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家族が治りにくい病気にかかったとき目ざめよ! 2000 | 5月22日
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家族が治りにくい病気にかかったとき
ダトイ家の幸福そうな雰囲気は,周囲の人々に伝わります。互いに温かな愛を示し合う様子が,見ていても楽しいのです。会っただけでは,大きな苦しみに耐えてきた人たちだとは思えないことでしょう。
親であるブラムとアンはまず,初めての娘ミシェールが,2歳のときに,筋肉が衰えてゆく慢性的な遺伝性疾患を抱えていることを知りました。
母親のアンはこう説明します。「体の機能が失われてゆく慢性病にどう対処してゆくかを,急に学ばなければなりません。家族として今までのような生活はできない,ということも分かってきます」。
ところが,さらに娘と息子が生まれた後,この家族にまたも悲劇が訪れました。ある日,3人の子どもたちが外で遊んでいたとき,娘二人が家の中に駆け込んで来ました。大声で,「ママ,ママ,早く来て! ニールが変なの!」と言いました。
母親が飛び出してみると,3歳の息子ニールは頭を片方にだらりと垂らしていました。頭をまっすぐに保つことができなかったのです。
アンはこう思い起こします。「がく然としながら,すぐに悟りました。健康だったこの子も,姉と同じ筋肉衰弱の病気を抱えて生きてゆかなければならないのです。胸が痛みました」。
父親のブラムはこう話します。「健康な家族として出発した喜びもつかの間でした。かつて直面したことのない難しい状況と取り組まなければならなくなったのです」。
やがて姉のミシェールは,病院で最善の治療を受けたにもかかわらず,その持病に起因する合併症で死亡しました。その時,まだ14歳でした。ニールは,病気との闘いを続けています。
こうしたことを見ると,尋ねたくなります。治りにくい病気の人がいるダトイ家のような家族は,その状況にどう対処しているのでしょうか。それに答えるために,治りにくい病気が家族にどのような影響を与えるかを考えてみましょう。
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治りにくい病気 ― 家族みんなの問題目ざめよ! 2000 | 5月22日
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治りにくい病気 ― 家族みんなの問題
慢性疾患とは何でしょうか。簡単に言えば,長期にわたる疾患のことです。さらに,慢性疾患を,「単純な外科的処置や短期間の治療では治らない異常な健康状態」と説明する学者もいます。慢性の疾患やその影響の難しい面は,単にその病気の性質や治療法だけでなく,長期にわたってそれを耐え忍ばなければならない点です。
さらに,慢性的な病気の様々な影響が,当の患者だけにとどまるということはまれです。「人はたいてい家族の一員であり,あなた[患者]が感じる衝撃や不安は,身近な人たちも感じている」と,「運動ニューロン疾患 ― 家族みんなの問題」(英語)という本は述べています。がんにかかった娘の母親も同じ点を挙げています。「そのことを示すか,意識するかどうかにかかわりなく,家族のだれもが影響を受けます」と述べています。
もちろん,すべての人が同じように影響を受けるわけではありません。しかし,家族内のだれにせよ,慢性的な病気が一般にどのような影響を人に与えるかについて理解していれば,自分の状況でそれぞれの問題に取り組むよい備えができるでしょう。また,当の家族ではない,職場や学校の仲間,近くに住む人や友人たちも,長期の病気が及ぼす影響を理解しているなら,感情を配慮した,意味のある支えの手を差し伸べることができるでしょう。その点を念頭に置いて,慢性的な病気から家族がどのような影響を受けるのか,幾つかの面に注目しましょう。
不慣れな土地を行く旅
家族として長期の疾患に対処してゆくのは,外国の土地を旅行するのに似ています。その家族にとって,ある面では自分の国にいるのと大体同じでも,他の面ではなじみがなく,全く異なっているものもあります。家族のだれかが慢性的な病気にかかっても,生活の仕方に関して多くの事はそれまでとあまり変わらないでしょう。しかし,かなり違ってくる面もあります。
まず,病気そのものが家族の日課に影響し,その状況に対応するため事情を調整することが各人に求められるでしょう。母親が重度の慢性的なうつ病である,14歳の少女ヘレンの場合もそうでした。「わが家では,いつでも,母のできる事とできない事に応じてその日の予定を調整します」と述べています。
病状を軽減するための治療でさえ,家族の新たな日課にいっそうの変化をもたらす場合があります。前の記事で紹介したブラムとアンの場合を考えてください。「子どもたちに治療を受けさせるために,私たちは日常の活動を大きく調整しなければなりませんでした」とブラムは言います。アンはこう説明します。「私たちは毎日,通院していました。その後,通院だけでなく,病気による栄養の摂取不足を埋め合わせるため,子どもたちの食事を1日6回に分けて少しずつ与えるよう医師から勧められました。それは私にとって,料理に対する全く新たな取り組みでした」。それよりさらに大きな仕事となったのは,子どもたちに筋力強化のための決められた運動をさせることでした。「それは毎日,意志力の闘いでした」とアンは述懐しています。
病気の本人が,医療処置そのもの,また医療従事者から注目を浴びることなどに伴う不安,時には苦痛にも順応してゆくに当たって,実際的な助けを得,感情的な支えを受ける点で,家族に依存する度合いはだんだんに増してゆきます。そのため家族は,患者の身の回りの世話ができるよう新たな技術を習得すると共に,みんながそれぞれ自分の態度,感情,生活の仕方,日常の予定などを調整してゆかなければならないでしょう。
当然ながら,こうしたことすべては,家族の忍耐をいっそう求めるものとなります。娘が病院でがんの治療を受けていた時のことについて,その母親は,それが「ほかのだれも想像できないほど人を困ぱいさせる」ことを認めています。
付きまとう不安
「長期の病気には絶えず浮き沈みがあり,どうなるか分からないという不安が付きまとう」と,「慢性疾患に対処する ― 無力感の克服」(英語)という本は述べています。家族の成員は,ある状況にようやく慣れたころに,また新たな,恐らくはさらに難しい状況に直面することが少なくありません。症状が安定しなかったり,突然悪くなったり,あるいは治療の効果が期待したようには上がらないこともあるかもしれません。時の経過とともに治療法を変えなければならず,予期しなかった合併症が起きるかもしれません。患者は家族からの支えにいっそう頼り,家族はまごつきながらも懸命に支えようとしているうちに,それまで抑えてきた感情が突然に爆発してしまうこともあります。
病状も治療効果も予測のつかないことが多いため,おのずと次のような疑問が生じます。この状態がいつまで続くだろうか。この病気はどこまで悪くなるのだろう。あとどれほど耐えられるだろうか。そして病気が終末に近づくと,「死を迎えるまでにどれほどあるだろうか」と,最終的な点が問われるようになります。
病気そのもの,加えて治療のための種々の制限,消耗,前途の不安などが重なって,予期せぬ別の問題が生じます。
社会生活に及ぶ影響
「私は,社会から孤立して,しかも身動きがとれないという強い感情と闘わなければなりませんでした」。慢性的うつ病の夫を持つカトリーンはこう説明し,さらにこう述べています。「状況は冷酷でした。私たちは他の人との社交的な交わりを望んでも,招待を差し伸べることも,それに応じることもできなかったからです。結局のところ,社交上の接触はほとんどなくなってしまいました」。カトリーンと同じように,人をもてなすことができず,招きにも応じられないという,とがめの気持ちを抱える人も少なくありません。なぜそうなるのでしょうか。
疾患そのもの,または治療の副作用のために,社交的な行事への参加が難しく,不可能な場合さえあります。家族や患者が,その疾患を人目にさらすのをためらったり,人に気まずい思いをさせるのではないかと心配したりもします。うつ病の人が自分は以前のような友情を示されるに値しないと思ったり,家族のほうに他の人と社交的な交わりを持つ力が残っていないという場合もあります。長く続く病気を抱えていると,そうした様々な理由で,家族の全員が人々から取り残されたような寂しい気持ちに陥りやすいものです。
その上,障害を抱えた人のそばで何を話し,どのように対応したらよいかをすべての人がわきまえているわけではありません。(11ページの「どうすれば支えになれるか」という囲み記事をご覧ください。)「子どもがほかの子どもたちと違っていると,多くの人はただ眺めて,思いやりのないことも言いがちです」とアンは言います。「しかし実際は,その疾患のことで親は自分をとがめてしまいやすく,他の人の言うことによって自分が責められているような気持ちになるだけなのです」。アンのこの言葉は,他の家族も経験するであろう別の面に触れています。
感情の乱れ
ある研究者はこう述べています。「診断結果を聞くと,たいていの家族は驚き,信じず,否定しようとします。耐え難いのです」。確かに,愛する者が命にかかわる,あるいは衰弱してゆく病気にかかっていることについて知らされると,打ちひしがれる思いがします。夢も希望も砕かれ,この先どうなるか分からず,深い喪失感や悲嘆を味わう家族もあることでしょう。
もちろん,苦しみの症状が原因も分からないままに長引くのを見てきた家族であれば,診断の結果にほっとすることもあるでしょう。とはいえ,同じ診断結果でも,家族によっては異なった反応を示す場合があります。南アフリカのある母親はこう認めています。「自分の子どもに関して結局良くないことを知らされて,とてもつらい気持ちでした。正直なところ,診断結果を聞かなければよかったと思うほどでした」。
「家族内の特別な子 ― 病気や障害の子どもと生きる」(英語)という本は,「この新たな現実に適応してゆく過程で……感情の動揺を経験するのは自然なことです。感情が高ぶって,抑えきれないように思えることもあるでしょう」と説明しています。この本の著者で,嚢胞性線維症の二人の息子の母であったダイアナ・キンプトンは,「私は,自分自身の感情にびっくりしましたが,受け入れがたく思うのも当然であるということを知る必要がありました」と述べています。
家族が不安を感じるのは異常なことではありません。分からない事柄,疾患そのもの,治療の方法,痛み,死など,どれも不安のもとになります。とりわけ子どもは,言葉に出せない不安をあれこれ抱いている場合があります。何がどうなっているかについて筋の通った説明が与えられなければ特にそうです。
怒りの感情もよく見られます。南アフリカのTLC誌は,「家族の人たちは患者の怒りの気持ちの巻き添えになる場合が多い」と説明しています。家族のほうも憤まんを持つ場合があります。医師がもっと早く問題を突き止めてくれなかったこと,自分たち自身が遺伝的な欠陥を伝えたこと,患者当人がきちんと自分のすべきことをしなかったこと,悪魔サタンがこのような苦しみを引き起こしたことに対して,さらには,その疾患の大もとであるかのようにみなして,神に対してさえ憤まんを持つかもしれません。また,自分を責める気持ちも,長期の患者を抱える人によくある反応です。「がんにかかった子どもの親や兄弟はほとんど皆,自分を責めるような気持ちになる」と,「がんにかかった子どもたち ― 親のための総合案内書」(英語)は述べています。
このように様々な感情のうずのために,程度の差こそあれ,抑うつ状態になりがちです。「これが恐らく,あらゆる反応の中で最も一般的なものであろう。その点を物語る手紙がファイルにたくさんある」と一研究者は書いています。
家族として対処できる
明るい面を述べれば,多くの家族は,そうした状況に対処するのが最初に思ったほど難しくはないことに気づいています。「想像して考えることは実際よりはるかに悪いものとなりがちです」とダイアナ・キンプトンは述べています。彼女は自分の経験から,「先行きが最初に想像するほど暗くなることはまれである」ことに気づきました。長期に及ぶ病気という不慣れな土地の旅を切り抜けた家族も多いのですから,あなたも大丈夫です。うまく対処してきた人たちがいることを知るだけで多少とも安心でき,希望が持てた,という人は少なくありません。
しかしここで,『どうすればうまく対処できるだろうか』と考える家族もあることでしょう。次の記事では,いろいろな家族が治りにくい病気にどのように対処してきたか,幾つかの方法に注目します。
[5ページの拡大文]
家族は,患者を世話すると共に,自分の態度,感情,生活の仕方を調整しなければならない
[6ページの拡大文]
患者も家族も,激しい感情の起伏を経験する
[7ページの拡大文]
くじけてはならない。うまく対処してきた家族もあり,あなたにもできる
[7ページの囲み記事]
治りにくい疾患に伴う事柄
● その疾患と対処法について学ぶ
● 生活の仕方と日常の活動を調整する
● 変化する社交上の関係に対応する
● ふだんどおりの平静さを保って自分を制御する
● 疾患のために失ったものについての悲しみに耐える
● 種々の難しい感情に対処する
● 積極的な見方を保つ
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治りにくい病気に家族としてどう対処するか目ざめよ! 2000 | 5月22日
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治りにくい病気に家族としてどう対処するか
対処するとは,「直面しているストレスに適切に対応すること」とも定義できます。(「テイバーの医学百科」[英語])これは,慢性的な疾患に伴う様々な問題に面する場合でも,ある程度の制御する力と平安とを保ちながらそれに取り組める,ということを意味しています。また,慢性的な疾患は家族みんなのかかわる問題なので,家族として首尾よく対処するには,ひとりひとりの愛のこもった忠節な支えが必要です。では,家族として慢性的な疾患にどう対処できるか,幾つかの場合を見てみましょう。
知識の価値
その障害を治すことはできないとしても,対処法を知っていれば,疾患による精神的,感情的影響を最小限にとどめることができます。古代からの箴言にも,「知識のある人は力を強化している」とあります。(箴言 24:5)家族はどうすれば対処法についての知識を得ることができるでしょうか。
第一段階は,気持ちの通う親切な医師,つまり,患者と家族のために快く時間を取って何でも丁寧に説明してくれる医師を見つけることです。「家族内の特別な子」という本は,「理想的なのは,必要な医療技術すべてを持ち合わせていると同時に,家族全体のことを気遣ってくれる医師」と述べています。
次の段階は,病状を可能なかぎりよく理解できるまで具体的な質問をすることです。しかし,医師の前では緊張して,尋ねたいと思った点を忘れやすいということを覚えていてください。役に立つのは,尋ねたい点を前もって書き出しておくことです。特に,その疾患と治療法について何を予期しておくべきか,またそれに対して何を行なうべきかについて知りたいと思われるでしょう。―「家族が医師に尋ねることのできる点」という囲み記事をご覧ください。
慢性疾患を持つ子どもの兄弟や姉妹には,十分な情報を伝えることが特に大切です。「ごく幼いうちから,どこの具合が悪いのかを説明することです」と,ある母親は勧めています。「ほかの子どもは,何が起きているのかを知らなければ,自分が家族からのけ者にされているように思ってしまう」ことがあるのです。
地元の図書館や書店で,あるいはインターネットで調べて,有益な情報を得ることのできた家族もあります。そのようにして,特定の疾患に関して詳しい情報を入手できる場合も少なくありません。
無理のない範囲で充実した生活を続ける
患者の家族が当人のために,無理のない範囲で充実した生活を維持させたいと思うのは,ごく当然のことです。最初の記事で紹介したニール・ダトイの場合を例に取りましょう。ニールは今でも,消耗性疾患のために,やりきれない気持ちになることがあります。それでも,自分がとても楽しく思っていること,つまり,聖書に基づく希望について地域社会の人々に知らせる活動に,月に約70時間を費やしています。「会衆で聖書の教えについて話すことからも,内面的な満足感を味わっています」とも述べています。
充実した生活をするには,愛し愛され,楽しい活動に携わり,希望を持つことも必要です。人は障害を抱えてはいても,その疾患と治療に差し支えのないかぎり,生活を楽しみたいと望むものです。25年余りにわたって家族の疾患に対処してきたある父親は,こう説明しています。「私たちは戸外で過ごすのが好きですが,息子にはいろいろと制約があるので,ハイキングには行けません。ですから,別のやり方をします。戸外でも,きつい活動にならない場所へ出掛けるのです」。
そうです,病気があっても,生活からある程度の満足を得られるようにする道はいろいろあります。疾患の性質にもよりますが,多くの人は依然として,美しい音や風景を楽しめます。生活のいろいろな面を自分の思いどおりにできると感じることが多ければ多いほど,それなりの充実した生活を送れる可能性も高くなります。
種々の難しい感情に対処する
うまく対処するのに肝要な事柄の中には,有害な感情の制御の仕方を学ぶこともあります。その一つは,怒りの感情です。聖書は,いきり立つのも当然な場合があることを認めています。しかしまた,「怒ることに遅(く)」あるようにとも勧めています。(箴言 14:29)そうするのが賢明なのはなぜでしょうか。ある文献も述べるとおり,怒ると,「心がむしばまれ,苦々しい気持ちになったり,のちに後悔するような有害なことを口走ったりしかねない」のです。一度怒りを爆発させただけでも,いえるまでに長い時間のかかる傷の生じる場合があります。
聖書は,「怒り立ったまま日が沈むことのないようにしなさい」と勧めています。(エフェソス 4:26)言うまでもなく,日が沈むのを遅らせることはできません。しかし,『怒り立った状態』を速やかに解消して,自分にも他の人にも害となることを続けないよう,方策を講じることはできます。ひとたび気持ちが落ち着けば,ずっとうまく事に当たれるでしょう。
あなたの家族も,他の家族と同じように,きっと浮き沈みを経験するでしょう。気づいている人は多くいますが,互いに,あるいは同情心が厚く,親身になって相談に乗ってくれるだれかに問題を打ち明けることができれば,よりよく対処してゆけます。カトリーンもそのことを経験しました。彼女は最初,がんに冒された母,そして後には夫の介護をしました。夫は慢性のうつ病になり,やがてアルツハイマー病になりました。「理解してくれる友人たちと話しができ,それが自分にとって救いとなり,慰めとなった」ことを認めています。母親を2年間介護したローズマリーも,同意して,「ある率直な友人に話しができたのは,平衡を保つ助けになりました」と述べています。
しかし,話しながら涙をこらえられなくなっても,驚いてはなりません。「泣くことによって緊張や心痛は和らぎ,悲嘆を乗り越えやすくなる」と,「家族内の特別な子」(英語)という本は述べています。a
積極的な態度を保ちなさい
「生きる意欲は,病気のときの支えとなる」と賢王ソロモンは書きました。(箴言 18:14,「今日の英語訳」)現代の研究者たちは,消極的なものであれ積極的なものであれ,患者の予期する事柄は治療の成り行きに影響しがちである,という点に注目してきました。では,家族としては,どうすれば長期の病気にめげることなく楽観的でいられるでしょうか。
病気を無視できないとしても,家族は自分たちにまだできる事柄に注意を集中することによって,よりよく対処できます。ある父親はこう認めています。「状況だけを見れば全く消極的にもなりますが,まだ多くのことが残っているという点を悟らなければなりません。まだ命があり,互い同士があり,友人たちがいるのです」。
慢性疾患を軽く考えるべきではありませんが,健全なユーモアのセンスは,悲観的な見方に陥るのを防ぐ助けになります。ダトイ家の人々がいつでもすぐにユーモアのセンスを発揮するのは,その良い例です。ニール・ダトイの妹コレットはこう説明しています。「私たちは,ある種の状況に対処することに慣れてきたので,他の人にはとても腹立たしく思えるような事柄が自分たちに生じても笑って済ませることができます。そうすることは,緊張を和らげるのに本当に助けになります」。聖書も,「喜びに満ちた心は治療薬として良く効(く)」と述べています。―箴言 17:22。
最も重要な霊的価値観
真のクリスチャンにとって,『自分の請願を神に知っていただく』ことは,霊的な福祉のための肝要な一面です。その結果は,聖書に約束されているとおりです。「一切の考えに勝る神の平和が,あなた方の心と知力を,キリスト・イエスによって守(る)」のです。(フィリピ 4:6,7)ある母親は,慢性疾患の二人の子どもをほぼ30年にわたって介護した後,こう述べています。「対処できるようエホバが確かに助けてくださる,ということを知りました。本当に支えてくださるのです」。
さらに,多くの人は痛みや苦しみのない楽園の地に関する聖書の約束にも力づけられています。(啓示 21:3,4)ブラムはこう述べています。「うちでは家族が長期の疾患を抱えてきたために,『足のなえた者は雄鹿のように登って行き,口のきけない者の舌はうれしさの余り叫びを上げる』という神の約束が,いっそう意味深いものとなっています」。ダトイ家の人々は,他の非常に多くの人々と同じように,パラダイスで『「わたしは病気だ」と言う居住者のいなくなる』時を切に待ち望んでいます。―イザヤ 33:24; 35:6。
元気を出しましょう。人類が痛みや苦しみに押しひしがれていること自体,良い時代が間もなく到来することを示す証拠の一部なのです。(ルカ 21:7,10,11)しかしそれまでの間,多くの人々は,介護にあたる側も病気の人も,エホバが確かに『優しい憐れみの父またすべての慰めの神,すべての患難においてわたしたちを慰めてくださる方』であることを証しできるでしょう。―コリント第二 1:3,4。
[脚注]
a 病気の感情面の対処の仕方に関し,より詳細な論考については,「目ざめよ!」誌,1997年2月8日号,3-13ページの「介護 ― 難しい問題に取り組む」をご覧ください。
[8ページの囲み記事/図版]
家族が医師に尋ねることのできる点
● この疾患はどのように進行し,どのようになるのですか。
● どんな症状が現われるのですか。どうすればそれを抑制できますか。
● 治療法としてどんな選択肢がありますか。
● それぞれの治療法には,可能性としてどんな副作用や危険,また効果があるでしょうか。
● 病状を改善するために何をしたらよいでしょうか。何を避けるべきでしょうか。
[11ページの囲み記事/図版]
どうすれば支えになれるか
何を言ったらよいか,どう対応したらよいかが分からないために,見舞いや助けの手を控える人もいるかもしれません。また,ある人は積極的すぎて,助けになると思う事柄を押しつけて,相手の家族に負担を加えてしまったりもします。では,治りにくい病気の人のいる家族に,どうすればそのプライバシーを侵害することなく支えになれるでしょうか。
親身になって話を聴く。『聞くことに速くありなさい』と,ヤコブ 1章19節は述べています。家族の人が話そうとしているのであればよい聴き手になり,その人が荷を軽くできるようにしてあげて,気遣いを示せます。あなたのことを「思いやり」のある人と感じれば,そうしたいという気持ちになるでしょう。(ペテロ第一 3:8)しかし覚えておきたいのは,治りにくい病気にどう対応するかは個人また家族によって異なる,という点です。ですから,母親と,後には長期疾患の夫を介護したカトリーンも述べるとおり,「その病気や状況についてすべてを本当に知っているのでなければ,アドバイスはしない」ことです。(箴言 10:19)また,その件に関する知識を実際に幾らか持っているとしても,患者とその家族は,あなたのアドバイスを特に求めたり受け入れたりしない場合もある,ということも忘れないでください。
実際的な助けを差し伸べる。相手のプライバシーの必要に敏感であると同時に,その家族があなたを本当に必要としているときには,力になれるようにしてください。(コリント第一 10:24)この一連の記事で何度も例に出たブラムは,こう述べています。「クリスチャンの友人たちの助けは,とても大きなものでした。例えば,ミシェールが危篤のため,私たちが病院に寝泊まりしたとき,いつも友達が4人から6人,夜通し私たちと一緒にいてくれました。必要なときにはいつでも助けてくれました」。ブラムの妻アンはさらに,「あれはとても寒い冬のことで,2週間にわたって毎日違ったスープの差し入れがありました。私たちは,熱いスープと沢山の温かな愛によって養われました」。
一緒に祈る。時には,あなたにできる実際的な事はほとんど,あるいは何もないかもしれません。それでも,患者やその家族と,聖書から励みになる考えを語り合ったり,心のこもった祈りを一緒にささげたりするほど力になるものはあまりないでしょう。(ヤコブ 5:16)「長期にわたる病気の人やその家族のために,またその人たちと共に祈ることの力を,決して小さく見ないでください」。慢性的なうつ病の母親を持つ,18歳のニコラスは,そう述べています。
そうです,適切な支えは,家族が慢性疾患によるストレスに対処するのに大きな助けになります。聖書は,そのことをこう述べています。「友はどんな時にも愛してくれる仲間であり,兄弟は苦しみを分かつために生まれている」。―箴言 17:17,「新英訳聖書」。
[12ページの囲み記事/図版]
病気が末期になったとき
愛する者の病気が末期になっても,差し迫る死について話すのはためらわれる,という家族もあることでしょう。しかし,「介護 ― その対処法」(英語)という本は,「何を予期すべきか,何を行なうべきかについて多少でも考えてあれば,パニックになった感情を和らげる助けにもなる」と述べています。具体的にどんな措置がとれるかは,国や地域の法規や慣習によっても異なりますが,病気が末期を迎えた愛する者を自宅で介護している場合に,家族で考慮できるかもしれない幾つかの提案を挙げましょう。
事前に
1. 危篤状態になったときにはどんな事を予期すべきか,またもしも夜中に臨終を迎えたらどうしなければならないか,担当医に尋ねておく。
2. 死去について知らせるべき人たちの名簿を作る。
3. 葬儀に関して選択できる事柄を考えておく。
● 本人はどんなことを願っているか。
● 土葬にするか,火葬にするか。幾つかの葬儀社に当たって,料金やサービス内容を比較する。
● 葬儀をいつ行なうべきか。遠くから来る人たちのための時間も考慮に入れる。
● 葬儀もしくは追悼の司式をだれに依頼するか。
● どこで行なうか。
4. 本人は,たとえ鎮痛剤などを投与されていても,周囲で何が話され,何が行なわれているかに気づいていることもある。聞いてほしくない事柄はそばで言わないようにする。安心感を抱かせるように静かに話し,手を握ることもできる。
愛する者が死去したとき
遺族の力になるために,他の人たちは次のようなことができる。
1. 死を受け止めることができるよう,しばらくは遺族だけが故人のそばにいられるようにする。
2. 遺族と一緒に祈る。
3. 家族は,心の準備ができたとき,次のような助けに感謝するかもしれない。
● 担当医に,死亡の確認と,死亡診断書を依頼する。
● 葬儀社などに,遺体の搬送を依頼する。
● 親族や友人に知らせる。(関係する人々の気持ちを考慮してこのように話せるかもしれない。「[故人の名前]のことでお電話しています。残念ながら,良い知らせではありません。ご存じのように,当人はこれまで[病名]と闘ってきましたが,[いつ,どこで]死去しましたので,お知らせいたします」。)
● 望むなら,新聞社に,死亡広告を載せるよう依頼する。
4. 遺族はだれかに同行してもらい,葬儀を取り決めるのを助けてほしいと思うかもしれない。
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