-
ソロモン諸島1992 エホバの証人の年鑑
-
-
「たった2週間で」
「たった2週間で」。この言葉はすぐにホニアラ市じゅうに広まりました。反応は,興味を示す人,驚く人,疑う人と様々でした。1,200席の大きな建物をどうやって2週間で建てることができるのでしょうか。先進国の進んだ設備から遠く離れたこの島でこんなことがどうして起こり得るでしょうか。
この計画の成功の鍵は最新の技術でも,個人の技能でもありませんでした。それでも,輸送や土木事業が数日とか数週間の単位ではなく,数か月とか数年の単位で計画されるこの国で,サイクロンに耐えながらも快適で,ステージと音響設備のついた大会ホールがどうしても必要でした。
基礎の形ができるにつれ,地元の人々の関心は高まりました。しかし,多くの人は基礎を見て完成後の建物の大きさが分かり始めると,疑いの気持ちを募らせながら眺めていました。人々は「どうやってこの大きな建物をたった2週間で建てるのかね」と尋ねました。
間もなく大きな鉄骨を積んだコンテナが届き,船から荷揚げされました。ホニアラの政府職員はとても協力的でもの分かりのよい人たちで,わざわざ輸入手続きまで説明してくれました。ソロモン諸島当局もオーストラリアの証人たちだけからなる自発奉仕者約60人がホニアラに来て,丸2週間の建設期間中,地元の証人たちと一緒に働く許可を与えてくれました。兄弟たちは役人たちの思いやりと援助を本当に感謝しました。
1991年6月7日,ホニアラ空港についた建設チームは,黒い顔に宝石のように輝く白い歯でにっこりと笑う兄弟たちと,花の首飾りと,この国際的な兄弟関係を特異なものとしている愛による歓迎を受けました。最初は恥ずかしがっていましたが,すぐ次の日からみんなでエホバの崇拝のための大きな家の建設に取りかかると,間もなくその気持ちは消え去りました。どの職人も,一緒に働くように割り当てられた人たちに喜んで自分の技術を教えました。ある地元の仕入れ業者は鉄骨の骨組みを見上げながら,驚いてこう言いました。「昔25㌧の鉄骨を組み立てる仕事をやったけど,その時は3か月かかった。でも,あんたたちは30㌧をたった2日半で仕上げてしまった」。
速成の大会ホールの建設が始まってからちょうど15日後に最初の集まりが開かれました。滞在していた兄弟姉妹たちの出発の時はあっという間に来てしまいました。空港での光景は到着の時とよく似ていました。花の首飾りをかけ,みんなくたくたになるまで握手や抱擁をしました。ただ今回違っていたのは,ほとんどだれの目にも涙があふれていたことでした。
-
-
ソロモン諸島1992 エホバの証人の年鑑
-
-
[249ページの図版]
サイクロンにも地震にも耐える構造の骨組みが姿を現わす
ガダルカナル島ホニアラにある1,200席の「大きな建物」
-