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  • 「私は道であり,真理であり,命です」
    「来て,私の弟子になりなさい」
    • 「私は道」

      11. (ア)イエスを通してでなければ神との絆を持つことができないのはどうしてですか。(イ)ヨハネ 14章6節では,イエスだけが「道」だということがどのように強調されていますか。(脚注を参照。)

      11 ここまでで考えた通り,イエスを通してでなければ神に近づくことはできません。それがどういうことかさらに考えてみましょう。イエスは私たちが神との絆を持つための唯一の「道」です。私たちは罪があるので,そのままでは神に近づくことができません。聖なる方エホバは罪を大目に見ることができないからです。それで人間と神との間には,いわば罪という壁があるかのようです。(イザヤ 6:3; 59:2)イエスは死ぬまで神に忠実であり続け,自分の命を贖いとして与えてくれました。(マタイ 20:28)その贖いのおかげで,神と人間の間の壁が取り除かれます。贖いは罪を取り去るからです。(ヘブライ 10:12。ヨハネ第一 1:7)神からの贈り物であるキリストの贖いの犠牲に信仰を抱く人は,「神と和解」することができます。それ以外に神と友達になる道はありません。c (ローマ 5:6-11)

      12. イエスはどんな意味でも「道」ですか。

      12 イエスは私たちが神に祈るときの「道」でもあります。イエスを通して祈る場合にのみ,祈りがエホバに聞かれていると確信できます。(ヨハネ第一 5:13,14)イエス自身もこう言いました。「あなたたちが天の父に何か求めるなら,父は私の名によって与えてくださいます。……求めなさい。そうすれば受け,喜びに満たされます」。(ヨハネ 16:23,24)イエスの名によって祈る時,私たちはエホバに「私たちの父」と呼び掛けることができます。(マタイ 6:9)さらに,イエスは手本を示すことによっても,いわば「道」となってくれています。前にも取り上げた通り,イエスは父エホバに完璧に倣いました。私たちはその手本から,どうすればエホバに喜んでもらえるかを学ぶことができます。それで,エホバとの友情を育むには,イエスの歩みにしっかり付いていく必要があります。(ペテロ第一 2:21)

  • 「私は道であり,真理であり,命です」
    「来て,私の弟子になりなさい」
    • c ヨハネ 14章6節の原語のギリシャ語では,「私」という言葉と定冠詞が一緒に使われています。それにより,イエスが天の父に近づくための唯一の道だということが強調されています。

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