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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1992
塔92 2/15 8–13ページ

これまでに生存した最も偉大な人

「あなたはキリスト,生ける神の子です」― マタイ 16:16。

1,2 (イ)人の偉大さをどのように決定できるかもしれませんか。(ロ)歴史上のどんな人々が「大王」また「大帝」などと呼ばれてきましたか。なぜそう呼ばれましたか。

あなたは,これまでに生存した最も偉大な人はだれだと思いますか。どのように人の偉大さを評価しますか。軍事面における非凡な才能とか,頭のよさとか,体力などによって評価しますか。

2 様々な支配者が「偉大な」という意味で,「大王」また「大帝」などと呼ばれてきました。例えば,キュロス大王,アレクサンドロス大王などがそうですし,シャルルマーニュは,その存命中でさえ「大帝」と呼ばれていました。このような人々は,恐るべき者として存在することにより,支配下にある者たちに非常な勢力を振るいました。

3 (イ)人の偉大さを計るためのどんなテストがありますか。(ロ)そのようなテストによると,これまでに生存した最も偉大な人はだれですか。

3 興味深いことに,歴史家のH・G・ウェルズは人の偉大さを計るためのテストについて述べました。50年以上前にウェルズは,「人の偉大さを計る歴史家のテストは,『その人はどんな発展性のあるものをあとに残したか。他の人々が,その人の死後も新しい線に沿って絶えず精力的に思考するようになったかどうか』というものである」と書きました。ウェルズは結論として,「このテストによれば,イエスが第一位を占める」と述べました。ナポレオン・ボナパルトでさえ,「イエス・キリストは姿を見せることなく臣下を動かし,また指揮してきた」と言いました。

4 (イ)イエスに関してどんな対照的な見解がありますか。(ロ)クリスチャンでない歴史家は,イエスを歴史上のどんな地位に置いていますか。

4 しかし,ある人々はイエスが歴史的な人物ではなく,神話上の人物であると反論します。もう一方の極端として,神はイエスとして地上に来られたのだと言い,イエスを神として偶像視する人も少なくありません。しかし,イエスの人間としての存在に関する歴史的な証拠だけを結論の根拠として,ウェルズはこう書いています。「神学的な先入観の全くない歴史家が,ナザレ出身の無一文の教師を第一の地位に置かない限り人類の進歩を正直に描き出せないことに気づくというのは興味深く,意義深いことである。……わたしのような,クリスチャンと自称さえしない歴史家も,この最も重要な人物の生涯と性格とを中心にせざるを得ない状況に気づくのである」。

イエスは実在したか

5,6 歴史家のH・G・ウェルズとウィル・デュラントは,イエスの史実性に関して何と言わなければなりませんか。

5 しかし,もしだれかがあなたに,イエスは実在しなかった,要するにイエスは神話上の人物で,1世紀のある人々が考え出したものだ,と言うならどうでしょうか。あなたはこの非難にどう答えますか。ウェルズは,「わたしたちは[イエス]について知りたいことのすべてを知っているわけではない」ことを認めながらも,こう述べています。「四福音書は……非常に明確な人格を生き生きと描いてみせる点で一致している。そこには現実であるとの確信を与えるものがある。歴史家にとっては,イエスが実在しなかったとか,彼の生涯についての記述は作り話であるなどと考えることは,福音書の物語の重要な要素を事実として受け入れるより難しいことであり,はるかに多くの問題を引き起こすのである」。

6 定評ある歴史家のウィル・デュラントも同じように論じ,こう説明しています。「[クリスチャンと称する]少数の卑小な人間が,1世代のうちに,これほど強力で魅力のある性格,これほど高遠な倫理,これほど人を鼓舞する人間の兄弟関係のビジョンを創作したとすれば,それは四福音書に記録されているどの奇跡よりもはるかに信じがたい奇跡ということになるだろう」。

7,8 イエスは人類史にどれほど大きな影響を与えましたか。

7 ですから,そのような懐疑主義者と論じる際には,神話上の人物,つまり実在しなかった人物が,果たして人間の歴史にこれほど驚くべき影響を及ぼしえたでしょうか,と言うことができます。「歴史家の世界史」という参考文献はこう評しています。「[イエスの]活動の歴史的結果は,厳密に世俗的な見地からしても,他のどんな歴史上の人物の功績よりも重要であった。世界の主要な文明国によって認められた新しい時代は,キリストの誕生から始まっている」。考えてみてください。現代の暦でさえ,その幾つかはイエスが生まれたとされている年が基礎になっているのです。ワールドブック百科事典は,「その年以前の日付はB.C.,すなわちキリスト前となっており,その年以後はA.D.,すなわちアノ・ドミニ(われらの主の年に)と記載されている」と説明しています。

8 イエスは力強い教えと,教えに調和した生き方とによって無数の人々の生活にほぼ2,000年にわたって大きな影響を与えてきました。そのことをある著述家は適切にも,「かつて進軍したすべての陸軍,かつて編制されたすべての海軍,かつて開かれたすべての議会,かつて統治したすべての王などを全部合わせても,この地球上の人間の生活にこれほどの影響を与えてはこなかった」と表現しています。それでも批評家たちは,『われわれがイエスについて実際に知っていることはすべて聖書にしか見られない。イエスに関する同時代の記録は他に存在しない』と言います。しかし,それは事実でしょうか。

9,10 (イ)昔の世俗の歴史家や著述家はイエスについて何と述べていますか。(ロ)昔の歴史家の証言に基づき,定評ある百科事典はどのように結論していますか。

9 昔の世俗の歴史家がイエス・キリストについて言及している資料は,わずかとはいえ確かに存在しています。高く評価されている1世紀のローマの歴史家,コルネリウス・タキツスは,ローマ皇帝ネロが『ローマの大火の罪をクリスチャンになすりつけた』と書き,さらに,「[クリスチャンという]名称はキリストに由来する。キリストはティベリウスの治世中に行政官ポンテオ・ピラトにより処刑された」と説明しています。スエトニウスや小プリニウスなど,当時のローマの著述家たちもキリストに言及しています。それに加えて,1世紀のユダヤ人の歴史家フラビウス・ヨセフスは,「ユダヤ古代誌」の中で,クリスチャンである弟子ヤコブの死について書いています。ヨセフスの説明によると,ヤコブは「キリストと呼ばれたイエスの兄弟」でした。

10 そのため,新ブリタニカ百科事典はこう結論しています。「これらの独自の記述は,古代においてはキリスト教の反対者たちでさえ決してイエスの史実性を疑っていなかったことを証明している。しかし,18世紀末から,19世紀,20世紀の初頭にかけて初めて,しかも不十分な証拠に基づき,その史実性に疑いが差しはさまれたのである」。

イエスはいったいどういう方だったか

11 (イ)実質的には,イエスに関する唯一の歴史的情報源は何ですか。(ロ)イエスご自身の追随者たちはイエスの実体についてどんな疑問を抱いていましたか。

11 しかし,イエスについて現在知られていることは,実質的にはすべて,イエスの1世紀の追随者たちによって記録されました。彼らの記録は福音書,つまり使徒たちの二人,マタイとヨハネ,さらに弟子たちの二人,マルコとルカが書いた聖書文書の中に収められています。これらの人の記録はイエスの実体について何を明らかにしていますか。イエスはいったいどういう方だったのでしょうか。イエスの1世紀の仲間たちもこの疑問について深く考えました。イエスが風に荒れる海を叱りつけて静められるのを見たとき,彼らは驚いて,「これはいったいどういう方なのだろう」と考えました。その後のある時イエスは,「あなた方は,わたしのことをだれであると言いますか」と使徒たちにお尋ねになりました。―マルコ 4:41。マタイ 16:15。

12 イエスが神でないことはどうして分かりますか。

12 もしあなたがそういう質問を受けたらどう答えますか。イエスはいったいどういう方だったのでしょうか。もちろん,キリスト教世界の多くの人は,イエスは人間の形をした全能の神,つまり神の化身であったと言うでしょう。しかし,イエスと個人的に接した人々は,イエスが神であるとは決して信じていませんでした。使徒ペテロはイエスのことを,「キリスト,生ける神の子」と呼びました。(マタイ 16:16)またいくら調べてみても,イエスが自分は神だと主張しているところは一箇所もありません。むしろイエスはユダヤ人たちに,ご自分が神ではなく,「神の子」であるとお告げになりました。―ヨハネ 10:36。

13 イエスはどのように他のすべての人と異なっておられましたか。

13 イエスが荒れる海を歩いて渡られた時,弟子たちはイエスが他の人と同じような人間ではないという事実に感銘を受けました。(ヨハネ 6:18-21)イエスは本当に特別な方でした。それは,イエスがそれ以前に天で神と共に霊者として,そうです,聖書中でみ使いの頭とされているみ使いとして存在しておられたためでした。(テサロニケ第一 4:16。ユダ 9)神は他のすべてのものを創造する前にイエスを創造されました。(コロサイ 1:15)こうして,計り知れないほど長い間,物質宇宙が創造される前でさえ,イエスは天において,父である偉大な創造者エホバ神との親しい交わりを享受しておられました。―箴言 8:22,27-31。伝道の書 12:1。

14 イエスはどのようにして一人の人間となられましたか。

14 その後,今からおよそ2,000年前,神はみ子の命を一人の女性の胎内に移されました。それでイエスは,女性を通し,普通の方法で生まれた,神の子である人間となられました。(ガラテア 4:4)イエスは母マリアの胎内で発育していた間も,その後少年として成長しておられた時も,地上の両親となるよう神が選んでおられた人たちに依存しておられました。そしてイエスはついに成年に達し,その時,以前に天でもっていた神との交わりの記憶を与えられたようです。それは,イエスのバプテスマの際,『天が彼に開けた時』に生じました。―マタイ 3:16。ヨハネ 8:23; 17:5。

15 イエスが地上で生活していた時に全くの人間であったことはどうして分かりますか。

15 実際イエスは特異な方でした。それでもイエスは一人の人間,つまり神が最初に創造してエデンの園に置かれたアダムと同等の人間でした。使徒パウロは,「『最初の人アダムは生きた魂になった』。最後のアダムは命を与える霊になったのです」と説明しました。イエスは「最後のアダム」と呼ばれています。なぜなら最初のアダムと同様,イエスは完全な人間だったからです。しかしイエスは亡くなった後復活させられ,霊者として天で再び父と共になられました。―コリント第一 15:45。

神について学ぶ最善の方法

16 (イ)イエスとの交わりがすばらしい特権だったのはなぜですか。(ロ)イエスを見ることが神を見ることと同じであると言い得たのはなぜですか。

16 イエスが地上におられた時,ある人々がイエスの個人的な仲間として享受したすばらしい特権について少し考えてみてください。天でエホバ神の親しい友として恐らく何十億年も過ごしてきた方の声を聞き,その方に話しかけ,その方を見,さらにその方と共に働くことを想像してみてください。イエスは忠実な子として,ご自分がなさったすべての事柄において天の父に倣われました。実際,イエスはみ父を完全に見倣っておられたので,処刑される少し前に使徒たちに,「わたしを見た者は,父をも見たのです」と言うことができました。(ヨハネ 14:9,10)そうです,イエスはこの地上で遭遇したあらゆる状況において,ご自分の父なる全能の神がもし地上におられたならとられたであろう方法で物事を行なわれたのです。ですから,イエス・キリストの生涯と宣教を研究するとき,わたしたちは事実上,神がどんな方であるかを学んでいるのです。

17 「ものみの塔」誌に連載された「イエスの生涯と宣教」という記事は,どんな優れた目的にかなっていましたか。

17 そのため,1985年4月から1991年6月にかけて「ものみの塔」誌に連載された「イエスの生涯と宣教」という記事は,イエスという人物を非常に生き生きと描くだけでなく,イエスの天の父,エホバ神についても多くの事柄を教えました。最初の二つの記事が出た後,ある開拓奉仕者は,「み子をよりよく知ること以上に,み父に近づくための良い方法はありませんね」という感謝の手紙をものみの塔協会に寄せました。全くそのとおりです。み父のおおらかな心と人々に対する優しい世話は,み子の生涯のうちに一層明らかにされています。

18 王国の音信の立案者はどなたですか。イエスはそのことをどのように認められましたか。

18 み父に対するイエスの愛はみ父のご意志に完全に服することによって表わされますが,それは見る者にとって実に美しいものです。イエスは自分を殺そうとしていたユダヤ人たちに,『わたしは何事も自分の考えで行なっているのではありません。わたしはこれらのことを,ちょうど父が教えてくださったとおりに話しているのです』と言われました。(ヨハネ 8:28)ですから,イエスはご自分が宣べ伝えた王国の音信の立案者ではありませんでした。立案者はエホバ神だったのです。またイエスは再三み父に誉れを帰しておられます。イエスは,「わたしは自分の衝動で話したのではなく,わたしを遣わした父ご自身が,何を告げ何を話すべきかについて,わたしにおきてをお与えになったからです。……それゆえ,わたしの話すこと,それは,父がわたしにお告げになったとおりに話している事柄なのです」と言われました。―ヨハネ 12:49,50。

19 (イ)イエスがエホバと同じ方法で教えられたということはどうして分かりますか。(ロ)イエスがこれまでに生存した最も偉大な人であったと言えるのはなぜですか。

19 しかしイエスは,み父が告げられたことをただ話したり教えたりしただけではありません。それよりもずっと多くのことを行なわれました。イエスは,み父が話したり教えたりされるであろう方法で話したり教えたりされました。それだけでなく,イエスはご自分のすべての活動とすべての関係において,まさにみ父が同じ状況のもとで振る舞い行動されるであろうとおりに振る舞い行動されました。「子は,自分からは何一つ行なうことができず,ただ父がしておられて,自分が目にする事柄を行なえるにすぎません。何であれその方のなさること,それを子もまた同じように行なうのです」と,イエスは説明されました。(ヨハネ 5:19)イエスはあらゆる点で父なるエホバ神の完全な反映でした。ですから,イエスがこれまでに生存した最も偉大な人であったのは少しも不思議ではないのです。それで確かに,わたしたちがこの最も重要な人物についてよく考えるのはきわめて肝要なことです。

イエスに見られた神の愛

20 使徒ヨハネはどのようにして『神は愛である』と知ることができましたか。

20 わたしたちはイエスの生涯と宣教を徹底的にまた注意深く研究することにより,特に何を学ぶのでしょうか。使徒ヨハネは,「いまだ神を見た人はいない」ことを認めました。(ヨハネ 1:18)それでもヨハネは絶対的な確信をもって,ヨハネ第一 4章8節で『神は愛です』と書きました。ヨハネはイエスに見られた事柄を通して神の愛を知っていたので,そのように言うことができました。

21 イエスに関するどんな事柄が,イエスをこれまでに生存した最も偉大な人としましたか。

21 み父と同様にイエスは同情心が厚く,親切で,謙遜な,近づきやすい方でした。虐げられた弱い人たちは,イエスと一緒にいると安らぎを感じました。あらゆる人々,つまり男,女,子供,富んだ人,貧しい人,権力のある人,それに悪名高い罪人でさえそう感じました。確かに,イエスをこれまでに生存した最も偉大な人としたのは,特に,イエスがみ父に倣って示された卓越した愛の模範でした。ナポレオン・ボナパルトでさえ,このように言ったと伝えられています。「アレクサンドロス,カエサル,シャルルマーニュ,そしてこのわたしは帝国を築いた。しかし我々は自己の天分によって作り上げたものをどんな基礎の上に据えたか。力の上にである。愛の上に王国を築いたのはイエス・キリストだけである。それゆえ,彼のためなら今日でも何百万もの人々が命を投げ出すであろう」。

22 イエスの教えに関して,どんな点が革命的でしたか。

22 イエスの教えは革命的でした。イエスはこう勧めました。「邪悪な者に手向かってはなりません。だれでもあなたの右のほほを平手打ちする者には,他のほほをも向けなさい」。「あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい」。『自分にして欲しいと思うことを人にもしなさい』。(マタイ 5:39,44; 7:12)すべての人がこの崇高な教えを適用するなら,世界はどんなにか違ってくることでしょう。

23 イエスは心を動かし,善を行なうよう人々を促すために何をされましたか。

23 イエスのたとえ話や例えは心を動かし,善を行ない悪を避けるよう人々を促しました。あなたは,さげすまれていたサマリア人に関するイエスの有名な話を思い起こされるかもしれません。けがをした人と同じ民族だった信心深そうな人たちがその人を助けようとしなかったにもかかわらず,サマリア人は,自分とは違う民族のその人を助けました。また,快く許す憐れみ深い父親と放とう息子に関する話もあります。さらに,奴隷の6,000万デナリの負債を許した王に関する話はどうでしょうか。その奴隷は負債を許されたにもかかわらず,向きを変えて,わずか100デナリの負債を支払うことができない仲間の奴隷を獄に投げ込んだのです。イエスは簡単な例えによって,利己的で貪欲な行ないを嫌悪すべきものとし,愛と憐れみに満ちた行為を強く心に訴えるものとされました。―マタイ 18:23-35。ルカ 10:30-37; 15:11-32。

24 イエスがこれまでに生存した最も偉大な人であることに疑問の余地はない,と言えるのはなぜですか。

24 しかし,特に人々をイエスに引き寄せ,善を行なうように動かしたのは,教えたことと完全に調和したイエスの生涯でした。イエスは人に説いたことを実行されました。他の人々の欠点を辛抱強く忍ばれました。だれが一番偉いかということで弟子たちが口論した時,イエスは厳しく叱責するのではなく,むしろ優しく弟子たちを正されました。イエスは謙遜な態度で弟子たちの必要を満たし,弟子たちの足を洗うことさえなさいました。(マルコ 9:30-37; 10:35-45。ルカ 22:24-27。ヨハネ 13:5)最後にイエスは,弟子たちのためだけでなく全人類のために,自ら進んで苦痛を伴う死を遂げられたのです。イエスがこれまでに生存した最も偉大な人であることに疑問の余地はありません。

どのように答えますか

□ イエスが歴史上の実在の人物であったというどんな証拠がありますか

□ イエスが一人の人間だったことはどうして分かりますか。とはいえ,イエスは他のすべての人とどのように異なっておられましたか

□ イエスの生涯を研究することが神について学ぶ最善の方法であると言えるのはなぜですか

□ イエスについて研究することにより,わたしたちは神の愛について何を学ぶことができますか

[10ページの図版]

イエスの使徒たちは驚いて,「これはいったいどういう方なのだろう」と考えた

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