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  • 「エホバは……偉大な力を持っている」
    エホバに近づきなさい
    • エリヤが洞窟から,エホバの力が表れている暴風や地震や火を見ている。

      第4章

      「エホバは……偉大な力を持っている」

      1-2. エリヤはどんな驚くような経験をしましたか。後にホレブ山にある洞窟で,目を見張るようなどんな出来事を目撃しましたか。

      エリヤは驚くような経験を何度もしました。例えば敵から身を隠していた時に,ワタリガラスが毎日2回食べ物を運んできました。また,長く続いた飢饉の間,麦粉の入ったつぼと油の入ったつぼが空になることはありませんでした。神が祈りに答えて空から火を降らせたこともあります。(列王第一 17,18章)しかし,ある時エリヤは,かつてないほどインパクトのある光景を見ます。

      2 ホレブ山にある洞窟の入り口の所で,エリヤは目を見張るような一連の出来事を目撃しました。まず,暴風が吹きます。山々を裂き,大岩を砕くほどの強い風だったので,耳をつんざくようなごう音がしたことでしょう。次に,大きな地震が起きます。それから火が生じます。エリヤは焼けるような熱を感じたことでしょう。(列王第一 19:8-12)

      3. エリヤが見たり経験したりした出来事には何が表れていましたか。私たちはそれをどんな時に感じますか。

      3 エリヤが見たり経験したりしたさまざまな出来事には,1つの共通点がありました。どの場合にも,エホバ神の偉大な力が表れていました。もちろん,神が大きな力を持っていることは,奇跡を見るまでもなく分かります。神の力は至る所に見られるからです。聖書によれば創造物は,エホバが「永遠に力を持っていて,確かに神である」ことの証拠です。(ローマ 1:20)例えば,雷雨の時の目がくらむような稲光やとどろく雷鳴,力強く流れ落ちる大きな滝,無限の広がりを感じさせる星空などについて考えると,神の力を感じるのではないでしょうか。今の世の中で神の力について正しく知ろうとする人はあまりいませんが,その力について理解すると,エホバに近づきたいという気持ちになります。このセクションでは,エホバの唯一無二の力について詳しく調べます。

      「エホバがそばを通[った]」

      エホバの主な性質の1つ

      4-5. (ア)聖書の中でエホバの名前についてどんなことが言われていますか。(イ)雄牛がエホバの力を表しているのは,なぜ適切だと言えますか。

      4 エホバは誰とも比べものにならない力を持っています。エレミヤ 10章6節にはこう書かれています。「エホバ,あなたのような方はいません。あなたは偉大な方,あなたの名は力強く,偉大です」。エホバの名が力強く,偉大だと言われていることに注目できます。エホバの名前には「彼はならせる」という意味があることを思い起こしてください。エホバが何でも創造でき,自分の望むどんなものにもなることができるのは,どうしてでしょうか。1つの理由は,無限の力があるからです。そのような力がエホバの主な性質の1つだからこそ,エホバは望むことを何でも行えるのです。

      5 神の力の全貌は人間にはとうてい理解できませんが,エホバは例えを使って自分の力について私たちに分かりやすく教えてくれています。すでに考えた通り,聖書の中で雄牛は神の力の象徴です。(エゼキエル 1:4-10)雄牛は家畜であっても非常に大きくて力強い動物なので,雄牛が力を表しているのは適切だと言えます。聖書時代のパレスチナの人たちは,雄牛よりも強い動物を目にすることはまずありませんでした。しかも,もっと恐ろしい牛がいることも知っていました。今では絶滅した,オーロックスという野牛です。(ヨブ 39:9-12)ローマの支配者ユリウス・カエサルはその野牛について,ゾウと同じぐらい大きく,力がとても強く,足もとても速いと書いています。そのような動物のすぐそばに立ったら,誰もが自分は小さくてか弱い存在だと思うことでしょう。

      6. エホバだけが「全能の神」と呼ばれているのはどうしてですか。

      6 小さくてか弱い人間と比べて,エホバははるかに強大な力を持つ神です。エホバにとっては強い国々も「はかりの上のほこり」のようです。(イザヤ 40:15)無限の力があるので,エホバだけが「全能の神」と呼ばれています。a (啓示 15:3)エホバは「膨大な活力と驚異的な力」を持っています。(イザヤ 40:26)尽きることがない豊富な力の源です。「力[は]神のもの」と言われている通り,他のエネルギー源に頼ってはいません。(詩編 62:11)では,エホバはどのように自分の力を使うのでしょうか。

      エホバはどのように力を使うか

      7. エホバの聖なる力とは何ですか。原語からどんなことが分かりますか。

      7 創世記 1章2節に書かれている通り,聖なる力は神が無限に「送り出す力」です。「聖なる力」と訳されているヘブライ語やギリシャ語の言葉は,聖書の中で「風」や「息」や「突風」などと訳されることもあります。辞書編集者たちによるとその原語は,目に見えなくても作用している力を指します。神の聖なる力は風のように私たちの目には見えませんが,その力が及ぼす影響は確かに分かります。

      8. 聖書の中で神の聖なる力はどのように呼ばれていますか。それが適切だと言えるのはどうしてですか。

      8 神の聖なる力はまさに万能です。エホバはそれを使って,自分が望むどんなことでも行えます。聖書の中で聖なる力は適切にも,比喩的な意味で神の「指」とか「力強い手」とか「伸ばした腕」と呼ばれています。(ルカ 11:20,脚注。申命記 5:15。詩編 8:3)人間が自分の手を使って力仕事から緻密な作業までいろいろ行えるように,神も自分の聖なる力を使ってありとあらゆることを行えます。例えば,極小の原子を創造したり,紅海を分けたり,1世紀のクリスチャンがさまざまな言語を話せるようにしたりしました。

      9. エホバはどれほどの権力を持っていますか。

      9 エホバはさらに,宇宙の主権者としての権力という力も使います。あなたは,自分の命令通りに動いてくれる何千万もの有能な部下がいるのを想像できますか。エホバはそのような権力を持っています。神に仕える人たちは,聖書の中でよく軍隊に例えられています。(詩編 68:11; 110:3)そして,人間よりはるかに強い天使も神に仕えています。アッシリア軍が神の民を攻撃した時,たった1人の天使が1晩のうちに18万5000人のアッシリア兵を殺したという例があります。(列王第二 19:35)神の天使はまさに「力に満ちて」います。(詩編 103:19,20)

      10. (ア)エホバが大軍を率いる神と呼ばれているのはどうしてですか。(イ)エホバが創造したものの中で最も力のある方は誰ですか。

      10 天使は実際どれぐらいいるのでしょうか。預言者ダニエルは幻の中で天の様子を見た時,エホバの王座の前に1億を優に超える天使がいるのを目にしました。しかも,それが天使全員だったとは限りません。(ダニエル 7:10)ですから,天使は幾億もいるのかもしれません。エホバが大軍を率いる神と呼ばれているのも納得できます。その称号は,力強い天使たちの大軍の司令官としてのエホバの立場を表しています。そしてエホバは,最愛の子で「全創造物の中の初子」であるイエスを天使長としました。(コロサイ 1:15)セラフやケルブを含む全ての天使の長であるイエスは,エホバが創造したものの中で最も力のある方です。

      11-12. (ア)神の言葉はどのように力を及ぼしますか。(イ)イエスはエホバについて何と言いましたか。その言葉からエホバの力について何が分かりますか。

      11 エホバはほかにもどのように力を表しているでしょうか。ヘブライ 4章12節には,「神の言葉は生きていて,力を及ぼ」すと書かれています。神の言葉つまりメッセージは,聖なる力の導きによって聖書に記されました。あなたはその言葉の驚異的な力を実感したことがありますか。神の言葉は私たちを力づけ,信仰を強め,人格や生き方を大きく変えるよう助けてくれます。使徒パウロは,非常に不道徳な生き方をしている人たちに注意するよう仲間のクリスチャンに伝えた際,こう付け加えました。「皆さんの中には,以前そのような人もいました」。(コリント第一 6:9-11)「神の言葉」はそのクリスチャンたちに「力を及ぼし」,生き方を変えるように助けたのです。

      12 エホバは計り知れない力を使って,望んでいることを必ず行います。誰にもその邪魔はできません。イエスが言った通り,「神には全てのことが可能です」。(マタイ 19:26)では,エホバはどんなことのために力を使うのでしょうか。

      神はどんなことのために力を使うか

      13-14. (ア)エホバは単なるエネルギーの塊のような存在ではないと言えるのはどうしてですか。(イ)エホバはどんなことのために力を使いますか。

      13 すでに考えたように,エホバは単なるエネルギーの塊のような存在ではありません。意思や感情を持つ神で,どんな物理的な力よりもはるかに強力な聖なる力を完全にコントロールしています。では,何のためにその力を使うのでしょうか。

      14 このセクションで考えていきますが,神は,創造したり,破壊したり,保護したり,回復させたりするために力を使います。自分が望むことを果たすのに必要なことを何でも行うのです。(イザヤ 46:10)自分の性格や基準について重要なことを私たちに教えるために力を使うこともあります。何よりも,メシアの王国によって自分の名前を神聖なものとし,自分の治め方が最も優れていることを示すために,力を使います。そのエホバの行動を妨げられるものは何もありません。

      15. エホバはどんなことのためにも力を使いますか。エリヤの例からそのことがどのように分かりますか。

      15 エホバは私たち一人一人のためにも力を使ってくれます。歴代第二 16章9節によると,「エホバは,心の全てがご自分に向いている人の力になろうとして,世界中に目を行き届かせています」。この章の冒頭で考えたエリヤの経験は,その一例です。エホバが非常にインパクトのある方法で自分の力をエリヤに見せたのはどうしてでしょうか。悪い王妃イゼベルがエリヤを処刑すると宣言したため,エリヤは身の危険を感じて逃げていました。それまでやってきたことが全て無駄だったように思えてがっかりし,孤独や恐怖を感じていました。そんなエリヤを元気づけるために,エホバは自分の力を鮮明に思い起こさせました。風や地震や火によってエホバの力を感じたエリヤは,宇宙で最も強大な方がそばにいるのを感じました。全能の神が味方なのですから,イゼベルを恐れる必要は全くありませんでした。(列王第一 19:1-12)b

      16. エホバの無限の力について考えると元気が出るのはどうしてですか。

      16 エホバは,現代では奇跡を行いませんが,エリヤの時代から変わっていません。(コリント第一 13:8)自分に仕える人たちのために,ぜひ力を使いたいと思っています。高い天にいますが,私たちから遠く離れてはいません。無限の力を持っているので,距離は関係ありません。「エホバは,ご自分に呼び掛ける全ての人の近くにい」ます。(詩編 145:18)預言者ダニエルがエホバに助けを求めて祈ったところ,まだ祈り終わらないうちに天使が現れたこともありました。(ダニエル 9:20-23)エホバは何にも阻まれることなく,愛する人たちを助け,力づけることができるのです。(詩編 118:6)

      力がある神は近づきにくい存在か

      17. 神の力について考えるとどんな気持ちになりますか。どんな感情を抱く必要はありませんか。

      17 力がある神を畏れるのは,自然なことです。神の偉大な力について思い巡らすと,前の章で少し考えたように神を心から敬いたいという気持ちになります。聖書にも,「知恵はエホバを畏れることから始まる」と書かれています。(詩編 111:10)とはいえ,力があるからといって神に恐怖を感じたり,近づくのをためらったりする必要はありません。

      18. (ア)多くの人が権力者を信頼していないのはどうしてですか。(イ)エホバが絶対に力を悪用しないと言えるのはどうしてですか。

      18 「力は腐敗しやすく,絶対的な力は絶対に腐敗する」。これは,1887年に英国のアクトン卿という人が書いた言葉です。この言葉が何度も引用されてきたことからすると,その通りだと思っている人が多いのでしょう。不完全な人間が往々にして力を悪用することは,歴史を通じて明らかです。(伝道の書 4:1; 8:9)そのため,多くの人は権力者を信頼せず,距離を置いています。では,絶対的な力を持つエホバは,その力を悪用したりするでしょうか。絶対にしません。すでに考えたように,エホバは聖なる方なので,決して悪に染まることはありません。この腐敗した世の中で力を持っている不完全な人たちとは違うのです。

      19-20. (ア)エホバは力を使う時,常にどんな性質も表しますか。そのことを考えると安心できるのはどうしてですか。(イ)エホバをどんな人に例えられますか。エホバのどんなところに引き付けられますか。

      19 エホバは単に力がある神なのではありません。公正さや知恵や愛も持っています。そして,機械的に一度に1つの性質しか表せないような,柔軟性のない方ではありません。続く幾つかの章で考えますが,力を使う時にも常に公正さや知恵や愛を表します。さらに,世の中で力を持っている多くの人とは違い,自分を制することができます。

      20 とても体が大きくて強そうな権力者に会ったところを想像してみてください。最初は怖そうだと感じますが,そのうち穏やかな人だと分かります。その人はいつも,自分の力で人々を助けたい,特に弱い立場の人を守りたい,と思っています。力を悪用することは決してありません。中傷されても毅然としていて,品位があり,親切です。力があるのに穏やかで自制心があるそのような人に,引き付けられるのではないでしょうか。そうであれば,全能の神エホバにはなおのこと引き付けられるはずです。この章の主題の聖句によると,「エホバはすぐに怒らず,偉大な力を持って」います。(ナホム 1:3)エホバは力がありますが,温和で親切な方です。悪いことをする人がいても,怒りに任せてすぐに処罰したりはしません。人々が何度も悪事を働いたり反逆したりしても「すぐに怒ら[ない]」ことが,歴史からも分かります。(詩編 78:37-41)

      21. エホバが人を無理やり従わせたりしないのはどうしてですか。そのことからエホバについてどんなことが分かりますか。

      21 エホバが自分を制することについて,別の角度からも考えてみましょう。人は大きな力を持つと,他の人を従わせたくなるかもしれません。でもエホバは,無限の力があるにもかかわらず,人を無理やり従わせたりはしません。一人一人を尊重し,自分に仕えて永遠の命を得るかどうかを選べるようにしています。もちろん,選択を間違えるとどうなるか,良い選択をするとどんな報いがあるかを教えてくれていますが,選択そのものは私たちに任せています。(申命記 30:19,20)エホバは,人が強制されて嫌々仕えたり,圧倒的な力への恐怖心から仕えたりすることを望んでいません。愛の気持ちから喜んで仕えてほしいと思っています。(コリント第二 9:7)

      22-23. (ア)エホバが喜んで他の者に力を与えることが,どんなことから分かりますか。(イ)次の章ではどんなことを考えますか。

      22 全能の神が近づきにくい存在ではないと言える理由を,最後にもう1つ考えましょう。権力を持つ人は,ほかの人に権力を与えることを渋りがちです。でもエホバは,子であるイエスにかなりの権威を与えていて,自分を崇拝する忠実な人たちにも喜んで権限を与えます。(マタイ 28:18)エホバが自分に仕える人たちにさらにどのように力を与えるかについて,聖書にこう書かれています。「エホバ,あなたは偉大で力強く,美しくて輝かしく,威厳に満ちた方です。天と地にあるものは全てあなたのものです。……あなたの手には力と強さがあり,あなたの手はあらゆるものを偉大にして強くすることができます」。(歴代第一 29:11,12)

      23 この聖句にあるように,エホバは私たちを強くしてくれます。「普通を超えた力」を与えるとも約束しています。(コリント第二 4:7)極めて強い力をいつも愛情深く理性的に使う神に,引き付けられるのではないでしょうか。次の章では,エホバが創造するためにどのように力を使うかに注目します。

      a 「全能の神」と訳されているギリシャ語は,直訳すると「あらゆるものの支配者」とか「あらゆる力を持つ方」という意味になります。

      b 「エホバは風の中に[も]地震の中にも……火の中にもいなかった」と聖書に書かれています。自然の中に神々がいると考えて崇拝する人たちもいますが,エホバに仕えている人たちはそのようには考えません。神は自分が創造したどんなものよりもはるかに偉大な方なので,自然界の力の中にいるというようなことはありません。(列王第一 8:27)

      じっくり考えたいこと

      • 歴代第二 16:7-13 アサ王の例から,エホバの力に頼ることの大切さがどのように分かりますか。

      • 詩編 89:6-18 エホバの力について考えると,どんな気持ちになりますか。

      • イザヤ 40:10-31 この聖句からエホバの偉大な力についてどんなことが分かりますか。私たちはその力にどのように助けてもらえますか。

      • 啓示 11:16-18 エホバは自分の力を使って将来どんなことを行うと約束していますか。そのことで真のクリスチャンが安心できるのはどうしてですか。

  • 創造する力 「天地を造った方」
    エホバに近づきなさい
    • 小麦畑の上に太陽が昇っている。

      第5章

      創造する力 「天地を造った方」

      1-2. 太陽から,エホバの創造する力の素晴らしさがどのように分かりますか。

      寒い夜に,たき火のそばに立ったことがありますか。炎からちょうどいい距離で手をかざすと,心地よい温かさを感じたことでしょう。でも,近づき過ぎると熱さに耐えられず,遠ざかり過ぎると寒さが身に染みたに違いありません。

      2 太陽は,私たちを毎日温めてくれる火のようです。約1億5000万㌔aも離れているのにその熱を感じられますから,太陽にはとてつもない力があることが分かります。地球は,この巨大な核融合炉からちょうどよい距離にあります。もし近過ぎれば地球上の水は蒸発してしまいますし,遠過ぎれば全て凍ってしまいます。どちらの場合にも,地球上の生物は死滅します。太陽の光は地球上の生命に欠かせないだけでなく,クリーンで無駄がなく,とても心地よいものです。(伝道の書 11:7)

      3. 太陽はどんな大切なことを示していますか。

      3 太陽がないと生きていけないのに,大抵の人は太陽があるのは当たり前だと思っています。そのため,太陽から学べる大切なことに気付いていません。聖書に書かれている通り,「光と太陽を造った」のはエホバです。(詩編 74:16)ですから,太陽は「天地を造った方」であるエホバの偉大さを示していると言えます。(詩編 19:1; 146:6)太陽以外にも,エホバの創造する力の素晴らしさを物語っている天体は無数にあります。幾つかの例についてさらに調べ,それから地球や地球上の生命に注目しましょう。

      エホバは「光と太陽を造った」

      「天を見上げてみなさい」

      4-5. 太陽の力や大きさはどれほどですか。それでも他の恒星と比べるとどうですか。

      4 太陽は恒星です。夜空に浮かぶほかの恒星より大きく見えるのは,ずっと近い所にあるからです。太陽にはどれほどの力があるのでしょうか。太陽の中心核の温度は,約1600万度あります。太陽の中心核から針の頭ほどの大きさのかけらを取り出して地上に置いたとすると,その小さな熱源から140㌔以上離れないと危険です。太陽は毎秒,何億個もの核爆弾の爆発に相当するエネルギーを放出しています。

      5 太陽はとても大きく,その中に地球が130万個入るほどです。でも,特別に大きい恒星というわけではありません。天文学者は太陽を黄色矮星と呼んでいます。つまり,かなり小さい星だということです。使徒パウロは聖なる力に導かれて,「一つ一つの星の栄光[は]異なります」と書きましたが,その言葉の意味を十分には分かっていなかったことでしょう。(コリント第一 15:41)恒星の中には,太陽の位置に置いたとすると地球をのみ込んでしまうほど,非常に大きなものがあります。さらに巨大な恒星だと,土星までのみ込んでしまいます。土星は地球から遠く離れていて,ジェット旅客機の60倍のスピードで飛行する宇宙船でも4年かかることを考えると,その恒星がいかに巨大かが分かります。

      6. 膨大な数の星があることが,聖書ではどのように表現されていますか。

      6 恒星の大きさだけでなく,数にも圧倒されます。聖書によると,星は「海の砂」のように数え切れないほどたくさんあります。(エレミヤ 33:22)実際,肉眼で見えるよりはるかに多くの星があります。エレミヤが夜空を見上げた時に見えた星は,せいぜい3000個ぐらいだったでしょう。晴れた夜に肉眼で見える星の数はそれぐらいだからです。その数は,片手ですくった砂粒の数のようなものです。それよりも海の砂が途方もなく多いのと同じように,星も膨大な数に上ります。b 数え尽くせる人は誰もいません。

      天体望遠鏡で見た,光り輝くたくさんの星や銀河。

      「その者は全ての星を名で呼ぶ」

      7. 天の川銀河にある恒星の数や,銀河の数について,どのように考えられていますか。

      7 でも,イザヤ 40章26節にはこう書かれています。「天を見上げてみなさい。誰がこれらの物を創造したのか。星の軍勢を数え上げて率いている者である。その者は全ての星を名で呼ぶ」。詩編 147編4節にも,「神は星の数を数える」とあります。ある天文学者たちの推定によると,天の川銀河だけでも恒星の数は1000億を超えます。c それよりもはるかに多いと言う人もいます。しかも,天の川銀河は数多い銀河の1つにすぎず,もっと多くの恒星がある銀河がたくさんあります。では,銀河はどれほどあるのでしょうか。数千億と言う学者もいれば,数兆と言う人もいます。今のところ,人間には銀河の数を特定することさえできないようです。全ての銀河に含まれる星の数は,なおのこと分かりません。しかし,エホバはその数を知っています。それだけでなく,一つ一つの星に名前を付けています。

      8. (ア)天の川銀河はどれほどの大きさですか。(イ)エホバは天体の動きをどのように制御していますか。

      8 銀河の大きさについて考えると,さらに圧倒されます。天の川銀河の直径は,約10万光年とされています。秒速30万㌔というすさまじいスピードで進む光が,天の川銀河を横切るのに10万年もかかるのです。しかも,その何倍も大きい銀河もあります。聖書によると,エホバはそうした銀河を含む広大な「天」を単なる布でもあるかのように広げます。(詩編 104:2)さらに,そうした天体の動きも制御しています。微小な星間塵から膨大な銀河に至るまで,全てのものは神が定めた物理法則に従って動いています。(ヨブ 38:31-33)天体の動きがあまりに緻密なので,科学者たちはそれをバレエの繊細で複雑な振り付けに例えているほどです。では,宇宙を造った神の創造する力がどれほど計り知れないものか,考えてみてください。神への畏敬の気持ちでいっぱいになるのではないでしょうか。

      「ご自分の力によって地を造った方」

      9-10. 太陽系や地球がある場所,また木星や月の働きに,エホバの力がどのように表れていますか。

      9 エホバの創造する力は,地球からもはっきり分かります。広大な宇宙の中で,地球は絶好の場所にあります。ある科学者たちによれば,多くの銀河は生命が存在できる環境ではないようです。天の川銀河の大部分も,生命の存在には適していません。中心部は恒星が密集していて,放射線量が高く,星と星が危険なほど接近することがよくあります。外縁部では,生命に欠かせない元素の多くが存在しません。でも私たちの太陽系は,まさに理想的な場所にあります。

      10 地球は,遠く離れた木星に守られています。木星は地球の1000倍以上ある巨大な惑星で,非常に強い引力を持っています。そのため,宇宙空間を飛ぶ物体を引き寄せたり,その方向を変えたりします。科学者たちは,もし木星がなければ,巨大な物体が現在の1万倍も多く地球に降り注ぐだろうと考えています。もっと近くに目を移すと,地球は独特な衛星である月の恩恵も受けています。月は美しい“夜間照明”であるだけでなく,地球の傾きを一定に保つ役割も果たしています。その傾きのおかげで,地球には毎年きちんと季節が巡ってきます。これも,地球上の生命にとって貴重な贈り物です。

      11. 大気は地球をどのように保護していますか。

      11 エホバの創造する力は,見事に設計された地球のあらゆる面に表れています。例えば,地球を保護している大気について考えてみましょう。太陽光線には,体に良いものだけでなく,極めて有害なものも含まれています。有害な紫外線が大気の上層に当たると,酸素がオゾンに変わります。その結果できたオゾン層は,有害な紫外線の大半を吸収します。ですから,地球はいわば自前の日傘によって守られているのです。

      12. 水の循環には,エホバの創造する力がどのように表れていますか。

      12 オゾン層は大気の一部にすぎません。大気にはほかにもさまざまな気体が含まれていて,地球上で暮らす生き物にとって理想的な比率で混ざり合っています。大気中では,水の循環という素晴らしいことも起きています。毎年,太陽の熱により,海から40万立方㌔以上の水が蒸発します。その水蒸気は雲になり,風によって広く遠く運ばれます。そして,ろ過されたきれいな水が雨や雪や氷となって降り,海に流れ込みます。伝道の書 1章7節に書かれている通りです。「川は海に流れていく。しかし海があふれることはない。川は始まりから,また流れる」。このような循環を可能にする力を持っているのは,エホバだけです。

      13. 地球上の植物や地面の中を見ると,創造者の力についてどんなことが分かりますか。

      13 生物にも目を向けてみましょう。30階建てのビルよりも高くそびえるセコイアの大木から,海に満ちて酸素の大半を生み出している微小な植物プランクトンに至るまで,植物にはエホバの創造する力がはっきり見られます。地面の中にも生物が無数にいます。さまざまな虫,菌類,微生物などが複雑に連携し合い,植物の成長を助けています。地面には力がある,と聖書に書かれているのもうなずけます。(創世記 4:12,脚注)

      14. 極小の原子にどんな力が秘められていますか。

      14 エホバは確かに「ご自分の力によって地を造った方」です。(エレミヤ 10:12)神の力は,極小の創造物にも見られます。例えば原子は,一直線に100万個並べても人間の髪の毛の太さほどにもなりません。そして,1つの原子を14階建てのビルほどの大きさに拡大したとしても,その原子の核はビルの7階にある塩粒ほどの大きさにしかなりません。それなのに,その極めて小さな原子核に,核爆発の際に生じる膨大なエネルギーが秘められているのです。

      「生きている全てのもの」

      15. エホバはヨブにいろいろな野生動物について話して,何を教えましたか。

      15 地球上の非常にたくさんの動物にも,エホバの創造する力が生き生きと表れています。詩編 148編にはエホバを賛美するさまざまなものが挙げられていて,10節に「野生動物と全ての家畜」が出てきます。エホバはかつてヨブに,ライオン,シマウマ,野牛,ベヘモト(カバ),レビヤタン(ワニと思われる)などの動物について話したことがありました。何を教えたかったのでしょうか。人間は,これらのどう猛な野生動物に恐れを感じるのであれば,なおのこと創造者を畏れるべきである,ということです。(ヨブ 38-41章)

      16. エホバが創造したいろいろな鳥のどんなところがすごいと思いますか。

      16 詩編 148編10節には「翼のある鳥」も出てきます。世界には本当にいろいろな種類の鳥がいます。例えば,エホバはヨブに「馬と乗り手をあざ笑う」ダチョウについて話しました。体高が2.5㍍ほどもあるダチョウは,飛ぶことはできませんが,時速70㌔で走ることができ,歩幅は5㍍にも達します。(ヨブ 39:13,18)対照的に,アホウドリは一生の大半を海の上の空中で過ごします。翼を広げると3㍍にもなり,羽ばたかなくてもまるでグライダーのように何時間も滑空し続けることができます。一方,世界最小の鳥であるマメハチドリは体長が5㌢ほどしかなく,1秒間に最高80回も羽ばたきます。空飛ぶ宝石ともいわれるハチドリは,ヘリコプターのように空中で静止したり,バックしたりできます。

      17. シロナガスクジラはどれぐらい大きいですか。エホバが創造した動物について思い巡らすと,どういう気持ちになりますか。

      17 詩編 148編7節には,「海の大きな生き物」もエホバを賛美するとあります。地球最大の動物といわれるシロナガスクジラのことを考えてみましょう。「水の深み」を泳ぐシロナガスクジラは,体長が30㍍,体重が150㌧以上にもなります。舌だけでもゾウ1頭分ほどの重さがあります。心臓は小型車ぐらいの大きさがあり,1分間に9回しか鼓動しません。毎分1200回も鼓動するハチドリの心臓とは対照的です。シロナガスクジラの血管には,子供が中をはい回れるほど太いものがあります。こうしたことを思い巡らすと感動し,詩編の結びにある,「生きている全てのものはヤハを賛美せよ」という勧めの通りにしたくなるのではないでしょうか。(詩編 150:6)

      エホバの創造する力から何が分かるか

      18-19. エホバが地球上に造ったものはどれほど多種多様ですか。エホバの創造する力から,主権について何が分かりますか。

      18 エホバが創造する力を使って行ったことから,どんなことが分かるでしょうか。創造物は,圧倒されるほど多種多様です。ある詩編作者は感動してこう言いました。「エホバ,あなたの偉業は何と多いのだろう。……地球はあなたが造ったもので満ちている」。(詩編 104:24)本当にそうです。生物学者は100万種を優に超える生物を確認していますが,実際にはその何倍も存在すると考えられています。人間の芸術家は,自分の創造力が枯れてしまったように感じることがあるものです。しかし,エホバがさまざまな新しいものを考案して創造する力は,決して尽きることがありません。

      19 エホバの創造する力から,エホバの主権についても分かります。エホバだけが「創造者」という特別な存在であり,宇宙の他の全てのものは「創造物」です。エホバの独り子であり,「優れた働き手」として創造を手伝ったイエスでさえ,聖書の中で創造者とか共同創造者とは呼ばれていません。(格言 8:30。マタイ 19:4)「全創造物の中の初子」と言われています。(コロサイ 1:15)エホバは創造者なので,全宇宙の主権者としての権利を持つ唯一の方です。(ローマ 1:20。啓示 4:11)

      20. エホバはどういう意味で休んでいますか。

      20 エホバは今でも創造する力を使っているのでしょうか。聖書には,エホバが創造の6日目に創造を終え,「7日目に,その仕事をやめて休み始めた」と書かれています。(創世記 2:2)使徒パウロによると,この7日目はパウロの時代にも続いていましたから,この「日」が何千年もの長さであることが分かります。(ヘブライ 4:3-6)では「休み」とは,エホバが働くのを完全にやめたということでしょうか。そうではありません。エホバが働くのをやめることはありません。(詩編 92:4。ヨハネ 5:17)ですから,神が休んでいるとは,地球に関する物質的な創造の仕事を休止したということです。その一方で,神は自分の目的を達成するために働き続けてきました。例えば,人間を聖なる力によって導いて聖書を書かせました。また,第19章で取り上げますが,「新しい創造物」を生み出すこともしてきました。(コリント第二 5:17)

      21. エホバの創造する力について考えると,どんな良い結果になりますか。

      21 休みの日がついに終わる時,エホバは,創造の6日間の終わりに宣言したように,地球に関連した自分の働き全てが「非常に良[い]」と宣言することでしょう。(創世記 1:31)その後,創造する無限の力をエホバがどのように使うかは分かりません。でも私たちは,エホバの創造する力にこれからもずっと魅了されることでしょう。永遠にわたって,創造物からエホバについて学び続けることができます。(伝道の書 3:11)神について学べば学ぶほど,畏敬の気持ちが深まり,偉大な創造者との絆が強まっていきます。

      a この途方もない距離を自動車で走ろうとすると,時速100㌔で1日24時間走り続けたとしても170年以上かかります。

      b 聖書時代の人たちは原始的な望遠鏡を使っていた,と考えている人たちがいます。そうでなければ,星が数え切れないほどあることなど分かるはずがない,というわけです。そうした根拠のない臆測をする人たちは,聖書の著者エホバが情報源であることを全く考えていません。(テモテ第二 3:16)

      c 1000億の星を数えるだけでも,どれほどの時間がかかるでしょうか。1秒に1つ数え,それを1日24時間続けたとしても,3171年かかります。

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 8:3-9 エホバの創造物について考えると謙虚な気持ちになるのはどうしてですか。

      • 詩編 19:1-6 エホバの創造する力について考えると,どんなことをしたくなりますか。どうしてですか。

      • マタイ 6:25-34 不安と闘い,生活の中で何を優先させるかを決める上で,エホバの創造する力について思い巡らすことはどう役立ちますか。

      • 使徒 17:22-31 エホバが創造する力を使って行ったことから,偶像崇拝が間違っていることや,神が遠い存在ではないことがどのように分かりますか。

  • 破壊する力 「エホバは力強い戦士」
    エホバに近づきなさい
    • ファラオとエジプト軍が紅海で溺れそうになっている。

      第6章

      破壊する力 「エホバは力強い戦士」

      1-3. (ア)イスラエル人たちはどんな絶体絶命の状況に置かれましたか。(イ)エホバは自分の民のためにどのように戦いましたか。

      イスラエル人たちは絶体絶命の状況でした。険しく切り立った山と,渡れそうにない海との間に挟まれたのです。背後からは冷酷なエジプト軍が,イスラエル人を滅ぼそうと猛烈な勢いで追ってきています。a しかしモーセは,希望を失わないよう神の民を励まし,「エホバが皆さんのために戦ってくださいます」と言います。(出エジプト記 14:14)

      2 とはいえ,モーセはエホバに助けを求めて叫んだようです。エホバはこう言います。「なぜ私に向かって叫び続けるのか。……つえを掲げて,海の上に手を伸ばし,海を2つに分けなさい」。(出エジプト記 14:15,16)その後に起きたことを想像してみてください。エホバはすぐに天使に命令を与え,雲の柱がイスラエル人の後方に移ります。おそらく壁のように広がって,攻め寄せるエジプト軍の接近を阻んだのでしょう。(出エジプト記 14:19,20。詩編 105:39)モーセが手を伸ばすと,強い風によって海が2つに分かれます。水が固まって壁のようにそそり立ち,イスラエル人全員が通れるほど広い道ができます。(出エジプト記 14:21; 15:8)

      3 神の偉大な力を目にしたファラオは,軍に退却を命じるべきでした。ところが,高慢にも攻撃を命じます。(出エジプト記 14:23)エジプト軍は乾いた海底になだれ込んで後を追いますが,すぐに兵車の車輪が外れ始め,混乱状態になります。イスラエル人が無事に対岸まで渡り切ると,エホバはモーセにこう命じます。「海の上に手を伸ばしなさい。水はエジプト人の上,戦車と騎兵たちの上に戻る」。水の壁は崩れ落ち,ファラオとエジプト軍をのみ込んでしまいます。(出エジプト記 14:24-28。詩編 136:15)

      4. (ア)紅海でエホバがどんな者であることが実証されましたか。(イ)エホバのそのような様子についてどう思う人もいるかもしれませんか。

      4 紅海でイスラエル人が救われるという際立った出来事により,エホバが「力強い戦士」であることが実証されました。(出エジプト記 15:3)あなたはエホバが戦士だと言われていることについてどう思いますか。戦争が多くの人を苦しめてきたことを考えると,神が戦うことを受け入れにくく感じるでしょうか。破壊する力を使う神には近づきにくいと思いますか。

      紅海でエホバは自分が「力強い戦士」であることを実証した

      神の戦いと人間の争いの違い

      5-6. (ア)神が「大軍を率いるエホバ」と呼ばれているのはどうしてですか。(イ)神の戦いは人間の争いとはどのように違いますか。

      5 神は,聖書の中でよく「大軍を率いるエホバ」という称号で呼ばれています。その称号は,ヘブライ語聖書の中で約260回,ギリシャ語聖書の中で2回出てきます。(サムエル第一 1:11)エホバは主権者である統治者として,天使たちの大軍を率いています。(ヨシュア 5:13-15。列王第一 22:19)その軍勢には圧倒的な破壊力があります。(イザヤ 37:36)人間が滅ぼされることについて考えるのは気持ちのよいことではありませんが,神の戦いは人間のむなしい争いとは全く違うということを覚えておく必要があります。軍事指導者や政治指導者は,戦う正当な理由があると主張するかもしれませんが,人間の戦争の背後にあるのは貪欲さや利己心です。

      6 対照的に,エホバは感情のままに行動したりはしません。申命記 32章4節にはこう書かれています。「神は岩のような方で,行うことは完全,神の道は全て公正である。決して不公正ではなく,信頼できる神。正しく,真っすぐな方」。聖書によれば,怒りを爆発させたり,残酷なことをしたり,暴力を振るったりするのは良くないことです。(創世記 49:7。詩編 11:5)ですから,エホバが戦うときには必ず正当な理由があります。破壊する力を使うのは,ほかに方法がないときだけです。エホバの考えは,預言者エゼキエルが記した次の言葉からよく分かります。「主権者である主エホバはこう宣言する。『私は,悪い人の死を少しでも喜ぶだろうか。かえって,その人が悪い行いをやめて生き続けることを喜ぶのではないか』」。(エゼキエル 18:23)

      7-8. (ア)ヨブは自分が苦しんでいる理由についてどう考えましたか。(イ)エリフはどのようにヨブの考え方を正しましたか。(ウ)私たちはどんなことを確信できますか。

      7 では,エホバが破壊する力を使うのはどうしてでしょうか。その点を考える前に,ヨブのことを少し思い起こしてみましょう。サタンは,ヨブでもほかの誰でも,試練に遭ったら神に忠誠を尽くさなくなるだろうと主張しました。それでエホバは,サタンがヨブの忠誠心を試すことを許しました。結果として,ヨブは病気になり,財産や子供たちを失いました。(ヨブ 1:1–2:8)自分がどうしてそういう目に遭っているのか知らなかったので,ヨブは自分が神から不当な処罰を受けていると思いました。それで神に,どうして私を「標的」にし,「敵」と見なすのですか,と尋ねます。(ヨブ 7:20; 13:24)

      8 若いエリフが,ヨブの考え方が間違っていることを指摘し,こう言います。「あなたは『私は神よりも正しい』と言いました。それほどまでに自分が正しいと確信しているのですか」。(ヨブ 35:2)エリフの言う通り,自分の方が神より正しいとか,神は不公平なことをしたと考えるのは,浅はかなことです。エリフは,「真の神が悪を行ったり,全能者が不正を行ったりすることなどあり得ません!」と断言し,その後こう言います。「全能者を理解することなど,私たちには到底できません。神は偉大な力を持っており,ご自分の公正さと正しさを曲げることは決してありません」。(ヨブ 34:10; 36:22,23; 37:23)こうしたことを考えると,神が戦うときには十分な理由があってそうする,と確信できます。では,それを踏まえて,平和の神が戦うことがある理由を幾つか調べてみましょう。(コリント第一 14:33)

      平和の神が戦うのはどうしてか

      9. 聖なる神が戦うのはどうしてですか。

      9 モーセは,神を賛美する歌の中で,神が「力強い戦士」だと述べた後にこう言いました。「エホバ,神々の中に,あなたのような方が誰かいるでしょうか。極めて聖なるあなたのような方が誰かいるでしょうか」。(出エジプト記 15:11)預言者ハバククも,神の神聖さを強調してこう書いています。「あなたの目はあまりにも清いので,悪を見続けることはできません。あなたは悪を見過ごすことができません」。(ハバクク 1:13)エホバは愛の神であるだけでなく,神聖で公正な神でもあります。そのため,破壊する力を使わなければならないことがあります。(イザヤ 59:15-19。ルカ 18:7)神が戦っても神聖さに傷が付くわけではありません。神は聖なる方だからこそ戦うのです。(出エジプト記 39:30)

      10. 創世記 3章15節で予告された敵意を解消するために,神はどうする必要がありますか。そうすることは,正しい人たちにとってどのようにためになりますか。

      10 最初の人間夫婦アダムとエバが神に反逆した後の状況について考えてみましょう。(創世記 3:1-6)もしエホバが2人の正しくない行動を大目に見ていたら,宇宙の主権者としての権威が疑問視されていたことでしょう。公正な神として,2人に死刑を宣告するのは正しいことでした。(ローマ 6:23)聖書の最初の預言の中でエホバは,自分に仕える人たちと「蛇」であるサタンに従う人たちとの間に敵意が存在するようになると予告しました。(啓示 12:9。創世記 3:15)その敵意を解消するには,最終的にサタンを砕く必要があります。(ローマ 16:20)でもそのようにエホバが破壊する力を使うことによって,正しい人たちは大きな祝福を受けます。もうサタンに惑わされることはなくなり,地球全体がパラダイスになるのです。(マタイ 19:28)その時が来るまで,サタンの側に付く人たちは神の民を迫害したり滅ぼそうとしたりします。それで,エホバは自分に仕える人たちを守るために戦うことがあります。

      神は悪をなくすために行動する

      11. 神が,地球全体が洪水で覆われるようにしたのはどうしてですか。

      11 ノアの時代の大洪水は,神が戦った例の1つです。創世記 6章11,12節にはこう書かれています。「地上は,真の神から見て堕落していて,暴力があふれていた。神が地上を見ると,堕落していたのである。人々は皆,非常に悪い生き方をしていた」。そうした悪い人たちによって,地上にわずかに残っている善い人たちが消滅させられるようなことを,神が許すはずはありません。それでエホバは,暴力的で不道徳な人たちを地上から一掃するために,地球全体が洪水で覆われるようにしました。

      12. (ア)エホバはアブラハムの「子孫」についてどんなことを約束していましたか。(イ)エホバがアモリ人を滅ぼすことにしたのはどうしてですか。

      12 同様の理由で,神はカナンの人々を滅ぼすことにしました。エホバがアブラハムにした約束によると,アブラハムの子孫によって地上の家族全てが祝福を受けることになっていました。その約束を果たすために,エホバはアブラハムの子孫にカナン地方を与えることにしました。そこにはアモリ人が住んでいました。その土地からアモリ人を除き去るのは,正当なことでしょうか。エホバはすぐにそうするのではなく,「アモリ人が処罰される時」が400年後に来ると予告しました。b (創世記 12:1-3; 13:14,15; 15:13,16; 22:18)その期間に,アモリ人はどんどん悪くなっていきました。偶像崇拝を行い,殺し合い,ひどい性的不道徳にふけりました。(出エジプト記 23:24; 34:12,13。民数記 33:52)子供たちを火で焼いて犠牲として捧げることさえしました。聖なる神は,自分の民をそのような悪い行いから守らなければなりません。そのため,こう宣言します。「その地方は汚れており,私はその過ちのために処罰を加える。その地方は住民を追い出す」。(レビ記 18:21-25)とはいえ,エホバはカナン地方の人々を無差別に殺したのではありません。ラハブやギベオンの人たちのように正しい心を持つ人は,救われました。(ヨシュア 6:25; 9:3-27)

      神は自分の名のために戦う

      13-14. (ア)エホバが自分の名を神聖なものとする必要があるのはどうしてですか。(イ)エホバは過去に,自分の名に対する非難が間違っていることをどのように示しましたか。

      13 エホバは聖なる方なので,エホバの名も聖なるものです。(レビ記 22:32)イエスは弟子たちに,「お名前が神聖なものとされますように」と祈るよう教えました。(マタイ 6:9)エデンでの反逆によって神の名は汚されました。神の統治の仕方が疑問視され,神の名声が損なわれたのです。エホバはそうした中傷や反逆を大目に見ることはできません。名誉を回復する必要があります。(イザヤ 48:11)

      14 イスラエル人のことをもう一度考えてみましょう。神はアブラハムの子孫によって地上の家族全てが祝福を受けると約束していましたが,イスラエル人がエジプトで奴隷にされている限り,神はその約束を果たしていないという非難の声が上がったことでしょう。しかしエホバは,イスラエル人を救い出し,イスラエル国家を造ることによって,自分の名に対する非難が間違っていることを示しました。それで,後に預言者ダニエルは祈りの中でこう言いました。「私たちの神エホバ,あなたは力強い手でご自分の民をエジプトから連れ出し,ご自分の名を上げ[ました]」。(ダニエル 9:15)

      15. バビロンで捕囚にされていたユダヤ人をエホバが救ったのはどうしてですか。

      15 ダニエルがこう祈った時にも,エホバの名は非難されていました。ユダヤ人は不従順だったためバビロンで捕囚にされていて,故郷の首都エルサレムは荒廃していたからです。エホバが自分の名のために行動し,ユダヤ人たちを故国に帰還させるなら,エホバの名誉が回復されることになります。そのことを知っていたダニエルは,こう祈りました。「エホバ,お許しください。エホバ,私たちに注意を向けて,救ってください! 私の神,あなたご自身のために,行動を遅らせないでください。あなたの都市とあなたの民は,あなたの名で呼ばれているからです」。(ダニエル 9:18,19)

      神は自分の民のために戦う

      16. エホバは自分の名誉を守るために戦いますが,自己中心的な冷たい方ではない,と言えるのはどうしてですか。

      16 エホバは自分の名誉を守るために戦いますが,決して自己中心的な冷たい方ではありません。神聖で公正な神として,自分の民を守るためにも戦うからです。創世記 14章に書かれている出来事について考えてみましょう。攻めてきた4人の王が,アブラハムのおいロトとその家族を捕虜にしました。アブラハムは神に助けてもらって,大軍に見事に勝つことができました。この勝利は,「エホバの戦いの書」に最初に記された事例だったかもしれません。その書には,聖書に記録されていない戦いについても書かれていたようです。(民数記 21:14)アブラハムの後にも,神の民はたくさんの勝利を収めることになります。

      17. イスラエル人がカナン地方に入った後にエホバが彼らのために戦った,どんな例がありますか。

      17 イスラエル人がカナン地方に入る少し前に,モーセは民に力強くこう言いました。「エホバ神が皆さんの前を行き,戦ってくださいます。エジプトで皆さんの目の前でしたのと同じようにです」。(申命記 1:30; 20:1)モーセの後継者ヨシュアの時代以降,裁き人たちがリーダーシップを取っていた時期やユダの忠実な王たちが治めていた間もずっと,エホバは確かに自分の民のために戦いました。その結果,イスラエル人は敵に対して何度も劇的な勝利を収めることができました。(ヨシュア 10:1-14。裁き人 4:12-17。サムエル第二 5:17-21)

      18. (ア)エホバが変わっていないことは,どのように私たちのためになりますか。(イ)創世記 3章15節で予告されていた敵意がクライマックスを迎える時,何が起こりますか。

      18 エホバは変わっておらず,地球を平和なパラダイスにするという目的も変わっていません。(創世記 1:27,28)今でも悪を憎んでいますし,自分の民を深く愛しているので,間もなく民のために行動します。(詩編 11:7)創世記 3章15節で予告されていた敵意は近い将来にクライマックスを迎え,神の民はかつてない激しい攻撃を受けることになります。その時エホバは,自分の名を神聖なものとし,自分の民を守るために,もう一度「力強い戦士」になります。(ゼカリヤ 14:3。啓示 16:14,16)

      19. (ア)破壊する力を使う神に引き付けられると言える理由を,どんな例えで説明できますか。(イ)神が私たちのために戦ってくれることを考えると,どういう気持ちになりますか。

      19 1つの例えを考えてみましょう。ある家族にどう猛な動物が襲い掛かります。それで父親は猛獣に立ち向かい,殺します。では,妻や子供たちは,この父親は怖いからもう近づきたくないと思うでしょうか。そんなことはないでしょう。自分たちを守るために戦ってくれた父親の愛の深さに,感動するに違いありません。同じように,神が破壊する力を使うからといって,神に近づきたくないと思うべきではありません。私たちを守るために戦ってくれるのですから,神への愛が強まり,神の無限の力への敬意も深まるはずです。「神を畏れて敬いつつ」,「神に受け入れられる神聖な奉仕を行」いたい,という気持ちになります。(ヘブライ 12:28)

      「力強い戦士」との友情を深める

      20. 聖書を読んでいて,神が戦う理由がよく分からないときにはどうしたらいいですか。そうすると良いのはどうしてですか。

      20 エホバが戦うことにした場合に,聖書の中にその理由がいつでも詳しく書かれているわけではありません。でも私たちは,エホバが破壊する力を使って正しくないことをしたり,気まぐれに戦ったり,残酷な行為をしたりすることは決してない,と確信できます。多くの場合,聖書を読みながら文脈や出来事の背景について考えると,全体像が見えてきます。(格言 18:13)詳細が全て分からなくても,エホバについてさらに学び,どんなに素晴らしい方かをじっくり考えれば,大抵の疑問は解けるでしょう。そのようにすると,エホバが確かに信頼できる神だということがよく分かります。(ヨブ 34:12)

      21. エホバは「力強い戦士」になることもありますが,本質的にはどんな方ですか。

      21 エホバは必要なときには「力強い戦士」になりますが,戦うことが好きなわけではありません。エゼキエルが見た天の兵車の幻の中で,エホバは敵と戦う用意ができていましたが,エホバの周りには平和の象徴である虹がありました。(創世記 9:13。エゼキエル 1:28。啓示 4:3)エホバが穏やかで平和を愛する方であることは明らかです。使徒ヨハネは,「神は愛」だと書きました。(ヨハネ第一 4:8)エホバはさまざまな性質を完璧なバランスで表します。誰よりも強い力を持ちながらも,愛情深い方です。そのような神との友情を深めることができるのは,なんと素晴らしいことでしょう。

      a ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると,ヘブライ人は「兵車600両ならびに騎手5万人,および20万を数える重装備の歩兵に後を追われ」ました。(「ユダヤ古代誌」,II,324[xv,3])

      b この場合の「アモリ人」は,カナンの人々全体を指しているようです。(申命記 1:6-8,19-21,27。ヨシュア 24:15,18)

      じっくり考えたいこと

      • 列王第二 6:8-17 エホバが「大軍を率いる」神であることを考えると,苦しい時にも力が湧いてくるのはどうしてですか。

      • エゼキエル 33:10-20 エホバは破壊する力を使う前に,律法に違反した人たちに憐れみを示してどんな機会を与えますか。

      • テサロニケ第二 1:6-10 将来,悪い人々が滅ぼされる時,神に忠実に仕えている人たちが安らぎを感じられるのはどうしてですか。

      • ペテロ第二 2:4-13 エホバが破壊する力を使うのはどうしてですか。全ての人は自分の生き方についてどんなことを考えるべきですか。

  • 保護する力 「神は私たちの避難所」
    エホバに近づきなさい
    • 羊飼いが子羊を懐に抱いている。

      第7章

      保護する力 「神は私たちの避難所」

      1-2. 紀元前1513年にシナイ地方に入ったイスラエル人は,どんな危険に直面しましたか。エホバはどのように民を安心させましたか。

      紀元前1513年の初めごろ,シナイ地方に入ったイスラエル人は危険に直面していました。「毒蛇とサソリがい[る]広大で恐ろしい荒野」を通る長旅が待ち受けていました。(申命記 8:15)敵の国々から攻撃される恐れもありました。イスラエル人をそのような状況に置いたのはエホバです。エホバは自分の民を守れるのでしょうか。

      2 民を安心させるために,エホバはこう言いました。「あなたたちは,私がエジプト人に行ったことを見た。それは,あなたたちをワシの翼に乗せて私の所に連れてくるためにしたことである」。(出エジプト記 19:4)エホバは,あたかもワシを使って民を安全な所へ運ぶかのように,彼らをエジプトから救い出した,ということを思い起こさせていました。「ワシの翼」が神による保護を表すのにぴったりだと言える理由は,ほかにもあります。

      3. 「ワシの翼」が神による保護をよく表していると言えるのはどうしてですか。

      3 ワシが大きくて強い翼を使うのは,空高く飛ぶためだけではありません。暑い日中に母ワシは,広げると2㍍以上にもなる翼を傘のようにして,か弱いひなを焼け付くような日差しから守ります。寒い時には翼でひなを包んで,冷たい風から守ります。ワシがひなを守るように,エホバは誕生したばかりのイスラエル国民を守りました。イスラエル人はエホバに従い続ける限り,荒野にいてもエホバの力強い翼の陰に避難することができました。(申命記 32:9-11。詩編 36:7)では,現代の私たちは神に守ってもらえるのでしょうか。

      神が守ってくださるという約束

      4-5. 神が約束通り私たちを守ってくれると確信できるのはどうしてですか。

      4 エホバにとって,自分に仕える人たちを守るのは簡単なことです。「全能の神」であり,何でもできる力を持っているからです。(創世記 17:1)大きな波が誰にも止められないように,エホバが力を使うのを阻止できるものはありません。エホバは望むことを何でも行えます。では,自分の民を守るために力を使うことを望んでいるのでしょうか。

      5 もちろん望んでいます。詩編 46編1節に,「神は私たちの避難所,力」であり,「苦難の時,すぐに助けになってくださる」と書かれている通りです。神は「偽ることができ[ない]」ので,聖書の中で約束している通り必ず私たちを守ってくれます。(テトス 1:2)では,どのように守ってくれるのかを生き生きと描いている,聖書の例えに注目してみましょう。

      6-7. (ア)聖書時代の羊飼いはどのように羊を守りましたか。(イ)エホバが自分の羊を守って世話したいと心から願っていることが,聖書のどんな例えから分かりますか。

      6 エホバは牧者であり,「私たちは神の民,神の牧草地の羊」です。(詩編 23:1; 100:3)家畜の羊は,とてもか弱い動物です。聖書時代の羊飼いは,羊をライオンやオオカミや熊や泥棒から守るため,勇敢でなければなりませんでした。(サムエル第一 17:34,35。ヨハネ 10:12,13)同時に,優しさも必要でした。羊が囲いから遠く離れた場所で出産する場合,羊飼いは出産中の無防備な母羊を守りました。そして,生まれたばかりの無力な子羊を抱き上げて囲いに連れていきました。

      羊飼いが子羊を懐に抱いている。

      神は「子羊を……懐に抱いて運ぶ」

      7 エホバは自分を羊飼いに例えることにより,私たちを守りたいと心から願っていることを伝えてくれています。(エゼキエル 34:11-16)この本の第2章で取り上げたように,イザヤ 40章11節にはエホバについてこう書かれています。「神は羊飼いのようにご自分の群れを世話する。腕で子羊を集め,懐に抱いて運ぶ」。子羊がとことこと羊飼いの方に歩いていき,足にすり寄る様子を想像してください。羊飼いは身をかがめて優しく子羊を抱き上げ,そっと懐に入れて安心させます。とても心温まる情景です。偉大な牧者は,そのように私たちを優しく守りたいと思っているのです。

      8. (ア)約束通り神に守ってもらうには,どんな条件がありますか。格言 18章10節からそのことがどのように分かりますか。(イ)神に守ってもらいたい人は,具体的にどんなことをする必要がありますか。

      8 約束通り神に守ってもらうには,条件があります。神に近づく必要があるのです。格言 18章10節にはこう書かれています。「エホバの名は強固な塔。正しい人はその中に走り込んで保護される」。聖書時代には,荒野での安全な避難所として塔を建てることがありました。危険な目に遭った人は,そうした塔に逃げ込む必要がありました。神に守ってもらいたいと思う人も,自分から行動する必要があります。神の名は強固な塔のようですが,その名を唱えれば奇跡などによって守られるというわけではありません。エホバという名を呼ぶだけでなく,エホバについて知り,エホバに頼り,エホバから見て正しい生き方をしなければなりません。私たちが信仰を示すなら,親切なエホバは塔のように守ってくださるのです。

      「神は私たちを救い出すことができます」

      9. エホバは,守ると約束するだけでなく,どうしましたか。

      9 エホバは,自分の民を守ると約束しているだけではありません。聖書時代に奇跡を行って,民を守る力があることを実証しました。イスラエルの歴史の中で,エホバが力強い「手」で強力な敵から民を守った例がたくさんあります。(出エジプト記 7:4)そして,エホバは保護する力を個々の人のためにも使いました。

      10-11. 聖書の中に,エホバが保護する力を個々の人のために使ったどんな例がありますか。

      10 ある時,3人の若いヘブライ人,シャデラク,メシャク,アベデネゴが,当時最も強力な王だったネブカドネザルの金の像にひれ伏すことを拒みました。王は激怒し,非常に熱くした炉に3人を投げ込むと言って脅し,こうあざけりました。「一体どんな神が私の手からおまえたちを救い出せるというのか」。(ダニエル 3:15)若い3人は,神が必ず助けてくださるとは限らないことを理解していましたが,神には自分たちを守る力があると確信していました。それで,こう言います。「もし火の燃え盛る炉に投げ込まれても,私たちが仕えている神は私たちを救い出すことができます」。(ダニエル 3:17)実際,炉はいつもより7倍熱くされましたが,全能の神は3人をいとも簡単に救い出しました。ネブカドネザル王は,「この神のように人を救うことができる神はほかにいない」と認めざるを得ませんでした。(ダニエル 3:29)

      11 エホバが保護する力を示した別の例は,自分の独り子イエスを守ったことです。エホバはなんと,イエスの命をユダヤ人の処女マリアの胎内に移すことにしました。マリアは天使から,「あなたは妊娠して男の子を産みます」と告げられ,「聖なる力があなたに働き,至高者の力があなたを覆います」と言われます。(ルカ 1:31,35)マリアの胎内で,神の子はかつてないほど無力でした。もし神の保護がなければ,母親の罪や不完全さを受け継いでしまったことでしょう。また,生まれる前にサタンに殺されてしまう可能性さえあったかもしれません。でも,そうはなりませんでした。エホバがあらゆるものからマリアとイエスを守ったからです。そのおかげで,胎児のイエスは不完全さや他の有害なものの影響を受けることはなく,残忍な人間や邪悪な天使に傷つけられることもありませんでした。イエスが生まれた後も,エホバはイエスを守り続けました。(マタイ 2:1-15)神が定めた時まで,誰もイエスに危害を加えることはできませんでした。

      12. 聖書時代にエホバが奇跡によって個々の人を守ったのはどうしてですか。

      12 エホバが奇跡によって個々の人を守ることがあったのはなぜでしょうか。多くの場合,自分の目的が確実に果たされるようにするという,とても重要な理由があったからです。例えば,幼いイエスが生き延びることは,全人類を救うという神の目的が果たされるために不可欠でした。エホバがそのように保護する力を使った数々の例が,聖書に記録されています。聖書は「私たちを教えるために書かれました。そのおかげで私たちは忍耐でき,聖書から慰めを得られるので,希望を持っていられます」。(ローマ 15:4)聖書に書かれている例について考えると,全能の神への信仰が強まります。では,現代でも神は奇跡によって私たちを守ってくれるのでしょうか。

      神はどんな悪いことからも守ってくれるのか

      13. エホバには私たちのために奇跡を行う義務がありますか。そう言えるのはどうしてですか。

      13 エホバは私たちを守ると約束していますが,だからといって私たちのために奇跡を行う義務があるというわけではありません。エホバは私たちが何も問題のない生活を送れるとは言いませんでした。エホバに忠実に仕えていても,貧困,戦争,病気,死などのせいで苦しむことはあります。イエスが弟子たちに率直に話したように,信仰を持つ人は殺されることもあり得ます。ですから,私たちはイエスが強調したように終わりまで耐え忍ぶ必要があります。(マタイ 24:9,13)もしエホバがどんな場合にも奇跡を行って私たちを救うとすれば,サタンはエホバを非難し,人間は純粋な動機で神に仕えているわけではないという主張を強めるに違いありません。(ヨブ 1:9,10)

      14. エホバは自分に仕える人たち全員を同じように守るわけではないことが,どんな例から分かりますか。

      14 聖書時代にも,エホバは自分に仕える人たち全員を不慮の死から守ったわけではありません。例えば,使徒ヤコブは西暦44年ごろにヘロデによって処刑されました。一方,そのすぐ後にペテロは「ヘロデから……救い出」されました。(使徒 12:1-11)また,ヤコブの兄弟ヨハネは,ペテロやヤコブより長生きしました。ですから,神が皆を同じように守るわけではない,ということが分かります。聖書に書かれている通り,「思いも寄らないことがいつ誰に」起きるか分かりません。(伝道の書 9:11)では,エホバは今どのように私たちを守ってくれるのでしょうか。

      エホバは私たちの命を守ってくださる

      15-16. (ア)エホバが自分を崇拝する人たちをグループとして守ってきたことは,どんなことから分かりますか。(イ)エホバは「大患難」の時までずっと自分の民を守る,と確信できるのはどうしてですか。

      15 エホバは自分を崇拝する人たちがグループとして存在し続けるように守ります。もしエホバの保護がなければ,すぐにサタンに滅ぼされてしまうことでしょう。「この世の支配者」であるサタンは,何としてでもエホバへの崇拝を根絶したいと思っているからです。(ヨハネ 12:31。啓示 12:17)これまでに何度も,強力な国々の政府がエホバの証人の伝道活動を禁止し,私たちの存在を消し去ろうとしてきました。しかし,エホバの民は屈することなく,粘り強く伝道を続けてきました。この比較的小さくて弱そうなクリスチャンのグループの活動を,強い国々が止められないのは,エホバが力強い翼で守ってきたからです。(詩編 17:7,8)

      16 間もなく来る「大患難」の時,私たちはどうなるでしょうか。神による処罰の日を恐れる必要はありません。聖書によれば,「エホバは,神への専心を示す人々をどのように試練から救い出すかを知っています。また,正しくない人々を処罰の日にどのように確実に滅ぼすかも知っています」。(啓示 7:14。ペテロ第二 2:9)その時を待ちながら,次の2つの点をいつも覚えておきましょう。1つ目に,エホバは自分に仕える忠実な人たちが地上から一掃されることを決して許しません。2つ目に,エホバは忠誠を貫く人たちに新しい世界で永遠の命を与えます。死んでしまった人たちも,神の記憶の中で守られ,生き返ります。(ヨハネ 5:28,29)

      17. エホバは自分の言葉によってどのように私たちを守ってくれていますか。

      17 現在エホバは,自分の「言葉」によっても私たちを守ってくれています。その「言葉」つまり聖書は,傷ついた心を癒やしてくれて,生き方を変えるように人を動かします。(ヘブライ 4:12)聖書の原則を当てはめるなら,心身の健康がある程度守られます。イザヤ 48章17節には,「私エホバは……あなたのためになる生き方を教え[る]」とあります。聖書の教えに従うことは,健康に長生きするのに役立ちます。例えば,性的不道徳を避け,汚れを除き去って自分を清めるようにという聖書の助言に従うなら,性病にかかることはなく,喫煙や薬物乱用などの悪い習慣に陥ることもありません。神を敬わない多くの人が抱えているような深刻な問題を経験せずに済みます。(使徒 15:29。コリント第二 7:1)神の言葉によって守られていることを,本当に感謝できます。

      エホバとの絆が断たれないように守られる

      18. エホバは,私たちが強い信仰を保てるように,どのように守ってくれますか。

      18 最も重要なこととして,エホバは私たちが強い信仰を保てるように守ってくれます。私たちが試練に耐え,エホバから離れてしまわないように,必要なものを与えてくれます。そのようにして,私たちが短い期間ではなく永遠に生きられるようにしてくださるのです。では,どんなものを与えてくれるのか少し考えてみましょう。

      19. 試練に遭うとき,エホバの聖なる力はどのように助けてくれますか。

      19 エホバは「祈りを聞く方」です。(詩編 65:2)問題に直面して大きなストレスを感じるときも,心から祈ると安らかな気持ちになります。(フィリピ 4:6,7)エホバは奇跡によって試練を取り除くことはしないとしても,祈りに答えて,試練を乗り越えるのに必要な知恵を与えてくれます。(ヤコブ 1:5,6)さらに,求める人に聖なる力を与えてくれます。(ルカ 11:13)その強力な力は,どんな試練や問題にも立ち向かえるように助けてくれます。間もなく来る新しい世界でエホバが全ての問題をなくしてくれる時まで,私たちは神からの「普通を超えた力」のおかげで忍耐できます。(コリント第二 4:7)

      20. エホバはどのように私たちの仲間を使って守ってくれますか。

      20 エホバは,私たちの仲間を使って守ってくれることもあります。エホバに引き寄せられた私たちには,「信仰で結ばれた兄弟たち」が世界中にいます。(ペテロ第一 2:17。ヨハネ 6:44)皆が,神の聖なる力が生み出す愛や親切や善良さなどを表し,温かい友情を育んでいます。(ガラテア 5:22,23)それで,私たちが大変な時に,仲間が役立つアドバイスをしてくれたり,励ましてくれたりします。エホバがそのような仲間を与えて私たちを守り,世話してくださることに感謝できます。

      21. (ア)エホバは「忠実で思慮深い奴隷」を使って,信仰を強める食物をどのように与えてくれていますか。(イ)エホバが私たちを守るために与えてくれているものの中で,あなたは特にどんなものに感謝していますか。

      21 エホバは私たちを守るために,信仰を強める食物も与えてくれています。その食物を配る「忠実で思慮深い奴隷」を任命し,私たちが聖書から力を得られるようにしています。忠実な奴隷は,「ものみの塔」誌や「目ざめよ!」誌などの雑誌や本を印刷したり,エホバの証人の公式サイトjw.orgに情報を掲載したり,集会や大会を開いたりして,私たちがまさに必要としている「食物」を「適切な時に」与えてくれます。(マタイ 24:45)あなたは,集会で話や祈りやコメントを聞いて,力づけられたり励まされたりしたことがありますか。雑誌の記事などを読んで心を打たれ,より良い生き方ができるようになりましたか。エホバがそうしたものを与えてくれているのは,自分との友情を深めてほしいと思っているからだ,ということを忘れないようにしましょう。

      22. エホバは保護する力を使って何をしますか。その結果,神の民はどうなりますか。

      22 私たちが「神のもとに逃れるなら」,エホバは盾になってくださいます。(詩編 18:30)今あらゆる悪いことから守ってくれるわけではありませんが,保護する力を使って自分の目的が確実に果たされるようにします。その結果,神の民は最終的に最高の幸せを手に入れることになります。エホバとの絆を強め,エホバに愛され続けるなら,私たちは完全な人間として永遠に生きることができるのです。そのことを覚えておくと,今の時代に直面するどんな苦難も「つかの間で軽いもの」に思えることでしょう。(コリント第二 4:17)

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 23:1-6 偉大な牧者であるエホバは,自分の羊のような民をどのように守り,世話しますか。

      • 詩編 91:1-16 エホバと私たちとの絆が断たれないよう,エホバはどのように守ってくれますか。守ってもらうには何をする必要がありますか。

      • ダニエル 6:16-22,25-27 エホバは自分に保護する力があることを,古代のある王にどのように示しましたか。この例から私たちはどんなことを学べますか。

      • マタイ 10:16-22,28-31 私たちはどんな反対を受ける場合がありますか。反対する人たちを恐れる必要がないのはどうしてですか。

  • 回復させる力 エホバは「全てのものを新しくしている」
    エホバに近づきなさい
    • やもめが生き返った息子を笑顔で抱き締めている。

      第8章

      回復させる力 エホバは「全てのものを新しくしている」

      1-2. 現在,私たちはどんなものを失ってしまうことがありますか。失った時どう感じますか。

      子供が悲しそうに泣いています。大好きなおもちゃをなくしてしまったようです。でも,親がおもちゃを見つけてあげると,子供の顔はぱっと明るくなります。親にとっておもちゃを見つけるのは簡単なことかもしれませんが,子供は驚いて大喜びします。もう二度と戻ってこないと思っていたおもちゃで,また遊べるようになったからです。

      2 最高の親であるエホバは,地上にいる子供たちにとっては二度と元に戻らないと思えるものさえ元通りにすることができます。もちろん,単なるおもちゃの話ではありません。今は「困難で危機的な時」なので,私たちはずっと大事なものを失ってしまうことがあります。(テモテ第二 3:1-5)家,財産,仕事,健康などです。また,悲しいことに,環境破壊によってたくさんの生物が絶滅しています。何よりもつらいのは,家族や友人を亡くした時でしょう。喪失感や無力感に襲われます。(サムエル第二 18:33)

      3. 使徒 3章21節には,励みになるどんな見込みが書かれていますか。エホバはそれを実現させるために何を使いますか。

      3 ですから,エホバの回復させる力について学ぶと,とても慰められます。神は地上にいる子供たちのためにいろいろなものを元に戻すことができ,実際にそうしてくださいます。聖書によると,エホバは「全ての事柄[を]回復」させようとしています。(使徒 3:21)そのために,自分の子であるイエス・キリストが治めるメシア王国を使います。その王国の政府は天にあり,1914年に統治を始めました。a (マタイ 24:3-14)では,具体的に何が回復されるのでしょうか。これから,エホバによる壮大な回復について少し考えてみましょう。私たちがすでに実感しているものもありますし,将来に大規模に実現するものもあります。

      清い崇拝の回復

      4-5. 紀元前607年に神の民にどんなことが起きましたか。エホバはどんな希望を与えていましたか。

      4 エホバがすでに回復させたものの1つは,清い崇拝です。どういうことかを理解するために,ユダ王国の歴史を手短に振り返ってみましょう。エホバの回復させる力がどれほど素晴らしいかがよく分かります。(ローマ 15:4)

      5 紀元前607年にエルサレムが滅ぼされた時,忠実なユダヤ人たちがどう思ったか想像してみてください。愛着のある都市が破壊され,城壁も崩れています。エホバへの清い崇拝の中心地だった,ソロモンが建てた壮麗な神殿も,廃虚と化しました。(詩編 79:1)生き残った人たちは捕虜としてバビロンに連れていかれ,誰もいなくなった故国は荒れ果てて,野生動物がうろつき回るようになりました。(エレミヤ 9:11)何もかも失われてしまったように思えたことでしょう。(詩編 137:1)しかし,この滅びをずっと前に予告していたエホバは,やがて回復の時が来るという希望も与えていました。

      6-8. (ア)ヘブライ人の預言者たちは何について繰り返し書きましたか。そうした預言は古代にどのように部分的に実現しましたか。(イ)回復の預言は現代にどのように実現していますか。

      6 ヘブライ人の預言者たちは,繰り返し回復について書いていました。b 書かれた預言を読むと分かるように,エホバはイスラエルの土地が元通り肥沃になって再び人が住むようになり,野獣や敵から守られるということを約束していました。その土地はあたかもパラダイスのようになるのです。(イザヤ 65:25。エゼキエル 34:25; 36:35)何よりも,清い崇拝が再び行われるようになり,神殿も再建されることになっていました。(ミカ 4:1-5)こうした預言は捕囚にされたユダヤ人に希望を与え,バビロンで70年間耐えるのに役立ちました。

      7 ついに回復の時が来ます。ユダヤ人たちはバビロン捕囚から解放されてエルサレムに戻り,エホバの神殿を再建しました。(エズラ 1:1,2)ユダヤ人が清い崇拝を行い続ける限り,エホバは彼らを祝福し,肥沃な土地で繁栄させました。また,敵や野獣から彼らを守りました。エホバの回復させる力を実感して,民は大喜びしたことでしょう。しかし当時は,回復の預言が部分的に実現したにすぎませんでした。ずっと昔に約束された通り,ダビデの子孫が王になる「最後の日々」つまり私たちの時代に,回復の預言はもっと大規模に実現することになっていました。(イザヤ 2:2-4; 9:6,7)

      8 イエスは,1914年に天で王になって間もなく,地上で忠実に神に仕えている人たちが再び神を正しく崇拝できるように助け始めました。紀元前537年にペルシャ人の征服者キュロスがユダヤ人たちをバビロンから自由にしたように,イエスは自分に従うクリスチャンたちを「大いなるバビロン」つまり間違った宗教全てから自由にしました。(啓示 18:1-5。ローマ 2:29)1919年以降,清い崇拝が回復され,エホバの民は清められた比喩的な神殿でエホバを崇拝しています。(マラキ 3:1-5)比喩的な神殿は,清い崇拝のためのエホバの取り決めを表しています。その取り決めに沿ってエホバを崇拝することが大切なのはどうしてでしょうか。

      清い崇拝の回復が重要なのはなぜか

      9. 使徒の時代が終わった後,いろいろなキリスト教会の聖職者たちはどんなことをしましたか。しかし,エホバは現代に何をしましたか。

      9 1世紀以降の歴史を少し振り返ってみましょう。1世紀のクリスチャンはエホバを正しく崇拝し,たくさんの祝福を味わっていました。しかし,イエスや使徒たちは,やがて人々が神を正しく崇拝しなくなる時が来ると予告しました。(マタイ 13:24-30。使徒 20:29,30)使徒の時代が終わった後,いろいろなキリスト教会が存在するようになり,聖職者たちは異教の教えや慣行を取り入れました。神は三位一体だという不可解な説明をしたり,神にではなく司祭に罪を告白するよう勧めたり,マリアやさまざまな“聖人”に祈るよう教えたりして,神に近づくのを非常に難しくしました。そのような悪い状態が何世紀も続いた後,エホバは何をしたでしょうか。間違った宗教の教えや汚れた行いがはびこる世の中で,清い崇拝を回復させたのです。これは極めて重要な出来事でした。

      10-11. (ア)比喩的なパラダイスは主にどんな2つのもので成り立っていますか。私たちはどんな恩恵を受けていますか。(イ)エホバは比喩的なパラダイスにどんな人たちを集め入れてきましたか。その人たちは何を目にしますか。

      10 エホバが清い崇拝を回復させたおかげで,真のクリスチャンは比喩的なパラダイスの中にいられるようになりました。比喩的なパラダイスとは,真の神を崇拝できる,安全で神から豊かに恵まれた環境もしくは状態のことです。発展を続けるこのパラダイスは,主に2つのもので成り立っています。1つは,真の神エホバへの清い崇拝です。エホバは,うそでゆがめられていない正しい崇拝の方法を教えてくださいました。また,信仰を強める食物も与えてくれています。そのおかげで,私たちは天の父について知ることができ,どうすればエホバに喜ばれてエホバとの絆を強められるかが分かります。(ヨハネ 4:24)比喩的なパラダイスを成り立たせている2つ目のものは,そこにいる人たちです。イザヤが予告した通り,「最後の日々」にエホバは自分を崇拝する人たちに平和な生き方を教え,戦ったり争ったりしないように導いてきました。不完全な私たちが「新しい人格」を身に着け,聖なる力が生み出す良い性質を表せるように助けてくれています。(エフェソス 4:22-24。ガラテア 5:22,23)聖なる力に導かれている人は,確かに比喩的なパラダイスの中にいると言えます。

      11 エホバはこの比喩的なパラダイスに,神を愛し,平和を愛し,「神の導きが必要であることを自覚している」人たちを集め入れてきました。(マタイ 5:3)エホバに愛されるそのような人たちは,さらに素晴らしい回復を目にすることになります。人類と地球全体が元の良い状態に戻るのです。

      「見なさい! 私は全てのものを新しくしている」

      12-13. (ア)清い崇拝の回復だけでなく,どんなことが実現することになっていますか。(イ)エホバはどんな目的で地球を造りましたか。私たちが良い将来を期待できるのはどうしてですか。

      12 預言されていたのは,清い崇拝の回復だけではありません。例えばイザヤによれば,病気の人,足が不自由な人,目が見えない人,耳が聞こえない人などが癒やされ,死が永久にのみ込まれる時が来ることになっていました。(イザヤ 25:8; 35:1-7)そうした約束は,古代イスラエルでは文字通りには実現しませんでした。現代でも比喩的な意味ではすでに実現していますが,将来にはもっと全面的に実現すると確信できます。どうしてでしょうか。

      13 かつてエデンで,エホバは地球を造った目的を明らかにしました。地球には健康な人間が家族として幸せに暮らし,地球や全ての生き物を管理し,地球全体をパラダイスに変えることになっていました。(創世記 1:28)現在の状況はそれとは懸け離れていますが,エホバの目的は必ず果たされます。(イザヤ 55:10,11)エホバに任命されたメシアである王イエスが,確実に地球をパラダイスにします。(ルカ 23:43)

      14-15. (ア)エホバはどのように「全てのものを新しく」しますか。(イ)パラダイスではどんな生活ができますか。あなたは特にどんなことが楽しみですか。

      14 地球全体がパラダイスになる時のことを想像してください。エホバはその時,「見なさい! 私は全てのものを新しくしている」と言います。(啓示 21:5)どうなるのでしょうか。エホバが破壊する力を使って邪悪な世界を滅ぼすと,「新しい天と新しい地」がそれに取って代わります。新しい政府が天から,新しい地上の社会を治めるのです。その時地上には,エホバを愛し,エホバの望まれることを行う人たちしかいません。(ペテロ第二 3:13)サタンと邪悪な天使たちは,何もできないようにされます。(啓示 20:3)人類の歴史が始まってから何千年もたってようやく,人は憎しみに満ちたサタンの悪い影響を受けなくなるのです。本当にほっとするに違いありません。

      15 私たちは,神がもともと思い描いていた通りに,この美しい地球を管理できるようになります。地球には自然に回復する力もあります。汚染された湖や川は,汚染源さえなくなれば,自浄作用が働きます。戦いで荒らされた野山も,戦争がなくなれば元通りになっていきます。そのように地球が美しくなっていくのを手助けできるのは,本当にうれしいことです。地球全体が,動物や植物でいっぱいの,エデンの園のような美しい楽園になるのです。人間は動植物を絶滅させてしまったりせず,上手に共存できるようになります。子供を含め,誰も野生動物を恐れることなく,平和に暮らせます。(イザヤ 9:6,7; 11:1-9)

      16. 忠実な人たち一人一人は,パラダイスでどんな回復を経験しますか。

      16 人間一人一人も,奇跡による回復を経験します。ハルマゲドンの後,生き残った世界中の人たちが癒やされます。イエスは,地上にいた時にしたのと同じように,目が見えない人が見えるようにし,耳が聞こえない人が聞こえるようにし,手足が不自由な人や病気の人を治します。(マタイ 15:30)年を取った人は,若い時のような体力や健康を取り戻します。(ヨブ 33:25)しわは消え,手足に力がみなぎります。全ての人は,罪と不完全さの影響が徐々に消えていくのを感じます。あらゆるものを回復させる素晴らしい力を持つエホバ神に,心から感謝したくなることでしょう。では,その胸の躍るような回復の時に起きる,特に感動的なことに注目してみましょう。

      死んだ人たちが生き返る

      17-18. (ア)イエスがサドカイ派の人たちを非難したのはどうしてですか。(イ)エリヤの時代にどんな出来事がありましたか。

      17 西暦1世紀に,サドカイ派の指導者たちは復活を信じていませんでした。イエスはその人たちを非難し,こう言いました。「あなた方は考え違いをしています。聖書も神の力も知らないからです」。(マタイ 22:29)聖書を読むと,エホバに人を生き返らせる力があることがはっきり分かります。どんな例があるでしょうか。

      18 エリヤの時代の出来事について考えてみましょう。あるやもめが,死んでしまった一人息子を抱きかかえています。しばらくやもめの家に滞在していたエリヤは,ショックを受けたに違いありません。以前にその子が飢え死にしないように助けていたので,愛着を感じていたことでしょう。母親は深く悲しんでいます。夫が亡くなった後,残された息子だけが心の支えでした。年を取ったら息子に面倒を見てもらおうと思っていたかもしれません。やもめは取り乱し,過去に犯した罪のせいで神から処罰されているのではないかと考えました。エリヤは気の毒でたまらなくなり,亡くなった子供を母親から受け取って自分の部屋に抱えて上がります。そして,この子に命を戻してください,とエホバ神にお願いします。(列王第一 17:8-21)

      19-20. (ア)アブラハムが,エホバには人を生き返らせる力があると信じていたのはどうしてですか。その信仰をどのように示しましたか。(イ)エリヤの信仰はどのように報われましたか。

      19 エリヤは,復活を信じた最初の人ではありませんでした。何世紀も前にアブラハムも,エホバには人を生き返らせる力があると信じていました。それにはもっともな理由がありました。アブラハムが100歳,サラが90歳の時,エホバは奇跡によって2人のいわば死んでいた生殖力を回復させ,サラが子供を産めるようにしたのです。(創世記 17:17; 21:2,3)後に,その男の子が大人になってから,エホバはアブラハムにその子を犠牲として捧げてほしいと言いました。アブラハムは信仰を示し,愛するイサクをエホバは生き返らせることができると考えました。(ヘブライ 11:17-19)そのような強い信仰があったからこそ,アブラハムは息子を捧げるために山に登る前に,従者たちに息子と一緒に戻ってくると言ったのでしょう。(創世記 22:5)

      やもめが生き返った息子を笑顔で抱き締めている。その様子を預言者エリヤが見ている。

      「見てください。あなたの息子は生きています」

      20 エホバはイサクが死ななくて済むようにしたので,その時は復活という奇跡を行う必要はありませんでした。エリヤの場合には,やもめの息子は死んでいました。でもエホバは,エリヤの願いを聞き入れて,その子を生き返らせました。エリヤの信仰は報われたのです。エリヤはその子を母親の所に連れていき,「見てください。あなたの息子は生きています」と言いました。やもめはその時のことを一生忘れなかったでしょう。(列王第一 17:22-24)

      21-22. (ア)聖書に記録されている復活について読むと,どんな気持ちになりますか。(イ)パラダイスではどれほどの人が復活しますか。そのために誰が行動してくれますか。

      21 これは,エホバが回復させる力を使って人を生き返らせた最初の例です。聖書に記録されている通り,エホバは後にエリシャ,イエス,パウロ,ペテロにも力を与え,死んだ人を生き返らせました。もちろん,当時復活した人たちはやがて再び死にました。でも聖書に書かれている復活の例について読むと,エホバが将来行ってくださることへの期待で胸がいっぱいになります。

      22 かつて「私は復活であり,命です」と言ったイエスは,パラダイスでその言葉の通りに行動してくれます。(ヨハネ 11:25)数え切れないほど大勢の人を復活させ,パラダイスとなった地球で永遠に生きられるようにするのです。(ヨハネ 5:28,29)死別した家族や友達と再会して抱き合い,喜びの涙を流しているところを想像してみてください。全ての人が,回復させる力を使ってくださったエホバを賛美します。

      23. エホバの力を示す別の強力な証拠は何ですか。将来についてどんなことを確信できますか。

      23 エホバは,復活が必ず起きることを保証する別の強力な証拠を示してくれています。自分の子イエスを力強い天使として復活させ,自分に次ぐ地位を与えたのです。イエスが復活したことは,何百人もの人が目撃しています。(コリント第一 15:5,6)復活をなかなか信じられない人にとっても,十分な証拠と言えます。エホバには確かに命を回復させる力があります。

      24. エホバは死んだ人を生き返らせることについてどう思っていますか。私たちは何を楽しみにできますか。

      24 エホバは,死んだ人を生き返らせる力を持っているだけでなく,生き返らせたいと心から思っています。忠実なヨブは聖なる力に導かれて,エホバは死んだ人に再び会いたいと願っていると言いました。(ヨブ 14:15)回復させる力をそのように使ってくださる愛情深い神に,あなたも引き寄せられるのではないでしょうか。この章で考えたように,エホバは人を復活させるだけでなく,さまざまなものを回復させてくださいます。エホバが「全てのものを新しく」する時を楽しみにしつつ,エホバとの絆を強めていきましょう。(啓示 21:5)

      a 「全ての事柄の回復の時」は,忠実なダビデ王の子孫が王となってメシア王国が設立された時に始まりました。かつてエホバはダビデに,彼の子孫が永遠に統治することになると約束していました。(詩編 89:35-37)しかし,紀元前607年にエルサレムがバビロンに滅ぼされた後,ダビデの子孫で王座に就いた人は誰もいませんでした。地上でダビデの子孫として生まれたイエスが,天で即位した時に,待望の王となりました。

      b モーセ,イザヤ,エレミヤ,エゼキエル,ホセア,ヨエル,アモス,オバデヤ,ミカ,ゼパニヤといった預言者たちが回復について書いています。

      じっくり考えたいこと

      • 列王第二 5:1-15 聖書時代のある人は,謙遜になったため,エホバの回復させる力をどのように体験できましたか。

      • ヨブ 14:12-15 ヨブはどんなことを確信していましたか。この聖句について考えると,どんな希望を持てますか。

      • 詩編 126:1-6 現在,清い崇拝が回復され,エホバを正しく崇拝できていることを考えると,どういう気持ちになりますか。

      • ローマ 4:16-25 エホバの回復させる力を信じることが大切なのはどうしてですか。

  • 「キリストは神の力……の証拠」
    エホバに近づきなさい
    • 嵐の夜にイエスがガリラヤ湖の上を歩いている。

      第9章

      「キリストは神の力……の証拠」

      1-3. (ア)ガリラヤ湖でどんなことがあったので,イエスの弟子たちはおびえましたか。イエスはどうしましたか。(イ)使徒パウロが書いたように「キリストは神の力……の証拠」だと言えるのはどうしてですか。

      イエスの弟子たちはおびえていました。ガリラヤ湖を渡っている時,急に嵐に襲われたのです。何人かはベテランの漁師でしたから,その湖で嵐に遭うのは珍しくなかったでしょう。a (マタイ 4:18,19)しかし,今回は「激しい暴風」が起き,たちまち湖が荒れ狂いました。弟子たちは必死に舟を操ろうとしますが,どうにもなりません。舟は「何度も波を浴びて,水浸しに」なっています。その大変な中,イエスは船尾でぐっすり眠っています。一日中大勢の人を教えていたので,疲れ切っていたのです。命の危険を感じた弟子たちは,イエスを起こし,「主よ,助けてください。死んでしまいそうです!」と言います。(マルコ 4:35-38。マタイ 8:23-25)

      2 イエスは恐れていません。全く動じることなく,風を叱りつけ,湖に「静まれ! 静かになれ!」と言います。すると,すぐに風はやみ,「湖面はすっかり穏やかに」なります。弟子たちは畏れを感じ,「一体どういう方なのだろう」と互いに言います。あたかも子供を落ち着かせるかのように嵐を静めたのですから,驚いた弟子たちの気持ちはよく分かります。(マルコ 4:39-41。マタイ 8:26,27)

      3 イエスは特別な人でした。エホバが自分の力を使ってイエスを助け,イエスが奇跡を行えるようにしていたからです。使徒パウロは聖なる力に導かれて,「キリストは神の力……の証拠です」と書きました。(コリント第一 1:24)イエスが神から力を与えられていることが,どうして分かるでしょうか。イエスは力を使って私たちのためにどんなことをしてくれるのでしょうか。

      神の独り子の力

      4-5. (ア)エホバは独り子に,どんなことをするための力と権威を与えましたか。(イ)独り子は創造を手伝うのに何を使うことができましたか。

      4 イエスが人間として地上に来る前に持っていた力について考えてみましょう。エホバが自分の「永遠[の]力」を使って創造した独り子が,後にイエス・キリストとして知られるようになりました。(ローマ 1:20。コロサイ 1:15)エホバはその子に大きな力と権威を与え,いろいろなものを創造するのを手伝ってもらいました。独り子について聖書にはこう書かれています。「全てのものはこの方を通して存在するようになり,彼を通さずに存在するようになったものは一つもない」。(ヨハネ 1:3)

      5 それがどれほど膨大な仕事だったか,私たちには想像もつきません。何億もの天使や,数兆ともいわれる銀河がある宇宙,また多種多様な生物がいる地球を造るのに,どれほどの力が必要だったのでしょうか。その仕事を行うのに,独り子は宇宙で最も強い力である神の聖なる力を自由に使うことができました。エホバの「優れた働き手」として,イエスは喜んで働きました。(格言 8:22-31)

      6. イエスは地上で死んで復活した後,どんな力と権威を与えられましたか。

      6 後に,独り子にさらに大きな力と権威が与えられました。イエスは地上で死んで復活した後,「私には天と地における全ての権威が与えられています」と言いました。(マタイ 28:18)宇宙の全てのものを治める能力や権利を与えられているのです。やがてイエスは「王の中の王また主の中の主」として,神に敵対する「全ての政府,また全ての権威と力」を,目に見えるものも見えないものも「除き去」ります。(啓示 19:16。コリント第一 15:24-26)その時点で,エホバ以外には「[イエス]に従わないものは何一つ残って」いません。(ヘブライ 2:8。コリント第一 15:27)

      7. イエスはエホバから与えられた力を決して誤用しない,と確信できるのはどうしてですか。

      7 イエスが力を誤用する心配はあるでしょうか。全くありません。イエスは父を本当に愛しているので,父に喜ばれないことは絶対にしないからです。(ヨハネ 8:29; 14:31)イエスはエホバが全能の力を決して誤用しないことをよく知っています。エホバがいつも,「心の全てがご自分に向いている人の力になろうとして」いる様子を,イエスはじかに見てきました。(歴代第二 16:9)そして,父と同じように人間を愛しているので,いつでも自分の力を善いことのために使います。(ヨハネ 13:1)実際,地上でも常にそのようにしたことが聖書に書かれています。では,イエスが地上で力を使った例を考えてみましょう。

      「言葉も強力」

      8. イエスはバプテスマを受けた後,どんなことを行う力を与えられましたか。イエスは自分の力をどのように使いましたか。

      8 イエスは,ナザレで暮らしていた少年時代には奇跡を行わなかったようです。行い始めたのは,西暦29年におよそ30歳でバプテスマを受けてからです。(ルカ 3:21-23)聖書にこう書かれています。「神は聖なる力によってイエスを選び,力を与えました。イエスは各地を回って,善いことを行い,悪魔に虐待されている人を全て癒やしました」。(使徒 10:38)「善いことを行い」とあるので,イエスが自分の力を正しく使ったことが分かります。イエスはバプテスマを受けた後,自分が「行いも言葉も強力な預言者であることを示しました」。(ルカ 24:19)

      9-11. (ア)イエスはよくどんな場所で教えましたか。何をする必要がありましたか。(イ)群衆がイエスの教え方に驚いたのはどうしてですか。

      9 イエスの「言葉も強力」だったとは,どういう意味でしょうか。イエスはよく,湖畔や丘,また街路や広場などの屋外で教えました。(マルコ 6:53-56。ルカ 5:1-3; 13:26)イエスの話を聞いていた人たちは,もっと聞きたいと思わなければすぐに立ち去ることができました。また,印刷された本などない時代でしたから,イエスの教えが心に残らなければ,覚えていることができなかったでしょう。ですからイエスは,人々の興味を引き,分かりやすく覚えやすい教え方をする必要がありました。でもそれはイエスにとって難しいことではありませんでした。一例として,山上の垂訓について考えましょう。

      10 西暦31年の春ごろのある朝,ガリラヤ湖に近い山の中腹に大勢の人が集まりました。100㌔以上離れたエルサレムやユダヤ全土から来た人もいれば,北のティルスやシドンの沿岸地方から来た人もいました。多くの病人がイエスに触ろうとして近づき,イエスは全員を癒やします。病気の人がいなくなると,イエスは教え始めます。(ルカ 6:17-19)しばらくしてイエスが話し終えると,群衆は聞いたことに驚いていました。どうしてでしょうか。

      11 その垂訓を聞いたある人は,何年もたってからこう書きました。「群衆はその教え方に大変驚いていた。……権威を授かった人のように教えていたからである」。(マタイ 7:28,29)群衆はイエスの話を聞いて力強さを感じました。イエスは神の考えを代弁し,神の言葉に基づいて教えました。(ヨハネ 7:16)イエスが言うことは明快で,説得力があり,反論の余地がありませんでした。イエスの言葉は核心を突き,聞いた人の心に残りました。聴衆は,どうすれば幸せになれるか,どのように祈ったらいいか,神の王国を第一にするとはどういうことか,将来のために賢く行動するにはどうしたらいいか,といったことを学びました。(マタイ 5:3–7:27)真理や公正を求めていた人たちは,イエスの言葉に心を動かされました。そして,イエスに従うために「自分を捨て」,「一切のものを捨て」ました。(マタイ 16:24。ルカ 5:10,11)イエスの言葉がどれほど強力だったかがよく分かります。

      「行いも……強力」

      12-13. イエスはどういう意味で「行いも……強力」でしたか。どんな奇跡を行いましたか。

      12 イエスの「行いも……強力」でした。(ルカ 24:19)福音書には,イエスが「エホバの力」によって行った30余りの奇跡について書かれています。b (ルカ 5:17)イエスの奇跡のおかげで大勢の人が助かりました。例えば,ある時イエスは男性5000人に,その後また男性4000人に食べ物を与えました。どちらの場合にもほかに女性や子供もいましたから,さらに何千人もの人が食事をしたことでしょう。(マタイ 14:13-21; 15:32-38)

      13 イエスはいろいろな奇跡を行いました。邪悪な天使たちに対する権威があったので,人に取りついた邪悪な天使を難なく追い出すことができました。(ルカ 9:37-43)物質をコントロールする力もあったので,水をぶどう酒に変えることができました。(ヨハネ 2:1-11)「イエスが湖の上を歩いて……くるのを見た」弟子たちが驚いたこともあります。(ヨハネ 6:18,19)病人を癒やす力もあり,慢性的な障害や疾患,命に関わる病気さえも治しました。(マルコ 3:1-5。ヨハネ 4:46-54)癒やし方もさまざまでした。遠く離れた場所から癒やされた人もいれば,イエスに直接触れてもらった人もいます。(マタイ 8:2,3,5-13)すぐに癒やされた人もいますし,徐々に癒やされた人もいます。(マルコ 8:22-25。ルカ 8:43,44)

      弟子たちは「イエスが湖の上を歩いて……くるのを見た」

      14. イエスにはどんな人でも生き返らせる力があることが,どういう例から分かりますか。

      14 イエスには死んだ人を生き返らせる力もありました。聖書によると,3人を生き返らせました。12歳の少女,あるやもめの一人息子,そして2人の姉妹がいる男性です。(ルカ 7:11-15; 8:49-56。ヨハネ 11:38-44)どの場合も,イエスにとって難しいことではありませんでした。12歳の少女の場合は,亡くなって間もなく生き返らせました。やもめの息子はおそらく亡くなった当日,遺体が台に載せられて運ばれている時に生き返らせました。ラザロは墓に入れられていて,亡くなってから4日たっていましたが,それでも生き返らせることができました。

      人のために,分別や思いやりを持って力を使った

      15-16. イエスがいつも人のために力を使ったことが,どんなことから分かりますか。

      15 不完全な支配者がイエスと同じ力を持ったら,その力を悪用してしまうかもしれません。でもイエスは決して罪を犯しませんでした。(ペテロ第一 2:22)不完全な人間は利己心や野心や貪欲さに駆り立てられ,自分の力を使って人を傷つけることがありますが,イエスはそんなことはありませんでした。

      16 イエスはいつも,自分のためではなく人のために力を使いました。空腹の時にも,自分のために石をパンに変えようとはしませんでした。(マタイ 4:1-4)わずかな物しか持っていませんでしたから,自分の力を使って金もうけをしたりもしなかったことが分かります。(マタイ 8:20)イエスがいつも人のためを思って奇跡を行ったことは,ほかにどんなことから分かるでしょうか。奇跡を行うには,自己犠牲が必要でした。病気の人を治すと,イエスから力が出ていきました。たった1人を治しただけでも,イエスは力が出ていくのを感じました。(マルコ 5:25-34)それでもイエスは,大勢の人が自分に触れて癒やされるようにしました。(ルカ 6:19)自分のことよりも人のことを深く気遣っていたのです。

      17. イエスが分別を持って力を使ったことが,どんなことから分かりますか。

      17 イエスは分別を持って力を使いました。単に力を見せびらかすために,特に意味もなく奇跡を行うようなことはしませんでした。(マタイ 4:5-7)ヘロデの好奇心を満足させるためだけに奇跡を行おうともしませんでした。(ルカ 23:8,9)自分の力に人々の注意を引くどころか,癒やした人たちに誰にも言わないようにと指示することがよくありました。(マルコ 5:43; 7:36)世間をにぎわすようなうわさが広まって,それによって人々がメシアを信じるような事態を避けたかったのです。(マタイ 12:15-19)

      18-20. (ア)イエスの力の使い方には何が表れていましたか。(イ)ある耳の聞こえない男性をイエスが癒やした方法について,あなたはどう思いますか。

      18 イエスには力がありましたが,無情に権力を振るう支配者たちとは全く違っていました。そうした支配者は人が困っていたり苦しんでいたりしても気にしませんが,イエスは人を思いやりました。つらい境遇にある人たちを見ただけで胸を痛め,何とかしてあげたいという気持ちになりました。(マタイ 14:14)人々を助けるために,その人たちが何を思い,何を必要としているかを考え,優しく気遣いながら力を使いました。1つの感動的な例が,マルコ 7章31-37節に書かれています。

      19 この時,大勢の人がイエスを見つけ,たくさんの病人を連れてきたので,イエスはその人たち皆を治しました。(マタイ 15:29,30)その際,1人の男性に特別な思いやりを示します。その人は耳が聞こえず,ほとんど話せませんでした。イエスは,その人がとても緊張し,落ち着かない様子なのに気付いたのでしょう。それで,思いやり深くその人を群衆から離れた場所に連れていきます。それから,自分が何をしようとしているのかがその人に伝わるようにしました。「指を男性の両耳に入れ,それから唾を掛けて,舌に触れ」ました。c (マルコ 7:33)そして,天を見上げて祈りつつ深く息を吐きました。いわばその人に,「これからあなたに行うことは神の力によります」と言っていたのです。最後にイエスは,「開かれよ」と言います。(マルコ 7:34)するとその人は聞こえるようになり,普通に話し始めます。

      20 イエスは,神から与えられた力を使って病人を癒やす時に,相手の気持ちに寄り添って思いやりを示しました。そのことを考えると心を打たれます。そのように優しくて思いやり深い方がエホバによってメシア王国の王にされているので,本当に安心できます。

      イエスの奇跡は将来を予告するものだった

      21-22. (ア)イエスは将来どういう規模の奇跡を行いますか。(イ)イエスは自然界の力をコントロールできるので,どんなものを恐れる必要はありませんか。

      21 イエスは,やがて王として治める時に,かつて地上で行った奇跡よりもはるかに壮大なことを行います。神の新しい世界でイエスが行う奇跡は,全地球的な規模になります。どんな素晴らしい見込みがあるか考えてみましょう。

      22 イエスにより,地球の生態系は完全なバランスを取り戻します。イエスはかつて嵐を静め,自然界の力をコントロールできることを実証しました。ですから,キリストの王国の統治下で,人間は台風や地震や火山の噴火などの自然災害を恐れる必要はありません。イエスは優れた働き手として,エホバが地球や動植物を創造するのを手伝ったので,地球の造りを熟知しています。地球の資源の正しい使い方も知っています。イエスの統治の下で,地球全体がパラダイスになります。(ルカ 23:43)

      23. イエスは王として,人間が必要とするどんなものを与えますか。

      23 人間が必要とするものについてはどうでしょうか。イエスはわずかな食べ物を使って何千人もの人に食事をさせることができましたから,イエスの統治下では誰も飢えることはないと確信できます。豊富な食物が公平に分配されるので,誰かがおなかをすかせることはありません。(詩編 72:16)イエスはどんな病気も治せるので,目が見えない人,耳が聞こえない人,手足が不自由な人なども完全に癒やされ,いつまでも健康でいられるようになります。(イザヤ 33:24; 35:5,6)そしてイエスは死んだ人を生き返らせることができるので,天から治める力強い王として,父エホバの記憶の中にいる大勢の人を復活させます。(ヨハネ 5:28,29)

      24. イエスの力について考える時,何を覚えておくとよいですか。そうするとエホバについてどんなことが分かりますか。

      24 イエスの力について考える時,イエスは父エホバに完璧に倣っているということを覚えておきましょう。(ヨハネ 14:9)ですから,イエスの力の使い方を見ると,エホバがどのように力を使うかがよく分かります。例えば,イエスが重い皮膚病の人を優しく癒やした時のことを考えてください。イエスはかわいそうに思い,その男性に触って,「良くなりなさい」と言いました。(マルコ 1:40-42)こうした例を読むと,あたかもエホバが「私はこのように力を使う」と言っているかのように感じます。全能の神を賛美したい,愛情深く力を使ってくださることに感謝したい,と思うことでしょう。

      a ガリラヤ湖では急に嵐が起きることがよくあります。海抜マイナス200㍍ほどの低い所にあるので,周辺地域より気温がかなり高く,そのせいで天気が乱れます。北にあるヘルモン山からヨルダン渓谷の方に強風が吹き下ろすと,それまで穏やかだったのに突然ひどい嵐になることがあります。

      b 福音書には,多くの奇跡がひとまとめに書かれていることもあります。例えば,ある時には「町中の人」がイエスのところに来て,イエスは病気の人を「大勢」治しました。(マルコ 1:32-34)

      c 当時のユダヤ人も異国人も,唾を使って人を治療できると考えていました。治療に唾液が使われていたことが,ラビの書物に書かれています。イエスが唾を掛けたのは,これから癒やされることを当人に伝えるためにすぎなかったのかもしれません。いずれにしても,イエスの唾液に人を治す力があったわけではありません。

      じっくり考えたいこと

      • イザヤ 11:1-5 イエスは「聖なる力」による強さをどのように示しますか。イエスの統治についてどんなことを確信できますか。

      • マルコ 2:1-12 イエスが奇跡によって人を癒やしたことから,イエスにどんな権威が与えられていることが分かりますか。

      • ヨハネ 6:25-27 イエスは奇跡によって人々に食物を与えることもありましたが,宣教の主な目的は何でしたか。

      • ヨハネ 12:37-43 ある人たちがイエスの奇跡を見てもイエスに信仰を持たなかったのはどうしてですか。そのことから何が分かりますか。

  • 「神に倣って」力を使う
    エホバに近づきなさい
    • 2人のエホバの証人の姉妹たちが家を訪ねて女性に伝道している。

      第10章

      「神に倣って」力を使う

      1. 不完全な人間はよくどんなわなに陥りますか。

      「力には必ずと言っていいほどわなが潜んでいる」。19世紀の詩人が述べたこの言葉は,力は誤用されることが多いという事実に注意を引いています。残念なことに,不完全な人間はよくそのわなに陥ります。歴史を通じて,「人は人を支配し,人に害を及ぼして」きました。(伝道の書 8:9)愛のない仕方で力が振るわれ,多くの人が苦しんできました。

      2-3. (ア)エホバの力の使い方は人間とどう違いますか。(イ)人間にはどんな力がありますか。その力をどのように使うべきですか。

      2 一方,無限の力を持つエホバ神は,決してその力を誤用しません。これまでの章で考えた通り,エホバは創造する力,破壊する力,保護する力,回復させる力を,自分の目的に沿って,いつでも愛を表しながら使います。エホバの力の使い方について考えると,私たちはエホバに引き付けられます。そして,「神に倣って」力を使いたいという気持ちになります。(エフェソス 5:1)では,か弱い人間である私たちにはどんな力があるのでしょうか。

      3 私たちがよく知っているように,人間は「神に似た者として」創造されました。(創世記 1:26,27)そのため,少しとはいえ力があります。例えば,体力,仕事を果たす能力,権力,他の人への影響力,資力などです。詩編作者が書いている通り,エホバは私たちの「命の源」です。(詩編 36:9)ですから,私たちが持つ力はどれも,エホバから与えられたものだと言えます。それで,エホバに喜んでもらえるように力を使いたいと思います。どうすればそうできるでしょうか。

      鍵は愛

      4-5. (ア)力を正しく使うための鍵は何ですか。神はどんな手本を示していますか。(イ)愛があれば,どのように力を正しく使えますか。

      4 力を正しく使うための鍵は,愛です。そのことが神の手本からよく分かります。第1章で考えたように,神の4つの主な性質は力,公正,知恵,愛です。その中で最も重要なのはどれでしたか。愛です。ヨハネ第一 4章8節に「神は愛」とある通り,愛は神の本質であり,神が行うこと全てに表れています。ですから,神はいつも愛に基づいて力を使い,それは神を愛する人たちのためになります。

      5 私たちも愛を表して,力を正しく使いたいものです。聖書によると愛は「親切」で,「自分のことばかり考え」ません。(コリント第一 13:4,5)ですから愛があれば,自分が見守り世話する人たちに対して,厳しくて冷たい態度を取ったりすることはないはずです。相手を尊重し,自分のことよりも相手がどんな気持ちで何を必要としているかを考えます。(フィリピ 2:3,4)

      6-7. (ア)神への畏れとはどういうものですか。神への畏れがあれば力の誤用を避けられるのはどうしてですか。(イ)神を畏れる人は神を愛しているということを,どんな例えで説明できますか。

      6 愛は神への畏れとも関係があります。神への畏れがあれば,力の誤用を避けられます。格言 16章6節には,「エホバへの畏れによって,人は悪から遠ざかる」と書かれています。神を畏れる人は,自分が見守り世話する人たちにひどいことをしたりはしません。人に対する態度や行動について神に責任を問われることを知っているからです。(ネヘミヤ 5:1-7,15)でも,単に結果を恐れるということではありません。「畏れ」と訳されている原語は多くの場合,深い敬意や畏敬の気持ちを表しています。聖書の中で,畏れが神への愛と結び付けられているのはそのためです。(申命記 10:12,13)神を畏れる人は,神を本当に愛しているので,神に喜ばれないことは絶対にしたくないと考えます。

      7 幼い子供と父親の関係に例えてみましょう。子供は,お父さんの温かい愛情を感じています。同時に,お父さんにどんなことを期待されているかも分かっていて,悪いことをすれば怒られるということを知っています。だからといって,いつもお父さんを恐れてびくびくしたりはしません。お父さんのことが大好きです。お父さんが喜んでくれることをしたいと思っています。神への畏れは,そのような気持ちです。私たちは天のお父さんエホバを愛しているので,エホバを悲しませるようなことはしたくありません。(創世記 6:6)エホバに喜んでもらいたいと思っています。(格言 27:11)そのために力を正しく使いたいと思うのです。では,どうすればそうできるか,さらに考えてみましょう。

      家庭内で

      8. (ア)夫はどんな権威を与えられていますか。どうすべきですか。(イ)夫は妻を大切にしていることをどのように示せますか。

      8 家庭内ではどうでしょうか。エフェソス 5章23節によると,夫は「妻の頭」としてリーダーシップを取る権威を神から与えられています。では,どうすべきでしょうか。聖書の中で夫は,「知識に基づいて妻と暮らし……より繊細な器[である]妻を大切にしましょう」と勧められています。(ペテロ第一 3:7)「大切」と訳されているギリシャ語には「評価」とか「敬意」という意味もあり,「贈り物」や「貴重」と訳されていることもあります。(使徒 28:10。ペテロ第一 2:7)妻を大切にする夫は,決して妻に暴力を振るったり,恥をかかせたり,妻を軽視したりはしません。妻が自分には価値がないと感じるようなことがないようにします。妻を高く評価し,敬意を払います。2人だけの時も人前でも,妻が自分にとって大事な存在であることを言動で示します。(格言 31:28)そのような夫は妻から愛され敬われるだけでなく,神に喜ばれます。

      夫婦が手をつないで歩いている。

      自分の力を正しく使う夫と妻は,互いに愛や敬意を示す

      9. (ア)妻にはどんな役割がありますか。(イ)どんなことを意識していれば,夫をサポートするために力を尽くせますか。そうするとどんな良いことがありますか。

      9 妻にも家庭内で大切な役割があります。聖書に出てくる,神に従う女性たちは,頭である夫を敬いつつ,夫が善いことを行えるように支えたり,間違った判断をしないように助けたりしました。(創世記 21:9-12; 27:46–28:2)妻が夫より頭の回転が速いとか,夫にできないことができるということもあるでしょう。それでも,妻は夫を「深く敬」い,「主に従うのと同じように夫に従」うべきです。(エフェソス 5:22,33)いつも神に喜んでもらいたいと思っていれば,妻は夫を見下したり主導権を握ろうとしたりせず,夫をサポートするために力を尽くせるでしょう。そのような「本当に賢い女性」は,夫によく協力して良い家庭を築き,神とも平和な関係でいられます。(格言 14:1)

      10. (ア)親には神から与えられたどんな権威がありますか。(イ)「指導」という言葉にはどんな意味がありますか。親は子供をどのように指導する必要がありますか。(脚注も参照。)

      10 親にも,神から与えられた権威があります。聖書はこう勧めています。「父親は,子供をいら立たせないようにし,エホバが望む指導と助言によって育ててください」。(エフェソス 6:4)ここで「指導」と訳されている言葉には,しつける,訓練する,教える,といった意味があります。子供は指導を必要としていて,してはいけないことなどをはっきり教えてもらえると安心します。聖書によると,親は子供を愛情深く指導する必要があります。(格言 13:24)ですから,「懲らしめ」を与える場合にも,子供の体や心を傷つけてはなりません。a (格言 22:15; 29:15)愛を感じられない厳しい指導をする親は,自分たちの権威を正しく使っておらず,子供を落胆させかねません。(コロサイ 3:21)逆に,バランスの取れた指導をするなら,子供は自分が親に愛され期待されているのを感じます。

      11. 子供はどうすれば自分の力を正しく使えますか。

      11 子供は,どうすれば自分の力を正しく使えるでしょうか。格言 20章29節には,「若い人の素晴らしさは力」とあります。若い人が自分の体力や能力を使ってできる最も素晴らしいことは,「偉大な創造者」に仕えることです。(伝道の書 12:1)さらに子供は,自分の行動によって親を喜ばせることもあれば悲しませることもある,ということを覚えておくべきです。(格言 23:24,25)神を畏れる親に従い,正しい生き方をする子供は,親に喜ばれます。(エフェソス 6:1)それだけでなく,「主にとても喜ばれます」。(コロサイ 3:20)

      会衆内で

      12-13. (ア)神から権威を与えられている長老たちは,どのように行動する必要がありますか。(イ)長老たちが群れを大事に世話すべきなのはどうしてですか。

      12 エホバは,クリスチャン会衆内で監督たちが教え導くようにしています。(ヘブライ 13:17)神から権威を与えられている長老たちは,群れを見守って助けなければなりません。決して兄弟姉妹に対して威張ったりはしません。エホバが監督たちに何を望んでいるかを正しく理解し,会衆内で謙遜に行動する必要があります。(ペテロ第一 5:2,3)聖書の中で監督たちは,「神の会衆を牧者として世話する」ようにと言われています。「その会衆を神は自分の子の血によって買い取った」からです。(使徒 20:28)そのことを考えると,群れの一人一人を優しく世話しなければならないことがよく分かります。

      13 例えで考えてみましょう。親しい友人から大切な物を預かったとします。その友人が大金を払って買った物です。あなたは細心の注意を払ってそれを大事に扱うのではないでしょうか。同じように,神は長老たちにとても大切なものを預けました。それは会衆です。長老たちは会衆の中の一人一人を羊のように世話する責任を与えられています。(ヨハネ 21:16,17)エホバは自分の羊をとても大事に思っています。独り子イエス・キリストの貴重な血という最高の代価を払って買ったほどです。謙遜な長老たちはそのことを心に留め,エホバの羊を大事に世話します。

      「舌の力」

      14. 舌にはどんな力がありますか。

      14 聖書には,「死も命も舌の力に支配される」と書かれています。(格言 18:21)舌には大きな力があって,ひどい言葉で人を傷つけてしまうことがあります。あなたも,思いやりのないことを言われたり,ばかにされたりしたことがあるかもしれません。でも,舌にはポジティブな力もあります。格言 12章18節によると,「賢い人たちの舌は人を癒やす」ことができます。親切で優しい言葉を聞くと元気づけられたり,爽やかな気持ちになったりします。例を考えてみましょう。

      15-16. 舌の力を使ってどのように人を励ませますか。

      15 テサロニケ第一 5章14節では,「気落ちしている人に慰めの言葉を掛け……てください」と勧められています。エホバに忠実に仕えてきた人でも,気落ちすることがあります。どうすれば助けになれるでしょうか。その人がエホバから大切に思われていることを思い起こせるように,具体的に心から褒めてください。「心が傷ついた人」や「打ちのめされた人」をエホバが深く気遣って愛していることを示す,励みになる聖句を一緒に読みましょう。(詩編 34:18)人を慰めるために舌の力を使うようにするなら,「気落ちしている人を慰める」思いやり深い神に倣っていることになります。(コリント第二 7:6)

      16 舌の力を上手に使えば,元気がない人を励ませます。例えば,家族や友達を亡くした兄弟姉妹がいるでしょうか。気遣いや思いやりが伝わる言葉を掛ければ,悲しんでいる人を慰められます。自分は役に立っていないと感じている年配の兄弟姉妹がいますか。よく言葉を選んで,その人たちのことを大事に思っていることを伝えましょう。慢性的な病気に悩まされている人がいますか。会って話したり,電話をしたり,手紙やメールを送ったりして優しく気遣うなら,病気の人は元気が出るかもしれません。私たちが話す能力を使って「励ましの言葉を述べ」る時,その力を与えた創造者はとても喜びます。(エフェソス 4:29)

      17. 舌の力を使って行える一番重要なことは何ですか。それを行うべきなのはどうしてですか。

      17 舌の力を使って行える一番重要なことは,神の王国の良い知らせを伝えることです。格言 3章27節には,「あなたに助ける力があるときに,善を行うべき相手にそうせずにいてはならない」と書かれています。私たちには,命を救う良い知らせを広める義務があります。エホバから託された緊急なメッセージを伝えないわけにはいきません。(コリント第一 9:16,22)では,エホバは私たちが伝道をどの程度行うことを期待しているのでしょうか。

      良い知らせを伝えることは,自分の力を使って行えるとても大切なこと

      「力を尽くし」てエホバに仕える

      18. エホバは私たちにどんなことを期待していますか。

      18 私たちはエホバを愛しているので,クリスチャンとして十分に伝道したいと思います。その点でエホバが私たちに期待していることは,境遇に関係なく誰にでもできます。それは,「何をしていても,人のためではなくエホバのためにするように,自分の全てを尽くして行」うことです。(コロサイ 3:23)イエスも,一番大事なおきてについて聞かれた時,こう言いました。「心を尽くし,知力を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければならない」。(マルコ 12:30)エホバが望んでいるのは,私たちが自分の全てを尽くしてエホバを愛し,エホバに仕えることです。

      19-20. (ア)マルコ 12章30節に「自分の全て」とあるのに,「心」や「知力」なども挙げられているのはどうしてですか。(イ)自分の全てを尽くして神に仕えるとはどういうことですか。

      19 マルコ 12章30節で,「自分の全て」を尽くしてと言っているのに,それに含まれる「心」や「知力」などが別個に挙げられているのはどうしてでしょうか。例えで考えてみましょう。聖書時代に,人は自分自身を奴隷として売ることがありました。いわば,その人の全てが主人のものになりました。それでも,奴隷は必ずしも心を尽くして主人に仕えたり,自分の体力や知力を尽くして主人のために働いたりはしなかったかもしれません。(コロサイ 3:22)ですから,イエスがあえて「心」や「知力」などを挙げたのは,神に奉仕する時に何も出し惜しみしてはいけないということを強調するためだったのでしょう。自分の全てを尽くして神に仕えるとは,自分の体力や知力などを最大限に使って神に奉仕することです。

      20 人はそれぞれ境遇や能力が違うので,皆が同じように伝道を行えるわけではありません。例えば,健康で体力がある若い人の方が,年を取って体力が衰えた人よりも多くの時間伝道できるでしょう。また,身軽な独身の人の方が,家族の世話をしなければならない人よりも多くのことを行えるものです。体力や状況に恵まれていて,たくさん伝道できるなら,それはうれしいことです。十分にやっていないように思える人たちを批判するようなことは,決してしたくありません。(ローマ 14:10-12)それぞれができることを精一杯行えるように,励まし合いましょう。

      21. 自分の力を使って行える最も素晴らしいことは何ですか。

      21 エホバは,力を正しく使う点で完全な手本を示しています。私たちは不完全ですが,できる限りエホバに倣いたいと思います。自分が見守り世話する人たちを尊重し,優しく接しましょう。また,エホバから委ねられている,命を救う伝道活動を,自分の全てを尽くして行いましょう。(ローマ 10:13,14)私たちがエホバのためにベストを尽くすとき,エホバは喜んでくださいます。とても愛情深く思いやりがある神に仕えることこそ,自分の力を使って行える最も素晴らしいことです。そのためにできることは何でもしたいと思うのではないでしょうか。

      a 懲らしめの「むち」や「棒」と訳されているヘブライ語は,聖書時代の羊飼いが羊を優しく導くのに使った棒やつえを指しています。(詩編 23:4)ですから親は,子供を厳しく処罰するのではなく,愛情を込めて導くことが期待されています。

      じっくり考えたいこと

      • 格言 3:9,10 私たちはどんな「貴重なもの」を持っていますか。それをどう使うと,エホバを敬っていることになりますか。

      • 伝道の書 9:5-10 神に喜ばれるように力を尽くすべきなのはどうしてですか。

      • 使徒 8:9-24 シモンは力についてどんな間違った考え方をしていましたか。どうすればシモンのようになることを避けられますか。

      • 使徒 20:29-38 長老たちはパウロの手本からどんなことを学べますか。

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