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声聖書に対する洞察,第1巻
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使徒パウロは「人間やみ使いの……ことば」のことを述べ,霊者が言語を用い,話をすることを示しています。(コリ一 13:1)み使いもエホバ神ご自身も,人間が聞いて理解できる音声と言語を用いて話したことがあります。しかし,天における相互の意思伝達に用いられる声がこれと同じものであると考えてはなりません。人間の耳で聞いて理解できる声の音波を伝達するには,地球を取り巻いているような大気が必要だからです。
したがって,神やみ使いが人間の聞こえるところで声を出して話したといっても,それは話を音波に変換して表わしたものなのです。それは,み使いが人間の視界に現われる際に物質の体を着けるか人間の脳裏に映像を伝えるかすることが必要だったのと同じです。今日では人間の科学者でさえ,人の声の音波の型を電気のインパルスに変えることができます。そのインパルスは受話器に伝達され,受話器はそのインパルスをその人の声に非常によく似た音に還元することができます。
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声聖書に対する洞察,第1巻
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み使いの声 ほかの時にも神は『話されました』が,その時にはみ使いが,神を代表する者として用いられて,声による表示を行ないました。ホレブ山でモーセに,またその山のふもと付近に集まったイスラエルに話したのは,神を代表していたみ使いたちでした。(出 34:4-7; 20:1-17; ガラ 3:19)これらみ使いたちは,何ら目に見える外観を取らないこともありました。震動し煙る山から声が聞こえてきた時などがそうです。(出 20:18,19; 申 4:11,12; ヘブ 12:18,19)また,時には幻の中に現われることもあり(ダニ 8:1,15,16; 啓 14:15-18),物質の体を備えて人間の形になり,人々に音信を語ったことも数回あります。―創 18:1-3,20; 19:1; ヨシュ 5:13-15。
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