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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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ミハイル・サビツキーはこう振り返ります。「この一致は,当時ソ連の証人たちが特に必要としていたものでした。エホバが愛をもって辛抱強く霊的な支えを与えてくださったことを本当に感謝しました。組織から離れていた一人の兄弟は,すぐにその雑誌を欲しがり,『ブラーツクや他の場所の兄弟たちに読んで聞かせたいので,それをください』と言いました。私は雑誌が1冊しかないことを話しましたが,1週間後には必ず返すとのことでした。兄弟はそのとおり雑誌を返しただけでなく,多くの会衆から長いあいだ提出されていなかった奉仕報告も持ってきました。何百人もの兄弟姉妹が,エホバの崇拝者の一致した家族に戻ったのです」。
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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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1986年から1995年まで巡回監督として奉仕したアレクセイ・ガブリャクは,こう語ります。「私たちは1965年にウソーリエ・シビルスコエで国内委員会と会いました。委員会の指示により,流刑や投獄や分裂などの理由で散らばってしまった兄弟姉妹をすべて捜し出し,再び会衆と交わるよう促すことになり,手始めに幾人かの住所を渡されました。私の区域には,トムスク州とケメロボ州,またノボクズネツク市とノボシビルスク市が含まれており,他の兄弟たちもそれぞれ違う区域を割り当てられました。私たちの仕事は,会衆や個々の群れを組織し,会衆内で責任を担う兄弟たちを任命して訓練することでした。さらに,禁令下の難しい状況の中で,文書を届けるための経路を確立し,会衆の集会を計画する必要がありました。短期間のうちに,組織との接触を失っていた84人の兄弟姉妹を訪ねることができました。エホバの『羊』が再びりっぱな羊飼いの声を聞き,神の民と共にエホバに仕えるようになったことを,とてもうれしく思いました」。―ヨハ 10:16。
やがて,離れていた人の多くが再び国内委員会と結び付き,野外奉仕報告を提出するようになりました。1971年までに,4,500人を超える伝道者がエホバの組織と再び結ばれます。1980年代半ばには,依然として禁令下にあったにもかかわらず,宣べ伝える業は引き続き行なわれ,新しい人たちが諸会衆に加わっていました。
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ロシア2008 エホバの証人の年鑑
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聖書文書の複写は困難でしたが,エホバはその仕事を祝福されました。1949年から1950年の間だけで,兄弟たちは様々な出版物の写しを4万7,165部も作って諸会衆に届けました。さらに,厳しい反対にもかかわらず,国内委員会の報告によれば,その同じ期間に国内で開かれた集会の数は3万1,488回に及びました。
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「家族以外に,私が印刷所で働いていることを知っている兄弟はほとんどいませんでした。晩にはだれも私の姿を見なかったので,会衆の兄弟姉妹は私の霊性を心配しました。私を励まそうとよく家を訪ねてくれましたが,私はいつも留守でした。厳しい監視下にあった当時,印刷所は極秘に運営しなければならなかったのです」。
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