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    聖書に対する洞察,第1巻
    • ダビデがはじめた音楽組織はソロモンの神殿においてすっかり現実のものとなりました。その神殿の献納式の際の音楽がいかに壮麗で大規模なものであったかは,ラッパを吹く者だけでも120人を数えたという事実から知ることができます。(代二 5:12,13)しかし,イスラエル国民がエホバに対する忠実さの点で生ぬるくなるにつれて,音楽をも含めて真の崇拝のあらゆる特色が損なわれました。しかし,ヒゼキヤ王やヨシヤ王が改革を行なった時に,またユダヤ人たちがバビロンでの流刑から帰還した時にも,音楽の取り決めを復興する努力が払われました。エホバがそれを望んでいることを示しておられたからです。(代二 29:25-28; 35:15; エズ 3:10)後に,ネヘミヤがエルサレムの城壁を奉献した時,レビ人の歌うたいたちは正規の楽器の伴奏に合わせて歌い,その式典の喜びに大いに貢献しました。(ネヘ 12:27-42)聖書は,ネヘミヤの時代以後の神殿での崇拝に関連した音楽についてはそれ以上何も述べていませんが,タルムードのような他の記録は,音楽が西暦70年のエルサレム滅亡の時まで用いられていたことを示しています。

      エルサレムの神殿で音楽関係の務めに就いた人々の数はどれほどでしたか

      ダビデはエホバの神殿のための様々な準備に関連して,4,000人のレビ人たちを音楽の奉仕のために取り分けました。(代一 23:4,5)そのうちの288人は「エホバへの歌の訓練を受けた」者たちで,「みな専門家」でした。(代一 25:7)この取り決め全体は,3人の老練な楽士たち,すなわちアサフ,ヘマン,エドトン(エタンとも呼ばれたと思われる)の指揮下に置かれました。これらの人たちはレビの3人の息子たち,すなわちゲルショム,コハト,メラリのそれぞれの子孫でしたから,神殿のための音楽組織においてレビ人の三つの主要な氏族を代表していたことになります。(代一 6:16,31-33,39-44; 25:1-6)これら3人の人たちの息子は全部で24人で,全員が前述の288人の熟練した楽士たちのうちに含まれていました。息子たちは一人一人くじによって楽士たちのそれぞれの組の頭に任命されました。その指揮下にはさらに,自分の息子たちや他のレビ人の中から選ばれた11人の「専門家」たちがいました。このように,288人([1+11]×24=288)の専門のレビ人の楽士たちは,祭司たちと同様に,24の単位に分けられていました。もし残りの3,712人の『学ぶ者たち』がこのように分けられていたとしたら,24の組のそれぞれには平均してさらに155人ほどの人々が加えられることになります。つまり,専門家一人につき音楽の教育と訓練の様々な段階にあるレビ人が約13人いたということです。(代一 25:1-31)ラッパを吹く者たちは祭司だったので,レビ人の楽士たちに加えて数えられます。―代二 5:12。民 10:8と比較。

      器楽 聖書は12種類あまりの楽器に言及していますが,それらの楽器の形や造りに関してはほとんど何も情報を提供していません。そのため,大抵の学者は専ら,同時代の周囲の諸国民が用いていた楽器に関して考古学者たちが発見した事柄に頼っています。しかし,そうした事柄は必ずしも信頼できる導きとはならないかもしれません。というのは,イスラエルの音楽は近隣の国民の音楽よりも優れていたと思われるからです。さらに,聖書に出て来る様々な楽器を現代の中東で使われている楽器と結び付けて考える人もいます。それら現代の楽器は古代に端を発していると考えられているのです。しかし,これも推測の域を出ません。

      聖書に出て来る楽器は次のように分類できるでしょう。

      弦楽器: たて琴,リュート,ツィター。

      管楽器: バグパイプ,フルート,角笛,笛,ラッパ,(恐らく)ネヒロト。

      打楽器: シンバル,シストラム,タンバリン。

      詳しい情報については,上記の楽器に関するそれぞれの項目の記事を参照してください。

      イスラエルの楽器はデザインや造り,出す音が粗雑であった,と考えるべき理由はありません。聖書によれば,神殿用のたて琴や弦楽器は輸入されたえり抜きのアルグム材で作られており,ラッパは銀製でした。(王一 10:11,12; 民 10:2)神殿用の楽器を製作するのに,とりわけ熟練した職人たちが用いられたことには疑問の余地がありません。

      聖書も,西暦紀元以前の聖書以外の写本も,それらの楽器が優れていたことや,イスラエル人の楽士たちが有能であったことを証明しています。死海写本によると,多数のラッパが割り当てられ,種々の複雑な合図が「一つの口によるかのように」吹奏されました。そのためには,熟練した楽士たちが必要だっただけでなく,すべての楽器は互いに音合わせをするために音の高さを調節できるような造りになっていなければなりませんでした。不協和音がなかったことは,ソロモンの神殿の奉献式での音楽に関する霊感による記述,すなわち,「[百二十人の]ラッパを吹く者と歌うたいたちが一人のようになって一つの声を聞かせ(た)」という記述に示唆されています。―代二 5:12,13。

      聖書は神殿の楽団が確かに用いていたものとして,四つの楽器しか挙げていません。すなわち,ラッパ,たて琴,弦楽器(ヘ語,ネヴァーリーム),シンバルです。現代の基準からすればこのような編成では完全な楽団になるとは思えないかもしれません。しかし,この楽団は決して交響楽団にするためのものではなく,神殿での歌の伴奏を行なうことしか意図されていませんでした。そういう目的であれば,楽器のそのような組み合わせは非常に適切であると言えるでしょう。―代二 29:25,26; ネヘ 12:27,41,42。

      神聖な楽器が演奏された時については,聖書の中でラッパに関連して次のように列挙されています。「あなた方の歓びの日と祭りの時節と月々の初めにも,あなた方の焼燔の捧げ物と共与の犠牲に関してラッパを吹かねばならない」。(民 10:10)神殿の音楽組織が確立された後は,これらの時や他の特別な機会に,ラッパに加えてほかの楽器も用いられたようです。このような結論,また音楽の演奏がどのような手順で行なわれたかは,ヒゼキヤ王が神殿を清めてから神聖な奉仕を回復した時に行なわれた催しの順序に示唆されているように思われます。その催しについては,このように描写されています。「焼燔の捧げ物が始まった時に,エホバの歌が始まり,ラッパも,イスラエルの王ダビデの楽器の導きの下に鳴り始めた。そして,全会衆は身をかがめており,歌は響き渡り,ラッパは鳴り響いていた ― これはみな焼燔の捧げ物が終わるまで続いた」。(代二 29:27,28)ラッパが「ダビデの楽器の導きの下に」あったということは,ラッパを吹く者たちが他の楽器の音をしのぐような仕方ではなく,補って完全にするような仕方で演奏したことを意味しているように思われます。楽士たちは全員が一団として「祭壇の東に」位置していました。―代二 5:12。

      声楽 神殿の歌うたいたちはレビ人の男子でした。聖書のどこにも神殿に女性の歌うたいがいたとは述べられていません。タルグムの一つは(伝 2:8で)合唱隊に女性がいなかったことをはっきり示しています。女性は神殿の特定の領域には入ることさえ禁じられていた事実からすれば,そのような場所での公の立場に就くことはできなかったように思われます。―代二 5:12; ネヘ 10:39; 12:27-29。

      神殿で歌うことはかなり重要視されていました。このことは,聖書中に歌うたいに言及されている箇所がたくさんあること,また歌うたいたちが自分の奉仕に専念するために他のレビ人に共通の「責務を免除され(て)」いたことからも明らかです。(代一 9:33)歌うたいが引き続きレビ人の特別な一団であったことは,彼らがバビロンから帰還した者たちの名簿の中で別個に挙げられているという事実により強調されています。(エズ 2:40,41)ペルシャ人の王アルタクセルクセス(ロンギマヌス)の権威さえも彼らの益のために行使され,歌うたいたちは他の幾つかの特別な集団と並んで『税金,貢ぎ,また使用税』を免除されました。(エズ 7:24)後に,王は「日々必要とするところにしたがって歌うたいのための定まった備え」があるようにという命令を出しました。この命令はアルタクセルクセスが出したとされていますが,多分,エズラがアルタクセルクセスから与えられた権限に基づいて出したのでしょう。(ネヘ 11:23; エズ 7:18-26)そのようなわけで,歌うたいたちは皆レビ人でしたが,聖書は彼らのことを特別な一団として言及し,「歌うたいとレビ人」と述べているのです。―ネヘ 7:1; 13:10。

  • 音楽,調べ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • ザックスは世界的な研究に基づいて,「エルサレムの神殿に関連した合唱隊と楽団は,音楽教育と技能と知識の水準が高いものだったことを示唆している」という結論を述べています。そして,こう続けています。「古代の西部オリエントには19世紀の歴史家たちが認めていたものとはかなり異なった音楽があった,ということを理解するのは大切である。……その古代の音楽がどのように聞こえたのかは分からないが,その音楽に力,威厳,支配力などがあったことを示す証拠は十分にそろっているのである」。―「東西古代音楽の発生」,1943年,48,101,102ページ。

      聖書も同様の結論を暗示しています。例えば,「詩編」の表題には「指揮者へ[のために]」(新世; 聖ア)という表現が30回余り出て来ます。(詩 11編など)他の翻訳では,「聖歌隊指揮者」(ノックス; エルサレム; モファット; 改標),「楽士の長」(ア標; 欽定; リーサー; ロザハム),「楽団指揮者」(フェントン)となっています。そのヘブライ語は,歌を編曲する時や,レビ人の歌うたいたちに稽古させて彼らを訓練する時,もしくは公式の場での演奏の時に,歌の演奏に何らかの仕方で指示を与えた人を指しているようです。恐らく聖なる所の楽士たちの24の組の各々の長たる者がそのように呼ばれたのでしょう。あるいは,別の老練の楽士のことだったのかもしれません。というのは,記録にはそれらの人々が「指揮者を務め」ることになっていたとあるからです。(代一 15:21; 25:1,7-31)他の20ほどの「詩編」の表題は,「指揮者」のことを述べる際に,「弦楽器の指揮者へ」,「低音オクターブの指揮者へ」など,一層はっきりと限定しています。(詩 4,12編など。「シェミニト」を参照。)さらに聖書中には,「歌うたいたちの頭」や「専門家」,「学ぶ者」への言及があります。こうした点はすべて,音楽の水準が高かったことを証明しています。―ネヘ 12:46; 代一 25:7,8。

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