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ソロモン諸島1992 エホバの証人の年鑑
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最初の支部事務所
「わたしたちの最初の支部事務所は,ホニアラのレンガキキリッジにあるボブ・シーコムの家の地下室に開設されました」と,1978年当時のことをフィンリー兄弟は書いています。その小さな地下室はそれまでにも神権的な事柄に使われていました。そこはガダルカナル島の最初の王国会館として,その後ソロモン諸島で最初の文書倉庫として使用されていました。しかしシーコム兄弟が建物の後ろに寝室の一つ付いた小さなアパートを作ってからは,その家は最初のベテルになりました。
フィンリー兄弟は続けて,「最初は,手動タイプライター1台と,手動複写機1台しかありませんでしたが,真っ青な海峡を一望する百万ドルの景色が見えました」と書いています。50年近く前の,1942年11月13日,その海峡は海軍史上最も激しい戦闘の舞台となりました。アメリカ人はそこを鉄底海峡と呼ぶようになりましたが,そう名づけたのは錆びついた船が数多く海面下に沈んでいるからです。
30年にわたる奉仕の後,シーコム兄弟と妻のジョーンは健康上の理由でオーストラリアに戻りました。兄弟たち自身の子供はいませんでしたが,その愛の労苦は数え切れないほど大勢の霊的な子供や孫たちにとって心温まる思い出になっています。
さて,フィンリー兄弟の報告に戻りましょう。「デントン・ホプキンソン兄弟が妻と共に1978年にフィリピンから到着しました。兄弟たちの大半はそれまで一度も地帯監督を見たことがありませんでした。続く数年間,2階建ての支部事務所とベテル・ホームの建設が行なわれました」。それはたいへんな仕事でした。ホニアラの兄弟姉妹たちは,かみそりのように鋭いさんごの巨大な塊を手で扱う道具だけを使って掘り出しました。支部の建設は長く困難な作業で,ほとんど3年かかりましたが,クリスチャン愛のすばらしい表われともなりました。さらに予期しなかった報いもありました。現場に集まった働き人たちの中には,後にエホバのために他の特別な方法で働くことになった人もいたのです。
10人の若い兄弟たちが,支部委員の一人,オーストラリア人で建築士でもあったロドニー・フレーザーのもとで全時間働くために現場にやって来ました。これらの自発奉仕者のほとんどは奥地の会衆の出身だったので,建設用工具をそれまでに一度も使ったことがありませんでした。しかし,フレーザー兄弟やオーストラリアからの他の大勢の兄弟たちと3年間一緒に働いた結果,彼らは建設のしっかりした技術を身に着けただけでなく,エホバの地的な組織の働きに対する感謝の念を深め,他の人に良いたよりを伝える際の技術も上達しました。
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ソロモン諸島1992 エホバの証人の年鑑
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[212ページの図版]
ガダルカナル島ホニアラにある支部事務所
[213ページの図版]
ジョーン・シーコムとボブ・シーコム,最初の支部事務所の前で
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