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  • 木曜島が良いたよりを聞く
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  • これらの島に良いたよりが伝わる
  • 会衆が設立される
  • 他の島々に達する
  • 立派な集会場
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1988
塔88 2/15 22–23ページ

木曜島が良いたよりを聞く

飛行機は旋回します。わたしたちの目には紺青の海の真ん中にある様々な形や大きさの一群の島しか見えません。着陸が近くなると滑走路が見えてきました。とても小さなものですが,それでもほっとします。

ホーン島に着陸しました。波止場までバスで行き,そこから小さなフェリーでトレス海峡諸島の中心にある木曜島へ行きます。これらの島は,オーストラリアのクイーンズランド州北端からパプアニューギニアの方まで飛び石のように広がっています。

蒸し暑い雨期(1月から5月まで)にはどこもかしこも緑となり,草木が生い茂ります。時折激しいサイクロンが発生して,各島間の通行は危険になります。1年の残りの時期は,平均して乾燥した,ほこりっぽい気候です。

これらの島に良いたよりが伝わる

ものみの塔協会所有の全長16㍍の帆船ライトベアラー号が,オランダ領東インド諸島(現在のインドネシア)に向かう途中これらの島に短時間立ち寄ったのは,1938年のことでした。この船には,聖書の希望の音信を伝えることに熱心な7人のエホバの証人が乗っていました。

その兄弟たちには分かりませんでしたが,キリスト教世界の宣教師も一人,ほとんど同じ時期に到着していました。そして島民に,エホバの証人から話を聞いてはならないし,どんな文書も受け取ってはならないと話していました。しかし兄弟たちがその宣教師の家へ行って話したところ,その人は4冊の書籍を受け取りました。何人かの島民がこれを見て,『あの宣教師が持てるのであれば,わたしたちだって持っていいはずだ』と考えました。その夜のこと,他の兄弟たちがスライドを見せている間,一人の兄弟が外で書籍のカートンのそばに座っていたところ,暗闇の中からお金をつかんだ手が何度も現われ,本をくださいという声がしました。こうして1時間のうちに,なんと200冊もの書籍が配布されたのです。この宣教師は後に,求めた書籍を根拠にしてエホバの証人を非難しようとしましたが,成功しませんでした。

会衆が設立される

最初にまかれたこの真理の種には,長い間水が注がれませんでした。その後この孤立した島々に援助が差し伸べられたのは1950年代の終わりのことで,二人の全時間奉仕者がものみの塔協会から遣わされました。この二人に次いで,3人家族のラッド一家が必要の大きな所で奉仕するために島にやって来ました。間もなく木曜島に小さな会衆が設立されました。

利用できる建物はほとんどなく,政府や既存の宗教からひどく反対されたために,それは困難な時期でした。最初この会衆は,近くのパン屋のオーブンの真上にある小さな部屋で集会を開いていました。熱帯地方のことですから,それがどれほど暑かったか,想像してみてください。

霊的な強さを保つ必要性を認識していた証人たちは,約1,300㌔離れたオーストラリア本島沿岸で開かれる大会に出席する決意をしました。飛行機で行くお金はなかったので,祈りのうちに別の方法を探し始めました。

最初に兄弟たちは,古い真珠採取船を購入しましたが,それにはエンジンもスクリューも帆も錨も付いていませんでした。何隻かの遺棄船の中を調べていた時,ついに大きな5気筒のディーゼルエンジンと,ギヤボックスが見つかりました。これを購入した後,兄弟たちは帆や錨や,他のいろいろな部品を見つけて喜びました。しかし,まだスクリューとシャフトがありません。

ラッド兄弟は引き上げ船台の所有者に,辺りを探してみてもよいですかと尋ねました。その所有者は冗談混じりに,もし敷地内のどこかでシャフトが見つかればやるよ,と言いました。その所有者が驚いたことに,シャフトは見つかりました。それから数日たったある朝,ラッド兄弟は家から家を訪問していた時,草むらの中で何かにつまずきました。それはなんと,兄弟たちの船にぴったりと合うスクリューだったのです!

船の準備ができると,25人から成るこの会衆は七日間の航海に出発するばかりとなりました。兄弟たちが出発すると,地元の祈とう師は彼らに“呪い”をかけました。ある夜のこと,船は座礁してしまいました。兄弟たちはこの時間を有効に用いて魚をたくさん取りました。朝になって潮が満ちてくると船は浮きましたが,そのあと兄弟たちは目的地に着くまで,水をくみ出さなければなりませんでした。

兄弟たちがオーストラリアのタウンズビルに着くと,ある裕福な引き上げ船台の所有者が兄弟たちに会いに来ました。この人は,大会に出席するために兄弟たちが非常な努力を払ったことを伝えた新聞記事を読んでいたらしく,そのことに感動して援助したいと思っていました。兄弟たちは修理費を払うこともできず,大会に出席するので修理を手伝うこともできなかったのに,その人はどうしても船を修理させてほしいと言いました。修理費は500オーストラリアポンド(約15万円)でも高くはなかったのですが,後に兄弟たちに請求されたのは,わずか40オーストラリアポンド(約1万2,000円)でした。

他の島々に達する

エホバの導きによって,王国の音信は外側の島々にも達しました。例えば,数年前に木曜島に移ってきたロッド・アンダーソン兄弟とアラン・ウェブスター兄弟は,自分たちの舟を使って他の島々にも証言してきました。現在までに,人の住んでいる17の島のうち12の島で宣べ伝える業が行なわれるようになっています。

立派な集会場

しかし兄弟たちは,木曜島に自分たちの王国会館を持つことはできないものだろうかと長い間考えていました。やがてエホバの聖霊が働いていることが明らかになり,1983年9月に,熟練した建築者であるグラハム・キーン兄弟が会館の建築を手伝うために引っ越して来ました。オーストラリアの幾つもの会衆は建築に必要な資材を豊富に供給しました。それらの資材はコンテナに入れられ,クイーンズランド州のケアンズから発送されました。島民たちは,島の何もなかった敷地にうずたかく積み上げられた建築資材を見て仰天しました。会館とその後ろの家を完成するのに,140日しかかかりませんでした。新しい会館の献堂式には,喜びにあふれた120名の人々が出席しました。

トレス海峡諸島に良いたよりを広める業の拠点として,この新しい王国会館が持てたことを,すべての証人たちはどれほど幸福に思ったことでしょう。エホバの霊の助けにより,エホバ神に対する賛美を告げ知らせることを,兄弟たちは本当に歓んでいます。―イザヤ 42:12。

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