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    • 3 良い話し方に習熟するにつれ,ことばや表現には「個性」があることに気づかれるでしょう。ことばは,苦々しい,あるいは優しい,また,堅い,あるいは柔らかい,そして,親しい,あるいは敵意のある,または,建て起こす,もしくは風紀を乱すもののいずれにもなりうるのです。ですから,正しいことば,もしくは表現を選択するのは,きわめて重要です。真理のことば,つまり,王国の良いたよりが関係している場合は特にそうです。

      4. どうすれば語彙をふやせますか。

      4 語彙をふやす。辞書をちょっと見ればわかるように,エホバを賛美するのに用いることばにはこと欠きません。しかし,問題は,たくわえられている使用可能なことばをいかに活用するかということです。読書の際,あなたは,よくわからないことばを調べたり,記事を読み終えたのちに調べるため,しるしをつけたりしますか。これは,語彙をふやすのに役だちます。また,それとはわかっても,日常の話には用いないことばが多数あることにも気づかれるでしょう。適当な情況のもとでそうしたことばを用いるよう,意識的に努力してください。上手に話す能力を培いつづけるのは,クリスチャンの奉仕者また研究生としてのあなたにとって確かに有益です。

      5,6. ことばの正しい用い方を学ぶのに役だつ事がらを述べなさい。

      5 正しいことばの用い方を学んでください。同じ意味の2つのことばでも,多少の相違があるため,異なった情況のもとで用いられる場合があります。この点に注意すれば,聴き手の感情を害さずにすみ,また,あなたの話をいっそう明快なものにすることができるでしょう。すぐれた辞書を参照するのは有益です。なかには,各のことばの下に同意語(同一ではないが,同様の意味のことば)や反意語(意味が多少反対のことば)を掲げている辞書もあります。したがって,同じ考えを伝える,さまざまな表現だけでなく,微妙な意味の違いを持つ表現をも見いだせます。これは,情況に即した正しいことばを捜すのにたいへん有用です。同時に,正しいことばを用いると,ことばを不必要に多用せずにすみ,要領を得た話をすることができます。ことばが多すぎると,考えがとかくおおい隠されてしまいます。ですから,いつもことばを少なくして考えを述べる練習をしてください。それをよく行なえるようになったなら,今度は,色彩と意味を豊かにする叙述的なことばを用いて,表現に変化を添えることを始めてください。

      6 語彙をふやす際,新しいことばという点からだけ考えずに,力強さを表わす動詞や,生彩を添える形容詞,単調さを避けるのに役だつ,論旨の推移を示す表現,暖かさを表わしたり,親切さの響きを伴ったりする表現など,明確な特徴を備えたことばを考慮してください。協会の出版物を読む際,広範に及ぶ選択可能な多種多様な語句に注意できます。

      7,8. 語彙をふやすことに関連して,どんな危険に注意すべきですか。

      7 語彙をふやす目的は,もとより,見えを張ることにあるのではありません。わたしたちの意図は,知識を伝えることであって,聞き手に自分自身を印象づけることではありません。わたしたちの見解は,使徒パウロが述べた次の見解と同じであるべきです。「わたしは,会衆ではある[外国の]言語で一万のことばを話すよりも,他の人々にも口頭で教授するため,むしろ,五つのことばを自分の思いをもって話したいと思います」。(コリント前 14:9,19)話があまりにも理解しにくいなら,それは外国語で話されているようなものです。同様に,詳細な点を重視しない人々を前にして不必要に技巧をこらすことは避けるのが賢明です。普通の会話の場合でさえ,複雑な話し方をしたり,むずかしいことばを用いたりして,聴き手に感銘を与えようとすべきではありません。自分が言うことを聴き手に把握してもらうことのほうが,もっと重要なのです。箴言 15章2節によれば,「賢明な者たちの舌は,知識をもって善を行なう」ということを忘れないでください。良いことば,つまり,わかりやすいことばを選ぶなら,わたしたちの話をたいくつで興味のないものにするどころか,気持ちをさわやかにし,かつ,鼓舞する話にするのに役だちます。―コロサイ 4:6。

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    • 9-12. わたしたちはどんな話し方を避けるべきですか。その理由は?

      9 避けるべきことば。神のみことばは,わたしたちが日常生活でどんな話を避けるべきかに関する指針を与えています。たとえば,使徒パウロは,「卑わいな冗談」など,「ふさわしくない事柄」を避けるよう,わたしたちに助言を与えています。(エペソ 5:3,4)卑わいで俗悪なことばや表現は避けねばなりません。パウロはまた,こう書きました。「腐ったことばをあなたがたの口から出させないようにし,必要に応じて,何にせよ,建て起こすのに良いことばを出させ,聞き手に願わしいことを分け与えさせるようにしてください」。(エペソ 4:29)ゆえに,クリスチャンは,あくたいをつくことばや,乱暴な話し方を避けるべきです。なかには,そうしたことばを用いると,自分の言うことを強調できると考える人がいます。しかし,上品で,しかも力強いことばは,数多くあります。粗野な話し方をする人々と話をする場合,そうした粗野な話し方をまねる必要はありません。しかし,簡潔なことばは有用ですが,それは清純で正確なものであるべきです。

      10 また,文法上の語法に合わない,ある種の表現や話し方も避けるべきでしょう。そうした話し方は,たいてい,この世の芸人が用いたり,流行歌に取り入れられて俗化されたりしており,人々はともすれば,それらを模倣します。しかし,クリスチャンがその種の話し方を取り入れるのは正しいことではありません。そうするなら,わたしたちは,自分がこの世のものであり,世の生き方に従っているということを示す結果になりかねません。麻薬の売り手その他,生活の仕方全体が不法もしくは不道徳な人々は,たいてい,独特の用語を持っており,よく注意して聞かないと,すぐにはわからない仕方でことばを用いるものです。しかし,わたしたちの話し方の規範をそうしたこの世的な影響力によって左右させてはなりません。―ロマ 12:2。

      11 クリスチャンは不敬なことばを注意深く避けねばなりません。なかには(英語を話す人々の場合),話し方を単に強調するだけの目的で,あるいは,あくたいをつくことばの代用語として,「神」や「主」また,「イエス」や「キリスト」などのことばを用いる人がいます。また,英語の場合,“gosh”(えっの意),“golly”(まあ),“gee”(おや),などの語は,“God”(神)また,“Jesus”(イエス)という語に由来する単なる婉曲語句なので,間投詞としてはやはり用いるべきではありません。―出エジプト 20:7。マタイ 5:34-37。

      12 時には,人々の言行に立腹させられる場合があるかもしれません。たとえ,そうした場合でも,クリスチャンが怒りを含めた,もしくは,相手をののしることばをもって返答するのは,穏当なことではありません。使徒はこう語ります。「実際に,それらすべて,憤り,怒り,悪,ののしりのことば,そして,あなたがたの口から出る卑わいな話をあなたがたから捨て去ってください」。(コロサイ 3:8)それで,たとえ他の人のことばに立腹させられても,自分の霊を制御するのは賢明な道です。―箴言 14:29。ヤコブ 3:11。

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