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スリナム1990 エホバの証人の年鑑
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それでも,1910年から1914年にかけて,一部の忠実な人たちはドンク兄弟のあとに付いてニッケリー郊外の干拓地<ポルダー>に出かけ,カカオ農園の排水路の中に入って,バプテスマを受けました。「そのバプテスマを見物するために何百人もの人が集まりました」と,現在86歳になるジェームズ・ブラウンは述べています。彼自身,その光景をうっとりと眺めていたのを覚えています。そのときドンク兄弟は,衣服を身に着けたままの新しい弟子を水に浸けて,「父の名において」と大声で述べました。次いで兄弟は,同じ人に2回目の浸礼を施して,「子の名において」と叫び,さらに3回目には,「聖霊の名において」と述べました。そのバプテスマを施し終えると,兄弟は見物人のほうを振り返って,「来てください! バプテスマを受けて,生き長らえてください!」と叫びました。中にはやって来た人々もいましたが,そのほとんどは,1914年に世が終わるのではないかという恐れからバプテスマを受けました。1914年が到来して過ぎ去ると,その相当数が離れ去りました。
「神の王国が来た」
しかし,1920年ごろ,力強く前進していた聖書研究者たちは,米国から船で来た一人の兄弟が「創造の写真劇」を上映したとき,士気を大いに高められました。
ジェームズ・ブラウンはこう述べています。「それは町じゅうの話題になりました。私は早くからカカオ農園の倉庫に出かけて,前列に席を取りました。その場所は500人の人々で一杯になりました。上映が開始されました。私はそのようなもの ― スライド,映画,音楽 ― を一度も見たことがありませんでした。ある男性は立ち上がって,『今晩,ニッケリーに神の王国が来た!』と言いました」。
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スリナム1990 エホバの証人の年鑑
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[197ページの図版]
リーン・バイテンマンとジェームズ・ブラウンは,1920年ごろに見た「創造の写真劇」を鮮明に覚えている
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