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ウルグアイ1999 エホバの証人の年鑑
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ムニス兄弟の求めに応じてラザフォード兄弟は,1925年にドイツのマクデブルクで開かれた大会の期間中,ドイツ人のある開拓者に,南アメリカでの業を援助する気持ちがあるかどうかを尋ねました。その開拓者の名はカール・オットといいました。オット兄弟は割り当てを受け入れ,スペイン語を話す兄弟たちの間でカルロス・オットとして知られるようになりました。オット兄弟はアルゼンチンでしばらく奉仕した後,1928年にウルグアイの首都モンテビデオに割り当てられました。その後ウルグアイで10年間奉仕しました。
カルロスは直ちに業に取りかかり,勤勉さと独創性を示しました。早速リオ・ネグロ通りに,自分が住むこともでき,また関心を持つ数人の人と聖書研究の集会を定期的に開くこともできる場所を見つけました。さらに,聖書の講演をラジオで放送してもらうよう取り決めました。あるラジオ局などは,講演を無料で放送することさえ承知してくれました。
カルロスは,時々レストランに入ってゆき,人々が食事をしているテーブルに近づくこともありました。ある日,テーブルからテーブルへの証言をしていたとき,ドイツ人で商店の経営者であるホセ・ガエックに会いました。彼は聖書の真理をすぐに受け入れました。間もなくホセは,ウルグアイにおける初期の良いたよりの宣明者の一人としてカルロスに加わりました。
神の王国の良いたよりを広める業に全時間携わることを決意したガエック兄弟は,経営していた食料品店を売り,開拓奉仕を始めました。ガエック兄弟とオット兄弟は国のかなりの部分を回り,多くの市や町で家から家に宣べ伝え,聖書の話を行ないました。
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ウルグアイ1999 エホバの証人の年鑑
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6人は,自分たちを歓迎するためにそこに来ていたカルロス・オットに会って喜びました。
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