なおいっそうエホバに仕える
かつてダビデは息子ソロモンに,「あなたはあなたの父の神を知り,全き心と喜ばしい魂とをもって神に仕えるように」と訓戒を与えました。(歴代第一 28:9)今日エホバの地上の民すべても,魂を込めてエホバに仕えることをこのうえない喜びと感じています。では,終わりの時がますますその最終部分に至る1989年中,どのように『そのことをなおいっそう行なってゆく』ことができるでしょうか。―テサロニケ第一 4:1。
あらゆる機会をとらえて証言する
昨奉仕年度中,全地の5万7,670の会衆において優れた野外奉仕の取り決めが設けられ,活発な奉仕が行なわれました。その結果,前年の6.3%増加に当たる,7億8,552万1,697時間がささげられました。そうです,わたしたちは世を照らす者として輝いているのです。(マタイ 5:16。フィリピ 2:15)しかしわたしたちには,それら会衆の取り決めを支持することに加えて,他の様々な機会にも王国の音信を広める特権があります。
詩編作者は,「エホバに向かって歌い,そのみ名をほめたたえよ。日から日へとその救いの良いたよりを告げよ」とわたしたちに力強く勧めています。(詩編 96:2)そうです,わたしたちは,毎日だれかに良いたよりについて告げる様々な機会を有しています。あなたは,あらゆる機会をとらえて人々に証言していますか。考えてみてください。全地にいる伝道者のすべてが,親族,友人,同僚,クラスメイトを含む幾百万もの知人に証言することができれば,どれほど多くの事柄が成し遂げられることでしょう! これまでにも非公式の証言によって,幾十万もの人々が真理を知るよう助けられてきたのです。
エホバの証人である母親から真理を教えられていた一人の中学生は,卒業式の際に8人の親しい学友にエホバ神の存在について証言しました。その後その8人は別の高校に入学し,加えてこの年若い女性が高校卒業後他の土地に移転したため,会うことがありませんでした。しばらくぶりに実家に戻ったこの人は,8人の友人のうち何人かが母親と親しく会話しているのを見ました。彼女たちはエホバの証人になっていたのです。その間に何が起きたのでしょうか。証言を受けてから数年後に,その8人はエホバの存在について話し合い,友人の母親のところへ行き,その場で研究が始まりました。今では8人のうち7人がバプテスマを受けたエホバの証人になっており,もう一人も聖書研究を続けています。
非公式の証言を行なう機会は限りなくあると言えます。レストランで食事をするとき,旅行中の宿舎で,買い物をしているとき,病院の待ち合い室にいる他の患者に,入院中に医師や看護婦また病院の職員に,家に来るセールスマンや配達員に,実際のところ,わたしたちが活動しているときに出会うすべての人々に証言することができるのです。
あなたは,パンフレットを活用しておられますか。ポケット版の聖書をいつも携えるようにしていますか。それら以外の出版物も携えて,いつでも配布できるようにしておられますか。非公式の証言を行なって関心を示す人々を見いだしたなら,すぐにその記録を取り,自分で,あるいは他の人に依頼して訪問がされるようにしていますか。エホバの組織に交わるすべての人は,なおいっそうエホバに仕えることにめざとくあり,あらゆる機会をとらえて証言すべきです。
家族の成員として自分の責任を果たす
クリスチャン家族に対するサタンの攻撃は年々その強さを増し加えています。家族の各成員が自分の責任を忠実に果たすことにより,家族はサタンに立ち向かってゆかなければなりません。(ペテロ第一 5:8,9)言うまでもありませんが,親,特に家族の頭はこの面で率先する必要があります。世の思い煩いや圧力に首尾よく対処することができるよう,敬虔な原則に従って毎日生活することを家族に教え,援助してゆかなければなりません。
そのために,家族の聖書研究を欠かすことは決してできず,むしろその定期性の度合いを強めてゆくべきです。パウロが次のように勧めているとおりです。「主にあって,またその力の強大さによって強くなってゆきなさい。悪魔の策略にしっかり立ち向かえるように,完全にそろった,神からの武具を身に着けなさい」。(エフェソス 6:10,11)家族の中にしっかりとした聖書研究の習慣がなく,家族の成員が聖書の助言を話し合ったり適用したりすることに無頓着であるなら,その家族の霊性は急速に弱くなってゆくに違いありません。そのようなとき,重大な問題に容易に巻き込まれてしまうのです。
ある長老は,夕方急に幼い息子を病院に連れてゆかねばならなくなり,予定されていた家族との聖書朗読と討議の時間が奪われてしまいました。帰宅した時は,一つの家庭聖書研究に出かける時間になっていました。家族研究を次の日にのばすこともできましたが,家族の霊的な益を犠牲にしたくなかったこの父親は,研究生に電話で研究の予定を数十分遅らせてもらえるようお願いし,妻や子供たちに聖句からの教訓や励ましを与えることができました。家族の頭としてのりっぱな模範ではありませんか。
次のように述べたダビデの言葉に親は今こそ真剣な注意を向けるべきでしょう。「エホバの律法は完全で,魂を連れ戻す。エホバの諭しは信頼でき,経験のない者を賢くする。エホバから出る命令は廉直で,心を歓ばせる。エホバのおきては清く,目を輝かせる。それらは金よりも,いや,精錬された多くの金よりもさらに願わしいものであり,蜜,それも蜜ばちの巣から流れる蜜よりもなお甘い。また,あなたの僕はそれによって警告を受けました。それを守ることには大きな報いがあります」。(詩編 19:7,8,10,11)経験のない子供や若者が必要としているもの,彼らの心を歓ばせ,目を輝かせるもの,それは神の言葉なのです。
親の皆さん,あなたはお子さんといつでも意思を通わせる用意ができていますか。そうするための多くの機会を設けることができることにお気づきですか。協会の出版物や巡回および地域大会のプログラムは,率直な仕方で聖書の助言を提供し,神を喜ばせるために家族の成員がどのように歩むべきかを示してくれます。家でそれら教訓的なプログラムについて復習したり話し合ったりして,主な点をどのように適用できるか考慮することができます。
あなたは親として,協会の出版物を読む習慣を身に着けるよう子供たちを励ましていますか。子供の安全を考える親であれば,そうすることに何のためらいも感じないことでしょう。(フィリピ 3:1)そのような習慣を身に着けることにより,家族の成員,特に若者は,悪魔またこの世の霊に抵抗することができるのです。そのことは,家族全体が清い状態を保ち,忠誠を全うする助けとなるに違いありません。(ヤコブ 4:7,8)「ものみの塔」,1988年8月1日号の,「若い人たち ― 裏表のある生き方をしないように用心しなさい」という記事には,家族の様々な問題に関する非常に役立つ情報が含まれています。
若者たちが快楽,この世的な傾向,不道徳,また霊性を破壊する他の様々なわなに捕らえられているとの報告が多く寄せられています。クリスチャン家族の中にも,父親が会衆の長老である家族の中にさえそのような問題が生じていることを知れば,わたしたち各自がどれほど十分に警戒すべきか容易に理解できるでしょう。
家庭の中に何でも許容する傾向や懲らしめの欠如がみられるなら,決して良い結果は得られません。そうではなく,確固とした態度を取ることです。そうしないなら,気ままな,そして自己中心的な性格や態度が育まれ,やがて献身したクリスチャンにふさわしくない行動へと子供たちは導かれるに違いありません。そして,そのような傾向は会衆内に入り込んだり大会でさえ見られるようになる可能性があり,最終的にはエホバのみ名に非難をもたらすことになるのです。
聖書は,監督の資格の一つとして,「自分の家の者をりっぱに治め,まじめさを尽くして子供を従わせている人であるべき」ことをはっきりと指摘しており,奉仕の僕たちも「子供と自分の家の者たちをりっぱに治めているべき」であると述べています。(テモテ第一 3:4,12)献身的に会衆に仕え,十分に教える資格を有している長老たちが,家族の問題,特に子供の非行などの理由でその立場から離れなければならなくなることを知るのは本当に悲しいことです。ですから会衆内の,頭である男子は,是が非でも自分の家の者を,特に,今最も大きな圧力に直面している子供を十分に顧み,その必要にこたえることに真剣に取り組んでゆくべきでしょう。
クリスチャン家族の各成員が聖書の助言を心に取り入れ,それらを適用してゆくのは何と肝要なことでしょう。聖書は,家族の各成員の果たすべき責任を次のように要約しています。「妻たちよ,夫に服しなさい。それは主にあってふさわしいことだからです。夫たちよ,妻を愛しつづけなさい。妻に対して苦々しく怒ってはなりません。子供たちよ,すべての事において親に従順でありなさい。これは主にあって大いに喜ばれることなのです。父たちよ,あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい」。(コロサイ 3:18-21)そのような役割を果たしている成員からなる家族は,なおいっそうエホバに仕える面で非常に有利な立場にいると言えます。
自分の活動を組織することに注意を向ける
エホバは秩序の神です。ですから,その組織内の,またその民個々の生活におけるすべての物事は適正に,また取り決めのもとに行なわれるべきです。―コリント第一 14:33,40。
この終わりの時に主の業においてなすべき事を常にいっぱいに持っているわたしたちは,自分の生活や活動を組織しなければなりません。そのために何が役立つでしょうか。「より重要な事柄を見きわめる」こと,生活の中で活動に優先順位を設けることです。―フィリピ 1:9,10。
あなたは長老あるいは奉仕の僕として会衆に仕えておられますか。そうであれば,会衆における多くの責任を平衡の取れた仕方で,つまり,自分の家族のことや自分自身の霊性をないがしろにすることのない仕方で果たしてゆく必要があります。会衆における基本的な業には,宣べ伝えて弟子を作る業に率先すること,集会や大会で集うこと,様々な割り当てを果たしたり会衆の集会で教えたりすること,羊の群れを牧すること,さらに他の神権的な取り決めを顧みることなどが含まれるでしょう。同時に皆さんは,ご自分の家の者を物質的にも霊的にも顧みるという務めを見過ごすことはできません。(テモテ第一 5:8)言うまでもなく皆さんは,神のおきてと調和したこれらの要求を重荷と感じることはないでしょう。―ヨハネ第一 5:3。
近年エホバの組織は,この点で優れた模範を示してきました。様々な分野において簡素化が強調され,ものみの塔聖書冊子協会の支部における業務においても,巡回および地域大会の組織においてもその簡素化が実施されてきました。皆さんは,そのような精神をご自分に適用しておられますか。
自分の生活や活動を振り返ってみれば,それほど重要ではない,むしろ不必要な物事に多くの時間や労力が取られていることに気づくことがよくあります。皆さんすべてができるだけ早いうちにゆっくりいすに座り,自分の活動を振り返ってそれをメモに書き出し,それらにどれほどの時間が費やされているかを確認してみるようにお勧めいたします。そして,生活におけるより重要な事柄のために時間を取り分けるのに何を行なうべきかを,是非真剣に考えてごらんください。
個人や家族の聖書研究は行なわず,趣味や世俗の仕事,またレクリエーションで疲れ果てているようなことはありませんか。もちろんそれらにはそれなりの場所があるはずですが,より重要な霊的事柄に向けられるべき時間や労力を奪っているのであれば,必要な調整を施すのは道理にかなっています。イエスの次の言葉を是非思い出してください。「体のともしびは目です。それで,もし目が純一であれば,あなたの体全体は明るいでしょう。ですから,王国と神の義をいつも第一に求めなさい。そうすれば,これらほかのものはみなあなた方に加えられるのです」― マタイ 6:22,33。
今の時代の圧力は,霊的な物事に対するわたしたちの認識を抑え込んでしまうほど強いものです。(テモテ第二 3:4)生活上の思い煩いや快楽に対する欲求の持つ力を決して軽く見ることはできません。それらに圧倒されることがないよう,常に警戒を怠ることなく,自分自身を律してゆかなければならないのです。「あなた方は時節を,すなわち今がすでに眠りから覚めるべき時であることを知っているのですから,そのゆえにもこれを行ないなさい。今や,わたしたちの救いは,わたしたちが信者になった時よりも近づいているのです。そして,主イエス・キリストを身に着けなさい。肉の欲望のために前もって計画するようであってはなりません」― ローマ 13:11,14。
自分の活動を組織することには,この邪悪な時代にどのように歩むべきか考え,自分の歩き方を注意深く見張り続けることが関係しています。そうです,「自分の歩き方をしっかり見守って,それが賢くない者ではなく賢い者の歩き方であるようにし,自分のために,よい時を買い取りなさい。今は邪悪な時代だからです。それゆえ,もはや道理をわきまえない者となってはなりません。むしろ,何がエホバのご意志であるかを見分けてゆきなさい」というパウロの言葉に真剣な注意を払うことです。(エフェソス 5:15-17)そうすれば,わたしたちの貴重な時間を快楽のために浪費することなく,霊的な関心事のために,また霊的な必要のために用いることができるでしょう。
その邪悪さをいよいよ増し加えているこの終わりの時に,あらゆる機会をとらえて証言することにより,家族の成員として自分の責任を果たすことにより,そして自分の活動を組織することに注意を向けることにより,わたしたちすべてがなおいっそうエホバに仕えてゆくことができますように。