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      私は聖書から学んだことをほかのろう者たちにも伝えたいと思いました。ろう者の心に響くようにするには,手話で伝えるのが一番です。私は自分の町のろう者たちに熱心に伝道し始めました。

      間もなく私は,大きな工業都市であるタンペレに引っ越しました。ろう者を探すために家を一軒一軒訪ねて,耳の聞こえない人を知らないかどうか聞きました。そのようにして幾つもの聖書レッスンを始めることができました。わずか数年で,タンペレの10人以上のろう者が伝道者になりました。

      1965年にマイレという素敵な姉妹と出会い,翌年結婚しました。マイレはすぐに手話を覚え,一緒にエホバに仕えた50年の間一生懸命奉仕し,私を本当によく支えてくれました。

      結婚式当日のマイレとタパニ

      1966年,結婚式の日

      結婚して2年後に,息子のマルコが生まれました。マルコは耳が聞こえるので母語はフィンランド語ですが,フィンランド手話も使えるようになりました。マルコは13歳の時にバプテスマを受けました。

      やがてタンペレの手話グループはかなり人数が増えました。それで1974年に,ろう者のエホバの証人がいないトゥルクという都市に引っ越しました。そこでも家を一軒一軒訪ねてろう者を探しました。トゥルクにいた間に,私と聖書を学んだ12人のろう者がバプテスマを受けました。

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    • ろう者を助けるための新たな取り組み

      1997年に,フィンランド支部で手話翻訳グループが立ち上げられました。私とマイレは近くに住んでいたので,手話のビデオなどを作るのを手伝うことができ,息子のマルコと一緒に働けました。後にマルコは妻のキルシと一緒に,他の手話翻訳グループをトレーニングするために幾つかの国に行きました。私は今でも時々手話への翻訳を手伝っています。

      タパニがスタジオでビデオの収録のために手話をしている。マイレを含む3人がモニターでその様子を見ている。

      フィンランド手話のビデオの制作を手伝っているところ

      支部は,聴者の伝道者が手話を学ぶための訓練コースも開いてきました。それにより多くの人が手話の会衆やグループに加わり,手話の伝道や集会に参加したり,会衆で責任を担ったりできるようになりました。

      ろう者を助けたいという思いは変わらない

      2004年,最初のフィンランド手話会衆がヘルシンキに設立され,私とマイレもそれに関わることができました。3年でその会衆は人数が増え,たくさんの開拓者がいるとても熱心な会衆になりました。

      私たちはまた必要の大きな所に移動する計画を立て始めました。2008年にタンペレの近くに引っ越し,34年ぶりにそこの手話グループに戻りました。1年後,その手話グループはフィンランドで2つ目の手話会衆になりました。

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