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  • エホバの偉大な霊的神殿
    ものみの塔 1996 | 7月1日
    • 5 文字どおりの神殿の祭壇は何を表わしていましたか。

      5 犠牲として差し出されたイエスの体を神が受け入れられたということは,霊的な意味で,エルサレムの神殿のものより偉大な祭壇が前面に出て来ていたことを意味しました。動物が犠牲として差し出された文字どおりの祭壇は,その霊的祭壇を予表するものでした。その霊的祭壇とは,要するに,イエスの人間の命を犠牲として受け入れる神の「意志」もしくは取り決めのことでした。(ヘブライ 10:10)使徒パウロが仲間のクリスチャンにあてて,「わたしたちには,天幕[または,神殿]で神聖な奉仕をする者たちもそれから食べる権限を持たない祭壇があります」と書くことができたのも,そのためです。(ヘブライ 13:10)言い換えれば,真のクリスチャンは,ほとんどのユダヤ人祭司が退けた,より勝った贖罪の犠牲の恩恵に浴するのです。

  • エホバの偉大な霊的神殿
    ものみの塔 1996 | 7月1日
    • 人間としての生涯においてこの時以降,詩編 40編6節から8節の言葉を成就されたことは明らかです。後に使徒パウロが記した,「犠牲や捧げ物をあなたは望まず,わたしのために体を備えてくださった」という言葉に示されているとおりです。(ヘブライ 10:5)ですから,イエスは,エルサレムの神殿で引き続き動物の犠牲がささげられることを神が『望まれない』というご自分の認識を示されたことになります。むしろ神はイエスのために,犠牲としてささげる完全な人間の体を用意されたのであり,イエスはそのことを悟っておられたのです。その犠牲がささげられたなら,動物の犠牲をささげる必要はもはやなくなります。イエスは神の意志に服したいという心からの願いを示し,続けて祈りの中でこう言われました。「ご覧ください,わたしは参りました(書の巻き物にわたしについて書いてあります),神よ,あなたのご意志を行なうために」。(ヘブライ 10:7)イエスはその日,後にご自分の弟子になる人全員のために,勇気と無私の専心に関する何とすばらしい模範を示されたのでしょう。―マルコ 8:34。

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