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今こそ目ざめているべき時ものみの塔 2003 | 1月1日
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今こそ目ざめているべき時
「わたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめていて,冷静さを保ちましょう」。―テサロニケ第一 5:6。
1,2 (イ)ポンペイとヘルクラネウムはどんな都市でしたか。(ロ)ポンペイとヘルクラネウムの多くの住民は,警告となるどんなものを無視しましたか。どんな結果になりましたか。
西暦1世紀,ベスビアス山のふもとに,ポンペイとヘルクラネウムという繁栄する二つのローマ都市がありました。富裕なローマ人にとって,これらは人気のある保養地でした。どちらの市にも1,000人余りを収容できる劇場があり,ポンペイの大円形闘技場は,住民をほぼそっくり収容できました。ポンペイの発掘によって数えられた酒場や居酒屋は118軒あり,中には賭博場や売春宿になっていたところもありました。壁画その他の遺物は,不道徳や物質主義が盛んであったことを物語っています。
2 西暦79年8月24日,ベスビアス山は噴火し始めました。これら二つの都市に軽石や火山灰を降らせた最初の爆発の際,住民はその気になれば避難できたであろう,と火山学者たちは考えています。実際,避難した人たちも少なからずいたようです。しかし,危険を見くびった人や,警告となったそのしるしをただ無視した人たちは,その場にとどまりました。その後,真夜中ごろ,高温のガス,軽石,岩石から成る泥流がヘルクラネウムになだれ込み,その都市に残っていた住民全員が窒息死しました。翌朝早く,同様の火砕物によって,ポンペイにいたすべての人が死亡しました。警告となるしるしに留意しなかったことは,実に悲惨な結果となりました。
ユダヤ人の事物の体制の終わり
3 エルサレムの滅びと,ポンペイやヘルクラネウムの滅びには,どんな類似点がありますか。
3 ポンペイとヘルクラネウムの終わりは恐るべきものでしたが,それをもしのぐのは,その9年前,非常な変動をもたらしたエルサレムの滅びです。ただし,その大変災は人手によるものでした。「史上最も恐ろしい包囲の一つ」と描写されるその出来事により,100万人余りのユダヤ人が死亡したと伝えられています。とはいえ,ポンペイとヘルクラネウムにおける惨事と同様,エルサレムの滅びも何ら事前の警告なしに臨んだわけではありません。
4 イエスは,事物の体制の終わりが迫っていることを追随者に警告するため,どんな預言的しるしを与えましたか。それは1世紀に,まずどのように成就しましたか。
4 イエス・キリストは,同市の滅びについてあらかじめ述べ,それに先立つ数々の事柄として,戦争,食糧不足,地震,不法行為などの不穏な動きを予告しました。偽預言者たちが活発になり,その一方で神の王国の良いたよりが世界じゅうで宣べ伝えられます。(マタイ 24:4-7,11-14)イエスの言葉は現代に主要な成就を見るとはいえ,当時も小規模な成就を見ました。ユダヤでの深刻な飢きんのことは歴史に記録されています。(使徒 11:28)ユダヤ人の歴史家ヨセフスは,エルサレムが滅ぼされる少し前に,同市一帯で地震が起きたことを伝えています。エルサレムの終わりが近づくにつれ,騒乱が続発し,ユダヤ人の政治党派間で内紛が生じ,さらにはユダヤ人と異邦人とが入り混じって住む幾つかの都市で大勢の住民が虐殺されました。それでも,王国の良いたよりは「天下の全創造物の中で」宣べ伝えられていました。―コロサイ 1:23。
5,6 (イ)西暦66年,イエスのどんな預言的な言葉が成就しましたか。(ロ)西暦70年にエルサレムがついに陥落した時,死者の数が極めて多かったのはなぜですか。
5 西暦66年,ついにユダヤ人はローマに対して反乱を起こしました。ケスティウス・ガルスが軍を率いてエルサレムを攻囲した時,イエスの追随者たちはイエスが語った次の言葉を思い出しました。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は都の中に入ってはなりません」。(ルカ 21:20,21)エルサレムを去るべき時が来ました。しかし,どのようにするのでしょうか。ガルスは不意に軍を撤退させ,それによってエルサレムとユダヤのクリスチャンがイエスの言葉に従って山に逃げることが可能になりました。―マタイ 24:15,16。
6 その4年後,過ぎ越しのころに,ティツス将軍の率いるローマ軍が戻って来ました。この将軍は,ユダヤ人の反乱を粉砕しようと思い定めていました。その軍隊はエルサレムを包囲し,『先のとがった杭で城塞を』築き,脱出を不可能にしました。(ルカ 19:43,44)戦争の懸念があったにもかかわらず,ローマ帝国の全域からユダヤ人が過ぎ越しのために群れを成してエルサレムに来ていました。その人々は閉じ込められてしまいました。ヨセフスによれば,こうして折悪しくそこに来ていた人々がローマの攻囲による犠牲者の大半を占めました。a エルサレムがついに陥落した時,ローマ帝国内の全ユダヤ人の約7分の1が死にました。エルサレムとその神殿が滅ぼされたことは,それまでのユダヤ人国家およびモーセの律法に基づくその宗教体制の終わりを意味しました。b ―マルコ 13:1,2。
7 忠実なクリスチャンがエルサレムの滅びを生き延びたのはなぜですか。
7 西暦70年,ユダヤ人のクリスチャンも,エルサレムにいた他のすべての人と同様に,殺されるか奴隷にされる可能性がありました。しかし,歴史の証拠によれば,クリスチャンは37年前に与えられたイエスの警告に留意していました。その都市を離れており,戻ってはいませんでした。
使徒たちによる時宜にかなった警告
8 ペテロはどんな必要性を見極めましたか。イエスのどんな言葉を念頭に置いていたと思われますか。
8 今日,はるか広範に及ぶ滅びが迫っており,それによってこの事物の体制全体に終わりがもたらされます。エルサレムが滅びる6年前,使徒ペテロは,緊急性のある,時宜にかなった助言を与えました。それは今日のクリスチャンに特に当てはまります。ずっと用心しているように,という助言です。ペテロは,「主[イエス・キリスト]のおきて」を無視することのないように,クリスチャン各自が「明せきな思考力」を呼び起こす必要性を認めました。(ペテロ第二 3:1,2)用心しているようクリスチャンに促したペテロは,イエスが死の数日前に使徒たちに語り,自ら耳にした次の言葉を念頭に置いていたと思われます。「ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなた方は,定められた時がいつかを知らないからです」。―マルコ 13:33。
9 (イ)中にはどんな危険な態度を身に着ける人もいますか。(ロ)懐疑的態度が特に危険なのはなぜですか。
9 今日,ある人たちはあざけって,「この約束された彼の臨在はどうなっているのか」と尋ねます。(ペテロ第二 3:3,4)その人たちは,物事は実際には何も変わらず,世界の創造以来,同じ状態を保っていると感じているようです。そうした懐疑的な見方は危険です。疑念によって緊急感が薄れ,徐々に流されて自堕落な傾向に陥ることがあります。(ルカ 21:34)そのうえ,ペテロが指摘したとおり,それらあざける人たちは,全世界的な事物の体制を滅ぼした,ノアの日の洪水を忘れています。その時,世界は紛れもなく変化しました。―創世記 6:13,17。ペテロ第二 3:5,6。
10 ペテロは,どのように語って,もどかしく思いがちな人々を励ましていますか。
10 ペテロは,神が直ちに行動されないこともしばしばある理由を思い起こさせて,辛抱を培うよう読者を助けます。ペテロはまず,「エホバにあっては,一日は千年のようであり,千年は一日のようである」と述べます。(ペテロ第二 3:8)エホバは永久に生きる方なので,あらゆる要素を考慮に入れて,行動するのに最善の時を選ぶことができます。次いでペテロは,どこに住む人も悔い改めるようにとのエホバの願いに注意を向けます。神が事を急いで行動されたなら滅びてしまうであろう多くの人にとって,神の辛抱は救いを意味します。(テモテ第一 2:3,4。ペテロ第二 3:9)とはいえ,エホバの辛抱は,いつまでも決して行動されないという意味ではありません。「エホバの日は盗人のように来ます」と,ペテロは述べています。―ペテロ第二 3:10。
11 霊的に目ざめているのに何が助けとなりますか。それによりエホバの日はあたかもどのように『速められ』ますか。
11 ペテロがした比較は注目に値します。泥棒を捕まえるのは易しくはありませんが,夜通し目を覚ましている見張り人は,ときおり居眠りしてしまう人よりも泥棒を見つけやすいでしょう。見張り人はどうすれば目ざめていられるでしょうか。周囲を少し歩くなら,夜通し座っているより用心していられるでしょう。同じように,霊的に活動的であることは,クリスチャンとして目ざめている助けとなります。そのようなわけでペテロは,「聖なる行状と敬虔な専心」の行ないに励むよう促しているのです。(ペテロ第二 3:11)そうした活動は,『エホバの日の臨在をしっかりと思いに留めている』助けになります。「しっかりと思いに留める」と訳されているギリシャ語は,字義どおりには「速めている」と訳せます。(ペテロ第二 3:12; 脚注)確かに,エホバの時刻表を人が変えることはできません。エホバの日は,定めの時刻に到来します。とはいえ,それに至るまでの時間は,神への奉仕に励んでいるなら,はるかに速く過ぎてゆくように思えるでしょう。―コリント第一 15:58。
12 個人としてエホバの辛抱からどのように益を得ることができますか。
12 ですから,エホバの日が遅れていると感じる人は,エホバの定めの時を辛抱強く待つように,というペテロの助言に留意することが勧められています。実際のところ,神の辛抱によって猶予される時間を賢明に用いることができます。例えば,クリスチャンとしての肝要な特質をいっそう培うことや,接触できなかったかもしれない多くの人々に良いたよりを伝えることができます。目ざめているなら,この事物の体制が終わる時に,「汚点もきずもない,安らかな者」としてエホバに見いだしていただけるでしょう。(ペテロ第二 3:14,15)それはまさに祝福となります。
13 パウロがテサロニケのクリスチャンにあてたどんな言葉は,今日特に適切ですか。
13 パウロは,テサロニケのクリスチャンにあてた第一の手紙の中で,やはり目ざめている必要性について語り,こう諭しています。「わたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめていて,冷静さを保ちましょう」。(テサロニケ第一 5:2,6)今日,世界的な事物の体制全体の滅びが近づいているので,このことはほんとうに必要です。エホバの崇拝者は,霊的な物事に極めて無関心な世界に生きており,その影響を受ける可能性があります。それゆえにパウロはこう諭しています。「冷静さを保ち,信仰と愛の胸当てを,また,かぶととして救いの希望を身に着けていましょう」。(テサロニケ第一 5:8)神の言葉を定期的に研究し,集会で兄弟たちと定期的に交わることは,パウロの助言に従って緊急感を保つ助けとなります。―マタイ 16:1-3。
ずっと見張っている幾百万もの人々
14 今日,目ざめているようにというペテロの助言に従う人が大勢いることは,どんな数字から分かりますか。
14 今日,ずっと用心しているようにという霊感による励ましに留意する人は大勢いるでしょうか。確かにいます。2002奉仕年度中,2001年の3.1%増にあたる最高630万4,645人の伝道者が,神の王国について他の人たちに語るために12億238万1,302時間を費やして,霊的に用心していることをはっきり示しました。その人たちは,そうした活動におざなりに携わったのではありません。むしろ,それを生活の中心としました。それら奉仕者の多くは,エルサルバドルのエドアルドとノエミのような姿勢を示しています。
15 エルサルバドルからのどんな経験は,霊的な面で用心している人が大勢いることを示していますか。
15 幾年か前,エドアルドとノエミは,「この世のありさまは変わりつつある」というパウロの言葉を心に留めました。(コリント第一 7:31)二人は生活を簡素にし,全時間の開拓宣教を始めました。時と共に,二人は多くの面で祝福され,巡回や地域の奉仕にも携わりました。エドアルドとノエミは,大きな問題にも直面しましたが,物質的な安楽を犠牲にして全時間奉仕を優先する決定は正しかったと確信しています。エルサルバドルの2万9,269人の伝道者 ― 2,454人の開拓者を含む ― の中で,同様の自己犠牲の精神を示してきた人は少なくありません。これも,その国の伝道者数が昨年よりも2%増えた理由の一つです。
16 コートジボワールの一人の若い兄弟は,どんな姿勢を示しましたか。
16 コートジボワールでは,同様の姿勢を示したクリスチャンの青年が,支部事務所に次の手紙を書き送りました。「私は現在,奉仕の僕として仕えています。しかし,自分が良い手本を示さないで兄弟たちに開拓奉仕を勧めることはできません。それで,収入の良い仕事を辞めて,現在は自営業を営んでいます。こうして宣教奉仕にもっと多くの時間を充てられるようになりました」。この青年は,コートジボワールで働いている983人の開拓者の一人です。その国では昨年,5%の増加に当たる6,701人の伝道者が報告されました。
17 ベルギーの一人の若い証人は,偏見によってもおじけてはいないことをどのように示しましたか。
17 ベルギーの2万4,961人の王国伝道者にとって,人々の不寛容,偏見,差別は今なお問題となっています。とはいえ,奉仕者たちは熱心で,おじけてはいません。16歳の一人の証人は,学校の倫理の授業でエホバの証人がカルト呼ばわりされるのを聞いて,自分の側から説明してもよいかと尋ねました。この少女は,「エホバの証人 ― その名前の背後にある組織」のビデオと,「エホバの証人 ― どんな人たちですか」のブロシュアーを用いて,証人たちが実際にどんな人々かを説明できました。その情報はたいへん好評で,翌週,生徒たちに出されたテストは,全問がエホバの証人のキリスト教信仰を取り上げたものでした。
18 アルゼンチンとモザンビークの伝道者たちが,経済問題に気を取られてエホバに仕えるのをやめるようなことはしていない,どんな証拠がありますか。
18 この終わりの日に,多くのクリスチャンはやむなく深刻な問題に直面します。それでも,そのことに気を取られないようにしています。アルゼンチンでは,広く報じられた経済問題にもかかわらず,昨年12万6,709人という証人の新最高数が報告されました。モザンビークでは,今でも貧困が広く見られます。それでも,証しの業に携わったことを3万7,563人が報告しています。これは4%の増加です。アルバニアにおいても,多くの人にとって生活は楽ではありませんが,12%という優れた増加が報告され,伝道者は最高数の2,708人に達しました。エホバの僕たちが王国の関心事を第一にしているなら,困難な状況もエホバの霊を妨げるものとはならないことは明らかです。―マタイ 6:33。
19 (イ)聖書の真理に対する飢えを示す,羊のような人がまだ大勢いることは,どんな点に表われていますか。(ロ)年の報告における他のどんな点は,エホバの僕たちが霊的に目ざめていることを示していますか。(12-15ページの表をご覧ください。)
19 昨年,世界じゅうで聖書研究が月平均530万9,289件報告されましたから,聖書の真理に対する飢えを示す,羊のような人がまだ大勢いることが分かります。記念式出席者の新最高数である1,559万7,746人のうち,大半の人はまだ積極的にエホバに仕えてはいません。どうかその人たちが,知識の点でも,エホバと兄弟たちへの愛の点でも,今後さらに成長してゆきますように。「ほかの羊」の「大群衆」が,霊によって油そそがれた兄弟たちと交わりながら「神殿で昼も夜も」創造者に仕え,引き続き実を生み出している様子を見ると,胸が躍ります。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9,15。
ロトから学べる教訓
20 ロトとその妻の例から何を学べますか。
20 もちろん,神の忠実な僕でも一時的に緊急感を失うことがあります。アブラハムのおいロトについて考えましょう。ロトは,自分のもとを訪れた二人のみ使いから,神がソドムとゴモラを滅ぼそうとしておられることを知りました。その知らせは,ロトにとって驚きとはならなかったはずです。ロトは「無法な人々の放縦でみだらな行ないに大いに苦しんでいた」のです。(ペテロ第二 2:7)それでも,自分をソドムから連れ出す二人のみ使いが来た時に「手間どって」いました。み使いたちは,ロトとその家族をいわば都市から引っ張り出す必要があったのです。その後,ロトの妻は,後ろを振り返ってはいけないというみ使いの警告を無視し,緊張の欠けた態度のせいで非常な損失を被りました。(創世記 19:14-17,26)「ロトの妻のことを思い出しなさい」と,イエスは警告しています。―ルカ 17:32。
21 今,これまで以上に目ざめていることが肝要なのはなぜですか。
21 ポンペイとヘルクラネウムでの大変災,エルサレムの滅びに関連した出来事,ノアの日の洪水とロトの例はどれも,警告を真剣に受け止めることの重要性を明らかにしています。エホバの僕であるわたしたちは,終わりの時のしるしを見分けています。(マタイ 24:3)偽りの宗教から離れています。(啓示 18:4)わたしたちは,1世紀のクリスチャンのように,『エホバの日の臨在をしっかりと思いに留める』必要があります。(ペテロ第二 3:12)そうです,今はこれまで以上に目ざめていなければならない時です。ところで,目ざめているためにどんな手段を講じることができるでしょうか。どんな特質を身に着けることができるでしょうか。次の記事でそれらの点を取り上げます。
[脚注]
a 1世紀のエルサレムに12万人を超える人が住んでいたとは考えにくいでしょう。エウセビオスは,西暦70年の過ぎ越しのため,属州ユダヤの各地から30万人がエルサレムに旅して来ていたであろうと見ています。残りの犠牲者は,帝国の他の地域から来ていたことになります。
b 言うまでもなく,エホバの見地からすれば,モーセの律法は西暦33年に新しい契約に取って代わられました。―エフェソス 2:15。
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「ずっと見張っていなさい」ものみの塔 2003 | 1月1日
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「ずっと見張っていなさい」
「わたしがあなた方に言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」。―マルコ 13:37。
1,2 (イ)ある男性は,自分の資産を守るという点で,どんな教訓を学びましたか。(ロ)盗人に関するイエスの例えから,目ざめていることについて何を学べますか。
フアンは,貴重品を家に保管していました。ベッドの下に置いていました。家でいちばん安全と見ていた場所です。しかしある晩,フアンと妻が眠っている間に,泥棒が寝室に入りました。泥棒は,どこを探せばよいかを心得ていたようです。音を立てずに,ベッドの下から貴重品を一つ残らず運び出し,ナイトテーブルの引き出しに入れてあったお金も持ち去りました。翌朝,フアンは盗みに入られたことに気づきました。苦い教訓をいつまでも忘れないでしょう。眠っているなら持ち物を守れない,という教訓です。
2 同じことは,霊的な意味でも言えます。眠ってしまうなら,自分の希望と信仰を守ることはできません。ですからパウロはこう説き勧めたのです。「わたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめていて,冷静さを保ちましょう」。(テサロニケ第一 5:6)目ざめていることがいかに肝要かを示すため,イエスは盗人の例えを用いました。ご自分が裁き主として到来するに先立って,どんな事が生じるかを述べてから,こう警告しました。「それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。しかし,一つのことを知っておきなさい。家あるじは,盗人がどの見張り時に来るかを知っていたなら,目を覚ましていて,自分の家に押し入られるようなことを許さなかったでしょう。このゆえに,あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです」。(マタイ 24:42-44)盗人は,自分がいつ来るかを予告したりはしません。だれも予期しない時に入ろうとします。同じくこの体制の終わりも,イエスの言葉のとおり,『わたしたちの思わぬ時刻に来ます』。
「目ざめていなさい。信仰のうちにしっかりと立ちなさい」
3 イエスは,婚礼から帰って来る主人を待つ奴隷たちの例えによって,目ざめていることの重要性をどのように示しましたか。
3 ルカの福音書に記されている言葉の中で,イエスはクリスチャンを,婚礼から帰って来る主人を待つ奴隷たちになぞらえています。奴隷たちは,主人が到着する時に目ざめていて,迎える用意を整えていられるように,ずっと用心していなければなりません。それと同じように,「あなた方の思わぬ時刻に人の子は来る」とイエスは言われました。(ルカ 12:40)長年エホバに仕えてきた人の中にも,今の時代に関して緊急感を失う人がいるかもしれません。そのような人は,終わりはまだずっと先ではないかと結論してしまう可能性もあります。しかし,そうした考え方をすると,霊的な事柄から注意がそらされて,物質的な目標,すなわち気を散らして霊的な眠気を誘う物事に,注意を奪われてしまいます。―ルカ 8:14; 21:34,35。
4 どんな確信を抱いているなら,見張り続けるための動機づけを持てますか。イエスはそのことをどのように示しましたか。
4 イエスの例えから,もう一つの教訓が得られます。奴隷たちは,主人が到着する時刻は知らないものの,それがどの晩かは知っているようです。主人が来るのはいつか別の晩かもしれないと考えているなら,その夜ずっと目を覚ましているのは困難でしょう。しかし,そう考えてはいません。どの晩に来るかを知っていて,それが,目ざめていようとする強い動機となります。それとおおむね同じように,聖書預言は今が終わりの時であることをはっきり示していますが,終わりそのものの日や時刻を告げてはいません。(マタイ 24:36)終わりは到来しつつあるという信念は目ざめている助けになりますが,エホバの日はほんとうに近いということを確信しているなら,ずっと見張っていようとする,はるかに強い動機づけを持つことになるでしょう。―ゼパニヤ 1:14。
5 「目ざめていなさい」というパウロの勧めにどのようにこたえ応じることができますか。
5 パウロは,コリントの人たちへの手紙の中で,「目ざめていなさい。信仰のうちにしっかりと立ちなさい」と促しました。(コリント第一 16:13)そうです,目ざめていることが,クリスチャンの信仰のうちにしっかりと立つことと結びつけられています。どうすれば目ざめていられるでしょうか。神の言葉に関する知識を深めてゆくことによってです。(テモテ第二 3:14,15)個人研究の良い習慣と集会への定期的な出席は,信仰を強める助けとなります。エホバの日をしっかりと思いに留めておくことは,信仰の重要な側面です。ですから,この体制の終わりが迫っていることを示す聖書的な証拠をときおり振り返るなら,来たるべき終わりに関する重要な真理を見失わないでいられるでしょう。a さらに,聖書預言の成就となる,世界の出来事の展開に目を留めることも益になります。ドイツのある兄弟はこう書いています。「ニュースを見て,戦争,地震,暴力行為,地球の汚染などが報じられるたびに,終わりが近いことを銘記させられます」。
6 イエスは,時の経過とともに霊的な用心深さを失いがちであることを,どのように例えで示しましたか。
6 マルコ 13章には別の記述があり,そこでもイエスは,目ざめているようにと追随者たちに勧めています。その章の中で,イエスは追随者たちの状況を,主人が外国への旅から帰って来るのを待つ,戸口番の状況になぞらえています。戸口番は,主人がどの時刻に帰って来るかを知りません。ひたすら見張っていなければならないのです。イエスは,主人の到着が予想される四つの異なる見張り時に言及しています。第四見張り時は,午前3時ごろから日の出まででした。この最後の見張り時は,戸口番が眠気に襲われやすいころでしょう。一般に言われることとして,兵士たちは夜明け前の時刻を,敵の不意をつくのに最良の時とみなします。同じように,終わりが進んで周囲の世界が霊的な意味で熟睡しきっているこの時刻に目ざめているためには,かつてないほどに闘いを求められるかもしれません。(ローマ 13:11,12)だからこそイエスは,ご自分の例えの中で次のように繰り返し促しているのです。「ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。……それで……ずっと見張っていなさい。……わたしがあなた方に言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」。―マルコ 13:32-37。
7 現実的などんな危険がありますか。この点に照らして,聖書にはどんな励ましが何度も記されていますか。
7 イエスは,目をさましているべきことを,宣教期間中に幾度も,そして復活後にも力説されました。実際のところ,聖書がこの事物の体制の終わりに言及している箇所では,必ずと言ってよいほど,目ざめているようにとか,ずっと見張っているようにといった警告が収められています。b (ルカ 12:38,40。啓示 3:2; 16:14-16)霊的な眠気が極めて現実的な危険であることは明らかです。そうした警告は,わたしたちすべてに必要です!―コリント第一 10:12。テサロニケ第一 5:2,6。
目を覚ましていられなかった3人の使徒
8 ゲッセマネの園でイエスの3人の使徒は,ずっと見張っていなさいと言われたのに,どうなりましたか。
8 目を覚ましているには,良い心積もり以上のものが必要です。そのことは,ペテロ,ヤコブ,ヨハネの例からも分かります。この3人は霊的な男子で,イエスに忠節に付き従い,イエスに深い愛情を抱いてもいました。それでも,西暦33年ニサン14日の夜,目ざめていることができませんでした。その3人の使徒は,過ぎ越しを祝った階上の間を後にし,イエスに付いてゲッセマネの園に行きました。その場所でイエスは3人にこう言われました。「わたしの魂は深く憂え悲しみ,死なんばかりです。ここにとどまって,わたしと共にずっと見張っていなさい」。(マタイ 26:38)イエスは3度にわたって,天の父に熱烈な祈りをささげては友たちのところに戻りましたが,3回とも彼らは眠ってしまっていました。―マタイ 26:40,43,45。
9 使徒たちは何のために眠気を催したと考えられますか。
9 これらの忠実な男子が,その晩にイエスの期待にこたえられなかったのはなぜでしょうか。体の疲れは一つの要因でした。時刻は遅くなり,おそらく真夜中を過ぎていたことでしょう。眠気のために「彼らの目は重くなって」いました。(マタイ 26:43)とはいえ,イエスはこう語りました。「ずっと見張っていて絶えず祈り,誘惑に陥らないようにしていなさい。もとより,霊ははやっても,肉体は弱いのです」。―マタイ 26:41。
10,11 (イ)イエスにとって,疲れてはいても,ゲッセマネの園でずっと見張っているのに助けとなったものは何ですか。(ロ)ずっと見張っているようイエスに求められた3人の使徒に起きた事柄から何を学べますか。
10 その歴史的な晩,イエスも疲れていたに違いありません。しかし,眠り込んでしまうのではなく,自由の身である最後の貴重な一刻一刻を,熱烈に祈って過ごされました。ほんの数日前にイエスは,祈ることを強く勧め,追随者たちにこう述べていました。「それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」。(ルカ 21:36。エフェソス 6:18)イエスの助言に留意し,祈りの点でイエスのりっぱな手本に倣ってエホバに心からの祈願をささげているなら,霊的に目ざめている助けとなるでしょう。
11 その時点で弟子たちは知りませんでしたが,イエスは,ご自分が間もなく捕縛されて,死罪に定められることを当然知っておられました。一連の試練の極みとして,苦しみの杭の上での苦悶があるはずでした。そうした事柄について使徒たちに警告していましたが,使徒たちはイエスが述べた事柄を理解していませんでした。そのために,イエスが目ざめて祈っていた時にも眠り込んでしまったのです。(マルコ 14:27-31。ルカ 22:15-18)使徒たちと同様,わたしたちも肉体は弱く,今はまだ知らない事柄があります。いずれにしても,今の時代の緊急性を見失うなら,霊的な意味で眠り込んでしまうでしょう。用心していて初めて目ざめていられるのです。
肝要な三つの特質
12 パウロは,どんな三つの特質を,冷静さを保つことと結びつけていますか。
12 どうすれば緊急感を保てるでしょうか。祈りの重要性,またエホバの日を思いに留めておくべきことについては,すでに見たとおりです。加えてパウロは,わたしたちが培うべき三つの肝要な特質を挙げています。こう述べています。「昼に属するわたしたちは,冷静さを保ち,信仰と愛の胸当てを,また,かぶととして救いの希望を身に着けていましょう」。(テサロニケ第一 5:8)霊的に目ざめている点で,信仰,希望,愛の果たす役割を手短に考察しましょう。
13 ずっと用心しているうえで,信仰はどんな役割を果たしますか。
13 わたしたちは,エホバが存在し,「ご自分を切に求める者に報いてくださる」という揺るぎない信仰を持たなければなりません。(ヘブライ 11:6)終わりに関するイエスの預言の,1世紀における最初の成就は,わたしたちの時代における,より大規模な成就に対する信仰を強めるものとなります。その信仰は,「[預言的な幻]は必ず起きる……。遅くなることはない」という確信を与え,切なる期待をもってエホバの日を待てるようにしてくれます。―ハバクク 2:3。
14 目を覚ましているために,希望はどうして肝要ですか。
14 わたしたちの確かな希望は「魂の錨」のようであり,確実である神の約束の成就をたとえ待たなければならないとしても,その間の種々の困難を耐え忍べるようにしてくれます。(ヘブライ 6:18,19)霊によって油そそがれた90代の姉妹で,70年以上前にバプテスマを受けたマーガレットは,正直にこう述べています。「がんで夫の死が迫っていた1963年,終わりがすぐにでも来ればどんなによいだろうと感じました。しかし今から思えば,自分の益のほうに考えが向いていたようです。当時,この業が全世界でどれほど拡大するか,見当もつきませんでした。今でも,業がようやく始まったばかりの場所がたくさんあります。ですから,エホバが辛抱してこられたことをうれしく思います」。使徒パウロはこう保証しています。「忍耐は是認を受けた状態を,是認を受けた状態は希望を生じさせ,その希望が失望に至ることはありません」。―ローマ 5:3-5。
15 長く待ち続けてきたように思えても,愛はどんな動機づけを与えてくれますか。
15 クリスチャンの愛は際立った特質です。わたしたちが行なうすべての事柄において,愛が動機の根底にあるからです。エホバに仕えるのは,神の時刻表がどうなっているかにかかわりなく,エホバを愛しているからです。隣人への愛は,王国の良いたよりを宣べ伝えるようにわたしたちを動かします。この業をどれほど長く続けるのが神のご意志であるとしても,また同じ家を何度訪ねるとしても,そのことは変わりません。パウロが書いているとおり,「信仰,希望,愛,これら三つは残ります。しかし,このうち最大のものは愛です」。(コリント第一 13:13)愛は業を続ける力となり,目ざめているようにわたしたちを助けます。「[愛は]すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。愛は決して絶えません」。―コリント第一 13:7,8。
『自分が持っているものをしっかり守りつづけなさい』
16 手を緩めるのではなく,どんな態度を培うべきですか。
16 わたしたちは重大な時代に生きており,世界の出来事は,今が終わりの日の最終部分であることを絶えず思い起こさせています。(テモテ第二 3:1-5)今は手を緩めるべき時ではなく,「自分が持っているものをしっかり守りつづけ(る)」べき時です。(啓示 3:11)「祈りのために目をさまし」,また信仰,希望,愛を培うことによって,試みの時に用意のできた者となれます。(ペテロ第一 4:7)主の業においてなすべき事はいっぱいにあります。敬虔な専心の行ないに励むことは,十分に目ざめているための助けとなります。―ペテロ第二 3:11。
17 (イ)時に気落ちするようなことがあるとしても,やる気をなくすべきでないのはなぜですか。(21ページの囲みをご覧ください。)(ロ)どのようにエホバに倣うことができますか。そうする人の前途にはどんな祝福がありますか。
17 エレミヤはこう書いています。「エホバはわたしの受け分で(ある)。それゆえに,わたしは神を待つ態度を示す……。エホバは,ご自分を待ち望む者,ご自分を求める魂に善良であってくださる。黙ってエホバの救いを待つのは良いことである」。(哀歌 3:24-26)わたしたちの中には,待ってきた期間がまだ短い人もいます。一方,エホバの救いを見ようと長年待ってきた人もいます。とはいえ,この待つ期間は,前途のとこしえの歳月と比べれば,なんと短いのでしょう。(コリント第二 4:16-18)そして,エホバの定めの時を待つ間も,クリスチャンの肝要な特質を培うことができ,他の人がエホバの辛抱から益を得て真理を受け入れるように助けることができます。ですから,わたしたちすべては,ずっと見張っていましょう。エホバに倣って辛抱強くあり,神が与えてくださった希望に感謝を表わしましょう。忠実のうちに用心しつつ,永遠の命の希望をしっかりとらえることができますように。そうすれば,次の預言的な約束がわたしたちにも確実に当てはまるでしょう。「[エホバ]はあなたを高めて地を所有させてくださる。邪悪な者たちが断ち滅ぼされるとき,あなたはそれを見るであろう」。―詩編 37:34。
[脚注]
a 「ものみの塔」誌,2000年1月15日号,12,13ページに略述されている,今が「終わりの日」であることを示す6種類の証拠を振り返ると益が得られるでしょう。―テモテ第二 3:1。
b 「目を覚ましていなさい」と訳されているギリシャ語動詞について,辞書編集者W・E・バインは,それが字義的には『眠気を追い払う』ことを意味し,「ある事柄に目を向けている人が,ただ眠らないでいるだけでなく,よく見守っている様子を伝えている」と説明しています。
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