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ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
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困難な状況のもとで成長するスーダン
スーダンで伝道者の数が新最高数の101人になるには,1974年の8月から1976年まで,2年かかりました。この時期の特色は緊張が見られたということです。クーデターの未遂事件が頻繁に起こり,政治に対する不信感が満ちあふれていました。時々,伝道者や長老たちが警察から尋問を受けました。物価の上昇や品不足を伴う経済的な困難によって,多くの人は物質的な事柄を心配し,そのとりこにされてしまいました。そのため伝道者の増加は遅々としていました。1981年4月になっても,最高数はまだ102人でした。
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ケニアとその近隣諸国1992 エホバの証人の年鑑
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1982年に開拓者精神が燃え上がりました。この結果あふれんばかりの祝福がありました。5年間に開拓者の数は7人から86人に増加しました。ある月には,全伝道者の39%が全時間奉仕に携わりましたが,その月は,正午の平均気温が摂氏40度を超えるという,1年の中でも極めて暑い月でした。1987年までには300人余りが活発に伝道し,キリストの死の記念式には約1,000人が出席しました。会衆の伝道者は毎月平均20時間を野外宣教に費やしました。
非常に大勢の若者たちが急速に霊的な進歩を遂げ,奉仕の僕として,またそのうちに長老として任命される資格を備え,こうして会衆はさらに強められました。ついにナイル川の向こうの由緒ある都市オムドルマンに,1987年に会衆が設立されました。その会衆の区域には100万人の人が住んでいます。さらにポートスーダン市にも証人たちの群れができました。
しかし,こうした増加のほとんどは南部の人たちの間に見られました。彼らは,顔や体にたくさんの切れ込みや装飾を付けていることが多い,運動選手のような体格をした,肌が黒く背の高い人たちです。北部のスーダン人やエジプト系の人々も真理を受け入れ,様々な難民も人類のための神の希望の光を見てきました。どの人々も忍耐しつつ熱心にエホバに仕えてきました。
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