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ミャンマー(ビルマ)2013 エホバの証人の年鑑
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客車が来ない
1969年の大会でヤンゴンからミッチーナーに向かう特別列車に乗るエホバの証人
カチン州で霊的に急速な増加が見られたため,支部は1969年の「地に平和」国際大会を,通常の開催地であるヤンゴンではなくミッチーナーで行なうことに決めました。ヤンゴンから北に1,100㌔のミッチーナーに出席者を運ぶため,支部は客車6両を借り切る許可をビルマ鉄道に求めました。これは極めて異例な要請でした。カチン州は反政府活動の拠点であり,州への出入りは厳しく規制されていたからです。しかし驚いたことに,鉄道局は兄弟たちの要請を快く受け入れてくれました。
1969年にミッチーナーで開かれた「地に平和」国際大会に出席した長老たち。(後ろ)フランシス・バイドパウ,モリス・ラジ,ティン・ペイ・タン,ミャ・マウン,(真ん中)ダンスタン・オニール,チャーリー・アウン・テイン,アウン・ティン・シュエ,ウィルソン・テイン,サン・エイ,(前)マウン・カル,ドナルド・デュワー,デービッド・エイブラハム,ロビン・ザウジャ
大会のための列車がミッチーナーに到着することになっていた日,モリス・ラジと幾人かの兄弟は出席者を歓迎するため駅に行きました。モリスはこう語っています。「列車を待っていたところ,駅長が駆け寄り,ちょうど電報を受け取ったことを知らせてきました。当局が出席者を乗せた6両の客車を切り離したため,彼らがマンダレーとミッチーナーの間で足止めされたというのです。列車は余分の車両を引いたままでは坂を登れなかったようです。
「どうしたらよいでしょうか。まず思いついたのは,大会の日程を変更することでしたが,そうしようとすれば,一連の許可を申請し直さなければならず,受理されるまでに何週間もかかってしまいます。わたしたちがエホバに熱烈に祈っていたちょうどその時,列車が駅に入ってきました。わたしたちは目を疑いました。6両の客車すべてが兄弟たちでいっぱいだったのです。みんな,笑顔で手を振っています。いったい何が起きたのか尋ねると,一人がこう説明してくれました。『確かに6両が切り離されたのですが,わたしたちの乗った6両ではなかったのです』」。
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