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アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
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困難が良い結果を生む
政治的,経済的な問題が増えるにつれ,国を離れるアルバニア人は多くなってゆきます。その中のある人たちは,米国のニューイングランド地方やニューヨーク州で真理を学ぶようになりました。アルバニア人が多く住む土地では,真理も実を結びました。さらに多くの文書を必要としていた兄弟たちは,「神の国」と「危機」という小冊子のアルバニア語版を受け取って喜びました。
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アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
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ボストンに住むアルバニア人も,月曜日の夜にギリシャ語の雑誌を使って「ものみの塔」研究をしていました。そうした状況でも,多くの兄弟は子どもたちをよく教え,何年も後に息子や娘,甥や姪,孫やひ孫が全時間奉仕者になりました。実際,アルバニアの兄弟たちは熱心に証言することでよく知られていたので,人々からウンジロラと呼ばれていました。それは「福音宣明者」という意味です。
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アルバニア2010 エホバの証人の年鑑
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[134ページの囲み記事/図版]
初期の大会
米国ニューイングランド地方に住むアルバニア人は,日曜日に行なわれていたアルバニア語の公開集会に出席するかたわら,たいていは英語やギリシャ語の会衆に交わっていました。1920年代と1930年代には,アルバニア人はギリシャ語の大会に出席していました。しかし,それらの兄弟たちは,アルバニア語のバッジを身に着けられることを喜びました。そこに記されていたのは,「アルバニア人の聖書研究者による三日間の大会」という言葉でした。
[図版]
ボストンの大会でバッジ(右)を身に着けているアルバニア人の兄弟たち(下)。1920年代終わり
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