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「良いたよりを擁護して法的に確立する」エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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しかし,エホバの証人は,アメリカ合衆国憲法が信教の自由,言論の自由,出版の自由を保障していることを知っていました。それで,判事たちが地元の条例を神の言葉の伝道を妨げるような仕方で解釈した時,証人たちは上級裁判所に上訴しました。b
ものみの塔協会の法律問題に関して際立った役割を果たしたヘイドン・C・カビントンは,後に当時の様子を思い出しながらこう説明しました。「治安判事や警察裁判所や他の下級裁判所によって記録された非常に多くの有罪判決がもし上訴されなかったなら,山ほどの判例が積み上げられ,崇拝の分野での巨大な障害物となったことでしょう。私たちは上訴することにより,そうした障害物が立ちはだかることのないようにしてきました。私たちが不利な判決を不服として粘り強く上訴したゆえに,私たちの崇拝の方法は米国や他の国々の国法の中に書き記されるようになりました」。米国では幾十件もの訴訟が結局最高裁判所に持ち込まれました。
自由の保障を強化する
合衆国最高裁判所に持ち込まれたエホバの証人の宣教に関する最初の訴訟の一つは,元々ジョージア州で始まったものであり,1938年2月4日,最高裁判所で弁論が行なわれました。アルマ・ロベルはジョージア州グリフィンの市裁判所の法廷において,市政担当者の許可なくいかなる文書も配布してはならないという条例に違反したかどで有罪判決を受けていました。とりわけロベル姉妹は人々に「黄金時代」誌を提供していました。1938年3月28日,合衆国最高裁判所は,その条例は出版の自由に対して許可と検閲の条件を課しているゆえに無効であるという判決を下しました。c
翌年,J・F・ラザフォードは最高裁判所で,クララ・シュナイダー対ニュージャージー州事件dの原告側の弁護士として弁論を行ないました。次いで1940年にはキャントウェル対コネティカット州事件eにおいて,J・F・ラザフォードは準備書面を起草し,ヘイドン・カビントンが最高裁判所で口頭弁論を行ないました。これらの訴訟の肯定的な結果は,信教の自由,言論の自由,出版の自由に関する憲法上の保障を支持するものでした。
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その後3年間,最高裁判所は19の訴訟に関してエホバの証人に不利な判決を下しました。特に意義深いのは,1942年に下されたジョーンズ対オペライカ市事件lに関する不利な判決です。ラスコー・ジョーンズは,アラバマ州オペライカの通りで許可税を払わずに文書を配布する活動に携わったかどで有罪となっていました。最高裁判所は有罪判決を支持し,政府には勧誘活動に妥当な料金を課す権利があり,地元の当局者が一方的に許可を取り消すことがあるとしても,そうした法律に異議を申し立てることはできないと述べました。これは手ひどい打撃となりました。今や,僧職者をはじめとする,証人たちに反対する者たちに扇動された地域社会は合法的に証人たちを締め出すことができ,そのようにしてエホバの証人の伝道活動を停止させ得るからです。反対者たちはそう考えたかもしれません。しかし,思わぬ事が起こりました。
形勢が一変する
エホバの証人の公の宣教にそのような打撃を加えたほかならぬジョーンズ対オペライカ事件の判決の際に,判事のうち3人は,自分たちがその事件に関して法廷の多数意見に同意しないだけでなく,ゴバイティス事件の際に今回の事件のための基礎を据えるよう助力したつもりであるとも述べました。そして,「我々はゴバイティス事件に関する意見に加わったゆえに,その件に関する判決も間違っていたと考えるに至ったことをこの機会に公言するのは妥当と思われる」と付け加えました。エホバの証人はそれをきっかけとして,問題を再び最高裁判所に提出しました。
ジョーンズ対オペライカ事件に関する再審理を求める申し立てがなされました。その申し立ての中で,力強い法的な論議が提出されました。さらにその申し立ては,「裁判所は際立った事実,つまり自分たちが全能の神の僕たちを裁いているということを考慮に入れるべきである」と断言していました。その言葉の意味を示す聖書中の先例が取り上げられ,律法教師ガマリエルが1世紀のユダヤ人の最高法廷に対して述べた,「この人たちに手出しせず,彼らをほっておきなさい。……さもないと,あなた方は,実際には神に対して戦う者となってしまうかもしれません」という助言に注意が向けられました。―使徒 5:34-39。
ついに1943年5月3日,画期的な訴訟であるマードック対ペンシルバニア州事件aの際に,最高裁判所はジョーンズ対オペライカ事件に関する同裁判所の以前の判決を破棄しました。同裁判所は,宗教文書を配布することによって信教の自由を行使するための前提条件として許可税を課すことは憲法違反であると述べました。この事件は米国のエホバの証人に新たな機会の扉を開くものとなり,この時以来,何百もの訴訟において根拠として引き合いに出されてきました。1943年5月3日は合衆国最高裁判所での訴訟に関して,エホバの証人にとってまさに忘れ難い日となりました。その日,13件の訴訟(審理と裁判官による意見の便宜上,すべてが四つの判決にまとめられた)のうち12件に関して,同裁判所は証人たちに有利な判決を下したのです。b
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「良いたよりを擁護して法的に確立する」エホバの証人 ― 神の王国をふれ告げる人々
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b エホバの証人は一般的な方針として,証言活動のゆえに訴えられた場合,罰金を支払う代わりに上訴しました。上訴して敗訴すると,法律上可能であれば罰金を支払う代わりに刑務所に入りました。証人たちが断固として罰金の支払いを拒否したことにより,ある当局者たちはそれ以上証言活動を妨害することを思いとどまるようになりました。幾つかの状況下では今でもこの方針が守られているかもしれませんが,「ものみの塔」誌,1975年7月1日号は,多くの場合,罰金を司法上の刑罰とみなすのは正当なことであり,刑務所に行くことが有罪の証明にならないのと全く同様に,罰金の支払いも有罪を認めたことにはならないと説明しました。
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