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健康を求める古くからの闘い目ざめよ! 2004 | 5月22日
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黒死病
黒死病とも呼ばれるペストの流行は,1347年にさかのぼります。その年,クリム半島からの1隻の船がシチリア島のメッシナに停泊しました。その船は,通常の積み荷だけでなく,ペストも運んできました。a 黒死病はすぐにイタリア全土に広がります。
その翌年,イタリアのシエナに住むアニョロ・ディ・トゥーラは,故郷の町における惨劇の様子を記しました。『シエナで死者が出始めたのは5月だった。残酷な恐ろしい病気で,感染した人は瞬く間に死んでいった。昼夜の別なく幾百人もが命を落とした』。さらにこう続けています。『5人の我が子をこの手で埋葬したが,多くの人が同様の経験をした。ほとんどだれもが死を予期していたので,だれを亡くそうと泣く人はいなかった。あまりに多くの死者が出たため,皆は世の終わりだと考えた』。
一部の歴史家によれば,ペストは4年もしないうちにヨーロッパ全土に広がり,人口の3分の1が命を落としました。その数は2,000万人から3,000万人と思われます。遠方のアイスランドでも多くの人が死にました。極東では,おそらくペストとそれに伴う飢きんが原因で,13世紀初めに1億2,300万人だった中国の人口が,14世紀には6,500万人にまで減ったと言われています。
流行病や戦争,飢きんが,これほど広範囲の人々に苦しみをもたらしたことはかつてありませんでした。「人類史上,匹敵するもののない災厄だった」と,「人間と病原微生物」(英語)と題する本は述べています。「ヨーロッパと北アフリカ,またアジアの一部で,人口の4分の1から2分の1が命を落とした」。
南北アメリカは,世界の他の部分との接触がなかったおかげで,黒死病による惨害を免れました。しかしその後まもなく,外洋航海船の登場でそのような状況も終わりを迎えます。16世紀に,黒死病よりはるかに致死的な流行病の波が新世界を襲いました。
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[6ページの囲み記事/図版]
知識と迷信
14世紀,黒死病がアビニョンにある教皇一家を脅かしました。教皇の医師は,その疫病の主な原因は,土星,木星,火星の三つの惑星が水がめ座のところに集合したことだと告げました。
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[4ページの図版]
1500年ごろのドイツの版画には,黒死病から身を守るためにマスクをつけた医師が描かれている。口先には香料が入っている
[クレジット]
Godo-Foto
[4ページの図版]
腺ペストを引き起こした細菌
[クレジット]
© Gary Gaugler/Visuals Unlimited
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