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フランス領ギアナ2001 エホバの証人の年鑑
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このプロジェクト中,フランスの兄弟姉妹が800人も自費でやって来て,地元の500人の兄弟姉妹と共に四つの現場で働きました。いちばん西寄りの現場は,いちばん東寄りの現場から250㌔も離れていたので,十分に意思の疎通を図ることが必要でした。フランスの兄弟たちは2か月のあいだ交替で来ましたが,フランスから来た500人が地元の422人の証人たちと一緒に働いていたこともありました。すべての作業者のために宿舎を準備するのも容易なことではありませんでした。近隣の多くの家族がそれぞれ,フランスから来た作業者二,三人に宿舎を提供したので,ホテルに泊まった人はだれもいませんでした。作業者の交通手段も必要になりました。一人の兄弟はこう述べています。「仕事に出かける途中,回り道をして数人の作業者を現場で降ろし,仕事が終わるとまた迎えに行きました。作業者の皆さんにくつろいでもらえるよう精一杯のことをしました」。
主だったグループがマトゥリの大会ホール(王国会館が併設されるよう設計されていた)の現場で作業している間にも,別のグループはシンナマリで,王国会館とこぢんまりした宣教者ホームを建てていました。マナでは,もう1軒の王国会館と宣教者ホームの建設が進んでいました。マナのスラナントンゴ語の地区では,特別開拓者の宿舎のある王国会館が1軒建設中でした。サン・ローランでは,330席ある王国会館と,6人が住める宣教者ホームが建てられました。そこでは二つの会衆が集まっています。この大きな王国会館は,スラナントンゴ語の大会でも使用されていて,600人ほどの人が集まることもあります。
この膨大な建設作業が終わったあと,フランスの兄弟たちの中には,フランス領ギアナにそのまま住むことにした人たちもいます。自分の建設技術を役立てることに加えて,それらの兄弟たちは長老,奉仕の僕,建設委員会のメンバーとして会衆の祝福になっています。後に,新しい支部施設の建設に参加した人もいます。
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フランス領ギアナ2001 エホバの証人の年鑑
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(6)フランス領ギアナの証人たち。フランスから来た何百人もの兄弟たちと共に働いた
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