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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1990
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なぜ福音を宣明するか

主要宗派の教会員の減少と関連のある点として,教会に通う人々が福音宣明をあまり行なっていないことを指摘する権威者がいます。この問題を憂慮したキリスト合同教会は1988年に,「福音宣明と教会員の増加」という問題を4年間の最重要課題として取り上げました。

セントピーターズバーグ・タイムズ紙が伝えるところでは,長老教会や監督教会を含め,米国の他の主要教派も同様の措置を講じました。しかし最近,キリスト合同教会の200余りの会衆を対象にして行なわれた調査によると,同教会の160万人の会員のうち,かなりの人々が,自分の信仰を他の人に語ることにほとんど関心を示しませんでした。「良いことをしていれば,どうして人に話す必要があるだろうか」と尋ねた会員もいれば,「信仰に即した生活を送っていれば,それについて話す必要はない」と言った人もいました。

しかし,「アメリカの主要宗教」という本の中で,共著者のウェード・クラーク・ルーフは,「人が自分の宗教的また霊的な生活についてどのように語るかは,信仰そのものの存続と切っても切れない関係にある」ことを認めています。

「良いことをして」,「信仰」を持つだけで,神を喜ばせることができるのであれば,「もし良いたよりを宣明しなかったとすれば,わたしにとっては災いとなるのです」とパウロが書いたのはなぜでしょうか。パウロは,ローマにいる仲間の信者にこう説明しました。「その『あなたの口の中にある言葉』,つまり,イエスは主であるということを公に宣言し,神は彼を死人の中からよみがえらせたと心の中で信仰を働かせるなら,あなたは救われるのです。人は,義のために心で信仰を働かせ,救いのために口で公の宣言をするからです」。―コリント第一 9:16。ローマ 10:9,10。

性の商品化

少年誌を含め,日本の各種出版物に掲載された約1,100編のマンガのうち,半分以上には性行為の描写があった,と福富護教授は語っています。同教授の指導のもとで,1か月間に購入された390冊余りの雑誌類を対象にした調査が東京で行なわれました。

『性行為[の描写]も,嫌がる女性に男性が[性交を]強要,最後になって女性も積極的に応じる,というパターンがほとんどだ』と,福富教授は述べています。日本の人気雑誌に掲載された写真6,861枚を分析したところ,「挑発的なポーズの女性を撮った」ものがほぼ80%に上った,とザ・デーリー・ヨミウリ紙は伝えています。写真の女性の大半は「下着姿や水着姿や裸体で」,着衣の写真は40%にすぎなかったのに対し,男性の場合は,調査した写真の75%が着衣姿でした。

こうした性の商品化は,若者たちにどんな影響を与えるでしょうか。聖書の箴言の書は,「良い動機の欠けた」若者が売春婦の家に引き寄せられてゆく様子をありありと描写しています。(箴言 7:7,参照資料付き聖書,脚注)売春婦のほうはどうですか。「今は戸外に,今は公共広場にと,彼女はすべての角の近くで待ち伏せする。そして彼をつかまえ(た)」と記されています。(箴言 7:8-13)現代では印刷物のページでさえ,若者を『つかまえようとして待ち伏せ』しています。しかし聖書は,「あなたの心がその女の道へそれて行くことがないように。その通り道にさまよい込んではならない」と訓戒しています。―箴言 7:25。

“より良い”クリスチャンはどちらか

「兵士になるか良心的兵役拒否者になるかに関して,クリスチャンがどんな決定をするにしても,自分のほうが他の人よりも程度の高いクリスチャンであると主張したり,自分とは違う立場をとる人がクリスチャンなのかどうか疑ったりすることは間違いであろう」。

これは,ドイツ福音ルーテル教会協議会が1989年7月に発表した声明です。なぜこのように述べたのでしょうか。兵役につくよりも良心的に兵役を拒否するほうがクリスチャンであることの「積極的なしるし」になるという,一部の教会員が示している見方に対抗するためである,と関係者たちは言いました。同協議会は,クリスチャンが「個人的に暴力を避けること」によって戦争を除去することは可能だと認めたものの,平和を保障するために軍事力をもって暴力と戦うことによっても,そうすることができると論じました。

エドワード・ギボンは自著,「キリスト教の歴史」の中で,1世紀のクリスチャンは,「民政や帝国の国防に積極的に参加することを一切拒んだ」ゆえに,「クリスチャンがより神聖な義務を放棄することなしに兵士や行政長官あるいは君主の地位に就くことは考えられない事柄であった」と書いています。

ですから問題は,“より良い”クリスチャンはどちらかということではなく,初期のキリスト教に反する生き方をしようとする人が実際に本当のクリスチャンなのかということです。パウロはこう書きました。「わたしたちは肉において歩んではいても,肉における自分の様にしたがって戦いをしているのではないからです。わたしたちの戦いの武器は肉的なものではな(いのです)」― コリント第二 10:3,4。

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