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サモア2009 エホバの証人の年鑑
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その年に,フィジーで医学部を卒業したロパティ・ウイリという医師はトケラウに戻りました。妻のエマウはバプテスマを受けており,ロパティもフィジーで短期間エホバの証人と研究していました。f
トケラウに戻ったロパティは,やはり医師であるイオナ・ティニエルと妻のルイサがバプテスマを受けたエホバの証人であることを知ります。さらに,関心を持つ人で,エホバの証人の親族がいるナヌメア・フォウアとも出会います。この3人の男性が聖書を学ぶ定期的な集まりと公開講演を取り決め,間もなく出席者は平均で25人になりました。これら3人の男性とその家族は,他の人に非公式の証言を行なうようにもなりました。
しかし,こうした神権的な活動を皆が快く思っていたわけではありません。島の長老会議は,ロンドン伝道協会のある牧師に扇動され,3家族の頭たちを呼び出します。ロパティはこう語ります。「集会をやめるようにと命じられ,従わないなら私たちを家の中に閉じ込めて火をつけるか,いかだに乗せて島から追い出す,と言われました。聖書から筋道立てて話しましたが,長老たちは一歩も譲らず,とにかく自分たちの権威に従うように強要してきました」。この最後通告を受け,それらの家族は人目を引かないよう注意しながら集会を開くことにしました。
とはいえ,この反対は問題の始まりに過ぎませんでした。12年後にロパティの姉夫婦が真理を受け入れて教会を脱退すると,村の長老たちはエホバの証人を全員追い出したのです。ロパティはこう書いています。「その晩,家族ごとに持ち物をまとめて小さな船に積み込み,島でいちばん大きな村に逃げました。家や農園は,かつての隣人たちによって略奪されました」。
こうした迫害にもかかわらず,伝道者たちは勇気をもって崇拝のために集まり続けました。ロパティはこう語ります。「それぞれの家族は週末,遊びに行くように見せかけて,土曜日の朝にカヌーで小さな孤島に向かい,集会を開いた後,日曜日の晩に戻りました」。そのころ,幾つかの家族はまた,毎年の地域大会に出席するためトケラウからサモアまで長くてきつい船旅をしていました。
しかし,容赦ない反対が続いたため,これらの家族は結局ニュージーランドへ移住しました。
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サモア2009 エホバの証人の年鑑
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f ロパティはその後,ニュージーランド滞在中にバプテスマを受けました。
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