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『成長させてくださるのは神』です!ものみの塔 2008 | 7月15日
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み言葉を聞く人たちの責任
10 み言葉を聞く人がりっぱな土のようになるかどうかは,何によって決まりますか。
10 み言葉を聞く人たちについてはどうでしょうか。その人たちの示す反応はあらかじめ定められているのでしょうか。そうではありません。りっぱな土のようになるかどうかは,本人次第です。人の心の状態は良い方向にも悪い方向にも変化します。(ロマ 6:17)イエスは例えの中で,『ある人たちがみ言葉を聞くとすぐ』サタンがやって来てそれを取り去る,と言われました。しかし,そうなる必要はありません。ヤコブ 4章7節はクリスチャンに対して,「悪魔に立ち向かいなさい」と勧めています。そのようにすれば,悪魔は逃げ去ります。イエスの言葉によると,最初は喜んでみ言葉を受け入れても,つまずいてしまう人がいます。『自分に根がない』ためです。一方,神の僕は,「しっかり根ざして土台の上に堅く立つ」よう訓戒されています。それは,「幅と長さと高さと深さがどれほどであるか」を悟れるよう,また「知識を超越したキリストの愛を知る」ことができるようになるためです。―エフェ 3:17-19。コロ 2:6,7。
11 どうすれば,思い煩いや富がみ言葉をふさいでしまうことを避けられますか。
11 ある人たちの場合は,み言葉を聞いても「事物の体制の思い煩いや,富の欺きの力」が食い込んで来て,み言葉をふさいでしまいます。(テモ一 6:9,10)どうすればそうなることを避けられますか。使徒パウロはこう答えています。「あなた方の生活態度は金銭に対する愛のないものとしなさい。そして,今あるもので満足しなさい。『わたしは決してあなたを離れず,決してあなたを見捨てない』と言っておられるからです」。―ヘブ 13:5。
12 りっぱな土によって表わされている人たちの結ぶ実の量が異なっているのは,なぜですか。
12 イエスはこの例えの最後に,りっぱな土にまかれた種が,「三十倍,六十倍,百倍の実を結ぶ」と言われます。み言葉にこたえ応じる人たちは心の状態がよく,実を結びますが,良いたよりをふれ告げる点でできることは各自の事情によって異なります。例えば,年齢や病弱ゆえに,宣べ伝える業にあずかれる時間が限られるかもしれません。(マルコ 12:43,44と比較。)この場合も,種まき人にできることはほとんど,あるいは全くないかもしれません。それでも,エホバが成長させてくださるのを見て,歓ぶことができます。―詩編 126:5,6を読む。
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