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  • 羊とやぎにはどんな将来がありますか
    ものみの塔 1995 | 10月15日
    • 21 では,羊とやぎのたとえ話に関するこの新鮮な理解は,わたしたちにとってどんな意味があるでしょうか。確かに,人々は今すでにどちらかの側に付いています。『滅びに至る広い道』にいる人もいれば,『命に至る狭められた道』を歩み続けようと努力している人もいます。(マタイ 7:13,14)しかし,このたとえ話の中で描かれている羊とやぎにイエスが最終的な判決を下す時はまだ先のことです。

  • 羊とやぎにはどんな将来がありますか
    ものみの塔 1995 | 10月15日
    • 22,23 このたとえ話が成就するのはなお将来のことですから,今日わたしたちが行なう宣べ伝える業はなぜ重要ですか。

      22 このたとえ話で描かれている裁きは近い将来のことですが,今でさえある重要な事柄が起きています。わたしたちクリスチャンは,人々の間に分離を生じさせる音信をふれ告げるという,命を救う業に携わっています。(マタイ 10:32-39)パウロはこう書いています。「『エホバの名を呼び求める者はみな救われる』のです。しかし人は,自分が信仰を持っていない者をどうして呼び求めるでしょうか。また,自分が聞いたこともない者にどうして信仰を持つでしょうか。また,宣べ伝える者がいなければ,どうして聞くでしょうか」。(ローマ 10:13,14)わたしたちの公の宣教は,神の名とその救いの音信を伝えるべく230余りの国や地域に住む人々に及んでいます。キリストの油そそがれた兄弟たちは今なおこの業の先頭に立っています。その業に加勢するほかの羊は今や約500万人に上っています。そして世界中で,人々はイエスの兄弟たちの宣明する音信にこたえ応じています。

      23 多くの人は,わたしたちが家から家へ,あるいは非公式に宣べ伝えてゆくとき,その音信に接します。また,エホバの証人について,またわたしたちの言っている事柄について,わたしたちの気づかない方法で知るようになる人もいることでしょう。裁きの時が来たなら,イエスは連帯責任や家族の功績をどの程度考慮されるのでしょうか。それはわたしたちには分かりませんし,推測するのは無駄なことです。(コリント第一 7:14と比較してください。)今の多くの人は,神の民の言うことに全く耳を傾けようとしなかったり,あざけったり,神の民に対するあからさまな迫害に加わったりしています。ですから,今は極めて重大な時期です。そのような人たちは,イエスがやぎと判定される者になりつつあるのかもしれません。―マタイ 10:22。ヨハネ 15:20; 16:2,3。ローマ 2:5,6。

      24 (イ)個々の人にとって,わたしたちの宣べ伝える業に好意的な反応を示すのはなぜ重要なことですか。(ロ)あなたご自身はこの研究を通して,宣教に対するどんな心構えを持つよう助けられましたか。

      24 しかし,幸いなことに,多くの人が好意的な反応を示し,神の言葉を研究し,エホバの証人となっています。今のところやぎのように思える人でも,変化して羊のようになるかもしれません。重要なのは次の点です。良い反応を示し,キリストの兄弟たちを積極的に支援する人は,それによって今,イエスが近い将来裁きを行なうため座に座られる時にイエスの右に置いていただく根拠となる証拠を示していることになるのです。

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