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    目ざめよ! 1990 | 4月8日
    • 昔から人間は,地球以外にもどこかに生物が存在しているに違いないと考えてきました。1899年の原始的な電気仕掛けの装置(右上)から,1957年に初めて用いられた巨大な電波望遠鏡(下),さらには1976年のバイキング(左上)のような宇宙探査機に至るまで,大気圏外の生物と交信するための試みは続けられています。

      [2ページの図版のクレジット]

      NASA提供の写真を基にした図

  • あのかなたにだれかいるのだろうか
    目ざめよ! 1990 | 4月8日
    • あのかなたにだれかいるのだろうか

      米国マサチューセッツ州に住むある男の人は,毎日の仕事の一部として,何らかの連絡が入っているかどうかチェックします。来る日も来る日も,連絡は何もありません。幾年も経過しましたが,何の音沙汰もありません。それでもなおその人はいつも必ずチェックし,その度に落胆します。嫌われているのでしょうか。それとも,留守番電話が故障しているのでしょうか。

      どちらでもありません。その人は機械をチェックしますが,その機械は電話線につながれているのではありません。それはわたしたちの世界から大気圏外のかなたに向けられた巨大な電子受信装置に接続されているコンピューター,つまり電波望遠鏡なのです。その人は,知能を備えた地球外生物からの通信,わたしたちの世界の外に存在する者たちからのメッセージを求めて星を探る科学者たちのあるチームの手助けをしているのです。

      ほかにもその人と同様,もう30年間も耳を澄ましてきた人たちがいます。天文学者のフランク・ドレイクは1960年に,地球外知的生物の存在を示すしるしを探るため電波望遠鏡で聞き耳を立て始めました。それ以来,人間は実際,宇宙に耳を傾けてきました。これまでに50ほどの異なった広範な空の探査が行なわれてきました。

      フランス,ドイツ連邦共和国,オランダ,オーストラリア,ソ連,アルゼンチン,米国,カナダなど,世界中の電波望遠鏡がその探査に加わりました。ある人は,「SETI[人間による地球外文明探査計画を指す英語の頭字語]は宇宙そのものと同じほど国際性を帯びてきている」と述べましたが,まさにそのとおりです。これをテーマにして行なわれたあるシンポジウムに,五大陸にまたがる18か国から150人の科学者が出席しました。

      しかし,これまでで最も大掛かりな探査計画が1992年から実施される予定です。米航空宇宙局NASAでは,一度に何百万もの周波数帯の電磁波を探査できる強力な最新鋭装置の使用が計画されており,その探査は9,000万㌦(約126億円)を投入して10年間継続されることになっています。これは,今までの様々な探査を総合したもののおよそ100億倍の規模になります。

      しかし,人間が広大な宇宙について,「あのかなたにだれかいるのだろうか」と問う場合,その答えを見いだすにはハイテク機器以上のものが必要でしょう。それは多分に霊的な質問と言えます。その答えを求めるということに,戦争や病気をなくしたい,さらには不老不死の秘法を見いだしたいなど,人間が心に抱いている宿望が明らかに見られるからです。それにしても,人間は何百年間も模索し,何十年間も探査してきた今,どれほど答えに近づいているでしょうか。

  • 地球外生物 ― 昔ながらの夢
    目ざめよ! 1990 | 4月8日
    • 地球外生物 ― 昔ながらの夢

      地球外生物の概念は,現代のSF作家が考え出したものではありません。2,300年ほど前に,メトロドロスという名のギリシャの哲学者は,宇宙に生物の住む世界が一つしかないというのは,広い畑にトウモロコシが1本しか生えていないというのと同じくらい想像し難いと教えていました。西暦前1世紀のローマの詩人,ルクレティウスは,「宇宙の他の場所には,ほかに幾つもの地球があり,様々な人種の人々がいる」と書きました。

      世界複数説と呼ばれるこの教えは,キリスト教世界では何世紀もの間,嫌われていました。ところが,西暦1700年ごろから今世紀の初めまで,歴史に名を残した大科学者の幾人かを含め,教育のある人々はほとんど皆,生物の存在する世界がほかにもあることを堅く信じていました。事実,1800年代中期のある教育者は,あえてその教義を否定する論文を書いたとき,多方面からの攻撃に遭いました。

      人々は,証拠が極めて薄弱なのに,地球外生物の存在を信じたくて仕方がないようです。1835年にある新聞記者は,天文学者たちが月に生物を発見したと書きました。奇妙な動物,風変わりな植物,さらには翼があって空を舞い,目に見える身振りをする小人たちなどがすべて,望遠鏡を通して見えたというのです。その新聞の発行部数は急上昇しました。偽りだったことが暴露された後でも,多くの人はその話を信じていました。

      科学者たちも同じように楽観的でした。1800年代後期に天文学者のパーシバル・ローウェルは,火星の表面に複雑な運河網が見えたと確信しました。彼はその運河網の詳細な地図を描き,運河を建設した文明について本を著しました。フランスの科学アカデミーは,火星に生物が存在することを確信していたため,火星人以外の地球外生物と初めて交信した人に賞を与えると述べました。

      ある人たちは,近隣の世界に存在する者たちと交信するために,サハラ砂漠で大規模なたき火をすることから,シベリア一帯に植林して幾何学模様の森林を造ることまで,いろいろ奇抜な企画を提唱しました。1899年にアメリカのある発明家は,火星人に信号を送るため,先端に銅の玉を付けた1本の柱を立て,そこから強力な電磁波を発しました。人々の髪の毛は逆立ち,50㌔四方に光が輝きましたが,火星からは何の返答もありませんでした。

      希望に満ちて

      他の世界に生物がいるかどうかを調べるのに,今日用いられている科学技術は新しいものかもしれませんが,一つの点は依然として変わっていません。科学者たちは今もなお,人類が宇宙で唯一の生物というわけではないと確信しているのです。天文学者のオットー・ベールバッハもドイツの新聞「ニュルンベルガー・ナハリヒテン」の中で,「地球外生物は存在するかと尋ねられるなら,存在しないと答える自然科学者はまずいない」と書いています。「ダーウィンの宇宙における生物」という本の著者,ジーン・バイリンスキーは,「電波天文学者を信じてよいのであれば,今は,星からの信号が,想像を絶する距離の宇宙空間を飛来して我々人類の宇宙的孤独感をいつぬぐい去ってもおかしくない時だ」と述べています。

      なぜ科学者たちは,ほかの世界にも生物はいるということにそれだけの確信が持てるのでしょうか。科学者たちが楽観的であるのは星のせいです。星は非常に多く,銀河系には何十億もの星があります。そこで例の仮定が始まります。きっと,それらの恒星の多くは,自らの周囲を回る惑星を有しているに違いない。それらの世界の幾つかには生物が発達しているに違いない。天文学者たちはそのように推論し,この銀河系のどこかに幾千ないしは幾百万もの文明が存在していると推測しているのです。

      それは重要なことか

      地球以外に生物が存在しているかいないかで,どんな違いが生じるのでしょうか。科学者たちは,どちらの答えにしても人類に及ぼす影響は非常に大きいと考えています。宇宙には我々人類の文明しかないということになれば,人類は地上の生物が唯一無二の存在であることを考えて命を尊重するよう教えられる,と彼らは言います。他方,あるれっきとした科学者は,外の世界にはこの地球上の文明より何百万年も進んだ文明があるかもしれず,そこから膨大な知恵を借りることができるかもしれないと推論しています。病気の治療法,汚染,戦争,飢餓などの解決法を教えてもらえるかもしれず,死そのものに打ち勝つ方法をさえ教えてもらえるかもしれないというわけです。

      病気,戦争,死などがなくなる ― このような希望は,問題の多いこの時代の人々にとって重要なものです。あなたにとってもきっと重要でしょう。しかし,偽りの希望にすがるよりは希望が全然ないほうがよい,ということも考えられるのではないでしょうか。ですから,生物のいる世界はこの宇宙に沢山あるという科学者たちの主張に確かな根拠があるかどうかを調べるのは大切なことです。

  • 地球外生物 ― どこにいるのか
    目ざめよ! 1990 | 4月8日
    • 地球外生物 ― どこにいるのか

      科学作家のアイザック・アシモフによると,生物のいる惑星はほかにもあると信じている人たちにとっては,「ある意味で,すべてを覆す質問」があります。その質問は元々1950年に核物理学者のエンリコ・フェルミが提起したもので,次のような論議の最後に出てきます。もし知的生物がこの銀河系の他の惑星に生じていたとしたら,地球より何百万年も進んだ文明が現に存在しているはずだ。彼らはとっくに恒星間旅行も行なえるようになっており,銀河系内に広がり,意のままに植民地を作ったり探査をしたりしているはずだ。しかし,彼らは一体どこにいるのか。

      SETI(地球外文明探査計画)の科学者たちは,中にはこの“フェルミの矛盾”に動揺を禁じ得ないことを認める人もいますが,多くの場合,星間旅行の難しさを指摘することによりこれに反論します。宇宙船が光速という桁外れの速さで飛んだとしても,銀河系を横切るには10万年もかかるのです。その速度を超えることは不可能と考えられています。

      SF小説ではよく,数日か数時間で星から星へと移動する宇宙船が活躍しますが,あれは空想であって,科学ではありません。星と星の間の距離は,わたしたちにはとても理解できないほどのものなのです。事実,もし太陽(地球を100万個呑み込めるほど大きい)をオレンジ大に縮小して銀河系の模型を作るとしたら,この模型の中でも星と星の間の距離は平均して1,500㌔ほどになります。

      SETIの科学者たちが大いに電波望遠鏡に頼るのはそのためです。彼らは,高度な文明を持った生物でも星間旅行はできないので,やはり電波という比較的安価で容易な手段によって他の形態の生物を探すだろうと想像します。しかし,フェルミの指摘した矛盾は今でも彼らの頭から離れてはいません。

      アメリカの物理学者,フリーマン・J・ダイソンは,もし高度な文明がこの銀河系に存在しているなら,その証拠を見つけるのは,ニューヨーク市のマンハッタン島の科学技術文明のしるしを見つけるのと同じほど容易なはずだと結論しています。この銀河は地球外からの信号やその絶大な工学的事業で騒音を立てているはずです。ところが,そのような証拠は何一つ見つかっていません。事実,そのことを取材したある記事は,「探査したが何も見つからない」という言葉は,SETIの天文学者たちの宗教的詠唱のようになっていると述べました。

      疑惑が生まれる

      多くの科学者たちは,同僚がこの問題と取り組むのに余りにも多くの楽観的仮定をしすぎたことに気づき始めています。そのような科学者たちは,この銀河系に高度な文明はそう多くは存在しないと言います。それはただ一つ,つまりわたしたちの文明だと言う人もいれば,数学的には一つより少ないはずであって,我々人類でさえ存在するはずがないのだと言う人もいます。

      そういう懐疑論の根底にあるものを理解するのは難しいことではありません。それは次の二つの質問に要約されます。もし地球外生物が存在しているとしたら,どこに生存しているのか,どのようにして存在するようになったのか,という質問です。

      最初の問いに対してある人は,『もちろん,惑星上に生存している』と答えるかもしれません。ところが,太陽系の中で,生物の存在に全く不適当とは言えない惑星はただ一つ,わたしたちの住んでいる地球しかありません。しかし,この銀河系の他の無数の恒星の周りを回る多くの惑星についてはどうでしょうか。幾つかの惑星には生命が宿されているのではないでしょうか。実のところ,科学者たちは太陽系外に一つでも惑星が存在するかどうかについて決定的なことはいまだに証明できていないのです。なぜでしょうか。

      惑星を探知するのは至難の業だからです。恒星は非常に遠くにあるうえに,惑星自体は何の光も発していないため,木星と同じほど巨大な惑星でさえ,それを探知するのは,何キロも離れた所にある強力な電球の周りに浮遊する塵粒を突き止めることを試みるようなものなのです。

      たとえそのような惑星が確かに存在している ― また存在していることを示す間接的な証拠が蓄積されている ― としても,それはそれらの惑星が銀河内で生命の維持にちょうど適した所にあるちょうど適した種類の恒星の周りを,ちょうどよい距離を保って回っており,惑星自体の大きさや組成も生命の維持にちょうど適しているという意味ではありません。

      崩れゆく基盤

      さらに,わたしたちが知っているような生命を維持するのに必要な厳しい条件を満たす惑星が数多く存在するとしても,それらの世界に生命はどのようにして発生するか,という疑問が残ります。それを考えると,生物のいる世界はほかにもあるという信念の基盤となっているものがはっきりしてきます。それは進化論です。

      この地球上で無生物が進化して生物になったのであれば,他の惑星でも同じようなことが生じ得ると信じるのは,多くの科学者にとって論理的なことのように思えます。ある著述家も,「生命は発生し得る環境が備わればいつでも発生する,というのが生物学者たちの一般的な考え方である」と述べています。しかし,進化論が打ち勝ち難い反論にぶつかるのはこの点です。進化論者はこの地球上でどのように生命が始まったかをさえ説明できないでいるのです。

      科学者のフレッド・ホイルとチャンドラ・ウィックラマシンゲの推定によると,生命に必要不可欠な酵素が偶然に形成される確率は1040,000(1の後に0が4万個付いた数)分の1です。科学者のファインベルクとシャピロはさらにその上を行きます。共著「地球外の生物」の中で,有機物のスープの中の物質が,生命となる最初の基本段階へ進む確率を101,000,000分の1としています。もしその数字を書くとすれば,あなたが手にしておられるこの雑誌で優に300ページの厚さになります。

      そんな厄介な数字は分かりにくいと思いますか。「起こり得ない」という言葉のほうが覚えやすく,しかも正確です。a

      それでもなおSETIの天文学者たちは楽しそうに,宇宙の至る所で生命は偶然に発生したに違いないと仮定するのです。ジーン・バイリンスキーは自著「ダーウィンの宇宙における生物」の中で,地球以外の世界でどのように進化が起きたかについて様々な推測を行なっています。それによると,知能を備えたタコ,腹部に育児嚢のある有袋男,楽器を作るコウモリ人間などがいても少しも不自然ではないのです。名高い科学者たちはその本を称賛しました。しかし,ファインベルクやシャピロのような他の科学者たちは,そのような推理の大きな欠陥を見抜いています。二人は,地上でどのように生命が始まったかに関する科学者たちの理論の「基本的実験基盤の弱さ」を非難し,それでもなお科学者たちは「そうした土台の上に宇宙の果てにまで届く塔を立ててきた」と述べています。

      間違った宗教

      『起こり得ないことを普通に起きることのように考える科学者が非常に多いのはなぜだろう』と不思議に思う人もいるでしょう。答えは簡単で,むしろ情けないくらいですが,人には信じたいことを信じる傾向があるのです。科学者は,いくら客観的な考え方をしていると主張しても,この人間的弱さを免れているわけではありません。

      ホイルとウィックラマシンゲは,「生命は知能を有する者によって組み立てられたという理論」のほうが,自然発生説よりも「よほど」もっともらしいと述べ,「実際,その理論は,自明の理として広く受け入れられていないのが不思議に思えるほど明白なのである。受け入れられていないのは,科学的というよりむしろ心理的な理由による」と付け加えています。確かに多くの科学者は,証拠から判断できるのに,創造者が存在するという考えを受け入れようとしません。彼らはそのようにして独自の宗教を作り上げています。先ほどの著述家たちも見抜いているように,ダーウィン主義は「神」という語を「自然」という語に置き換えたにすぎません。

      そのようなわけで,「あのかなたにだれかいるのだろうか」という質問の答えとして,ほかの惑星にも生物がいると信じる根拠を科学が一つも提供していないことは明らかです。事実,何年も経過したのに星からは何の音沙汰もないので,進化を信じている科学者たちにとってSETIは次第に厄介なものになっています。もし無生物が難なく進化して様々なタイプの生物になるとしたら,この広大な宇宙の中のそれらの生物から何の音沙汰もないのはなぜでしょうか。彼らはどこにいるのでしょうか。

      他方,もしこれが宗教の領域に属する質問なら,どうすれば答えが見いだせるでしょうか。神は他の世界にも生物を創造されたのでしょうか。

      [脚注]

      a 進化論の残りの部分も同じく難問を抱えています。ものみの塔聖書冊子協会発行の「生命 ― どのようにして存在するようになったか 進化か,それとも創造か」という本をご覧ください。

      [8ページの囲み記事]

      地球外からの訪問者?

      人間は地球外生物の訪問を受けている,あるいは過去に受けたことがある,と信じている人は少なくありません。科学者たちは一般にそうした主張を一蹴します。どの事例にも立証できる証拠がないことを指摘し,人が見たというUFO(未確認飛行物体)は大抵自然現象で説明できると言います。誘拐されたという主張は,未探求の分野である人間の混乱した精神,あるいは心理的また宗教的欲求として片づけられる傾向があります。

      あるSF作家はこう述べました。「その現象を調査し,その存在を信じたいという衝動は宗教的と言ってもよいほどである。我々人類はかつては神々を有していた。いま我々は自分たちが孤独ではなく,保護の力に守られていると思いたくなっている」。そればかりか,UFO体験の中には,科学というよりオカルト的なにおいのするものもあります。

      しかし,多くの科学者は自分なりに“訪問者”の存在を信じています。彼らはこの地上に偶然に生命が発生する可能性のないことを見て取り,生命は宇宙からこの地球に漂着したに違いないと主張します。異星人が下等なバクテリアを搭載したロケットを飛ばしてこの地球に生物をまいた,と言う人もいます。ある人は,遠い昔に異星人がこの地球を訪れ,彼らの残して行ったごみから偶然に生命が発生したのではなかろうかとまで言いました。一部の科学者は,宇宙に単純な有機分子がかなり普通に見られるという証拠から幾つかの結論を導き出しました。しかし,それは本当に生命が偶然に形成された証拠になるでしょうか。金物店があるということは,その店で自動車が人手によらずに偶然に組み立てられたという証拠になるでしょうか。

      [7ページの図版]

      たとえ生物の住める惑星がほかにあるとしても,そこに偶然に生命が発生し得る証拠があるだろうか

  • 地球外生物 ― その答えを見いだす
    目ざめよ! 1990 | 4月8日
    • 地球外生物 ― その答えを見いだす

      西暦1600年2月17日,イタリアはローマの公共広場で,ジョルダノ・ブルーノという名の男性が火刑に処せられました。ブルーノの著した書物が教会の怒りを買ったのです。それは特に,彼がこの宇宙には生物のいる世界が沢山あると説いたためでした。教会は11世紀に,世界が幾つもあるというその教義を異端と宣言していたのです。その教義を説くことは死に値しました。そのためブルーノは死にました。

      生物の存在している世界がほかにもあるかどうかをめぐる論争は,19世紀までは宗教の領域で行なわれました。宗教指導者たちとその影響下にあった科学者たちは何世紀もの間,地球は宇宙の中心にあるとか,宇宙は西暦前4004年に創造されたとか,いろいろなことを主張していました。

      ですから,多くの科学者や他の人たちが宗教に対してあまり敬意を抱いていないのも不思議ではありません。ところが,その間に多くの人は,そうした誤った考えの源は聖書だと思い,聖書に対する敬意をも失ってしまいました。しかし,それほど真実から掛け離れた見方はありません。

      聖書は科学の教科書であると主張してはいませんが,宇宙のことや科学的な事柄に触れている場合,決して不正確ではありません。例えば,聖書は地球と人間が宇宙の中心だとは述べていません。それどころか,霊感を受けた聖書筆者は,広大な宇宙に比べて人間がいかにちっぽけな存在であるかをはっきり意識していたことを示しました。―詩編 8:3,4。a

      では,聖書によれば,あのかなたにだれかいるのでしょうか。

      聖書は答えを示している

      聖書によれば,地球外生物は存在しているばかりか,その数も豊富です。それは進化論者やSF作家や映画製作者が思いつくものよりずっと複雑で,興味深く,信じられる生き物です。つまるところ,地球外生物とは,この地球およびその大気圏の外で存在するようになった者を指すにすぎません。

      科学者たちは,人間の探知能力を超えた生命形態が存在するのではなかろうかと考えています。聖書は実際そのような者が確かに存在していると断言しています。しかしそれは進化の所産ではありません。宇宙内の様々な形態の生命すべてと同様,彼らの存在も命の源であるエホバ神に由来します。神は霊者です。神はほかに,み使い,ケルブ,セラフなど,異なったタイプの霊者を無数に創造されました。彼らは複雑な天の組織の中でそれぞれ異なった仕事や機能を果たしています。―詩編 104:4。ヘブライ 12:22。啓示 19:14。

      他の惑星の生物についてはどうか

      影響力のある宗教界の名士たちの中には,どんな世界でも神は目的もなく創造されることはないのだから,生物の住める世界にはすべて生物が存在するに違いない,と主張している人もいます。聖書がそう述べているのでしょうか。そうではありません。聖書は,これまでに神がこの地球以外の惑星上に肉体を持つ知的生物を創造されたことなどまずあり得ないと見てよいことを示唆しています。どうしてそう言えるでしょうか。

      もし神がそのような者を本当に創造されたのであれば,アダムとエバを創造する前に創造されたことになります。そのような被造物は創造者にずっと忠実を保ったか,あるいはアダムやエバと同様,罪を犯して不完全になったかのどちらかです。

      しかし,もしそれらの被造物が不完全になった場合,請け戻す者が必要になります。ある随筆家は,「金曜日[イエス・キリストが処刑された日]には毎週,宇宙のどこかでだれかの罪のためにイエスが高く掲げられる,というこの恐ろしい考えを抱いている人がいる」と言いました。しかし,それは聖書的ではありません。聖書の述べるところによると,イエスの死は「罪に関してただ一度かぎり遂げた死」でした。―ローマ 6:10。

      それらの被造物が完全さを保っていたならどうでしょうか。アダムとエバが罪を犯したとき,それは事実上,肉体を持つ知的生物の世界を治める神の権利に疑問を投げかけるものとなりました。その当時,もし別の惑星が存在していたなら,神の支配のもとで調和よく忠節に生きていた,肉体を持つ知的生物で満ちていた世界は,神の支配が確かにうまくゆくことを証しする証人として喚問されたのではないでしょうか。神はまさにその論争において不完全な人間をさえご自分の証人として用いてこられたのですから,そういう結論は避けられないように思われます。―イザヤ 43:10。

      ではそのことは,神がそれら無数の太陽(および,存在しているのであれば,惑星)を何の目的もなく創造したという意味なのでしょうか。決してそうではありません。イエス・キリストの特異性から考えて,この地球が今のところ宇宙で人の住む唯一の惑星であること,また地球は創造者がご自分の支配権の正しさを立証された惑星として永久に特異な存在となることも分かっていますが,将来どうなるかについては分かっていません。

      わたしたちは孤独な存在ではない

      来る日も来る日も,来る年も来る年も,SETIの天文学者たちは,知的生物からの信号を求めて天空を綿密に調べ続けます。彼らはその探査があと10年あるいは100年かかるかもしれないと考えています。何と皮肉なことでしょう。彼らは人類が何世紀も前に受けた信号を探すことに自分の人生,希望,巨額のお金などを費やしているのです。というのは,聖書そのものが,地球外知的存在者からの音信であり,それは最も楽観的な科学者が心に描く信号よりもあらゆる面で優れているからです。―10ページの囲み記事をご覧ください。

      人類は地球外からの唯一の本物の音信にどのように応答してきたでしょうか。一般に人々は聖書に対してどのように反応するでしょうか。人々は無視します。自分の都合のいいように故意に曲げて適用します。根拠のない迷信的な教義を数多く並べ立てて,その音信の送り主を侮辱します。その音信をいかさまとまで呼び,またその送り主の存在さえ否定します。言うまでもなく,創造者は決して人類の反応を喜んではおられません。それでも通信を続け,今日もみ言葉により,平和の道を学ぶよう幾百万もの人々を教育しておられます。それらの人々はエホバを代表し,その情報を世界に伝えます。しかし,それに耳を傾けるのは,人類の中のごく少数の人々だけです。この世は一般に全く耳を貸しません。―イザヤ 2:2-4。マタイ 24:14。

      しかし,幸いなことに,わたしたち各人は宇宙で最も偉大な方と意思を通わせることができます。それには費用のかかる科学技術はいりませんし,音信が宇宙空間を伝わってくるのを長期間待つ必要もありません。あなたは今聖書を研究して,それが実際に超人間的源から出たものかどうかを自分で調べることにより,聴くことができます。そして祈りにより,また生活の仕方により応答することができます。わたしたち人類は孤独な存在ではありません。創造者は『わたしたちひとりひとりから遠く離れてはいない』と約束しておられます。―使徒 17:27。歴代第一 28:9もご覧ください。

      神は人類との交渉を終えてはおられません。世界史の流れを大きく変えることを約束しておられます。その目的は,この役に立たない事物の体制を解体して,人類が自滅へ向かって突進するのをとどめ,神ご自身がお作りになる政府,本当にあらゆるものの益を図って働く政府をもって人間の政府に替えることです。(ダニエル 2:44。イザヤ 9:6,7)そうです,最も偉大な地球外知的存在者からのこの次の通信は言葉ではなく,行動という形で到来することになっているのです。―テサロニケ第二 1:6-9。

      [脚注]

      a 聖書が実証された科学と調和している証拠については,ものみの塔聖書冊子協会発行の「聖書 ― 神の言葉,それとも人間の言葉?」という本をご覧ください。

      [10ページの囲み記事]

      科学者たちが地球外文明の探求において 神の言葉,聖書という,彼らが無視している

      期待している音信: 音信:

      *虚報かもしれない。そういうことは *確かに超人間の地球外知的存在者から

      珍しくない。いたずらの場合もある。 来ている。―イザヤ 55:9。

      テモテ第二 3:16。

      *教育を施し,また幾百万年にも及ぶ経験 *現在,幾百万もの人々に教育を施し,宇宙

      から益を得させてくれるかもしれ よりも古い知恵の恩恵にあずからせて

      ない。 いる。―ヨブ 36:26。詩編 103:14。

      イザヤ 48:17。啓示 4:11。

      *核による大破壊やあらゆる戦争の防止法 *まさに今,幾百万もの人々に平和を教え

      を教えてくれるかもしれない。 ている。聖書の著者は,地球を永久に

      保つこと,そして地を滅ぼしている

      者たちを滅ぼすことを約束しておら

      れる。―詩編 104:5。イザヤ 2:2-4。

      啓示 11:18。

      *病気の治療法のみならず不老不死を達成 *その著者は,ご自分があらゆる病気を

      する方法さえ教えてくれるかもしれ いやす能力を有していることを実証して

      ない。ただし,事故死はなくならないと こられた。死をなくすと共にその影響を

      思われる。 もぬぐい去り,永遠の命をもたらすこと

      を約束しておられる。―ルカ 7:22。

      ヨハネ 20:30,31。啓示 21:4。

      *人類の“宇宙的孤独感”をぬぐい去って *今も,聖書の著者は『わたしたちひとり

      くれるかもしれない。 ひとりから遠く離れてはおられない』。

      ― 使徒 17:27。

      *翻訳は不可能かもしれない。応答し, *人類は聖書を得ようと思えばいつでも

      対話するには何千年,もしかしたら 得られる。今それを読んでそれに応答

      何百万年もかかるだろう。 することができる。こちらから伝える

      事柄は瞬時に受信される。

      ― ヨハネ 17:3。テサロニケ第一 5:17。

      ペテロ第一 3:12。

      *以上の事柄はすべて憶測や仮定に *以上の事柄に対する信仰は証拠と理性に

      基づいている。 基づいている。―ヘブライ 11:1。

      [11ページの図版]

      わたしたちは宇宙で一番偉大な方と交信できる

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