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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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1980年代後半になると,清い崇拝への反対は幾らか和らぎました。各地の会衆で伝道者が増え,兄弟たちはもっとたくさんの文書を入手できるようになりました。国外の親せきを訪ね,雑誌や書籍を持ち帰った証人たちもいます。とりわけソビエトの収容所にいた兄弟たちにとって,聖書出版物の原物を手にするのは初めての経験でした。一部の人たちは,自分たちが生きている間に「ものみの塔」誌の原本が鉄のカーテンをくぐり抜けるとは夢にも思っていませんでした。
当局は長年の間エホバの証人に敵対していましたが,ようやく態度を和らげ始めました。兄弟たちは,地元の宗教局の民間代表者たちと会うよう招待されるようになりました。当局者の中には,ブルックリンの世界本部のエホバの証人と会いたいと言う人もいました。無理もないことですが,兄弟たちは当初,それがわなではないかと思いました。しかし時代は確かに,エホバの民にとって好転していました。
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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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1989年,ブルックリンの兄弟たちは,公に宣べ伝える業を登録するために当局と交渉を始めるよう国内委員会に勧めました。
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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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信教の自由がついにもたらされる
1990年の終わりごろから,司法機関は一部のエホバの証人の無罪を認めて放免し,その権利や特権を回復させるようになりました。同じころ,国内委員会は政府当局者と会合を持つため,エホバの証人を代表する一つのグループを作りました。ドイツ支部のウィリー・ポールがそのグループを監督しました。
モスクワとキエフの政府当局との長期にわたる会合の末,ついに待望の自由がもたらされました。1991年2月28日,エホバの証人の宗教組織はウクライナで正式に登録されました。それはソ連領内で最初のことでした。1か月後の1991年3月27日,同組織はロシア連邦においても登録されました。こうして,50年以上にわたる禁令と迫害の後,エホバの証人はようやく信教の自由を得ることができたのです。その後まもなく,1991年末にソビエト連邦は消滅し,ウクライナは独立を宣言しました。
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ウクライナ2002 エホバの証人の年鑑
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[233ページの図版]
1991年2月28日,ソ連領内で初めてのこととして,ウクライナのエホバの証人が登録された
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