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アルツハイマー病と向き合う目ざめよ! 1998 | 9月22日
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アルツハイマー病と向き合う
「主人のアルフィーは南アフリカのある金鉱山の現場監督でした」と,サリーは語ります。「主人が退職したいと言ったときには,とても驚きました。主人はまだ56歳でしたし,とても気の利く勤勉な人だったからです。後で主人の同僚の方から聞いて分かったのですが,アルフィーはおかしな判断ミスをするようになっていました。同僚の方たちは主人を度々かばってくれていたのです。
「主人が退職すると,わたしたちはホテルを購入しました。アルフィーはとても器用な人だったので,建物の修理などをして忙しく過ごすものと思っていました。ところが,夫は決まって便利屋を呼びました。
「その同じ年,わたしたちは3歳になる孫娘を連れてダーバンの海岸で休暇を過ごしました。孫娘は,わたしたちが泊まっていたアパートの向かい側にあるトランポリンで遊ぶのが大好きでした。ある日の午後4時半ごろ,アルフィーは孫娘を連れてトランポリンをしに行きました。30分ほどしたら戻ると言っていました。ところが,午後7時になっても帰ってきませんでした。警察に電話しましたが,行方不明になってから24時間たたないと捜索は始められないと言われました。その晩,わたしは気が狂うのではないかと思いました。二人は殺されたという考えが頭から離れなかったのです。翌日の昼ごろ,ドアをノックする音がしました。そこにはアルフィーが孫娘を抱いて立っていました。
「『どこに行ってたの』と,わたしは言いました。
「『怒らないでくれ。覚えていないんだ』と,夫は答えました。
「『おばあちゃん,あのね,まいごになったの』と,孫娘は言いました。
「考えてみてください。家の真向かいにいたのに迷子になったのです。二人がその晩どこで寝たのか,今もって分かりません。いずれにせよ,友達が二人を見つけ,泊まっているアパートの場所を教えたのです」。
その出来事があってから,サリーはアルフィーを神経科医に連れて行きました。アルフィーは痴呆症(知的機能の低下)にかかっていると診断され,最終的にはアルツハイマー病であることが分かりました。アルツハイマー病は,今のところ効果的な治療法のない不治の病気です。a 英国のニュー・サイエンティスト誌によると,アルツハイマー病は,「先進国において,心臓病,ガン,脳卒中に次ぐ4番目の殺し屋」となっています。この病気は,「老齢に伴う主要な慢性疾患」とも呼ばれてきました。しかし,アルフィーの場合のように,初老期に発病することもあります。
裕福な国々では長生きする人の数が増加傾向にあり,痴呆症の患者数は驚くべきものになることが予想されます。一つの研究によると,1980年から2000年の間に,英国では14%,米国では33%,カナダでは64%の増加が見られるかもしれないということです。オーストラリアのあるテレビ・ドキュメンタリーは1990年に次のように述べました。「オーストラリアには現在,アルツハイマー病の人が推定10万人います。しかし,今世紀の終わりには,20万人を数えるでしょう」。2000年までに,全世界のアルツハイマー病患者の数は1億人になるものと思われます。
アルツハイマー病とは何か
考えられる原因に関して数々の研究が行なわれていますが,アルツハイマー病の本当の原因はいまだに分かっていません。しかし,アルツハイマー病にかかると脳細胞が徐々に破壊されてゆき,脳の一部が文字通り萎縮するということは分かっています。最も冒されるのは記憶や思考力にかかわるところです。アルツハイマー病の初期の段階で感情に関係する脳組織の細胞が影響を受けるため,人格が変化します。脳の他の部分はすぐには影響を受けません。その中には,視力や触覚にかかわる部分や,筋肉の動きを統括する運動野が含まれます。サイエンティフィック・アメリカン誌(英語)によると,こうした変化のせいで,「歩いたり,話したり,食べたりできるが,周囲の出来事は分からないという典型的かつ悲惨な状態が生じる」のです。
この病気は一般に5年ないし10年続きますが,時には20年余り続くこともあります。病気が進行するにつれ,患者は徐々に物事が行なえなくなります。最終的には,自分の家族さえ分からなくなるかもしれません。末期になると,寝たきりになり,話せなくなったり,自分で物を食べることができなくなったりします。しかし,多くの患者はこのような末期の段階に至る前に,他の原因で亡くなります。
アルツハイマー病は発病しても身体的な痛みを伴いませんが,それによってもたらされる感情的な苦痛は非常に大きなものです。無理もないことですが,初めはこの病気と向き合おうとせず,問題が消えてなくなるようにと願うかもしれません。b しかし,この病気と向き合い,病気がもたらす感情的な苦痛を軽減する方法を学べば益が得られます。「記憶力の低下が患者にどのような影響を与えるのかもっと早く知っていればよかったのに,残念でなりません」と,アルツハイマー病を患う63歳の妻を持つバートは述べます。確かに,家族がアルツハイマー病の特徴およびその対処法を学ぶことは助けになります。「目ざめよ!」誌の続く二つの記事を通して,こうした事柄をはじめとする種々の要素をお調べください。
[脚注]
a アルツハイマー病は,重度の痴呆症にかかっていた患者の死体解剖を行ない,1906年に初めてこの病気を報告したドイツの医師アロイス・アルツハイマーの名にちなんで命名されました。痴呆症の60%余りはアルツハイマー病であると言われており,65歳以上の人の10人に一人が影響を受けます。別の種類の痴呆症である多発梗塞性痴呆は,脳を損傷する幾つもの小さな脳卒中によって起きます。
b 注意: アルツハイマー病であると結論する前に,医師の十分な診察を受けることは不可欠です。痴呆症の10%から20%は,治療可能な病気を原因としています。アルツハイマー病の診断に関して,「老いゆく親の介護法」(英語)と題する本は次のように説明します。「死体解剖の際に脳を調べてからでなければアルツハイマー病と断定することはできません。しかし,医師たちは,他の可能性を排除し,消去法を用いて診断を下すことができます」。
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患者の尊厳を守る目ざめよ! 1998 | 9月22日
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患者の尊厳を守る
サリーが夫を神経科医に連れて行く二日前,南アフリカで新しい大統領が選出されました。神経科医が選挙結果についてアルフィーに尋ねると,アルフィーはきょとんとして答えられませんでした。それから,脳のスキャン検査をした神経科医は,無神経にも大声でこう言いました。「この人は2足す2の計算すらできないだろう。脳がだめになっている」。それからサリーにこう勧めました。「財産をまとめておいたほうがいいですよ。ご主人はあなたに食ってかかって暴力を振るうかもしれません」。
「主人に限って,そんなことは絶対にありません」と,サリーは返答しました。サリーの言ったことは結局正しく,アルフィーがサリーに暴力を振るうことはありませんでした。しかし,アルツハイマー病の人の中には攻撃的になる人もいます。(焦燥感が原因になっている場合が多いのですが,それはアルツハイマー病の患者の扱い方しだいで和らげられることもあります。)その神経科医はアルフィーの問題を正しく診断することはできましたが,患者の尊厳を守る必要性については認識していなかったようです。もし認識していたなら,親切なこととしてサリーだけにアルフィーの病状を説明したでしょう。
「痴呆症のいずれかを患う人たちにとって何よりも必要なのは,尊厳と敬意と自尊心を保てるということです」と,「夢も見ないほど年老いた時」(英語)と題する本は述べています。ロンドン・アルツハイマー病協会発行の「コミュニケーション」というしおりには,患者の尊厳を守るための大切な方法がこう説明されています。「他の人の前で[アルツハイマー病の患者]について話すとき,まるでその人が居合わせていないかのような話し方をしてはいけません。患者は,話の内容を理解できないとしても,何となく疎外されていると感じ,侮辱されたと思うかもしれません」。
実際,アルツハイマー病の人の中には,ほかの人が自分について何を話しているのか分かる人もいます。例えば,オーストラリアのある患者は妻と共にアルツハイマー病協会のある集まりに出かけました。後にその男性は次のような感想を述べました。「そこでは介護者たちに,何をどのように行なうべきかが教えられていました。ショックだったのは,わたしがそこにいたにもかかわらず,だれも患者については話さなかったということです。……とても腹立たしい思いをしました。アルツハイマー病のわたしが言うことなど問題にされないのです。だれも耳を傾けてくれません」。
積極的である
アルツハイマー病の人の尊厳を守るために助けとなる積極的な方法はたくさんあります。以前は難なくこなせていた日常の事柄を続けるために援助が必要になっているかもしれません。例えば,患者がまめに手紙を書いていたのであれば,一緒に座ってあげて,友人からの気遣いの手紙に対して返事を書くのを助けることができるかもしれません。シャロン・フィッシュ女史は,「アルツハイマー病 ― 愛する人を介護し,自分をいたわる」(英語)と題する本の中でアルツハイマー病の人を援助するための他の実際的な方法を紹介しています。「一緒にできる,有意義で生産的で簡単な事柄を見つけてください。皿洗いや皿拭き,床を掃くこと,洗濯物をたたむこと,料理することなどが考えられます」。フィッシュ女史はさらにこう説明します。「アルツハイマー病の人は家全体を掃除することや食事を全部準備することはできないかもしれません。しかし,そうした能力は普通,徐々に損なわれるものです。まだ失われていない能力を活用し,それができるだけ長く保たれるよう助けることができます。そうするなら,愛する人の自尊心を守ることにもなります」。
アルツハイマー病の人が行なった仕事が不十分なため,もう一度床を掃きなおしたり皿を洗いなおしたりしなければならないことがあるかもしれません。それでも,自分は役に立っていると引き続き感じられるようにしてあげれば,患者は生活から満足を得ることができます。仕事が一定水準に達していなくても褒めてください。衰えてゆく能力の範囲内で最善のことを行なったということを忘れてはなりません。アルツハイマー病の人は,安心感を与えてくれる言葉や褒め言葉を絶えず必要としています。様々な活動を首尾よく成し遂げることがだんだん難しくなっている場合はなおさらです。84歳の夫がアルツハイマー病であるキャシーはこう述べます。「アルツハイマー病の人は,自分は役立たずであるという気持ちにいつ何時襲われるか分かりません。予測できないのです。介護者は,患者が『良くやっている』ことを温かく伝え,すぐさまその人を安心させる必要があります」。「アルツハイマー病患者のための無理のない活動」(英語)と題する本も同じことをこう述べています。「わたしたちは皆,仕事をうまくやっていると言ってもらう必要があります。痴呆症の人にとってこの必要は特に大きいのです」。
問題行動にどう対処するか
介護者は,愛する人の問題行動にどう対処するかを学ばなければなりません。特に心配されるのは,患者が公衆の前で失禁することです。ゲリー・ベネット医師は「アルツハイマー病などの混乱状態」(英語)と題する本の中でこう説明します。「そのようなことはそう頻繁に起きるわけではなく,普通,予防したり最小限に食い止めたりすることができます。また,釣り合いの取れた見方をしなければなりません。行為そのものや周りの目を気にするのではなく,本人が尊厳を傷つけられていないかを気に掛けるべきです」。
そのような困った事が起きても,その人を叱ってはなりません。むしろ,次の提案を当てはめてください。「冷静沈着であるようにして,その人が故意に腹立たしいことをしているのではない点を思い出してください。さらに,いら立って短気になるよりも穏やかで毅然としているほうが,その人の協力を得られるでしょう。生じた問題のためにその人との関係が悪くなることがないよう,できる限りのことをしてください」―「失禁」(英語),ロンドン・アルツハイマー病協会発行のしおり。
本当に正す必要があるか
アルツハイマー病の人は間違ったことを言うことがよくあります。例えば,とうの昔に亡くなった親族が訪ねてくるはずだと言うかもしれません。あるいは,幻覚を見る,つまり思いの中にしかないものを見るかもしれません。アルツハイマー病の人の間違った発言をいちいち正す必要があるでしょうか。
ロバート・T・ウッズは「アルツハイマー病 ― 悲惨な状況に対処する」(英語)という本の中でこう述べています。「親の中には,子供がある言葉を正確に発音しなかったり,文法を誤ったりすると正さずにはいられない人がいます。……その結果,子供は怒りっぽくなったり内気になったりし,自己表現をしようとしても抑えつけられるだけで報われないと感じます。アルツハイマー病の人の場合も,絶えず誤りを指摘されるなら,同じことが生じ得ます」。興味深いことに,聖書は子供の扱い方に関して,「父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」と勧めています。(コロサイ 3:21)子供たちが絶えず正されるといらいらするのであれば,大人の場合はなおさらです。「患者は独立心と達成感を知る大人であることを忘れないでください」と,南アフリカの「ARDA会報」(英語)は忠告しています。誤りを指摘されてばかりいると,アルツハイマー病の人はいらいらするだけでなく,抑うつ的になることがあり,攻撃的になることさえあるでしょう。
さらに,イエス・キリストから学べる教訓は,アルツハイマー病患者の限界に対処している人々にとって助けとなります。イエスは,弟子たちの誤った見方をその都度すべて正すということはしませんでした。実際,弟子たちがまだ理解する立場にはないと考え,情報を伝えるのを差し控えたこともあります。(ヨハネ 16:12,13)イエスが健康な人間の限界に配慮を示したのであれば,重い病気を患っている大人の奇妙な,しかし悪気のない見方に進んで合わせるべきなのはなおさらです。ある特定の事柄に関する真相を患者に理解させようとすることは,その人の能力以上のことを期待する,あるいは要求することになるかもしれません。言い合いをするよりも,黙っているか,上手に話題を変えるのはいかがでしょうか。―フィリピ 4:5。
時には,アルツハイマー病の人の幻覚が現実ではないことを納得させようとするよりも,それに同調しているかのように見せるのが最も愛あることかもしれません。例えば,アルツハイマー病の人は,カーテンの後ろに野生動物や想像上の侵入者が“見える”ので動揺するかもしれません。そのような時は論理的に話し合おうとしてはなりません。患者が思いの中で“見る”ものは,本人にとっては実在のものであるということを覚えておきましょう。それで,その人が現に抱いている恐怖感を和らげてあげる必要があります。カーテンの後ろを調べて,こう言わなければならないかもしれません。「また姿が“見えたら”教えてくださいね。助けてあげますから」。オリバー医師とボック医師は,「アルツハイマー病に対処する: 介護者の感情面のサバイバルガイド」(英語)という本の中で次のように説明します。こちらが患者の見方に合わせて行動するなら,患者は「恐怖の対象や恐怖感,それに思いの中に出て来る幻影に対して勝てるという気持ちを持つことができます……介護者に頼れることを知っているからです」。
「わたしたちはみな何度もつまずくのです」
これまでに述べた事柄をすべて当てはめるのは難しいかもしれません。特に,重い荷を負っている人や家族の他の責任を顧みなければならない人はそうです。介護者がいらいらして自制を失い,敬意をもってアルツハイマー病の人を扱い損なうことも時折あるでしょう。そうしたことが生じた時に大切なのは,罪悪感にさいなまれてしまわないようにすることです。この病気の特徴として,本人は恐らくその事をすぐに忘れてしまうということを覚えておきましょう。
また,聖書筆者のヤコブはこう述べています。「わたしたちはみな何度もつまずくのです。言葉の点でつまずかない人がいれば,それは完全な人で(す)」。(ヤコブ 3:2)介護者はだれも完全な人間ではありませんから,アルツハイマー病の人の介護という難しい仕事において失敗は予期できることです。次の記事では,アルツハイマー病の人の介護に当たる上で,しかも楽しんでそれを行なう上で役立ってきたほかの点を幾つか考慮します。
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患者の尊厳を守る目ざめよ! 1998 | 9月22日
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患者に伝えるべきか
愛する人を介護している多くの人は,アルツハイマー病であることを本人に伝えるべきかどうか思案します。もし伝えることにしたなら,どのように,またいつそうすればよいのでしょうか。南アフリカのアルツハイマーおよび関連疾患協会の会報に,ある読者からの次のような興味深い経験が寄せられました。
「主人がアルツハイマー病になってから7年たちます。主人は現在81歳ですが,ありがたいことに症状の進行は緩やかです。……長い間,アルツハイマー病であることを本人に伝えるのは残酷に思え,『80歳のおじいさんにこれ以上の何を期待するのだ』という主人の“上辺をつくろう”言葉に同調してきました」。
次いで,その読者は,病気について親切かつ分かりやすい仕方で患者に知らせることを勧めるある本に言及しました。もっとも,この女性は,その助言通りにすれば夫は打ちのめされるのではないかと恐れて伝えるのをやめました。
その人はこう続けます。「するとある日,主人は,大勢の友達のいる所で恥をかくのが心配だと言いました。私は今こそチャンスだと思いました。それで,(ひやひやしながら)主人の隣にひざまずき,主人がアルツハイマー病であることを伝えました。もちろん,主人はそれが何なのか理解できませんでしたが,私は,その病気のせいでいつも簡単にできていたことをするのが大変になったこと,またその病気のせいで忘れっぽくなったことを説明しました。貴協会の『アルツハイマー病: いつまでも無視するわけにはいかない』(英語)という冊子から主人に二つの文だけ見せました。『アルツハイマー病は記憶欠損と知的機能の深刻な低下を生じさせる脳障害です。……それは病気であり,正常な老化現象の一部ではありません』。また,友人たちがこの病気のことを知っていて,理解してくれていることを伝え,安心させました。主人は少し考えた後,『なんだそういうことだったのか。本当に助かった』と安堵の声を上げました。病気について知った主人が大きな安心感を得るのを目の当たりにし,私がどのように感じたかお分かりいただけると思います。
「それで今では,主人が何かのことでいらいらしているような時はいつも,主人の体に腕を回して,『それはあなたのせいじゃないのよ。あのいまいましいアルツハイマー病のせいなのよ』と言います。すると,主人はすぐに落ち着きます」。
もちろん,アルツハイマー病は患者によって症状が異なります。また,介護者と患者との関係も異なります。ですから,アルツハイマー病にかかっている愛する人にそのことを伝えるかどうかは個人的に決定すべきことです。
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患者の尊厳を守る目ざめよ! 1998 | 9月22日
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それは本当にアルツハイマー病か
お年寄りの人が急に混乱状態に陥ったとしても,アルツハイマー病が原因だと早急に結論しないでください。お年寄りは,親しい人との死別,急な転居,感染症など多くの事柄が原因となって混乱することがあります。多くの場合,お年寄りの急性の混乱は回復します。
また,アルツハイマー病の患者の場合でも,失禁が始まるなど症状が突然悪化したとしても,それは必ずしもアルツハイマー型痴呆が原因しているとは限りません。アルツハイマー病は進行が緩やかです。「アルツハイマー病などの混乱状態」と題する本は次のように説明しています。「症状が急に悪化した時は,普通,急性の病気(胸部や泌尿器の感染症)が起きているものです。確かに,症状が急速に悪化しているように思える[アルツハイマー病の]患者もいくらかいます。……しかし,ほとんどの患者の場合,病状の悪化はきわめて緩やかです。介護がよく行なわれ,医療上の他の問題が早い段階で効果的に扱われている患者の場合は特にそうです」。アルツハイマー病の患者の失禁は,治療可能な他の健康上の問題に起因している可能性があります。「最初にぜひ行なっていただきたいのは[医師]に相談することです」と,ロンドン・アルツハイマー病協会発行の「失禁」と題するしおりは説明します。
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介護者には何ができるか目ざめよ! 1998 | 9月22日
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介護者には何ができるか
「問題に対処する能力が[人によって]ずいぶん違うことにいつも驚いてしまいます」と,長年にわたってアルツハイマー病の人やその介護者を扱ってきたオーストラリアの専門医マーガレットは述べます。マーガレットはこう続けます。「驚くほど多くのことを求められながら,それを首尾よく処理できる家族もいれば,患者の性格がほんの少し変化しただけで,ほとんどお手上げの状態になってしまう家族もいます」。―「夢も見ないほど年老いた時」と題する本からの引用。
そのような違いはどうして生じるのでしょうか。一つの要素として考えられるのは,発病前にどんな人間関係にあったかということです。固いきずなで結ばれ愛にあふれた関係にある家族は,問題に対処しやすいかもしれません。また,アルツハイマー病の人をよく介護するなら,病気に対処するのが比較的容易になるかもしれません。
アルツハイマー病の人は知的能力が低下しますが,愛や思いやりに対しては普通,病気の最終段階にいたるまで反応します。ロンドン・アルツハイマー病協会発行の「コミュニケーション」というしおりは,「言葉だけがコミュニケーションの手段ではありません」と指摘します。介護者にとって欠くことができないのは言葉によらないコミュニケーションで,その手段としては,温かくて親しみ深い表情や穏やかな口調などがあります。また,視線を合わせることや,明瞭で安定した話し方をすること,さらには患者の名前をよく用いることも大切です。
前の記事で登場したキャシーはこう述べています。「愛する人とコミュニケーションを保つことは可能ですし,大切なことでもあります。温かく愛情のこもった仕方で体に触れたり,穏やかな口調で話したり,そばにいてあげたりすると,愛する人は安心し,自信を持ちます」。ロンドン・アルツハイマー病協会は要点をこう述べます。「愛情があるなら,特に会話することが難しくなった時でも親密な関係を保てます。病気の人の手を握る,座って体に腕を回してあげる,優しい声で話す,抱擁してあげる,こうしたことはいずれも,引き続き気に掛けていることを示す方法です」。
介護者と患者との間に温かい関係が存在するなら,失敗があった時でも,一緒に笑い合えることが少なくありません。例えば,ある夫は,精神的に混乱していた妻がベッドメークの際に,毛布を2枚のシーツの間に入れてしまった時のことを思い出します。二人はその晩,ベッドに入ったときにその失敗に気づきました。「あらまあ,何てばかなことをしたんでしょう」と妻は言い,二人は笑い合いました。
生活を単純にする
アルツハイマー病患者の調子が最も良いのは,慣れた環境にいる時です。また,毎日定まった日課も必要です。そのためには,日程を分かりやすく書き込んだ大きなカレンダーがとても役立ちます。ゲリー・ベネット医師はこう述べます。「患者を住み慣れた環境から移動させるなら悲惨な結果になりかねません。混乱している人にとって,物事が変化せず連続していることはとても大切なのです」。
病気が進行するにつれて,指示に従うことがだんだん難しくなります。指示は単純明快でなければなりません。例えば,服を着てくださいという指示は複雑すぎるかもしれません。着る順番に衣類を置き,着るのを一つ一つ手伝ってあげなければならないかもしれません。
活動的であることは必要
アルツハイマー病の人の中には,うろうろ動いたり,徘徊して家から出てしまい迷子になる人がいます。うろうろ動くのは患者にとってよい運動になり,緊張がほぐれてよく眠れるかもしれません。しかし,徘徊して家から出ると危険なことがあります。「アルツハイマー病 ― 愛する人を介護し,自分をいたわる」と題する本はこう説明しています。「愛する人が徘徊して行方不明になるというのは,惨事につながる可能性の高い非常事態です。モットーとして覚えておきたいのは,慌てないということです。……捜索する人たちには迷子になった人についての情報が必要です。最近撮ったカラー写真を家に用意しておいてください」。a
一方,無気力になって一日中座っていたがる人もいます。そのような人には,二人で一緒に楽しめる活動をさせるよう努力してください。歌を歌ったり,口笛をふいたり,楽器を演奏したりできるかもしれません。好きな音楽に合わせて手をたたいたり,動き回ったり,踊ったりする人もいます。カーメル・シェリダン医師はこう説明します。「アルツハイマー病の人にとって最も効果的な活動には,大抵,音楽が含まれています。ほかの[事柄]はとうの昔に分からなくなっていても,昔の懐かしい歌やメロディーは覚えている,ということを家族の方から聞くことがよくあります」。
「わたしはそれをやりたかったのです」
夫がアルツハイマー病の末期症状になっていた南アフリカのある主婦は,毎日,介護施設で夫と共に時間を過ごすのが楽しみでした。しかし,家族の成員は善意からそのことを批判しました。夫はその人がだれなのか分からなかったようですし,一言もしゃべらなかったので,その人が時間を無駄にしているように思えたのでしょう。夫が亡くなった後,その人はこう語りました。「それでも,わたしは主人のそばに座っていたかったのです。看護婦さんたちはとても忙しかったので,主人が失禁すると,わたしが主人の体をふいて着替えさせてあげられました。わたしはそれを楽しく行ないました。わたしはそれをやりたかったのです。ある日,わたしが主人の乗った車椅子を押していた時,主人が足を痛めてしまいました。『痛かった?』と尋ねると,主人は『そりゃあ痛いよ』と言いました。その時,主人はまだ痛みを感じ,話せるということが分かりました」。
発病前の家族関係が良いものでなかった場合でも,うまく対処できた介護者たちはいます。b 正しいこと,また神に喜ばれることを行なっているという自覚があると深い満足感が得られるのです。聖書は,『老人の身を思いやらねばならない』,また「ただ年老いたからといって,あなたの母をさげすんではならない」と述べています。(レビ記 19:32。箴言 23:22)さらに,クリスチャンは次のように命令されています。「やもめに子供や孫がいるなら,彼らにまず,自分の家族の中で敬虔な専心を実践すべきこと,そして親や祖父母に当然の報礼をしてゆくべきことを学ばせなさい。これは神のみ前で受け入れられることなのです。当然のことですが,自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです」― テモテ第一 5:4,8。
アルツハイマー病の人を含め病気に苦しむ親族を,神の助けを得ながら称賛に値する仕方で介護してきた人は大勢います。
[脚注]
a こうした理由から,体に着けられる腕輪やネックレスなど,何らかの身分証明を患者に持たせるとよいことに気づいた介護者もいます。
b 介護について,また他の人たちがどのように助けになれるかについてさらに情報を得たい方は,「目ざめよ!」誌,1997年2月8日号,3-13ページの「介護 ― 難しい問題に取り組む」という一連の記事をご覧ください。
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アルツハイマー病と薬
現在,アルツハイマー病に対して有効と思われる200ほどの治療法が試験段階にありますが,治療薬はまだ見つかっていません。一部の薬剤については,アルツハイマー病の初期の段階でしばらくの間,記憶喪失を緩和したり,患者によっては病気の進行を遅らせたりすることが報告されています。しかし,注意が必要です。それらの薬はすべての患者に効くというわけではなく,害になる薬もあるからです。ただし,アルツハイマー病の症状としてよく現われるうつ状態,不安感,不眠などを治療するために他の薬物が使用されることはあります。家族は,患者の医師と相談し,治療法の益と危険性を慎重に考量してから決定を下すことができます。
[11ページの囲み記事]
訪問者はどのように助けになれるか
アルツハイマー病の人は知的能力が低下しているため,普通,世の中の出来事について深く話し合うことはできません。しかし,過去のことについては違うかもしれません。特に初期の段階においては,長期的記憶はほとんど損なわれていないことでしょう。アルツハイマー病の人は多くの場合,昔のことを回顧するのを楽しみます。ですから,これまで何度も聞かされていても,その人の大好きな話をしてもらってください。そうするなら,患者を幸福にしてあげることができます。同時に,なかなか休息できない正規の介護者に休憩を取らせてあげることになるかもしれません。実際,患者の介護をある期間,例えば丸一日,引き受けるなら,正規の介護者は大いに英気を養えるでしょう。
[12ページの囲み記事]
失禁に対処する
「失禁」と題するしおりは,失禁に直面すると「忍耐の限界が来たように思えるかもしれません。しかし,問題そのものを軽減したり,ストレスを軽くしたりするためにできることが幾つかあります」と述べています。患者の失禁が必ずしもずっと続くわけではないことを思いに留めましょう。単に混乱してしまったのか,トイレまで間に合わなかったのかもしれません。さらに,患者は治療可能な病気にかかっていて,そのせいで一時的に失禁が生じているのかもしれません。ですから,医師に相談してみる必要があるかもしれません。
原因が何であれ,失禁の介護を楽にするため,簡単に着たり脱いだりできる衣服や,特別に作られたパンツを着けてもらうことができます。また,ベッドや椅子に保護用のパッドを敷くのもよいでしょう。患者の皮膚が荒れたりただれたりしないよう,ビニール製のものがじかに肌に触れることのないようにします。また,温かいせっけん水で患者をよく洗い,十分に乾かしてから服を着せます。患者が速やかに,また安全にトイレにたどりつけるよう,障害物を取り除いておいてください。行き方が分かるよう終夜灯をつけておくとよいかもしれません。この段階になると,患者は足元がおぼつかないかもしれません。それで,適当な場所に手すりを設けるならトイレに行くのを怖がらなくなるかもしれません。
ロンドン・アルツハイマー病協会は,「ユーモアのセンスがあれば緊張がほぐれるかもしれません」と勧めています。介護者はこれらの問題にどう対処してゆけるでしょうか。経験ある一人の介護者は,「忍耐強く,優しく,親切であること,そして,礼儀正しさをさりげなく示して,患者がきまり悪い思いや恥ずかしい思いをすることなく,常に尊厳を保てるようにしてあげることです」と答えました。
[13ページの囲み記事]
患者を別の所に移すべきか
残念なことですが,アルツハイマー病の人の症状が悪化すると,本人を自宅から親戚の家,もしくは介護施設に移さなければならないかもしれません。しかし,慣れ親しんできた環境から患者を移すことを決める前に,幾つかの重要な要素を考慮しなければなりません。
引っ越したために患者は場所に関する見当識をひどく失うかもしれません。ゲリー・ベネット医師はある患者の例を挙げています。その女性は,あてもなく歩き回ったり,時には迷子になったりしていたにもかかわらず,どうにか一人暮らしを続けていました。しかし,家族は,もっとよく監督できるよう近くのアパートに引っ越してもらうことにしました。
ベネット医師はこう説明します。「残念ながら,その女性は新居を自分の家とみなすことができませんでした。……かわいそうなことに,新居に落ち着くことができず,その新しい環境で活動できなくなったため,実際には,それまで以上に他の人に依存するようになりました。台所は慣れ親しんできたものとは異なりました。新しいトイレまでの行き方を覚えることができず,失禁するようになりました。全く良い動機から行なわれたことが,本人にとっては災難となり,結局,養護施設に入れられることになりました」―「アルツハイマー病などの混乱状態」。
しかし,アルツハイマー病の人を介護施設に入れる以外,取るべき道がないように思える場合はどうでしょうか。確かにそれは簡単に決定できることではありません。実際,それは介護者に「極めて大きな罪悪感を抱かせる」決定であると言われています。介護者はしばしば,自分は失敗して,愛する人を見捨てるのだと思ってしまいます。
アルツハイマー病患者を扱う点で経験豊富な一人の看護婦は,「それが自然な反応ですが,罪悪感を抱く必要はありません」と述べます。なぜでしょうか。「なぜなら,最も大切なのは[患者の]介護と安全を考えることだからです」と,その看護婦は答えます。オリバー医師とボック医師も同様に,「自分にはもはや感情的な余裕がなく,患者の病状が家では介護しきれないほど悪化したと判断するのは,非常につらいことでしょう」と述べています。それでも,自分たち特有の状況における要素をすべて検討した上で,「介護施設に入れるのが,……本人にとって一番良い」と結論する介護者がいるのももっともなことです。―「アルツハイマー病に対処する: 介護者の感情面のサバイバルガイド」。
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