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  • わたしの愛にこたえてくれなかったなら,どうしたらいいだろう
  • 目ざめよ! 1998
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目ざめよ! 1998
目98 6/22 12–14ページ

若い人は尋ねる…

わたしの愛にこたえてくれなかったなら,どうしたらいいだろう

「わたしすごく悩んでいるんです。彼を好きになってしまったんです。でも,彼がわたしのことをどう思っているのか分かりません。どうしたらいいのでしょう。自分の気持ちを打ち明けるべきでしょうか。いいえ,とてもできません。そんなことしたら,ほかの人はわたしのことを何と言うかしら」― ヒューダ。a

レバノン人の若い女性ヒューダは,ある男性が好きでしたが,それは片思いでした。これは珍しい問題ではありません。ゼイナという名の若い女性も,同じような経験をしました。ゼイナは,思い起こしてこう言います。「彼は近所に住んでいたので,毎日見かけました。とても魅力的でハンサムでした。それで,好きになりました」。

もちろん,だれかに対して熱烈な気持ちを抱くことは,その人がクリスチャンにふさわしい結婚相手ならば,何も間違ったことではありません。(箴言 5:15。コリント第一 7:39)また,若い女性が結婚して家庭を持ちたいと思うことも,間違ったことではありません。しかし,好きになった人がこちらの気持ちを知らない場合 ― つまり,片思いの場合 ― は,どうしたらいいでしょうか。

恋煩いの心痛

あなたもヒューダのように,感情面のあらしのただ中にいるように思えるかもしれません。浮き浮きしたかと思うと,たちまち打ち沈んだ気分になるのです。ゼイナは,「自分は世界一幸せな少女だと思う時もあれば,世界一不幸だと思う時もあるんです」と言いました。片思いは,思い煩い,不眠,場合によってはうつ病の原因になることもあります。

聖書の箴言 13章12節には,「延期される期待は心を病ませる」とあります。そして,期待が全く実現しなければ,気が狂いそうになることもあります。四六時中その人のことを考え,その人についてのどんなささいなことでも聞きたくてたまらなくなります。その人の気を引くための方法や,一緒にいるための見え透いた口実を考えたりするかもしれません。ところが,その人のそばにいると,普通に振る舞うのが難しいと気づくこともあるでしょう。

意中の人が,特別な関心を向けてくれたかと思えば,別の時には全く関心がないような素振りだったりすると,特に頭の中が混乱してしまいます。そしてその人が,だれかにいろいろ気遣いを示したり,他の人たちに純粋な親切や礼儀正しさを示したりしているのを見ると,ねたみの気持ちが生じます。聖書はこう述べています。「激しい怒りの残酷さがあり,また怒りの洪水もある。しかし,ねたみの前にはだれが立ち得ようか」― 箴言 27:4。

ヒューダはそれを認め,「言葉で言い表わせないほどの苦々しい嫉妬心を抱きました。事を正さなかったなら気が狂ってしまったかもしれません」と言っています。自己嫌悪に陥ることもあります。「好きになってくれない人を好きになってしまった自分を責め,また自分を苦しめている自分自身を責めました」とヒューダは言います。

西洋の国々では,若い女性はごく自然に若い男性に近づいて遠慮なく自分の気持ちを伝えられると思うかもしれませんが,若い女性なら皆そうするというわけではありません。また,ある文化圏では,女の子のほうからそのようなことをするのはふさわしくない,あるいは破廉恥だとみなされます。では,こちらの愛にこたえてくれない人を好きになったならどうすればいいのでしょうか。

自分の気持ちを吟味する

まず,自分の気持ちを冷静に,客観的に吟味してみることです。聖書は,「自分の心に依り頼んでいる者は愚鈍であ(る)」と警告しています。(箴言 28:26)なぜでしょうか。心が下す判断は往々にして間違うからです。(エレミヤ 17:9)そして,愛だと思っていたものが,結局は別の感情だったということもよくあります。ヒューダはその点を認めています。「関心や愛情を示してもらうことが必要でした。わたしのことを愛し,気遣ってくれる人が必要だったのです。わたしは子供のころから,愛情を示されたことがありませんでした。それが大きく影響していました」。もし,愛情のない,もしくは虐待を受けるような家庭環境で育ったのであれば,あなたも,愛されたい,認めてもらいたいと思うことでしょう。しかし,ロマンティックな関係を持てば,感情の渇きは癒されるのでしょうか。

残念ながら,むなしさや寂しさを感じている人は,結婚してもあまり良い配偶者となれない場合が少なくありません。それらの人は,自分にとって是非とも必要だと思っているものが得られると期待して結婚生活に入ります。しかし,真の幸福は,得ることからではなく,与えることからもたらされるのです。(使徒 20:35)また,もし自分自身にある程度満足し,「自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも目を留め(ている)」なら,女性は結婚生活を送る上ではるかによい備えができていると言えます。―フィリピ 2:4。

結婚するのが当然という風潮の中にいると,異性から少しの関心を示されただけで過度に反応してしまいがちです。若い女性は,友達や家族の影響で,恋愛をしたいと思うようになることがあります。ある社会では,女性は結婚適齢期になるとすぐに結婚すべきだということが非常に強調されています。「中東の女性たち」(英語)という本は,「女性が30近くになってもまだ独身だと,家族の大きな心配の種になる」と述べています。父親が娘をなるべく若いうちに結婚させようとするのは,世間体を気にするからかもしれません。

しかし,聖書の原則は文化に優先します。そして,聖書は若い人たちに,『若さの盛りを過ぎる』まで結婚を待つよう勧めています。(コリント第一 7:36)では,結婚するよう親や友達から過度の圧力をかけられていると思えるなら,どうすればよいでしょうか。聖書は敬虔なシュラムの娘が,『愛がその気になるまでは,それを目覚めさせたり,呼び起こしたりしない』ことを仲間の娘たちに厳粛に誓わせた,と述べています。(ソロモンの歌 2:7)あなたも,同様の毅然とした態度で自分の気持ちを述べるなら,多分,分かってもらえるでしょう。ご両親が神を恐れる方であれば特にそう言えます。

現実を直視する

それでも,やがては自分が愛していると思っているその人に関する真実を直視しなければなりません。そうするのは容易なことではなく,感情面で痛手となるかもしれません。しかし聖書は,「真理を買え。それを売ってはならない」と訓戒しています。(箴言 23:23)こう自問してください。『愛していると言える道理にかなった根拠が何かあるだろうか。その人のことをどれほどよく知っているだろうか。その人の考えや気持ち,意見,くせ,価値観,能力,才能,生き方についてどんなことを知っているだろうか』。

もう一つ考えなければならないのは,その人はあなたに真の関心を何か示してきたかどうかという点です。単なる親切や親しみ深さを取り違えてしまうことはよくあります。ヒューダはこう言います。「彼は親切に接してくれていたのですが,わたしはその言動を個人的な関心の表われと解釈したのです。それを望んでいたからです。彼がわたしに関心を持っていないことが分かると,屈辱を感じました。わたしには彼から関心を示されるだけの価値がないんだ,何か良くない所があるんだ,と思いました」。

あなたも,似たような経験をして同じような気持ちになったかもしれません。でも,その人の目に適っていなかったとしても,ほかの人の目にも適わないというわけではないことを理解してください。世界に若い男性はその人しかいないわけではないのです。

心の痛手から立ち直る

それでも,心の痛手から立ち直るにはしばらく時間がかかるでしょう。何が助けになるでしょうか。一つは,心を開いて,「真の友」,つまり話を聴いてくれる円熟したクリスチャンに気持ちを打ち明けることです。(箴言 17:17)会衆には相談相手になれる年上の女性がいるかもしれません。クリスチャンの親も,助けや支えを差し伸べる大きな役割を担っています。ゼイナはこう述懐しています。「わたしが悩んでいることに会衆の一人のクリスチャンの女性が気づきました。その人はわたしを助けることのできる円熟した人でした。一緒にいると気持ちが落ち着くので,何もかも話しました。その人は,親に話すよう励ましてくれました。それで,両親に話したところ,両親は分かってくれ,助けてくれました」。

祈りの力も忘れないでください。(詩編 55:22)ヒューダは,「エホバに祈ることが,心痛を和らげる助けになりました。それに,『ものみの塔』誌や『目ざめよ!』誌の有益な記事も読みました」と言います。それに加えて,自分を孤立させないことも大切です。(箴言 18:1)他の人たちとかかわりを持ってください。ゼイナは思い起こしてこう言っています。「もう一つ役立ったのは,忙しくしていて,開拓者[全時間の福音宣明者]になったことです。会衆内のほかの女の人たちとの交わりを増やすようにもしました。こうした交わりは,霊的に進歩するのに役立ちました」。

聖書は確かに,「愛するのに時があ(る)」と述べています。(伝道の書 3:8)あなたも,愛情にこたえてくれる人にやがて巡り合えるかもしれません。エホバ神は人間を,夫婦愛の快さを享受したいという願望を持つ者として創造されました。あなたもゆくゆくは偉大な造り主のこのすばらしい備えに実際にあずかることができるでしょう。それまでの間,使徒パウロが述べているように,「思い煩いがない」独身の時を最大限に活用してはいかがですか。(コリント第一 7:32-34)いずれにしても,聖書のこの約束の成就を確信できます。「あなた[エホバ]はみ手を開いて,すべての生きているものの願いを満たしておられます」― 詩編 145:16。

[脚注]

a 関係者のプライバシー保護のために,名前は仮名を使っています。

[13ページの写真]

親切を取り違えることもある

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