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怖れ聖書に対する洞察,第1巻
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さらに,勇気や強さが神によって鼓舞されていることを示す証拠は,健全な怖れと従順な反応をもたらすことがあります。例えば,サウル王がヤベシュ・ギレアデの防衛に加わるようイスラエル人に強力に訴えたとき,彼らは「エホバへの怖れ」に満たされ,「一人の人のように」こたえ応じました。―サム一 11:7。
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怖れ聖書に対する洞察,第1巻
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人がエホバの僕としてとどまりたいと思うなら,エホバが非とされる事柄を避けようという願いに反映される,エホバへの健全な怖れが肝要です。ヨブはこの怖れによってとがめがなく,廉直であることができました。(ヨブ 1:1; 23:15; 31:23)またそれによって,一詩編作者は君たちからの迫害にもかかわらず神のよしとされる生き方をたゆまず進むことができました。(詩 119:120,161)エホシャファトは任命された裁き人たちに,偏らずに公正な決定を下すため,この正しい怖れを持つよう励ましました。―代二 19:5-7。
エホバはご自分の民の保護者,また維持者です。ですから,人は人間を怖れ,人間の行なうかもしれないことに極端な恐れを表わして,その不当な要求に屈する理由はありません。(詩 27:1; 78:53; 91:2-5; イザ 12:2)しかしこれは,神の僕たちが現存する事物の体制から何の苦しみも受けないという意味ではありません。時には確かに,自分たちが哀れむべき,不利な立場に置かれていることに気づくことがあります。そのような僕たちが依然神の気づかいの対象であることを見分けられないために,信仰のない人々は一見希望のない自分たちの受け分に甘んじることを望まず,怖れて彼らを捨て去るかもしれません。(詩 31:11)しかし,エホバは彼らを見捨てることはされません。―詩 27:10; 94:14。
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