ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 目95 5/22 24–26ページ
  • 親に欠けている点がある場合,どうなのだろう

視聴できるビデオはありません。

申し訳ありません,ビデオをロード中にエラーが発生しました。

  • 親に欠けている点がある場合,どうなのだろう
  • 目ざめよ! 1995
  • 副見出し
  • 関連する記事
  • 親を敬うとは,実際には何を意味するか
  • 怒りや憤りに対処する
  • 『親を変えてみせる』
  • 自分の救いを達成する
  • 親が薬物やアルコールに依存しているなら,どうすればいいだろう
    若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え,第2巻
  • 家を出た親にはどう接したらよいのだろう
    目ざめよ! 1990
  • どうすれば独り身の親の助けになれるだろうか
    目ざめよ! 1991
  • 親のせいで恥ずかしく感じる時はどうすればよいのだろう
    目ざめよ! 1992
もっと見る
目ざめよ! 1995
目95 5/22 24–26ページ

若い人は尋ねる…

親に欠けている点がある場合,どうなのだろう

「父はクリスチャンになって10年になります。でも今は,不活発なんです。聖書を研究しませんし,集会にも定期的には出席していません。会衆のクリスチャンの兄弟たちのことを絶えず批判しています。人種や,ほかの色々な事柄について世的な見方をします。父には欠けている点がたくさんあると思います」― ある十代の少女。

完全な親は一人としていません。「すべての者は罪をおかしたので神の栄光に達しない」と聖書は述べています。(ローマ 3:23)しかし,母親や父親が,外では模範的なクリスチャンとして振る舞いながら,家では醜く変身するとなると話は別問題です。ある年若い少女は,「ほかの人がいると,父は感じがいいんです。でも,家に一歩入ると別人になってしまいます。父は意地悪なんです。私が何をしても批判的で,家族中を不愉快な気持ちにさせます。生活に何の喜びも見いだせない状態です。父に対して,憎しみしか感じません」と言っています。

人知れず,様々な形の虐待を受けている若者にとって,怒りや憤りは特に強いものかもしれません。メアリーという女性は,隠れアルコール依存者である父親から受けた「ありとあらゆる暴力や冒とく,虐待」について書いています。彼女は,「人々は,私たち子供の所にやって来ては,あなたたちのお父さんは本当にすばらしい父親だわ,本当に幸せね,と言うのです」と,苦々しい気持ちで昔を回顧します。

聖書は,あらゆる種類の偽善を非としています。(ヤコブ 3:17)また,神の真の崇拝者の中にさえ,「自分がどんな者かを隠す」者たちがいることを警告しています。(詩編 26:4。ユダ 4と比較してください。)しかし,こうしたことを知ってはいても,偽善を働いているのが自分の親 ― あなたが愛し,敬意を示すべきはずの人 ― なら,事態は少しも楽にならないでしょう。若者たちの中には,相反する感情がわき上がり,それに圧倒されてしまう人もいます。一人の少女は,「助けが必要なんです。聖書は『父を敬いなさい』と言っています。でも,できないんです」と語っています。

親を敬うとは,実際には何を意味するか

確かに,親を敬うようにとの聖書の命令には,自分の親は敬うに値しないと感じる若者のための『免責条項』など含まれていません。(エフェソス 6:1,2)しかし,親を敬うとは,必ずしも親の生き方を認めるとか,あなたに対する扱い方をうれしく思うという意味ではありません。聖書中の「敬う」という言葉は,単に,正式に任命された権威を認めるという意味にとることができます。

例えば,使徒ペテロは,クリスチャンは『王を敬う』べきであると書きました。(ペテロ第一 2:17)ペテロは,王たちが多くの場合,芳しくない性格の人物だということを体験を通して知っていました。一例として,王ヘロデ・アグリッパ1世は突飛で無分別な人でした。彼は,ローマ帝国によりパレスチナの王に任命された後,クリスチャンを迫害するようになりました。王ヘロデは『ヨハネの兄弟ヤコブを剣にかけて除き去り,それがユダヤ人の気に入るのを見て,彼はさらにペテロをも捕縛した』のです。(使徒 12:1-3)それでも,ペテロは反逆するようにとは勧めず,かえって,王への従順を奨励しました。それにはもっともな理由がありました。世の支配者たちに対して従順を示すことは,エホバのご意志ですし,ペテロの時代には,絶対的な権力や権威を有する王もいたからです。ソロモンは次のように述べています。「王はすべて自分の喜びとすることを行なう……。なぜなら,王の言葉は支配の力だからである。だれが,『あなたは何をしているのか』と彼に言うことができようか」― 伝道の書 8:3,4。

同様に,あなたの親は,どんな欠点を持っていようとも,やはり責任ある立場にあり,あなたの生活にかなりの影響力を及ぼします。それで,親に反抗したり,親を横柄に扱ったりするのは,決して賢いことではありません。そうするなら,生活はもっと難しいものとなるばかりでなく,神の恵みを失う原因ともなりかねません。(箴言 30:17; 伝道の書 10:4と比較してください。)一方,できる限り親に協力するなら,少なくとも平和や平穏な関係を一応保つのに役立つでしょう。―コロサイ 3:20。

怒りや憤りに対処する

とは言っても,自分を傷つけたり失望させたりする相手に,どのように敬意を示せるでしょうか。これは容易ではありません。しかし,絶えず親の間違いや欠点について考えているなら,結局,憤りを育むことになるでしょう。親に対してもっと積極的な見方をし,親の持っているどんな良い特質にも当然の誉れを示す必要があるのではないでしょうか。

箴言 19章11節で述べられていることに注目してください。「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする」。親のことを理解しようとするなら,物事に対して新たな見方ができるようになるかもしれません。親の振る舞いは本当によこしまなのでしょうか。それとも,それは単に,親が弱かったり,落胆していたり,助けを必要としていたりするためなのではないでしょうか。親の示す態度は,病気や,憂うつな気持ち,孤独感,仕事上のストレスのためだという可能性はありませんか。もしそうなら,これらの問題を理解することは,親にもっと同情心を感じ,おそらく怒りの気持ちを和らげるのに役立つでしょう。

どんな場合でも,だれかに自分の気持ちを話すのは助けになります。(箴言 12:25)ある少女は,昔を思い出してこう語っています。「父は以前すごくお酒を飲んでいました。自分の気持ちを両親に話すことができなかったので,全部自分の中にしまい込んでしまいました」。しかし,一人で苦しむ必要はありません。クリスチャン会衆内の円熟した人々は,親の代わりにはなれませんが,家庭でどんな世話が不足しているとしても,それを埋め合わせる点で多くのことができます。(マルコ 10:30と比較してください。)箴言 17章17節は,「友人は常に愛を示す。難儀を共にしないとすれば,何のための兄弟か」と述べています。―「今日の英語訳」。

『親を変えてみせる』

間違った責任感のため感情面で苦しむ若者もいます。メアリーは,次のように自分自身や自分の兄弟について述懐しています。「私たちは,父の飲酒の問題が,だれかに知られてしまうのではないかという恐怖心を抱いて生活していました」。怠慢な親を変化させようとして無駄な試みを繰り返し,自分がへとへとになってしまう若者もいます。

親のことを愛し,心配してはいても,あなたが親の欠点の責めを負う必要は全くないのです。親は,神のみ前での責任という「自分の荷を負う」のです。(ガラテア 6:5; ヤコブ 5:14と比較してください。)あなたには,親の行動を監視したり,コントロールしたりする責任はないのです。親に向かっていつもぶつぶつ小言を言ったり,がみがみ言ったりするなら,親をいらいらさせるだけです。

あなたにできることは何もないという意味ではありません。少なくとも,親の心が変化するよう,『絶えず祈る』ことができます。(テサロニケ第一 5:17)ふさわしい場合には,繰り返し愛を示したり心からほめたりすることも,親の態度を和らげる助けになるかもしれません。そのほかに,自分の置かれた状況で,できる限り耐え忍ぶしか方法はないということもあるでしょう。a

もちろん,あなたもあなたの親もクリスチャンで,親がアルコール飲料の乱用や激発的な怒りなど,重大な悪行をおかしているなら,そうした問題が会衆の長老たちと話し合われているかどうか確かめなければならないと当然感じることでしょう。(ヤコブ 5:14)それは不忠節な行為ではありません。それどころか,本当に必要としている援助を親が得られるようにするのは愛のあることなのです。確かに,どんな悪行もおかしていないと腹を立てながら否定し,人の知らないところで仕返しをする親もいます。しかし,この点で「義のために苦しみを受ける」若者は,エホバがその勇敢な行動を是認され,しかるべき時に真実を明らかにされると確信することができます。―ペテロ第一 3:14。テモテ第一 5:24,25。

自分の救いを達成する

ソロモンは,「単なる虐げが賢い者に気違いじみた行動を取らせることがあ(る)」と述べました。(伝道の書 7:7)残念ながら,ある若者たちは,親の貧弱な手本ゆえに苦々しい思いを募らせ,非行を働くようになりました。神に向かって激怒し,クリスチャンの生き方をやめてしまった若者さえいます。(箴言 19:3)聖書は,「激しい怒りに誘い込まれて悪意に満ち[た行動をする]ことのないように気をつけよ。……あなたが有害なことに向かわないよう用心するように」と警告しています。―ヨブ 36:18-21。

神のみ前での親の立場を過度に心配するより,「恐れとおののきをもって自分の救いを達成してゆ(く)」必要があります。(フィリピ 2:12)昔,同じような状況下にいたヒゼキヤという若い王子もそうしました。父親のアハズ王は,自分はエホバの崇拝者だと主張しました。(イザヤ 7:10-12)実のところ,アハズ王は自分の子さえも人身供犠としてささげる,異教の神々の崇拝者だったのです。(列王第二 16:1-4)若いヒゼキヤにとって,広くはびこっていたその背教がどんなに苦痛をもたらすものだったか,想像してみてください。詩編 119編28節は,この若い王子が書いたと考える人もいますが,そこにはこう書かれています。「わたしの魂は悲嘆のあまり眠れませんでした。み言葉にしたがってわたしを起き上がらせてください」。

エホバはその通りのことを行なわれました。ヒゼキヤが祈りと神の言葉の研究に身を打ち込むにつれ,周囲の状況にかかわらず霊性は強まってゆきました。(詩編 119:97)ヒゼキヤは交わりにも注意深く用心しました。(詩編 119:63)どのような結果になったでしょうか。ヒゼキヤは,偽善的な父親の非常に悪い手本にもかかわらず,「エホバに付き従っていた」のです。(列王第二 18:6)あなたもそうすることができます。もしかすると,親は偽善的に振る舞っているかもしれませんが,親に倣う必要は全くないのです。エホバにずっと付き従ってください。あなたが黙々と忠節の模範を示せば,いつの日か,親も変化するよう動かされるでしょう。

[脚注]

a これは,身体的,性的虐待を耐えなければならないという意味ではありません。そうした状況にいる若者は助けを求めるべきであり,助けを家族以外のところに求めることになるとしてもそうすべきです。

[25ページの図版]

親に欠けている点があるからといって,自分もそうなる必要はない

    日本語出版物(1954-2026)
    ログアウト
    ログイン
    • 日本語
    • シェアする
    • 設定
    • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
    • 利用規約
    • プライバシーに関する方針
    • プライバシー設定
    • JW.ORG
    • ログイン
    シェアする