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目ざめよ! 1994
目94 10/8 19–21ページ

聖書の見方

「弱い器」― 女性を侮辱する表現ですか

「女性はどうして性で判断され,経験や能力や知性で判断されないのでしょうか」― ベティー・A。

「女性は,自分は劣った人間だと考えるように慣らされています」― リン・H。

聖書に出てくる「弱い器」という表現は,女性を卑しめるものですか。問題の聖句はペテロ第一 3章7節で,そこにはこう書かれています。「夫たちよ,同じように,知識にしたがって妻と共に住み,弱い器である女性としてこれに誉れを配しなさい。あなた方は,過分の恵みとしての命を妻と共に受け継ぐ者でもあるからです。そうするのは,あなた方の祈りが妨げられないためです」。

ペテロが上の言葉を仲間のクリスチャンたちに書き送った当時,女性の権利は,古代の異教世界だけでなく,背教したユダヤ人の社会においても,無きに等しいものでした。ペテロをはじめ初期クリスチャンたちは,当時の一般的な女性観を支持していたのでしょうか。

劣った器だろうか

1世紀当時の人々はペテロの言葉を読んで,「弱い器」という語をどのように解釈したのでしょうか。器を表わすギリシャ語(スケウオス)はギリシャ語聖書の中で何度も用いられており,色々な種類の入れ物,器具,用具,道具を指す語です。ペテロは女性を「弱い器」と呼びましたが,女性を卑しめていたわけではありません。なぜなら,その表現(「より弱い器」,英文字義)からすると,夫も壊れやすい,つまり弱い器であるということになるからです。他の聖句では,同様の比喩的な表現が男性と女性の両方を指して用いられています。「土の器」(コリント第二 4:7)とか「憐れみの器」(ローマ 9:23)などがその例です。確かにペテロは,両性のうち女性のほうを「弱い器」としています。しかし,ローマ 5章6節では,『弱い』という表現は,人間すべてに対して,すなわち男性と女性に対して用いられています。ですから,初期クリスチャンたちは「弱い器」という語を,女性に対する軽べつ語とは考えなかったことでしょう。

むしろペテロの言葉は,女性の地位を高めるものと考えられたことでしょう。ペテロの時代には,女性に対する敬意というものはほとんどありませんでした。神がはるか昔に予見しておられた通り,夫が妻を支配し,身体的に,性的に,感情的に虐待することは珍しくなかったのです。(創世記 3:16)ですから,クリスチャンの夫に対するペテロの助言の意味は,要するに,世間が許しているからといって,権威を不当に行使してはならないということでした。

「弱い」という語をさらに詳しく調べてみましょう。ペテロはこの節の中で,感情面の特性ではなく,身体面の特性のことを述べています。男性は弱い器です。男性と比較すれば,女性はさらに弱い器です。なぜそう言えるでしょうか。骨と筋肉の構造からして,普通は男性のほうが体力があるからです。しかし,ペテロが道徳的な強さや霊的な強さ,あるいは知力を比較していたことを示すものは何もありません。実際,いろいろな出来事に対する情緒反応に関しては,女性は男性と異なっていると言うのが最も適切で,必ずしもどちらが強いか,弱いかの問題ではありません。聖書には,神の道に従った女性たちの強固な徳性,忍耐力,識別力などについて述べられています。名前を挙げると,サラ,デボラ,ルツ,エステルなどがいますが,これらの女性はその中のほんの数例にすぎません。謙遜な男性であれば,女性が自分たちよりもそう明な場合もあることを認めるのは難しくありません。

それでも,女性を「弱い器」と呼ぶということは,女性が劣った人間であることを暗示していると考える人がいます。では,次のような例を考えてみましょう。ある人が有用な器を二つ持っているとします。一つは頑丈なもので,もう一つはそれほど頑丈ではないものです。後者は,前者ほど頑丈ではないからといって幾らか低く評価されるでしょうか。実際には,頑丈でない器のほうが頑丈な器よりも注意深く,大切に扱われるのが普通です。では,女性は男性ほどの体力がないから価値が低いのでしょうか。もちろんそうではありません。ペテロが「弱い器」という語を用いたのは,女性を侮辱するためではなく,女性に対して敬意を抱かせるためでした。

「同じように,知識にしたがって」

ペテロは夫たちに,『同じように,知識にしたがって妻と共に住みなさい』と訓戒しています。だれと「同じように」ということでしょうか。ペテロは前の数節で,キリストが愛情を込めてご自分の追随者たちを顧みられたことを論じてから,「同じように」妻を顧みることを夫たちに命じています。(ペテロ第一 2:21-25; 3:7)キリストは,自分個人の願いや好みよりも弟子たちの福祉と益を常に優先されました。そして弟子たちの霊的および身体的な福祉に関心を持ち,弟子たちの限界を考慮に入れておられました。夫たちはキリストの愛の手本に倣い,妻に対して「同じように」振る舞うべきです。

順調な結婚生活は偶然に生まれるものではありません。夫と妻の双方が,結婚生活を成功させるのに役立つ事柄を知っていなければなりません。ですから,ペテロは夫に対して,「知識にしたがって」妻と共に住むようにと助言しています。夫は,エホバとみ子であるイエス・キリストがどのように女性を扱われたかを学ぶ必要があります。また,神が夫にどのように自分の妻を扱うことを求めておられるかを知らなければなりません。

それに加えて夫は,妻をよく知る,つまり妻の感情,体力,限界,好き嫌いを知る必要があります。妻の知性,経験,尊厳にどのように敬意を払うかを知る必要があります。聖書は次のように述べています。「夫たちよ,妻を愛し続けなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を引き渡されたのと同じようにです。このように,夫は自分の体のように妻を愛すべきです。妻を愛する人は自分自身を愛しているのです。自分の身を憎んだ者はかつていないからです。むしろ人は,それを養い,また大切にします」― エフェソス 5:25,28,29。

妻に誉れを配しなさい

ペテロは女性を「弱い器」と呼ぶと同時に,夫に対して,『妻に誉れを配す』べきであるとも述べました。ギリシャ語のティメーという名詞は誉れ,尊重,価値,貴さといった意味を伝えています。誉れを配するとは,言い換えれば,単に好意を示すことではなく,女性に当然与えられるべきものを認めるということです。パウロは男女を問わずすべてのクリスチャンに,「兄弟愛のうちに互いに対する優しい愛情を抱きなさい。互いを敬う点で率先しなさい」と命じました。―ローマ 12:10。

エホバ神は決して女性を単なる飾り物とみなしてはおられません。イスラエルにおいては,姦淫,近親相姦,獣姦その他の罪を犯した者に対して,神の律法は男にも女にも同じように適用されました。(レビ記 18:6-17,23,29; 20:10-12)女性は,安息日,ナジル人を律する律法,祭り,および律法の他の多くの規定の益にあずかりました。(出エジプト記 20:10。民数記 6:2。申命記 12:18; 16:11,14)子供は父親ばかりでなく母親をも敬い,母親に従うべきでした。―レビ記 19:3; 20:9。申命記 5:16; 27:16。箴言 1:8。

箴言 31章の10節から31節では,「有能な妻」が大いにたたえられています。多くの責任を果たすに当たって,忠実で,勤勉で,よく知恵を働かせるからです。有能な妻は,家業に従事することや,他の財政上の問題を取り扱うことも当然認められていました。女性をただの装飾のように考える一部の男性の態度とは大きな違いです。時代が下って,初期のクリスチャン会衆においては,女性たちも聖霊により,キリストの証人として力を付与されました。(使徒 1:14,15; 2:3,4。ヨエル 2:28,29と比較してください。)したがって,女性の中には,天で裁き人になり,男性や女性,さらにはみ使いたちをさえ裁くことになっている人たちがいます。(コリント第一 6:2,3)女性が会衆の集会で教えるべきでなかったことは事実です。しかしそれでも,クリスチャンの女性には,祈ったり,預言したりすることのできる場がありました。また,若い婦人や子供たち,それに,会衆外の人々を教える仕事が与えられていました。―マタイ 24:14。コリント第一 11:3-6。テトス 2:3-5。詩編 68:11と比較してください。

ペテロが何を念頭において妻に誉れを配するようにと述べたかを知る上で,もう一つ良い手がかりとなるのは,ペテロ第二 1章17節です。この聖句によれば,エホバは,「これはわたしの子,わたしの愛する者である」と述べて,ご自分がイエスを是認していることを他の人々の前で表明し,イエスに誉れをお与えになりました。同様に夫も,自分が妻に誉れを配していることを,人前でも家庭内でも,行ないによって示さなければなりません。

命を受け継ぐ者

歴史を通じて,男性は,多くの場合,女性を誉れや敬意に値しない者,つまり奴隷とみなすか,または男性を満足させるための単なる道具とみなしてきました。女性に誉れを配するというキリスト教の考えは,確かに,女性の地位を敬意に値するレベルに高めるものです。「バーンズの新約聖書注解」は次のように述べています。ペテロの訓戒には「女性に関する非常に重要な真理が含まれている。キリスト教を除くすべての宗教体制において,女性はあらゆる点で男性に劣っていると考えられてきた。キリスト教は,……宗教が与える希望と約束すべてにあずかる権利が女性にある……ことを教えている。この真理だけでも,あらゆる場所の女性を卑しめられた地位から引き上げ,人類の社会悪の半分を直ちに防止する働きをするであろう」。

キリストは男性と女性の両方の所有者であられますから,夫には,妻をキリストの所有物として大事に扱う重大な理由があります。ペテロは女性を「弱い器」と呼んでから,こう言葉を続けています。「あなた方は,過分の恵みとしての命を妻と共に受け継ぐ者でもあるからです。そうするのは,あなた方の祈りが妨げられないためです」。(ペテロ第一 3:7後半)ペテロは,夫が妻を虐待するなら,その人と神との関係は損なわれ,その人の祈りは阻まれることを指摘しています。

「弱い器」という語は女性を侮辱するために使われたものでは決してありません。エホバは夫を家の頭とされましたが,男性が女性を虐待することを承認されたわけではありません。それどころか,男性は女性に関する知識にしたがって女性に気遣いを示し,誉れを与えるべきであることを教えておられます。

聖書は,既婚の男性に対しても独身の男性に対しても,女性に誉れを配し,劣った人間として扱わないよう教えています。神を熱心に崇拝し,互いに尊厳を認め合う男女は,神のみ手から豊かな祝福を得ることでしょう。―コリント第一 7:16と比較してください。

[19ページの図版のクレジット]

Miss G. E. K. / 画家: Alice D. Kellogg 1862-1900

Joanne W. Bowieの厚意による

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