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シメオン,I聖書に対する洞察,第1巻
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2. シメオンの6人の息子,エムエル,ヤミン,オハド,ヤキン,ツォハル,およびシャウルの家族から出た,イスラエルの部族。(創 46:10; 出 6:15)イスラエルが荒野を旅していた間,シメオンはルベンやガドと共に幕屋の南に宿営を張り,ルベンはその三部族分隊の先頭に立ちました。行進の際にも,部族のこの同じ配列が保たれ,シェルミエルが宿営と軍隊双方においてシメオンの長を務めました。―民 1:4,6; 2:10-15; 10:18-20。
部族の人口の減少 エジプトからの脱出から1年後に初めて人口調査が行なわれた時,シメオンの部族の兵役に適する20歳以上の強健な男子の人数は5万9,300人でした。(民 1:1-3,22,23)しかし,約39年後に行なわれた2度目の人口調査によれば,この部族の人口は大きく減少し,その同じ部類の人々はわずか2万2,200人であることが分かりました。これは62%以上の減少に相当し,他のどの部族に見られた減少よりもはるかに大きな減少でした。―民 26:1,2,12-14。
モーセはイスラエルに対する別れの祝福の言葉の中でシメオンの名前を挙げてはいません。とはいえ,それはシメオンの部族が祝福されなかったということではありません。最後の一般的な祝福の言葉の中にこの部族のことが含まれているからです。(申 33:6-24,29)祝福の言葉を述べることに関連してゲリジム山に立つよう割り当てられた部族の中ではシメオンの名前が最初に挙げられています。―申 27:11,12。
約束の地でそれぞれの領地を割り当てるに際して,シメオンの人口が減少したことは考慮されたに違いありません。この部族には独立した,そっくりそろった受け分は与えられず,ユダの領地内にすっかり閉じ込められた幾つかの都市が与えられました。こうして,200年余り前に述べられたヤコブの臨終の預言が成就しました。(民 34:16-20; ヨシュ 19:1-9。創 49:5-7と比較。)シメオンはユダに加わって,その領地をカナン人の手から奪い取りました。(裁 1:1-3,17)また,シメオンの相続地の中で飛び地の都市がレビ部族のために取り分けられました。―ヨシュ 21:4,9,10; 代一 6:64,65。
聖書の後代の歴史の中で言及されている シメオン人のことはイスラエルの後代の歴史の中で,ダビデの時代(代一 4:24-31; 12:23,25; 27:16),アサの時代(代二 15:8,9),ヨシヤの時代(代二 34:1-3,6,7)などに,時折言及されています。この後者のヨシヤの改革に言及した箇所によれば,シメオンは地理的にはユダの領地内にありましたが,政治的および宗教的には北王国と連合していたことが分かります。ヒゼキヤの時代にシメオン人500人がアマレク人の残りの者を討ち倒し,彼らの土地に住み着いたようです。―代一 4:41-43。
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シメオン人聖書に対する洞察,第1巻
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シメオン人
(シメオンじん)(Simeonites)[シメオンの(シメオンに属する)]
ヤコブの2番目の子シメオンの子孫。荒野で約40年間さまよった後,シメオン人で兵役に就く資格を備えた20歳以上の男子の数は2万2,200人だけで,12部族の中の最小の部隊となりました。シメオン人は五つの主要な家族 ― ネムエル人,ヤミン人,ヤキン人,ゼラハ人,シャウル人に分けられました。(民 25:14; 26:1,2,12-14; ヨシュ 21:4; 代一 27:16)この2度目の人口調査が行なわれた時に6番目の子オハドの子孫がいたとすれば,それらの人々は人数が少なすぎたので独自の家族として名前を挙げられなかったものと思われます。―創 46:10; 出 6:15。
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