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  • タヒチにおける,楽園についての良いたより
    ものみの塔 1997 | 10月15日
    • 1959年までには最初の会衆が作られました。

  • タヒチにおける,楽園についての良いたより
    ものみの塔 1997 | 10月15日
    • 「到着すると,私は『ものみの塔』研究,神権宣教学校など,何もかも自分で始めなければならないことに気づきました。それは容易なことではありませんでしたが,私たちはエホバの保護と助けを経験しました。エホバは何度か私たちが住まいを見つけるのを手伝ってくださいました。その後,反対者のグループがエホバの証人を島から追い出そうとした時には,地元の政治家の一人が私たちを擁護してくれました。本当に,エホバはずっと見守っていてくださったのです」。現在,フアヒネ島には会衆が二つあります。23人の奉仕者から成るフランス語会衆と,55人の奉仕者から成るタヒチ語会衆です。

  • タヒチにおける,楽園についての良いたより
    ものみの塔 1997 | 10月15日
    • 1969年,エレン・マプは特別開拓者に任命され,半島で奉仕することになりました。「半島では関心が非常に高く,わずかの間に多くの聖書研究が始まりました」とエレンは言います。まもなく,ヴァイラオに小さな会衆ができましたが,長老が不足していました。そのうちに,約35㌔離れたパパラに当時住んでいたコルソン・ディーンが援助できるようになりました。「ヴァイラオで奉仕するためには,物事をよく組織する必要がありました」と,ディーン兄弟は言います。「私は島の反対側にある,ヴァイラオから約70㌔離れたファアアで働いていました。仕事が終わると,家に飛んで帰り,家族を車に乗せ,それからヴァイラオに向かわなければなりませんでした。後に,仕事の関係でファアアに移転しなければならなくなりました。それでもヴァイラオ会衆を援助することができるでしょうか。私たちはヴァイラオの兄弟たちを本当に助けたいと思っていたので,通いつづけることにしました。集会の夜は,真夜中になる前に家へ帰れることなどめったにありませんでした。車のない人たちをあちこちの家に送って行かなければならなかったからです。私たちはこのことを5年間行ないました。現在,島のその地域に4つの会衆があるのを見るのは大きな喜びです。そして,当時のことは私たちにとって良い思い出です」。

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