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ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
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エジプト出身のギレアデ卒業生,デミトリウス・アツェミスが最初にスーダンに入ったのは1949年のことでした。エジプトのように,ハルツームの川岸は,キュウリやニラやタマネギの畑で緑に覆われていました。川の近くにある幾つかの道では,大きなバンヤンノキの木陰が有り難いくつろぎの場所を作りだしています。しかし,こうした緑豊かな地域は幅が狭く,すぐに荒涼とした砂漠に変わります。どこを見ても茶色です。空は茶色,地面も茶色,泥のレンガで作った家も茶色,そして多くの人の服も茶色です。
それに焼けつくような暑さがあります。気温は夜間でも39℃です。日なたでは温度計が60℃にまで上がります。水道管がむき出しになって日に当たっているので,“冷たい”シャワーを浴びようと思っても,最初に少しの間水を捨てなければ,火傷をしてしまいます。
このような状況のもとで,アツェミス兄弟は忙しく働きました。主にオムドルマンで宣べ伝え,600件の予約を得ました。それから兄弟はエジプトに戻る前にワドマダニという名の比較的小さな工業都市へ行きました。
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ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
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1953年にアツェミス兄弟はカイロから戻り,今回は5か月とどまって,ハルツームの区域を組織的に網羅できるように取り決めました。オルファニデスという名前の3人兄弟が真理に入ったとき,アツェミス兄弟は報いを受けました。
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ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
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アツェミス兄弟は定期的に訪問を続けました。1955年に,協会はエマニュエル・パテラキスというもう一人の宣教者をハルツームに遣わすことができました。兄弟は,10か月間滞在することができました。
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