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スリナム1990 エホバの証人の年鑑
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フレデリックは巡礼者たちと同じように,聖書の真理を分かち合う方法を模索しました。その結果,彼は職場で大工のウィレム・テルフトに証言しました。その大工は自分の聞いた話が気に入り,自分の友人と共に,「真摯な聖書研究者」の集会に出席し始め,研究者の数は3人から5人に増加しました。
ブライワイト兄弟はそれらの集会に対する認識を示しました。何年か前にウィレム・テルフトはこう述べました。「ブライワイト兄弟は貧しかったにもかかわらず,いつも集会のためにプレスしたての白いスーツを着ていました。兄弟は経済的に食事をする余裕がないときには,空腹でおなかがグーグーと鳴っているのが聞こえる日もありました。それでも兄弟は,どの集会もいつもどおりに熱心に司会しました」。
ブライワイト兄弟の模範に鼓舞されたウィレム・テルフトは,1919年2月19日にバプテスマを受け,その後,王国の関心事を拡大する面で顕著な役割を果たしました。
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スリナム1990 エホバの証人の年鑑
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証人たちに共感を覚えた店の主コルネルス・フォイフトが,日曜日の晩になると,自宅の2階に自分のレコード・プレーヤーと強力なスピーカーを据え付けたのです。テルフト兄弟はこう述べています。「それから,フォイフトはローマ・カトリックのミサのレコードをかけ,次に宗教音楽を流しました。その後,人々が十分に集まると,レコードを交換し,音量を目一杯上げました。すると協会の2代目の会長ジョセフ・F・ラザフォードの声が,突然聴衆の間に鳴り響き,ずっと遠くまで伝わりました」。
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スリナム1990 エホバの証人の年鑑
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[199ページの図版]
1919年にバプテスマを受けたウィレム・テルフトは,後に国内の王国会館の建築者になった
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