヨハネがここで述べているように,彼らは喜びにあふれ,感謝の念を抱いて,勝利と救いを神と子羊とに帰しているからです。「そして大声でこう叫びつづける。『救いは,み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とによります』」。(啓示 7:10)この大群衆はあらゆる民族から分けられているとはいえ,そのようにただ一つの大きな声で叫びます。彼らは多種多様な国民や言語から来ているにもかかわらず,どうしてそのように叫ぶことができるのでしょうか。
10 大群衆は多種多様な国民や言語から来ているにもかかわらず,どうしてただ一つの「大声」を上げて,一致して叫ぶことができるのでしょうか。
10 この大群衆は,今日の地上の真に結び合わされた唯一の多国籍組織の一部です。彼らは国が異なっていても別の規準を持っているわけではなく,どこに住んでいようとも,聖書の正しい原則を一貫して当てはめます。彼らは国家主義的な革命運動に関係したりせず,かえって確かに『剣をすきの刃に打ち変えて』きました。(イザヤ 2:4)彼らは分派や宗派に分かれて,キリスト教世界の諸宗教のように混乱した,もしくは互いに相反する音信を大声で伝えたりはしません。また,賛美の業を自分たちが行なう代わりに専門の僧職者階級に任せたりもしません。彼らは,救いは聖霊によります,などと大声で叫んだりもしません。というのは,彼らは三位一体の神の僕ではないからです。彼らは地上の至る所のおよそ200の地理上の領土で,真理というただ一つの清い言語を話し,一致してエホバの名を呼び求めています。(ゼパニヤ 3:9)彼らは自分たちの救いが神の主要な救いの代理者イエス・キリストを通して,救いの神エホバから来ることを公に認めていますが,それは当然なことです。―詩編 3:8。ヘブライ 2:10。
11 現代の科学技術は,大群衆が自分たちの大声の響きをなお一層大きくするのにどのように役立ってきましたか。
11 現代の科学技術は,結び合わされた大群衆の大声の響きをなお一層大きくするのに役立ってきました。聖書研究の手引きを400以上の言語で出版する必要のある宗教団体は地上にはほかにありません。というのは,ただ一つの一致した音信を地上の人々すべてに伝えることに関心を持っている団体は,ほかにはないからです。エホバの証人の油そそがれた統治体の監督のもとに,この点でさらに助けになる多言語電算写植システム(英語の略称,MEPS<メップス>)が開発されました。本書を印刷している時点で,様々な形態のMEPS<メップス>が世界中の125の場所で使われており,それは月2回発行の「ものみの塔」誌を130以上の言語で同時出版できるようにするのに役立ってきました。エホバの民はまた,多数の言語で本書のような書籍の同時出版も行なっています。ですから,大半が大群衆で構成されているエホバの証人は,よく知られている言語すべてを用いて,毎年,何十億冊もの出版物を頒布し,すべての部族と国語の中から来る,さらに加えられる群衆が神のみ言葉を研究し,自分たちの声を大群衆のその大声に加えられるようにすることができるのです。―イザヤ 42:10,12。
天で,それとも地上で?
12,13 大群衆はどのような仕方で,「み座の前と子羊の前に立って」いますか。
12 大群衆が『み座の前に立っている』といっても,天にいるという意味ではないことが,どうして分かりますか。このことに関しては,たいへん明確な証拠があります。例えば,ここで,「の前に」と訳されているギリシャ語(エノーピオン)は,文字通りには,「[の]見るところに」という意味で,エホバ「の前に」,あるいはエホバ「の見るところに」いる,地上の人間に関して何回か使われています。(テモテ第一 5:21。テモテ第二 2:14。ローマ 14:22。ガラテア 1:20)イスラエル人が荒野にいたころ,モーセはある時,アロンにこう言いました。「イスラエルの子らの全集会にこう言ってください。『エホバのみ前に近づきなさい。あなた方のつぶやきをお聞きになったからです』」。(出エジプト記 16:9)その時,イスラエル人はエホバのみ前に立つため天に移される必要はありませんでした。(レビ記 24:8と比較してください。)それどころか,彼らはまさしくその荒野で,エホバから見えるところに立っており,エホバは彼らに注意を向けておられました。
13 さらに,こう記されています。「人の子がその栄光のうちに到来(すると)……すべての国の民が彼の前にc集められ(るでしょう)」。この預言が成就する時,全人類が天にいるわけではありません。『去って永遠の切断に入る』者たちは,確かに天にはいません。(マタイ 25:31-33,41,46)それどころか,人間は地上でイエスから見えるところに立っており,イエスは人々に注意を向けて裁きを行なわれます。同様に,大群衆はエホバとその王キリスト・イエスから見えるところに立っているので,「み座の前と子羊の前に」おり,このお二方から有利な裁きを受けます。
14 (イ)だれが「み座の周りに」,また「[天の]シオンの山に」いると述べられていますか。(ロ)大群衆は神に「その神殿で」仕えているからといって,どうして祭司級の人々になっている訳ではありませんか。
14 24人の長老や14万4,000人の油そそがれた人々のグループは,エホバの「み座の周りに」,また「[天の]シオンの山に」いると述べられています。(啓示 4:4; 14:1)大群衆は祭司級の人々ではありませんから,このような高位の地位には就きません。確かに,後の箇所の啓示 7章15節では,神に「その神殿で」仕えていると述べられています。しかし,この神殿は奥の聖所である至聖所を指していません。むしろ,それは神の霊的な神殿の地的な中庭のことです。ここで「神殿」と訳されているギリシャ語ナオスは,エホバの崇拝のために建てられた建造物全体という広い意味を表わす場合が少なくありません。今日,それは天と地の両方を包含する,霊的な構造物です。―マタイ 26:61; 27:5,39,40; マルコ 15:29,30; ヨハネ 2:19-21,「参照資料付き 新世界訳聖書」,脚注と比較してください。
宇宙的な規模の賛美の叫び
15,16 (イ)大群衆が姿を現わす時,天ではどんな反応が生じますか。(ロ)エホバの霊的な創造物は,神の目的に関する新たな啓示が示される度に,どんな反応を表わしますか。(ハ)わたしたちはその賛美の歌に地上でどのようにあずかることができますか。
15 大群衆はエホバを賛美していますが,ほかの者も神を賛美する歌を歌っています。ヨハネはこう報告します。「そして,すべてのみ使いたちは,み座と長老たちと四つの生き物の周りに立っていたが,彼らはみ座の前にひれ伏し,神を崇拝してこう言った。『アーメン! 祝福と栄光と知恵と感謝と誉れと力と強さが,わたしたちの神に限りなく永久にありますように。アーメン』」― 啓示 7:11,12。
16 エホバが地球を創造された時,その聖なるみ使いたちは皆,「共々に喜びにあふれて叫び,神の子たちがみな称賛の叫びを上げはじめ」ました。(ヨブ 38:7)エホバの目的に関する新たな啓示が示される度に,み使いたちは同様の賛美の叫びを上げるよう促されてきたに違いありません。24人の長老,つまり天的な栄光を受けた14万4,000人の人たちが子羊の尊さを認めて大声で叫ぶ時,神の天の被造物のほかの者もすべて,イエスとエホバ神を賛美する声に和します。(啓示 5:9-14)それらの被造物はすでに,エホバが油そそがれた忠実な人間を霊の領域の輝かしい場所に復活させ,ご自分の目的を成就しておられるのを見て,大いに喜んできました。今度は,大群衆が姿を現わすので,エホバの天の忠実な被造物はすべて,美しい旋律の賛美の歌声を一斉に上げます。エホバの僕すべてにとって,彼らが生活しているこの主の日は確かに胸の躍るような時代です。(啓示 1:10)わたしたちがこの地上で,エホバの王国について証しをして,その賛美の歌にあずかるのは,何という恵まれた特権でしょう。
大群衆が現われる
17 (イ)24人の長老の一人がどんな質問を起こしますか。その長老が答えを探し出せたということは,何を暗示していますか。(ロ)その長老の質問の答えはいつ出されましたか。
17 使徒ヨハネの時代から,主の日の現代のある時期に至るまで,油そそがれたクリスチャンは大群衆の実体が分からず,当惑していました。ですから,すでに天にいる油そそがれた人たちを表わしている24人の長老の一人が,次のような的を射た質問をして,ヨハネの考えを刺激するのは,ふさわしいことです。「すると,長老の一人がこれに応じてわたしに言った,『白くて長い衣を着たこれらの者,これはだれか,またどこから来たのか』。それでわたしはすぐ彼に言った,『わたしの主よ,あなたが知っておられます』」。(啓示 7:13,14[前半])そうです,その長老は答えを探し出して,ヨハネに伝えることができました。このことは,24人の長老のグループのうちの復活させられた人たちが,今日,神からの真理を伝達する仕事に関係しているかもしれないことを暗示しています。一方,地上のヨハネ級の人たちは,自分たちの中でエホバが行なっておられる事柄を注意深く観察して,大群衆の実体を理解できるようになりました。彼らはエホバのご予定の時である1935年に神権的な組織の天空を明るく彩った,神からの光のまばゆい閃光をいち早く認めました。
18,19 (イ)1920年代中と1930年代の初期のころ,ヨハネ級の人たちはどんな希望を強調していましたか。しかし,増加し続けるどんな人たちが,音信にこたえ応じましたか。(ロ)1935年に大群衆の実体が明らかにされたことは,14万4,000人の人たちに関してどんなことを示唆していましたか。(ハ)記念式の統計は何を明らかにしていますか。
18 1920年代中と1930年代の初期のころ,ヨハネ級の人たちは出版物,ならびに宣べ伝える業の双方で,天的な希望を強調していました。14万4,000人の人数が全部そろうのは,なお先のことだったようです。しかし,音信に留意し,証しの業で熱意を示す,増加し続ける人たちは,地上の楽園<パラダイス>で永遠に生きることに関心があることを表明するようになりました。彼らは天に行く願いを少しも抱いていませんでした。それは彼らの受けた召しではありませんでした。彼らは小さな群れの一部ではなく,むしろほかの羊の一部でした。(ルカ 12:32。ヨハネ 10:16)それらの人々は1935年にほかの羊の大群衆と同一視されましたが,これは14万4,000人を選ぶことが当時まさに完了しようとしていたことを示唆していました。
19 統計はこの結論を支持していますか。確かに支持しています。1938年には,5万9,047人のエホバの証人が世界中で宣教にあずかりました。そのうち,3万6,732人がイエスの死を思い起こす,年に一度の記念式の表象物にあずかり,天的な召しを受けていることを示しました。それ以後の年々,表象物にあずかる人々の人数は次第に減少してゆきました。それはおもに,エホバの忠実な証人たちが亡くなって,それぞれ地上の生涯を終えたからです。2005年には,わずか8,524人が記念式の表象物にあずかっただけでした。これは全世界で行なわれたその記念式の出席者1,639万116人の0.05%にすぎません。
20 (イ)第二次世界大戦中,J・F・ラザフォードは大群衆についてどんな意見を個人的に述べましたか。(ロ)今や,どんな事実が,大群衆は実際に大きなものであることを示していますか。
20 第二次世界大戦が勃発した時,サタンは大群衆の収穫を阻止させようとして激しく試みました。エホバの業は多くの国々で制限されました。J・F・ラザフォードは1942年1月に亡くなる少し前の当時の暗い時期に,「さて……大いなる群衆は結局のところ,それほど大きなものとはならないようだ」と語ったと言われています。しかし,神からの祝福により,物事はそれとは違った方向に導かれました! 世界中で奉仕に携わる証人の人数は,1946年までに17万6,456人に飛躍的に増えました。その大半は大群衆の人たちでした。2005年には,639万22人の証人たちが235の異なった国や地域で,エホバに忠実に奉仕しました。これはまさに大群衆です! そして,その人数は増加し続けています。
21 (イ)主の日の期間中の神の民の収穫の業は,ヨハネの幻とどのように完全に一致していますか。(ロ)ある重要な預言がどのように成就し始めましたか。
21 このようなわけで,主の日の期間中の神の民の収穫の業は,ヨハネの幻と完全に一致しています。まず最初に,14万4,000人の残っている者たちを集める業,次いで大群衆を集めることが行なわれます。イザヤが預言したように,「末の日」の今,すべての国の人々がエホバの清い崇拝にあずかるために流れて来ています。ですから,わたしたちは,エホバが創造しておられる「新しい天と新しい地」を感謝して歓喜しています。(イザヤ 2:2-4; 65:17,18)神は「すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストにおいて再び」集めておられます。(エフェソス 1:10)イエスの時代以来,何世紀にもわたって選ばれてきた,天の王国の油そそがれた相続人は,「天にあるもの」です。そして今や,ほかの羊の大群衆が「地にあるもの」の最初の者たちとして姿を現わしています。この取り決めと調和して奉仕するなら,あなたはとこしえの幸福を味わうことになるでしょう。
大群衆の受ける祝福
22 ヨハネは大群衆に関して,さらにどんな情報を受けますか。
22 ヨハネはこの大群衆に関して,神の経路からさらに情報を受けます。「すると彼[長老]はわたしに言った,『これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした。それゆえに神のみ座の前にいるのである。そして,その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている。また,み座に座っておられる方は彼らの上にご自分の天幕を広げられるであろう』」― 啓示 7:14(後半),15。
23 「大群衆」は大患難から「出て来る」人たちですが,その大患難とは何ですか。
23 イエスは以前のある時,王国の栄光を伴うご自分の臨在が,「世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難」の際に最高潮に達するであろうと言われました。(マタイ 24:21,22)その預言の成就として,み使いたちは地の四方の風を放って,サタンの世の体制を荒廃させることになります。まず最初に,偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンが取り除かれます。それから,大患難の絶頂に際して,イエスは,14万4,000人の地上に残っている人たちと共に,おびただしい大群衆を救い出されます。―啓示 7:1; 18:2。
24 大群衆の中の個々の人々はどのようにして生き残る資格を得ますか。
24 大群衆の中の個々の人々はどのようにして生き残る資格を得ますか。例の長老はヨハネに,それらの人たちは「自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と語っています。言い換えれば,彼らは自分たちの贖い主としてのイエスに信仰を働かせ,エホバに献身し,その献身の象徴として水のバプテスマを受けて,廉直な行動により『正しい良心を保って』きました。(ペテロ第一 3:16,21。マタイ 20:28)こうして,それらの人たちはエホバの目に義にかなった清い者となっています。また,彼らは自らを「世から汚点のない状態に」保っています。―ヤコブ 1:27。
25 (イ)大群衆はどのようにしてエホバに『その神殿で昼も夜も神聖な奉仕』を行なっていますか。(ロ)エホバはどのように大群衆の上に「ご自分の天幕を広げ」てくださいますか。
25 さらに,これらの人々は熱心なエホバの証人となり,「その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕」を行なってきました。あなたはこの献身した大群衆の一人ですか。もしそうでしたら,神の大いなる霊的な神殿の地的な中庭でエホバに絶えず仕えるのは,あなたの特権です。今日,大群衆は,油そそがれた者たちの指導のもとに,証しの業の大半を行なっています。その中の何十万もの人たちは,世俗の生活上の責任があるにもかかわらず,都合をつけて開拓者として全時間の宣教に携わってきました。しかし,あなたはそのグループの中の一人であろうとなかろうと,大群衆の献身した一成員として,ご自分の信仰と業のゆえに神の友として義と宣せられ,神の天幕の客として歓迎されているのですから,歓ぶことができます。(詩編 15:1-5。ヤコブ 2:21-26)エホバはこうして,ご自分を愛する人たちの上に「ご自分の天幕を広げ」,善良な主人としてそれらの人々を保護してくださいます。―箴言 18:10。
26 大群衆はほかにどんな祝福を享受しますか。
26 その長老はさらにこう語り続けます。「彼らはもはや飢えることも渇くこともなく,太陽が彼らの上に照りつけることも,どんな炎熱に冒されることもない。み座の真ん中におられる子羊が,彼らを牧し,命の水の泉に彼らを導かれるからである。そして神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去られるであろう」。(啓示 7:16,17)確かにエホバは温かくもてなしてくださる方です! しかし,この言葉にはどんな深い意味があるのでしょうか。
27 (イ)イザヤはその長老の言葉と同様の事柄をどのように預言しましたか。(ロ)イザヤの預言がパウロの時代のクリスチャン会衆に成就し始めたことを何が示していますか。
27 同様の言葉遣いの次のような預言も考慮してみましょう。「エホバはこのように言われた。『わたしは善意の時にあなたに答え,救いの日にあなたを助けた。……彼らは飢えることも,渇くこともない。また,焼けつくような熱や太陽が彼らを打つこともない。彼らに哀れみを抱いている方がこれを率いて,水の泉のほとりに導くからである』」。(イザヤ 49:8,10。詩編 121:5,6もご覧ください。)使徒パウロはこの預言の一部を引用し,西暦33年のペンテコステの時に始まった「救いの日」に適用して,こう書きました。「『受け入れることのできる時にわたしはあなたのことばを聞き,救いの日にあなたを助けた』と[エホバが]言っておられるのです。見よ,今こそ特に受け入れられる時です。見よ,今こそ救いの日なのです」― コリント第二 6:2。
28,29 (イ)イザヤの言葉は1世紀にどのように成就しましたか。(ロ)啓示 7章16節の言葉は大群衆に関してどのように成就していますか。(ハ)大群衆は「命の水の泉」に導かれる結果,どうなりますか。(ニ)大群衆は人類の中でどうして特異な存在となりますか。
28 飢えたり,渇いたり,あるいは焼けつくような熱を受けたりはしないという約束は,1世紀当時,どのように適用されましたか。1世紀のクリスチャンは,時には確かに文字通りの飢えや渇きを経験しました。(コリント第二 11:23-27)しかし,霊的には豊かでした。霊的なものが豊かに備えられていたので,その点で飢えたり,渇いたりはしませんでした。その上,エホバが西暦70年にユダヤ人の事物の体制を滅ぼした時,ご自分の怒りを燃え立たせて,その熱をクリスチャンに受けさせたりはなさいませんでした。啓示 7章16節の言葉は,今日の大群衆にも同様に霊的な仕方で成就しています。彼らは油そそがれたクリスチャンと一緒に,豊富な霊的な備えを享受しています。―イザヤ 65:13。ナホム 1:6,7。
29 もし,あなたがこの大群衆の一人でしたら,たとえサタンの体制の終末期の何年かの間,窮乏や圧迫のためにどんなにか忍耐しなければならないとしても,ご自分の心の良い状態のゆえに「喜び叫ぶ」ことでしょう。(イザヤ 65:14)今でさえ,エホバはそのような意味で,『あなたの目からすべての涙をぬぐい去る』ことがおできになります。神の不利な裁きという酷熱の「太陽」があなたを脅かすことはもはやありませんし,滅びをもたらす四方の風が放たれる時,あなたはエホバの不興という「炎熱」からも守られることでしょう。その滅びが終わった後,子羊は生気を回復させる「命の水の泉」の益に十分あずかれるよう,あなたを導かれるでしょう。その水は永遠の命を得られるようエホバがあなたのために設けておられる備えのすべてを表わしています。あなたはやがて完全な人間の状態に引き上げられることにより,子羊の血に対するあなたの信仰の正しさが立証されるでしょう。大群衆に属するあなたは,死ぬ必要さえなかったあの「万民」,つまり何百万もの人々の一つのグループとして人類の中で特異な存在となるでしょう! あなたの目から,完全な意味で涙がことごとくぬぐい去られることでしょう。―啓示 21:4。
召しを確かなものにする
30 ヨハネの幻の中で,わたしたちのためにどんな壮大な展望が開かれますか。だれが「立ち」得るでしょうか。
30 これらの言葉はわたしたちのために何という壮大な展望を開いてくれるのでしょう。エホバご自身はその王座に座しておられ,天と地の僕たちはすべて,一致してこの方を賛美しています。地上の僕たちは,増大するこの賛美の合唱に加わることが,どんなに畏怖の念を起こさせる特権かを認識しています。エホバとキリスト・イエスは実際,間もなく裁きを執行なさり,『彼らの憤りの大いなる日が来た。だれが立ちえようか』という叫び声が上がるでしょう。(啓示 6:17)その答えですか。それは,証印を押された14万4,000人のうち,なお肉の体で残っているかもしれない人たちと,彼らと共に『立つ』,つまり生き残るほかの羊の大群衆を含め,人類の中の少数の人々だけでしょう。―エレミヤ 35:19。コリント第一 16:13。
31 ヨハネの幻の成就は,油そそがれた者と大群衆の両方のクリスチャンにどのような影響を及ぼすはずですか。
31 このことを考えて,ヨハネ級の油そそがれたクリスチャンは,『キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走る』よう精力的に努力しています。(フィリピ 3:14)彼らはこの時代の出来事のために特別の忍耐が要求されていることを十分知っています。(啓示 13:10)彼らは多年エホバに忠節に仕えた後,自分たちの名が「天に記された」ことを歓びとして,信仰を固守しています。(ルカ 10:20。啓示 3:5)大群衆の人たちもまた,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者」となることを知っています。(マタイ 24:13)大群衆はグループとしては大患難から出て来る者たちとしてしるし付けられていますが,その中の個人個人は活動的な清い状態を保つために努力しなければなりません。
32 ただ二つのグループだけがエホバの憤りの日に『立つ』ということは,どんな緊急な状況を強調していますか。
32 エホバの憤りの日に,これら二つのグループとは別に『立つ』者がだれかいることを示す証拠は一つもありません。このことは,毎年イエスの死を思い起こす記念式の祝いに出席して,その犠牲に対する感謝の念をある程度示しながらも,献身してバプテスマを受けて神への奉仕に活発にあずかるエホバの僕となる程度まで,イエスの犠牲に対する信仰をまだ働かせていない何百万もの人たちにとって,何を意味していますか。さらに,かつては活発でしたが,心を『生活上の思い煩いのために押しひしがれる』ままにしてしまった人たちについてはどうですか。そのような人たちすべてが,「起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子[イエス・キリスト]の前に立つことができる」よう,目を覚まし,そして目覚めていますように。時は縮まっています!―ルカ 21:34-36。
[脚注]
a 「参照資料付き 新世界訳聖書」の脚注をご覧ください。
b 「ものみの塔」誌(英文),1918年4月1日号,98ページ。
c 字義通りには,「彼の面前で」,ギリシャ語聖書王国行間逐語訳(英文)。
[119ページの囲み記事]
解き明かしは神によります
何十年もの間,ヨハネ級の人たちは大群衆の実体について探究していましたが,満足のゆく説明を見いだせませんでした。どうしてでしたか。「解き明かしは神によるのではありませんか」と述べた忠実なヨセフの言葉の中に,その理由を見いだせます。(創世記 40:8)神はいつ,またどのようにご自分の預言の成就を解き明かされるのでしょうか。普通,解き明かされるのは預言が成就する予定の時,あるいは成就の途上にある時ですから,観察力の鋭い神の僕たちはその音信をはっきりと識別することができます。そのような理解は,「わたしたちの教えのため……であり,それは,わたしたちが忍耐と聖書からの慰めとによって希望を持つためです」。―ローマ 15:4。
[124ページの囲み記事]
大群衆の成員は
■ すべての国民と部族と民と国語の中から来ます
■ エホバのみ座の前に立っています
■ 自分たちの長い衣を子羊の血で洗って白くしました
■ 救いをエホバとイエスに帰しています
■ 大患難から出て来ます
■ 神殿でエホバに昼も夜も仕えます
■ エホバの愛ある保護と世話を受けます
■ イエスによって牧され,命の水の泉に導かれます
[121ページ,全面図版]
[127ページの図版]
大群衆の救いは神と子羊とによります
[128ページの図版]
子羊は大群衆を命の水の泉に導かれます
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キリスト教世界に臨むエホバからの災厄啓示の書 ― その壮大な最高潮は近い!
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21章
キリスト教世界に臨むエホバからの災厄
第5の幻 ― 啓示 8:1–9:21
主題: 七つのラッパのうちの六つが鳴り響く
成就する期間: 1914年にキリスト・イエスが即位されてから,大患難の時まで
1 子羊が第七の封印を開くと,何が起きますか。
「四方の風」は,霊的なイスラエルの14万4,000人が証印を押され,大群衆が生き残るのをよしとされる時まで引き止められています。(啓示 7:1-4,9)しかし,その大暴風のようなあらしが地を襲う前に,サタンの世に対するエホバの不利な裁きも知らされなければなりません! 子羊が第七の最後の封印を開こうとしておられるので,ヨハネは何が現われるのかを見ようと,熱心に見守っているに違いありません。今や,ヨハネはその経験をわたしたちと共にします。「また,彼[子羊]が第七の封印を開いた時,約半時間のあいだ天に静寂が起こった。そしてわたしは,神の前に立つ七人のみ使いを見た。そして,七つのラッパが彼らに与えられた」― 啓示 8:1,2。
熱烈な祈りをささげる時
2 天で象徴的な半時間の静寂が起こる間,何が起きますか。
2 それは意味深長な静寂です! 何かが起きるのを待っている時の半時間は,長い時間のように思える場合があります。今や,絶えず響いていた天の賛美の合唱さえ,もはや聞こえません。(啓示 4:8)どうしてでしょうか。ヨハネは幻の中でその理由を知ります。「それから,別のみ使いが到着して祭壇のところに立った。黄金の香炉を携えていた。そして,み座の前にある黄金の祭壇の上ですべての聖なる者たちの祈りと共にささげるため,多量の香が彼に与えられた。そして,香の煙が,聖なる者たちの祈りと共に,そのみ使いの手から神のみ前に上った」― 啓示 8:3,4。
3 (イ)香がたかれることから,何を思い起こさせられますか。(ロ)天で半時間静寂が起こるのは何のためですか。
3 このことは,ユダヤ人の事物の体制のもとで香が毎日幕屋で,また後代にはエルサレムの神殿でたかれたことを思い起こさせます。(出エジプト記 30:1-8)香がそのようにたかれる間,祭司でないイスラエル人は,神聖な場所の外で待ちながら,香の煙が上って届いたその方に,多分黙って心の中で祈ったことでしょう。(ルカ 1:10)ヨハネは今や,それと同様のことが天で起きているのを見ます。み使いがささげた香は,「聖なる者たちの祈り」と結び付けられています。実際,もっと前の幻の中では,香はそのような祈りを表わしていると言われています。(啓示 5:8。詩編 141:1,2)ですから,天の象徴的な静寂さのおかげで,地上の聖なる者たちの祈りが聞き入れられようとしているようです。
4,5 象徴的な半時間の静寂に対応する時期を確かめるのに,どんな歴史的な出来事が役立ちますか。
4 それがいつ起きたかを確かめることができますか。文脈と共に,主の日の初期の歴史的な出来事を調べれば,確かめることができます。(啓示 1:10)1918年と1919年中の地上の出来事は,啓示 8章1節から4節に述べられているシナリオと驚くほどよく調和していました。1914年以前の40年間,聖書研究者 ― 当時,エホバの証人はそのように呼ばれていた ― は,異邦人の時がその年に終わることを大胆に告げ知らせていました。1914年の悲惨な出来事は,それらの人たちが正しかったことを証明しました。(ルカ 21:24,ジェームズ王欽定訳; 日本聖書協会発行,文語聖書。マタイ 24:3,7,8)しかし彼らの多くはまた,1914年にこの地から取られて,天の相続物を受け継ぐようになると信じていましたが,それは起きませんでした。それどころか,最初の世界大戦中,厳しい迫害の時期に遭遇しました。1916年10月31日には,ものみの塔協会の初代会長,チャールズ・T・ラッセルが亡くなりました。その後,1918年7月4日に,新しい会長ジョセフ・F・ラザフォードと当協会のほかの7人の代表者たちは,不当にも長期間の服役刑に処せられ,米国ジョージア州アトランタ市の連邦刑務所に護送されました。
5 ヨハネ級の誠実なクリスチャンは途方に暮れてしまいました。神は次に何を彼らに行なわせたいと考えておられたのでしょうか。彼らはいつ天に連れて行かれるのでしょうか。1919年5月1日号の「ものみの塔」誌(英文)には,「収穫は終わった ― 次に何が起こるか」と題する記事が掲載されました。この記事はその不安な状態を反映していましたが,引き続き忍耐するよう忠実な人たちを励まし,こう付け加えました。「わたしたちは今こそ確かに,王国級の人々の収穫は既成事実であり,それらの人々はすべて正式に証印を押されており,またその扉は閉ざされていると言うことができると思います」。この困難な期間中,ヨハネ級の人たちの熱烈な祈りは,あたかも多量の香の煙のように上っていました。そして,彼らの祈りは聞き届けられていたのです!
火を地に投げつける
6 天の静寂の後,何が起きますか。それは何に呼応していますか。
6 ヨハネはわたしたちにこう語ります。「しかし,み使いはすぐに香炉を取り,それに祭壇の火をいくらか満たして地に投げつけた。すると,雷が生じ,声と稲妻と地震が起こった」。(啓示 8:5)その静寂の後,突如,劇的な活動が生じます! それは明らかに,聖なる者たちの祈りに呼応しています。というのは,その活動は香の祭壇から取った火によって起こされているからです。西暦前1513年当時,シナイ山で生じた雷や稲妻,大きな音,火,および山の震動は,エホバがご自分の注意をその民に向けておられることを示す合図でした。(出エジプト記 19:16-20)ヨハネが報告している類似の現象も,同様にエホバが地上のご自分の僕たちに注意を向けておられることを示唆しています。しかし,ヨハネの観察する事柄は,しるしにより示されています。(啓示 1:1)では,今日,象徴的な火,雷,声,稲妻,および地震をどう解釈すべきでしょうか。
7 (イ)イエスは宣教に携わっていた時,どんな象徴的な火を地上で燃やされましたか。(ロ)イエスの霊的な兄弟たちは,どのようにキリスト教世界で火をつけましたか。
7 イエスはある時,ご自分の弟子たちに,「わたしは地上に火をおこすために来ました」とお告げになりました。(ルカ 12:49)確かにイエスは火を燃やされました。イエスは熱心な宣べ伝える業によって神の王国をユダヤ人の前で最大の論争点とされたので,その国の至る所で激しい論争が引き起こされました。(マタイ 4:17,25; 10:5-7,17,18)1919年に,第一次世界大戦の苦難の日々を生き残った,油そそがれたクリスチャンの小集団である,イエスの地上の霊的な兄弟たちは,キリスト教世界で同様の火をつけました。その年の9月に,エホバの忠節な証人たちが至る所から米国オハイオ州シーダーポイントに集まった時,エホバの霊の働きが驚くほどはっきり見えました。刑務所から出てまだ日が浅く,訴えがすべて取り下げられようとしていたジョセフ・F・ラザフォードは,その大会で大胆な講演を行ない,「わたしたちの主の命令に従順に従うと共に,非常に長い期間人々を束縛してきた誤りのとりでに対して戦いをする自分たちの特権と務めを認識するわたしたちの使命は,来たるべき輝かしいメシアの王国を告げ知らせることでしたし,また今もそうなのです」と述べました。これこそ主要な論争,つまり神の王国を巡る論争なのです!
8,9 (イ)J・F・ラザフォードは,何年かの困難な戦時中の神の民の態度や願いをどのように述べましたか。(ロ)どのようにして火が地に投げつけられましたか。(ハ)雷,声,稲妻,および地震はどのように起きましたか。
8 講演者は,当時の神の民が遭遇してまだ日の浅い辛い経験に言及して,こう述べました。「敵は実に情け容赦のない猛攻撃を行なったため,主の愛する羊の多くは,驚きのあまりぼう然とし,立ちすくみ,ご意志を示してくださるよう主に祈りながら待っていました。……しかし,一時的に落胆させられたとはいえ,王国の音信をふれ告げたいという燃えるような願いを抱いていました」。―1919年9月15日号,「ものみの塔」誌(英文),280ページをご覧ください。
9 その願いは1919年に満たされました。クリスチャンのこの小さな,しかし活発なグループは,世界的な規模で宣べ伝える運動を始めるよう,霊的な意味で燃え立たされました。(テサロニケ第一 5:19と比較してください。)神の王国が焦眉の係争問題とされて,火が地に投げつけられたので,この状態はまさしく今後もそのまま続きます! 王国の音信をはっきりと伝える強力な声が,静寂に取って代わりました。聖書からの雷雨のような警告が鳴り響きました。さん然と輝く真理の光が,きらめく閃光のように,エホバの預言的なみ言葉から輝き渡り,あたかも強力な地震によるかのように,宗教界は根底から揺り動かされました。ヨハネ級の人たちは行なわねばならない業があることを知りました。そして,その業は今日に至るまで,人の住む全地の至る所で,まさに輝かしい仕方で拡大しています!―ローマ 10:18。
ラッパを吹き鳴らす準備をする
10 七人のみ使いは今や何をする準備をしますか。それはどうしてですか。
10 ヨハネはさらにこう続けます。「そして,七つのラッパを持つ七人のみ使いがそれを吹く準備をした」。(啓示 8:6)それらのラッパを吹くことは,何を意味していますか。イスラエルの時代には,重要な日,あるいは注目すべき出来事を知らせる合図としてラッパの音が使われました。(レビ記 23:24。列王第二 11:14)同様に,ヨハネが聞こうとしているラッパの音は,生死にかかわる重要な事柄に注意を引くものとなります。
11 ヨハネ級の人たちは1919年から1922年にかけて,どんな準備の仕事に忙しく携わりましたか。
11 み使いたちはそれらのラッパを吹く用意ができたので,恐らく地上での準備の仕事をも導いていたことでしょう。生気を回復させられたヨハネ級の人たちは1919年から1922年にかけて,公の宣教を再組織し,出版事業の施設を確立するために忙しく働きました。1919年には,今日,「目ざめよ!」誌として知られている「黄金時代」誌が,「事実と希望と確信を差し伸べる月刊誌」として登場しました。それは偽りの宗教が政治に関与していることを暴露する点で主要な役割を演じる,ラッパのような道具でした。
12 各々のラッパの音により何が告げ知らされますか。それはモーセの時代の何を思い起こさせますか。
12 これから見てゆきますが,ラッパが各々吹き鳴らされる度に,恐るべき災厄が地の一部に影響を及ぼすことを示す劇的な場面について告げ知らされます。その災厄のあるものは,エホバがモーセの時代にエジプト人を罰するために送られた災厄を思い起こさせます。(出エジプト記 7:19–12:32)それはその国民に対する
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