-
スリナム1990 エホバの証人の年鑑
-
-
次に,リンダウ兄弟は,「今度は攻勢をかける番です!」と発表しました。ある古い人はこのように回顧しています。「兄弟は,家から家に『子供たち』の本を配布するよう私たちを招待しました。最初,私は躊躇していましたが,リンダウ兄弟は,『成功するか失敗するかのどちらかです』と私に言いました。それで,私は鞄の中に書籍を詰め込み,会館の周辺に住んでいる人々にその新しい出版物を提供しました。うれしいことに,私の鞄は短時間のうちに空になりました」。
しかし,書籍を配布するよりも講演を行なうことを好んだ幾人かの兄弟たちは,『我々はものみの塔協会とは何の関係もない。我々が信じているのはラッセル師だ』と不平を鳴らしました。そのため,彼らは「失敗」しました。もっとも,大部分の兄弟たちは書籍の運動を支持しました。しかし,兄弟たちは訓練の必要性も感じました。続く月々はその訓練を施す期間となりました。
漸進的な教育の年
1946年9月にパラマリボ会衆で神権宣教学校が始まりました。同じ月に,王国会館で公の話を行なう運動がスタートし,宣伝ビラは警察をはじめ,一般の人々の注目を集めました。
最初の話を目前に控えた水曜日に,話し手が警察に呼び出されました。警官は,「ものみの塔協会が活動するのは我が国が最初か」と質問しました。実際のところ,スリナムは協会が到達した最後の国々に入ることを知ると,警察は反対を差し控えました。以来,公開集会はずっと開かれています。
-
-
スリナム1990 エホバの証人の年鑑
-
-
同じ月に,兄弟たちは「ものみの塔」誌と「目ざめよ!」誌を前面に掲げて,ビジネス街を行進しました。伝道者たちの周囲には好奇心を抱く通行人が集まりました。ロバに乗って馬車を引いていたある男性は,雑誌を持った姉妹を見かけると,姉妹がいる曲がり角に直接馬車を差し向けました。雑誌が欲しかったのです。その日の午前中に配布された雑誌は101冊に上りました。本格的な街路伝道が始まったのです。
-