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  • ソロモン諸島
    1992 エホバの証人の年鑑
    • その島で伝道するよう開拓者たちを任命するのは困難でした。なぜならその部族の生活様式には訪問者に対する備えが全くなかったからです。しかし,大型建設機械のオペレーターをしている一人の兄弟が転勤でサンクリストバル島に移ってからは,先行きが明るくなり始めました。支部は早速この機会を活用し,業を始める可能性を調査するために,今では支部委員会のメンバーになっているジェームズ・ロノマエラナを特別開拓者としてサンクリストバル島に遣わしました。

      ジェームズは最初のうちたいへんな反対を耐え忍びながら島での証言を行ないました。ある日,「エホバの人たちは許可なく立入禁止!」と書いた警告のサインに出くわしてびっくりしました。しかし,そのようにがっかりさせられることは多くても,熱意がくじかれることはなかったので,胸の躍るような経験をすることができました。こう語っています。「ある村で,私は大きな家の前に来ました。その家の人はココナツ農園と牛を持っており,近所の人と比べて明らかにずっと裕福でした。それで私は,この人には真理を聞いている時間はないだろうと思い,向きを変えて家から遠ざかりました。でも歩き去りながら,自分で自分の臆病な行動をとがめだし,厳しくこう自問しました。『なぜおまえはこの場所から立ち去ろうとしているのだ』。それから勇気を出してこう答えました。『エホバが私をここへ遣わされたのだ。ひょっとすると,ここに来るのはこれが最後かもしれない。やはり家の人の所に行って話すべきだ』」。

      家に着くと,兄弟は家の持ち主オズワルド・オリとレーチェル・オリに会いました。ジェームズは,神がお名前を持っておられることや地球に対して目的を持っておられることを指摘して,熱心に話を始めました。この夫婦は神が地上に楽園を復興されることを知って大喜びしました。2回目の訪問で聖書研究が始まり,オズワルドとレーチェルはすぐに自分たちの生活を神の義の原則に合わせ始めました。オズワルドは教会に大口の寄付をしていたので,聖公会から激しい反対が起こったのは別に驚くほどのことではありませんでした。同じころ,区域をさらに切り開くために特別開拓者たちが任命されたため,そのことが地元の牧師たちの怒りをさらにあおり,牧師たちは開拓者たちの口を封じるために暴力を使うよう教会員に指図するほどでした。

      開拓者たちもオズワルドとその家族もおじけづきませんでした。ある時など,特別開拓者ハンクトン・サラタラウが関心を持った人に証言していたところ,聖公会の一員が声を張り上げて兄弟をののしり始めました。ハンクトン兄弟が失礼にならないようにその場を立ち去ると,その男は卑怯にも背後から兄弟に襲いかかり,鋭くとがった珊瑚の石の上に兄弟を殴り倒し,容赦なく15分以上体を蹴り続けました。村人たちは驚いて,恐ろしそうに見ていました。しかし,彼らは牧師たちをたいへん恐れていたため,兄弟を助けに来ようとはしませんでした。ハンクトン兄弟は頭と体を腕でかばいながら,どうすることもできず横たわっていました。血がべっとりと付いたその背中は,石で切られて生肉の塊のようになっていました。ついに,数人の村人が勇気を奮い起こして止めに入りました。彼らが男を捕まえて押しとどめている間に,ひどく痛めつけられたハンクトン兄弟は家に帰りました。

      残念ながら,いまだに多くの島民は教会への恐れというわなにとらえられています。とはいえ,中には真のキリスト教とキリスト教世界との違いに気づくようになった人もいます。時の経過と共に,4人の特別開拓者たちの忍耐は報われました。サンクリストバル島には,熱心に働く幸福な二つの会衆が繁栄しています。オズワルドとレーチェル,そしてその子供たち,さらにレーチェルの親族も今では恐れを知らない良いたよりの伝道者です。

      珍しい習慣

      他の島々と同様,マライタ島には,特に山岳地帯などの近づき難い地域が多くあり,そこにはキリスト教世界にも真のキリスト教にも接したことのない部族が住んでいます。たいてい彼らは先祖を崇拝していますが,アニミズムを信じている人もいます。

      以前の巡回監督で,現在8人の子供を抱える特別開拓者エルソン・シーテは,こうした地域の一部に見られる状況についてこう説明しています。「これらの部族の間では,衣服をほとんど,あるいは全く身に着けないのが習慣で,服を着た人がこうした村を訪れると怪しまれるか,村への立ち入りを禁じられることもよくあります」。

      こうした微妙な状況にどのように対処したのでしょうか。エルソンはこう続けます。「ある時,小さな会衆の人たちがある村に伝道に行きましたが,酋長はそれに反対して,村の中では兄弟も姉妹も服を一切身に着けてはいけないと言いました。兄弟たちは裸になるのはクリスチャンの習慣ではないと説明しました。神の言葉から重要な音信を伝えるためにはるばるここまでやってきたので,人々が良いたよりを聞くことを妨げるこの小さな問題をぜひとも解決したいと思いました。酋長は村の年長者たちとかなり長い時間相談した後,その日は兄弟たちが村人たちに伝道することはできないということになりました。しかし,その後の訪問がもっとうまくゆくようにする取り決めを設けました。村人たちは村の境界のすぐ外に草ぶきの家を建てると約束してくれました。兄弟姉妹たちがその家を使って,聖書の教えを聞きたいと思ってそこに来る村人たちと服を全部着たまま会うことができるようにするためです。村人たちは霊的な事柄について話すのが好きなので,この方法は本当にうまくゆきました」。

  • ソロモン諸島
    1992 エホバの証人の年鑑
    • [233ページの図版]

      特別開拓者のエルソン・シーテとその家族

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