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  • 「神の道は全て公正」
    エホバに近づきなさい
    • ヨセフが足かせをはめられて,他の囚人たちと一緒に牢獄に入れられている。

      第11章

      「神の道は全て公正」

      1-2. (ア)ヨセフはどんなひどい目に遭いましたか。(イ)エホバはどのように不公正を正しましたか。

      遠い昔に,ひどく不公正なことが起きました。ある若者が,何も悪いことをしていないのに強姦未遂のぬれぎぬを着せられ,牢獄に入れられました。このヨセフという若者が不公正な扱いを受けたのは,それが初めてではありません。17歳だった時に,実の兄弟たちに殺されそうになり,それから奴隷として外国に売られました。その国で主人の妻に誘惑され,拒んだところ,その女性が怒ってうその告発をしたので,ヨセフは捕らえられたのです。助けてくれる人は誰もいないように思えました。

      2 しかし,「正しさと公正を愛する方」である神が見ていました。(詩編 33:5)エホバは不公正を正すために行動し,ヨセフが釈放されるようにしました。それだけでなく,ヨセフがやがて特別な栄誉を与えられ,高い地位に就けられるようにします。(創世記 40:15; 41:41-43。詩編 105:17,18)忍耐が報われたヨセフは,自分に与えられた権威を使って神の民を救うことができました。(創世記 45:5-8)

      ヨセフは不当に牢獄に入れられた

      3. 私たち皆が,公正に扱ってほしいと思うのはどうしてですか。

      3 こうした記録は心の支えになるのではないでしょうか。誰もが不公正を目にしたり,自分自身が不公平な扱いを受けたりしたことがあるでしょう。私たちは皆,公正に扱ってほしいと思っています。神に似た者として造られ,エホバと同じような公正の感覚を持っているからです。公正は,エホバの主な性質の1つです。(創世記 1:27)エホバを十分に知るには,エホバの公正さについても理解する必要があります。そうすると,エホバがいかに素晴らしい方かが分かり,いっそうエホバに引き付けられます。

      公正とは何か

      4. 一般的に,公正とはどういうものだと理解されていますか。

      4 一般的に,公正とは法律を公平に適用することと理解されています。「正義と理性 ― 理論と実践における倫理」(英語)という本には,「公正は,法,責務,権利,義務と結び付いており,人を功罪に基づいて平等に裁くことである」と書かれています。しかし,エホバにとって公正とは,単に義務感や責任感から規定を淡々と適用するということではありません。

      5-6. (ア)「公正」と訳される原語にはどんな意味がありますか。(イ)神が公正な方であるとはどういう意味ですか。

      5 エホバの公正について十分に理解するには,聖書で使われている原語を調べることが役立ちます。ヘブライ語聖書では,主に3つの言葉が関係しています。「公正」と訳されることが一番多い言葉は,「正しいこと」とも訳せます。(創世記 18:25)ほかの2つの言葉はたいてい「正しさ」や「正義」と訳されます。ギリシャ語聖書で「正しさ」や「正義」と訳されている言葉は,「正しい,もしくは公正であること」と定義されています。ですから,正しさ,正義,公正は,だいたい同じ意味だと言えます。(アモス 5:24)

      6 それで,神が公正な方であるとは,神が常に正しくて公平なことを行い,決して不公平なことをしないという意味です。(ローマ 2:11)忠実なエリフはこう言いました。「真の神が悪を行ったり,全能者が不正を行ったりすることなどあり得ません!」(ヨブ 34:10)実際,エホバは不公正なことを一切行えません。それはなぜなのか,2つの重要な理由を考えましょう。

      7-8. (ア)エホバが不公正なことを行えない1つ目の理由は何ですか。(イ)2つ目の理由は何ですか。

      7 1つ目の理由は,神が聖なる方だからです。第3章で考えたように,エホバは限りなく清く正しい方です。ですから,正しくないことをすることができません。天のお父さんの神聖さについて考えると,子供である私たちを決して不当に扱ったりはしないと確信できます。そのことをよく分かっていたイエスは,地上での最後の晩にこう祈りました。「聖なる父よ,あなた……のお名前のためにこの人たち[弟子たち]を見守ってください」。(ヨハネ 17:11)聖書の中で,「聖なる父」と呼ばれているのはエホバだけです。エホバは,どんな人間の父親よりもはるかに聖なる方だからです。完全に清く,全く罪のない方なので,イエスは弟子たちが父のもとで安心できることを確信していました。(マタイ 23:9)

      8 神がいつでも公正である2つ目の理由は,利他的な愛が神の本質だからです。不公正の根底にあるのは貪欲や利己心で,愛とは真逆のものです。ですから,愛にあふれる神には,差別やえこひいきといった不公正なことはできません。聖書によると,愛の神である「エホバは正しい方であり,正しい行いを愛する」方です。(詩編 11:7)エホバ自身も,「私エホバは公正を愛し[て]いる」と言っています。(イザヤ 61:8)私たちの神がいつも喜んで正しいことをしてくれると知ると,心強く感じるのではないでしょうか。(エレミヤ 9:24)

      憐れみと,エホバの完全な公正

      9-11. (ア)エホバの公正と憐れみはどんな関係にありますか。(イ)エホバの公正と憐れみが同時に表れているどんな例がありますか。

      9 エホバの公正は,他のさまざまな素晴らしい性質と同じく完全で,欠けたところがありません。モーセはエホバを賛美してこう書きました。「神は岩のような方で,行うことは完全,神の道は全て公正である。決して不公正ではなく,信頼できる神。正しく,真っすぐな方」。(申命記 32:3,4)いつでも公正なエホバは,甘過ぎることも厳し過ぎることもありません。

      10 エホバの公正は,憐れみと結び付いています。詩編 116編5節にはこう書かれています。「エホバは思いやりがあり,正しい方。私たちの神は憐れみ深い」。神が憐れみを示すのは,公正だけだと厳し過ぎるので,憐れみによって和らげる必要があるからではありません。神が行うことはいつも公正であるだけでなく,同時に憐れみ深くもあるのです。1つの例を考えてみましょう。

      11 全ての人は罪を受け継いでいるので,死ぬことになっています。罪に対する罰は死だからです。(ローマ 5:12)神は聖なる方なので,罪を大目に見ることはできません。しかし,エホバは罪人の死を喜びません。「快く許す神で,思いやりと憐れみがあ[る]」方でもあるからです。(ネヘミヤ 9:17)では,罪を受け継いでいる人間に,どうすれば憐れみを示せるでしょうか。エホバは人間を救うために,贖いという素晴らしい贈り物を与えてくださいました。この貴重な真理については第14章で詳しく取り上げますが,贖いは最高に公正で憐れみ深いものだと言えます。贖いによって,エホバは自分の完全な公正の基準を守りつつ,悔い改めた罪人に優しい憐れみを示すことができます。(ローマ 3:21-26)

      エホバの公正は人を引き付ける

      12-13. (ア)私たちがエホバの公正に引き付けられるのはどうしてですか。(イ)ダビデはエホバの公正についてどんなことを書いていますか。それが心強いのはどうしてですか。

      12 エホバの公正は,人を遠ざけるような冷たいものではなく,私たちを引き付ける温かいものです。聖書を読むと分かるように,エホバが公正を表す時にはいつも愛や思いやりがあふれています。幾つかの例を考えてみましょう。

      13 完全に公正な方であるエホバは,自分に仕える人たちに友として揺るぎない愛を示します。詩編作者ダビデはそのことを実感しました。実体験と,神について学んだことに基づいて,こう書いています。「エホバは公正を愛する方。ご自分に尽くす人を見捨てることはない。その人たちはいつも守られる」。(詩編 37:28)本当に心強い言葉です。私たちの神は,自分に尽くす人たちを決して見捨てません。公正であるからこそ,いつもそばにいて愛情深く世話してくれるのです。(格言 2:7,8)

      14. 恵まれない人たちをエホバが気に掛けていることは,律法からどのように分かりますか。

      14 公正な神は,恵まれない人たちや苦しんでいる人たちを気に掛けています。そのことは,イスラエルに与えた律法にもはっきり表れています。例えば,孤児ややもめが特別な配慮を受けられるようになっていました。(申命記 24:17-21)エホバはそういう人たちの生活がどれほど大変かを知っていたので,自らその人たちの保護者になり,「父親のいない子供ややもめが公正な裁きを受けられるように」しました。a (申命記 10:18。詩編 68:5)そしてイスラエル人たちに,もし無力な女性や子供を苦しめるようなことがあれば,自分は間違いなくその人たちの叫びを聞いて「怒りに燃え[る]」と言いました。(出エジプト記 22:22-24)エホバはすぐに怒る方ではありませんが,誰かが故意に不公正なことをしたときには正当な怒りを感じます。弱い立場の人が被害を受けた場合は特にそうです。(詩編 103:6)

      15-16. エホバが公平であることは,どんな事実からも分かりますか。

      15 さらにエホバは,「誰をも不公平に扱わず,賄賂を受け取りません」。(申命記 10:17)権力を持つ人は多くの場合,裕福な人や著名人を優遇したりしますが,エホバは偏見やえこひいきとは無縁です。そのことは,次の素晴らしい事実からも分かります。エホバを崇拝して永遠に生きる機会は,選ばれた少数の人たちだけに開かれているのではありません。「神を畏れて正しいことを行う人はどの国の人でも神に受け入れられるのです」。(使徒 10:34,35)社会的地位,肌の色,住んでいる国などに関係なく,全ての人に喜ばしい見込みがあります。エホバは本当に公正な方ではないでしょうか。

      16 エホバの完全な公正の別の面も取り上げましょう。エホバの正しい基準に従わない人たちを大目に見ないということです。そのことについて考えると,エホバへの敬意の気持ちが湧いてきます。

      罪を大目に見ない

      17. 悪いことがあるからといって神の公正を疑問視するのは間違っています。どうしてですか。

      17 「正しくないことを神が大目に見ないのであれば,どうして今の世の中には苦しみや不正があふれているのか」と考える人もいます。でも,悪いことがあるからといって神の公正を疑問視するのは間違っています。この悪い世の中で不公正なことがいろいろ起きるのは大抵,人がアダムから受け継いだ罪のせいです。問題は,不完全な人間が自らエホバに背いてきたことです。しかし,この悪い状態がいつまでも続くことはありません。(申命記 32:5)

      18-19. エホバは自分の律法にわざと違反する人たちをいつまでも放っておくことはしません。どんな例からそのことが分かりますか。

      18 エホバは,自分に誠実に近づく人たちに大きな憐れみを示しますが,自分の聖なる名を軽視する人たちをいつまでも放っておくことはしません。(詩編 74:10,22,23)公正な神は,自分をあざける人たちを大目に見ません。故意に罪を犯して処罰を受けるべき人をかばうことはありません。エホバは「憐れみ深く,思いやりがある神,すぐに怒らず,揺るぎない愛に満ち,常に信頼できる」方ですが,「罪がある人を処罰しないことは決して」ありません。(出エジプト記 34:6,7)過去にも,自分の律法にわざと違反した人たちを処罰しました。

      19 古代イスラエル人の例を考えてみましょう。約束の地に定住した後も,イスラエル人たちは繰り返し神に背きました。エホバは民の悪い行いに「傷つけ」られましたが,すぐに彼らを見捨てたりはしませんでした。(詩編 78:38-41)憐れみを示し,生き方を改める機会を与え,民にこう訴え掛けました。「生きている私自身に懸けて誓う。私は悪い人の死を喜ばず,かえって,悪い人が生き方を変えて生き続けることを喜ぶ。悔い改めて,悪い行いをやめなさい。イスラエル国民よ,あなたたちが死ぬようなことがあってよいだろうか」。(エゼキエル 33:11)エホバは人の命を大切に思っているので,イスラエル人たちが悪い生き方をやめることを願って,何度も預言者を遣わしました。しかし,大半の人は頑固で,聞こうとせず,悔い改めませんでした。それで,エホバは自分が聖なる公正な神であることを明らかにするために,やむを得ず民が敵に征服されるようにしました。(ネヘミヤ 9:26-30)

      20. (ア)エホバがイスラエル人にどう接したかを考えると,エホバについてどんなことが分かりますか。(イ)ライオンがエホバと結び付けられているのが適切なのはどうしてですか。

      20 エホバがイスラエル人にどう接したかを考えると,エホバについて多くのことが分かります。エホバは全てを見ていて,正しくないことを見るととても悲しみます。(格言 15:3)でも,急いで処罰しようとはせず,できる限り憐れみを示そうとします。そのように辛抱強い神なので,私たちは安心できます。とはいえ,神が悪い人たちを処罰しないということは決してありません。イスラエルの歴史から,神の辛抱には限界があることも分かります。エホバは正しいことが必ず行われるように見届ける方です。物事を正すことをためらいがちな人間とは違い,エホバは正しさを貫く勇気に欠けることはありません。そのため,聖書の中で,勇敢に示される公正を象徴するライオンがエホバと結び付けられています。b (エゼキエル 1:10。啓示 4:7)ですから私たちは,地球から不公正を取り除くというエホバの約束が果たされることを確信できます。神の裁き方を要約すると,必要な場合にはきっぱりと正し,可能な場合にはいつでも憐れみを示す,と言えます。(ペテロ第二 3:9)

      公正な神との絆を強める

      21. エホバがどのように公正を表すかをじっくり考えると,エホバがどんな方だと分かりますか。

      21 エホバがどのように公正を表すかをじっくり考えると,どんな方だということが分かるでしょうか。エホバは,悪人を処罰することにしか関心がない,冷たくて厳しい裁判官のようではありません。愛情深くも毅然としている父親のように,いつも子供たちにとって一番良いことをしてくれます。公正なお父さんであるエホバは,正しいことを貫くと同時に,地上の子供たちに優しい思いやりを示します。私たちが助けや許しを必要としていることを知っているからです。(詩編 103:10,13)

      22. エホバは公正な方だからこそ,私たちがどんな見込みを持てるようにしてくれましたか。それはどんなことを願っているからですか。

      22 神の公正には悪人を処罰する以上のことが含まれていると分かると,本当にうれしい気持ちになります。エホバは公正な方だからこそ,私たちが素晴らしい見込みを持てるようにしてくれました。「正しいことが行き渡[る]」世界で,完全な人間として永遠に生きるという見込みです。(ペテロ第二 3:13)公正な神が願っているのは,人々を処罰することではなく,救うことなのです。エホバの公正についての理解が深まると,確かにエホバに引き付けられます。続く幾つかの章でも,エホバの公正がどれほど魅力的なものかをさらに詳しく考えます。

      a 「父親のいない子供」とある通り,エホバは孤児の男の子だけでなく女の子のことも深く気遣っていました。聖書に記録されているように,エホバは父親ツェロフハドを亡くした娘たちが相続地をもらえるようにしました。その決定は法令になり,父親のいない女の子の権利が守られました。(民数記 27:1-8)

      b 例えば,不忠実なイスラエルを処罰するエホバが,ライオンに例えられています。(エレミヤ 25:38。ホセア 5:14)

      じっくり考えたいこと

      • エレミヤ 18:1-11 エホバは,人をすぐに処罰したいと思っているわけではないことを,どのようにエレミヤに教えましたか。

      • ハバクク 1:1-4,13; 2:2-4 エホバは,不公正をいつまでも放ってはおかないことを,どのようにハバククに伝えましたか。

      • ゼカリヤ 7:8-14 他の人を不当に扱う人たちについて,エホバはどう感じますか。

      • ローマ 2:3-11 エホバは人や国をどんなことに基づいて裁きますか。

  • 「神に不正なところがあるのですか」
    エホバに近づきなさい
    • ロトと2人の娘が無事にゾアルにたどり着き,ソドムとゴモラに硫黄と火が降り注いでいる。

      第12章

      「神に不正なところがあるのですか」

      1. 不公正なことがあると,人は普通どう感じますか。

      夫を亡くした高齢の女性が,老後の蓄えをだまし取られます。無力な赤ちゃんが,親に捨てられます。何も悪いことをしていない男性が,罪を着せられて刑務所に入れられます。こういう話を聞くと,胸が痛むのではないでしょうか。それはもっともなことです。人間は普通,何が正しくて何が間違っているかについて鋭い感覚を持っているからです。不公正なことがあると腹立たしく感じ,被害者が補償を受けて加害者が罰せられることを期待します。そうならないと,「神は見ていないのか。どうして行動しないのか」と思うかもしれません。

      2. ハバククは不公正を見てどう反応しましたか。エホバがハバククを叱ったりしなかったのはどうしてですか。

      2 聖書を読むと分かるように,エホバに忠実に仕えた人たちも同じような疑問を持つことがありました。例えば,預言者ハバククは神にこう祈りました。「こうした甚だしい不正をわたしにお見せになるのはなぜですか。暴虐,不法,犯罪,残虐行為が至る所に広がるのを許しておられるのはなぜですか」。(ハバクク 1:3,「現代英語訳」)このように率直に尋ねたハバククを,エホバは叱ったりしませんでした。エホバ自身が,自分と同じような公正の感覚を持つように人間を造ったからです。

      エホバは不公正を憎む

      3. エホバは私たちよりも不公正についてよく知っている,と言えるのはどうしてですか。

      3 エホバは世の中の不公正を見ています。ノアの時代について,聖書にはこう書かれています。「エホバは,地上の人々がひどく邪悪で,考え方全てが常に悪いのを見た」。(創世記 6:5)このことから何が分かるでしょうか。私たちの場合,不公正について,自分が見聞きしたことや体験したことぐらいしか知りません。でもエホバは,世界中の不公正を全て把握しています。それだけでなく,不公正な行為につながる悪い考え方も見抜くことができます。(エレミヤ 17:10)

      4-5. (ア)不公正に苦しむ人たちのことをエホバが気に掛けていることが,聖書からどのように分かりますか。(イ)エホバ自身がどんな不公正を経験してきましたか。

      4 エホバは単に不公正を見ているだけではありません。不公正に苦しむ人たちのことを気に掛けています。自分の民が敵の国々から残酷な扱いを受けた時,エホバは「圧迫する人や虐げる人たちのために彼らがうめく」のを見て悲しみました。(裁き人 2:18)人は不公正を見れば見るほど感覚がまひして気にしなくなりがちですが,エホバはそうではありません。6000年余りの間あらゆる不公正を見てきましたが,不公正に対する憎しみは薄れていません。聖書によると今でも,「うそをつく舌」,「無実の人の血を流す手」,「うそばかり言う不正直な証人」などをひどく嫌っています。(格言 6:16-19)

      5 エホバはイスラエルの不公正な指導者たちのことも強く非難しました。自分の預言者を聖なる力によって導き,「あなたたちは公正とは何かを知っているべきではないか」と尋ねさせました。そして,指導者たちが権力を乱用してきたことを生々しい言葉で表現した後,その悪い人たちがどうなるかについてこう予告しました。「彼らはエホバに助けを求めても,答えてもらえない。神はその時,彼らから顔を隠す。彼らが悪を行ったからだ」。(ミカ 3:1-4)エホバが不公正をいかに嫌っているかがよく分かります。何と言っても,エホバ自身が不公正を経験してきました。何千年もの間,サタンから不当にもあざけられてきました。(格言 27:11)また,「罪を犯さ」なかった独り子が犯罪者として処刑されるという,極めて不公正で恐ろしい出来事に胸を痛めました。(ペテロ第一 2:22。イザヤ 53:9)だからこそ,不公正に苦しむ人たちのことを深く気遣っているのです。

      6. 私たちは不公正に直面するとどう感じますか。どうしてですか。

      6 そのことをよく分かっていても,私たちは不公正を目にしたり不公正な扱いを受けたりすると,憤りを感じます。それは無理もないことです。私たちは神に似た者として造られていて,不公正は神の素晴らしい性格とは正反対のものだからです。(創世記 1:27)では,神はなぜ不公正が広まるままにしているのでしょうか。

      最も重要な問題

      7. どんな出来事により,エホバの名声が傷つけられ,エホバの治め方が疑問視されましたか。

      7 神が不公正をそのままにしていることには,重要な問題が関係しています。すでに考えた通り,創造者には地球を治める権利があります。(詩編 24:1。啓示 4:11)ところが,人間が創造されて間もなく,エホバの名声が傷つけられ,エホバの治め方が疑問視されました。何があったのでしょうか。エホバは最初の人間アダムに,エデンの園にあった1本の木の実は食べてはならないと命じました。そして,もし従わなければ「あなたは必ず死ぬ」と告げました。(創世記 2:17)神の命令に従うことは,アダムや妻のエバにとって難しいことではありませんでした。しかしサタンが,神は厳し過ぎるとエバに思い込ませ,その木の実を食べたらどうなるかについて次のようなうそをつきました。「あなたたちは決して死にません。その木の実を食べた日に,目が開かれ,あなたたちが神のようになって善悪を知るようになることを神は知っているのです」。(創世記 3:1-5)

      8. (ア)サタンはエバに言った言葉の中でどんなことをほのめかしましたか。(イ)サタンは神の名や主権に関してどんな疑問を投げ掛けましたか。

      8 サタンは,エホバが重要なことを隠しているだけでなく,うそもついている,とほのめかしました。エホバという名の神が本当に善い方なのか,エバに疑いを抱かせたのです。そのようにして,神の名を傷つけました。また,エホバの治め方に疑問を投げ掛けました。神が主権者だという事実に異議を唱えたのではなく,神の主権の正当性を問題にしました。つまり,エホバが主権者として正しく統治しておらず,治められている者たちのためになっていない,と主張したのです。

      9. (ア)アダムとエバは神に背いた結果どうなりましたか。どんな疑問が生じましたか。(イ)エホバが反逆者たちをすぐに滅ぼさなかったのはどうしてですか。

      9 その後,アダムもエバも禁じられていた木の実を食べて,エホバに背きました。結果として,神から言われていた通り,罰として死ぬことになりました。サタンのうそにより,幾つかの重要な疑問が生じました。エホバには人間を治める権利が本当にあるのでしょうか。それとも,人間が自分たちを治めた方がよいのでしょうか。エホバは主権者として最善の治め方をしているでしょうか。エホバは全能の力を使って,反逆者たちをその場で滅ぼすこともできました。しかし,問題となっていたのは神の力ではなく,神の治め方でした。神が主権者としての名声にふさわしい方かどうかが問われていたのです。アダムとエバとサタンを滅ぼしても,神の治め方が正しいことは証明されなかったでしょう。むしろ,神による統治が良いものかどうかに対する疑念が深まったかもしれません。人間が神から独立して自分たちをきちんと治められるかどうかの答えを出す唯一の方法は,しばらくやらせてみることでした。

      10. 人間の支配について,どんなことが明らかになりましたか。

      10 時の経過により,どんなことが明らかになったでしょうか。人間は何千年もの間,専制政治,民主主義,社会主義,共産主義など,いろいろな政治形態を試してきました。その結果について,聖書にこう要約されています。「人は人を支配し,人に害を及ぼしてきた」。(伝道の書 8:9)預言者エレミヤが次のように述べたのも納得できます。「エホバ,私はよく知っています。人は自分の道を定めることができません。自分で自分の歩みを導くことができないのです」。(エレミヤ 10:23)

      11. エホバがあえて人間が苦しむままにしたのはどうしてですか。

      11 人間が神から独立して自分たちを治めようとすると,とても苦しむことになる,ということをエホバは最初から知っていました。では,そうなると分かっていたのにあえて人間が苦しむままにしたのは,不公正なことだったのでしょうか。そうではありません。例えで考えてみましょう。あなたのお子さんが,命に関わる病気の治療のために手術を受ける必要があるとします。お子さんが手術のために苦しい思いをすることを考えると,胸が痛むでしょう。でも同時に,その手術によってお子さんが健康に暮らせるようになることも知っています。同じように神も,人間に支配をさせれば皆が苦しい思いをすることになると分かっていて,そのことを予告してもいました。(創世記 3:16-19)でも,人間がいつまでも幸せに暮らせるようにするには,反逆の悪い結果を全ての人に見させる必要がある,ということも分かっていました。そうすれば,問題が恒久的に解決されます。

      人間の忠誠も疑問視された

      12. ヨブの例から分かるように,サタンは人間についてどんなことを主張しましたか。

      12 この問題には,もう1つの側面があります。サタンは,神が主権を持つのは正当ではない,神はその名声にふさわしくないと主張して,エホバを中傷しただけでなく,エホバに仕える人たちのことも中傷しました。彼らが神に忠誠を尽くすことはないと主張したのです。例えば,ヨブについてエホバにこう言いました。「彼も家族も全ての持ち物も,あなたが柵で囲んで守ったのではありませんか。あなたの祝福によって彼の仕事はうまく運び,家畜は非常に多くなりました。試しに,あなたの手を出して,彼の持つもの全てを破壊してください。彼はきっと面と向かってあなたを侮辱します」。(ヨブ 1:10,11)

      13. サタンはヨブについてどんなことをほのめかしましたか。ほかの人間全てについてはどうですか。

      13 サタンは,エホバがヨブを保護することによって,自分に仕えるように仕向けている,と言い張りました。ヨブの忠誠は見せ掛けにすぎず,見返りがあるから神を崇拝しているだけだ,とほのめかしたのです。もし神の祝福を失えば,たとえヨブでも神に背を向けるだろう,と主張していました。サタンは,ヨブが「神に忠誠を尽くす正直な人で,神を畏れ,悪から離れている」際立った人だと知っていました。a ですから,ヨブに忠誠心を捨てさせることができれば,ほかの人間全てにもそうできると考えたことでしょう。このようにサタンは,神に仕えたいと思う人たち皆の忠誠を疑問視していました。実際,エホバにこう言っています。「人は自分の命を守るために,自分が持つもの全てを差し出します」。(ヨブ 1:8; 2:4)

      14. サタンの主張とは逆に,大勢の人がどんな生き方をしてきましたか。

      14 サタンの主張とは逆に,これまで大勢の人が,試練に遭ってもヨブのようにエホバへの忠誠を貫いてきました。そのような忠実な生き方は,エホバの心を喜ばせてきました。そして,人間は苦難に遭えば神に仕えるのをやめる,と言ってエホバをあざけってきたサタンに対する答えとなってきました。(ヘブライ 11:4-38)正しい心を持つ人たちは,神に背を向けたりはしません。とてもつらい目に遭っても,なおのことエホバに頼り,耐え忍ぶための力を願い求めます。(コリント第二 4:7-10)

      15. 神の裁きについて,どんな疑問を持つ人がいるかもしれませんか。

      15 エホバの主権や人間の忠誠の問題について考えても,エホバが公正に物事を扱うことが分かります。ほかにもどんな例があるでしょうか。聖書には,エホバが個人や国民全体を裁いた例がたくさん記録されています。また,将来に人々を裁くことについての預言も書かれています。エホバがこれまで正しく裁いてきたことや,これからも正しく裁くことを確信できるのはどうしてでしょうか。

      神の裁きは常に正しい

      ロトと2人の娘が無事にゾアルにたどり着き,ソドムとゴモラに硫黄と火が降り注いでいる。後ろの方に,塩の柱になったロトの妻が見える。

      エホバが「邪悪な人と一緒に正しい人も滅ぼ[す]」ことはない

      16-17. 人間は視野が狭く,公正な判断ができない場合があることが,どんな例から分かりますか。

      16 聖書に「神の道は全て公正である」と書かれている通り,エホバは完全に公正な方です。(申命記 32:4)人間は完全に公正だとは到底言えません。視野が狭く,何が正しいかをうまく判断できないことが多いからです。アブラハムの例を考えてみましょう。ソドムの人々が非常に悪かったにもかかわらず,アブラハムはソドムを滅ぼすことを思いとどまってほしいとエホバに嘆願しました。「あなたは本当に,邪悪な人と一緒に正しい人も滅ぼされるのですか」と尋ねています。(創世記 18:23-33)もちろんエホバはそんなことはしません。「ソドム……に硫黄と火を降らせた」のは,正しい人だったロトと娘たちがゾアルという町に無事にたどり着いてからのことでした。(創世記 19:22-24)ヨナの例も考えてみましょう。ヨナは,神がニネベの人々に憐れみを示した時,「激しく怒」りました。ニネベは滅びると宣言していたので,自分が言った通りになるものと思っていたからです。人々が心から悔い改めたことは気に掛けていませんでした。(ヨナ 3:10–4:1)

      17 アブラハムは,エホバは公正なので悪い人たちを滅ぼすだけでなく,必ず正しい人たちを救う,ということを学びました。ヨナは,エホバが憐れみ深い方だということを学びました。悪い人が生き方を改めるなら,エホバは「快く許し」ます。(詩編 86:5)人間とは違って,エホバは自分の力を見せつけるためだけに人を処罰することも,弱いと思われたくないので人を許さないということもありません。妥当な理由がある場合には,いつでも憐れみを示します。(イザヤ 55:7。エゼキエル 18:23)

      18. エホバは優し過ぎて判断が曇ったり,性急に判断したりはしません。聖書のどんな例からそのことが分かりますか。

      18 エホバは,優し過ぎて判断が曇るということもありません。自分の民が偶像崇拝をやめようとしなかった時,エホバはきっぱりとこう言いました。「私は……あなたの歩みに応じた裁きを下し,あらゆる忌まわしい行いの責任を問う。私の目はあなたを惜しまず,私は同情しない。あなたは自分の歩みの報いを受け[る]」。(エゼキエル 7:3,4)人が悪い行いをやめようとしないなら,エホバは相応の罰を与えます。でもそれも確かな証拠がある場合だけです。ソドムとゴモラについての大きな苦情の叫びを聞いた時,エホバはこう言いました。「私は下っていって確かめます。私に届いた叫び通りのことが起きているかどうかを知りたいのです」。(創世記 18:20,21)ありがたいことにエホバは,全ての事実を確かめる前に判断したりはしません。聖書に書かれている通り,「決して不公正ではなく,信頼できる神」です。(申命記 32:4)

      エホバの公正さを確信する

      19. エホバの行動の意味がよく分からなくて戸惑う場合,どう考えたらいいですか。

      19 聖書は,エホバの過去の行動について,あらゆる疑問に答えているわけではありません。また,将来エホバが人をどのように裁くかについて,事細かに説明しているわけでもありません。聖書を読んでいて,ある出来事や預言の意味がよく分からなくて戸惑ったとしても,預言者ミカのように神を信頼しましょう。「救いの神を辛抱強く待つ」という考え方が大切です。(ミカ 7:7)

      20-21. エホバはいつでも正しいことをすると確信できるのはどうしてですか。

      20 エホバはどんな場合にも正しいことをする,と確信できます。人間は不公正を正そうとしないことがありますが,エホバは「復讐は私がすることであり,私が報復する」と約束しています。(ローマ 12:19)神を辛抱強く待ち,使徒パウロのような強い確信を表しましょう。パウロはこう言いました。「神に不正なところがあるのですか。決してそのようなことはありません!」(ローマ 9:14)

      21 今は「困難で危機的な時」です。(テモテ第二 3:1)不公正や「虐げの行為」がますますひどくなっていて,多くの人が苦しんでいます。(伝道の書 4:1)しかし,エホバは変わっていません。今でも不公正を憎み,その被害を受けている人たちを深く気遣っています。私たちがエホバから離れず,エホバの主権を支持し続けるなら,王国の統治の下で全ての不公正が正される時まで忍耐できるように力を与えてくださいます。(ペテロ第一 5:6,7)

      a エホバはヨブについて,「地上に彼のような人はほかにいない」と言いました。(ヨブ 1:8)ヨブが生きていたのは,ヨセフの死後,モーセがイスラエルの指導者として任命される前のことだったようです。それで当時は確かに,ヨブのように神に忠誠を尽くす人はほかにいませんでした。

      じっくり考えたいこと

      • 申命記 10:17-19 エホバがどんな人にも公平だと確信できるのはどうしてですか。

      • ヨブ 34:1-12 不公正な目に遭ったとしても,それは神のせいではありません。エリフの言葉から,その確信はどのように強まりますか。

      • 詩編 1:1-6 正しい人と悪い人の行いをエホバがよく見ていることを考えると,安心できるのはどうしてですか。

      • マラキ 2:13-16 イスラエル人の男性が正当な理由もなく妻と離婚するのを見て,エホバはどう感じましたか。

  • 「エホバの律法は完全」
    エホバに近づきなさい
    • モーセが十戒の書かれた2枚の石板を持っている。

      第13章

      「エホバの律法は完全」

      1-2. 法を軽視する人が多いのはどうしてですか。神の律法についてはどのように感じる人がいますか。

      「法は底なしの穴……のように全てをのみ込む」。これは1712年に発行された本の一文です。この本の著者は,当時の法制度に苦言を呈しました。訴訟が長引いて何年もかかり,公正な裁きを求めて訴えた人が破産してしまうこともあったからです。今でも多くの国で,法律や司法制度が非常に複雑で,不公正や偏見や矛盾だらけなので,法を軽視する風潮が広まっています。

      2 そうした態度とは対照的に,ある詩編作者は約2700年前にこう書きました。「私はあなたの律法を愛してやまない!」(詩編 119:97)この人がそう強く思ったのはどうしてでしょうか。ここで言っている法を作ったのが人間の政府ではなく,エホバ神だからです。あなたもエホバの律法について学ぶと,宇宙で最高の法律家である神の考え方が分かって,この詩編作者と同じ気持ちになることでしょう。

      法を定める至高の方

      3-4. エホバが確かに法を定める方であることは,どんな例から分かりますか。

      3 聖書によると,「法を定める方,裁く方はただひとりです」。(ヤコブ 4:12)宇宙全体のための法を定める権利があるのは,創造者であるエホバだけです。「天体を統御する法則」も作りました。(ヨブ 38:33)無数の聖なる天使たちも,神の法の下にいます。幾つかの階級があって,エホバの命令に従って奉仕しています。(詩編 104:4。ヘブライ 1:7,14)

      4 エホバは人間にも法を与えています。一人一人が持っている良心は,いわば心の中にある法のようです。良心にはエホバの公正の感覚が表れていて,何が正しくて何が間違っているかを見分けるのに役立ちます。(ローマ 2:14)完全な良心を与えられていたアダムとエバには,多くの法は必要ありませんでした。(創世記 2:15-17)しかし,不完全な人間は,エホバの望むことを行えるように,もっと多くの法を必要としています。ノア,アブラハム,ヤコブなどの族長たちは,エホバ神から法を与えられ,家族に伝えました。(創世記 6:22; 9:3-6; 18:19; 26:4,5)そして,モーセを通してイスラエル国民に律法が与えられた時,エホバが法を定める方であることがかつてなくはっきりと示されました。その律法から,エホバにとって公正とはどういうものかがよく分かります。

      モーセの律法の概要

      5. モーセの律法は複雑で難し過ぎるものではない,と言えるのはどうしてですか。

      5 多くの人がモーセの律法は複雑で難し過ぎると思っているようですが,それは事実とは懸け離れています。600余りの法が収められているので多いと感じるかもしれませんが,次の点を考えてみてください。20世紀末の時点で,米国の連邦法を収めた法律書は15万ページを超えていました。しかも,2年ごとに600ほどの法が加えられています。ですから,人間が作った膨大な量の法律と比べると,モーセの律法にはごくわずかな法しかありません。とはいえ神の律法は,現代の法律では全く触れられていないような分野でもイスラエル人に指針を与えていました。概要を考えてみましょう。

      6-7. (ア)モーセの律法はどんな点で人間の法律とは全く違いますか。律法の最も重要な法は何ですか。(イ)イスラエル人たちはどうすればエホバの主権を受け入れていることを示せましたか。

      6 律法は主権者であるエホバに従うよう教えた。この点で,モーセの律法は人間が作ったどんな法律とも全く違います。最も重要な法はこう述べています。「聞きなさい,イスラエル,私たちの神エホバはただひとりのエホバです。あなたは,心を尽くし,力を尽くし,自分の全てを尽くして,あなたの神エホバを愛さなければなりません」。神の民は,神への愛をどのように表したのでしょうか。主権者である神に従い,仕えることによってです。(申命記 6:4,5; 11:13)

      7 イスラエル人がエホバの主権を受け入れていることを示すには,エホバから権威を与えられている人たちに従う必要がありました。例えば,親,長,裁き人,祭司,また後代の王たちなどです。そのような人たちに反抗するなら,エホバに反抗していると見なされました。一方,権威を与えられた人たちは,自分に従う人たちを不当に扱うなら,エホバの怒りを買うことになりました。(出エジプト記 20:12; 22:28。申命記 1:16,17; 17:8-20; 19:16,17)ですから,どちらの側にも責任があり,皆が神の主権を支持しなければなりませんでした。

      8. 律法は,イスラエル人が神聖さに関するエホバの基準を守るのにどう役立ちましたか。

      8 律法は神聖さに関するエホバの基準を守るよう教えた。「神聖」や「聖なる」という言葉は,モーセの律法の中に280回以上出てきます。律法には汚れの原因となる事柄が70ほど挙げられていて,何が清くて何が汚れているかを見分けるのに役立ちました。法の中には,身体衛生,食生活,廃棄物について指示しているものもあり,イスラエル人の健康を守りました。a しかし,そうした法にはもっと重要な目的がありました。民が周囲の堕落した国々の罪深い行いから離れて,エホバに喜ばれるようにするということです。1つの例を考えましょう。

      9-10. 律法契約には性関係や出産に関するどんな法令が含まれていましたか。そうした法はどのように役立ちましたか。

      9 律法によると,人は夫婦間の性関係や出産によって,しばらくの間汚れた人となりました。(レビ記 12:2-4; 15:16-18)とはいえ,夫婦間の性関係や出産が神からの清い贈り物であることに変わりはありませんでした。(創世記 1:28; 2:18-25)そうした法は,エホバの神聖さの基準を守れるように民を助け,悪影響から守りました。イスラエルの周囲の国々では多くの場合,神々を崇拝する時に多産を願う儀式を行い,性関係を持っていました。カナン人の宗教では,男性も女性も売春を行い,大勢の人々が非常にみだらな行為をしていました。対照的に,律法のおかげで,エホバへの崇拝に性的な事柄が入り込む余地はありませんでした。b 性関係や出産に関する法は,別の面でも役に立ちました。

      10 それらの法は,民に重要な真理を教えました。c アダムの罪は,性関係と出産によって子孫に受け継がれていきます。(ローマ 5:12)ですから神の律法は,民に自分たちが罪深いことを常に意識させました。全ての人は,生まれながらに罪人です。(詩編 51:5)聖なる神に近づくには,罪を許してもらい,贖ってもらう必要があります。

      11-12. (ア)律法には公正に関係するどんな原則が見られますか。(イ)律法には不公正を防止するどんな規定がありましたか。

      11 律法はエホバの完全な公正がどういうものかを教えた。モーセの律法は,処罰が犯罪に見合ったものでなければならないことを示していました。「命には命,目には目,歯には歯,手には手,足には足です」と書かれています。(申命記 19:21)等しい価値のものを差し出すというこの原則は,律法全体に見られます。それは神の公正の重要な一面であり,キリスト・イエスの贖いの犠牲について理解するのに欠かせません。そのことは第14章で取り上げます。(テモテ第一 2:5,6)

      12 律法には,不公正を防止する規定もありました。例えば,誰かを有罪とするには少なくとも2人の証人が必要でした。偽証は厳しく罰せられました。(申命記 19:15,18,19)賄賂を贈ったり受け取ったりすることも厳しく禁じられていました。(出エジプト記 23:8。申命記 27:25)商売をする時にも,民はエホバの公正の高い基準を守らなければなりませんでした。(レビ記 19:35,36。申命記 23:19,20)このように公正な優れた律法により,イスラエル人は善い生き方をするよう助けられました。

      律法の特徴は憐れみと公平さ

      13-14. 律法では,泥棒も被害者もどのように公平に扱われましたか。

      13 モーセの律法は,憐れみに欠けた厳しい規則集ではありません。ダビデ王は聖なる力に導かれて,「エホバの律法は完全」と書きました。(詩編 19:7)ダビデもよく知っていた通り,律法は憐れみを示すことや人を公平に扱うことの大切さを教えています。そのことについて考えましょう。

      14 現在,国によっては,法律によって被害者よりも犯罪者の方が守られているように思えるかもしれません。例えば,泥棒が衣食住のそろった刑務所で過ごす中,被害者は財産を失ったまま,税金を納めて犯罪者を支援しなければならない,ということがあります。モーセの律法では,被害者も犯罪者も公平に扱われました。古代イスラエルには現代のような刑務所はありませんでした。また,処罰が厳しくなり過ぎないように限度が定められていました。(申命記 25:1-3)とはいえ,泥棒は盗んだ物の弁償をしなければなりませんでした。さらに追加の支払いも科されましたが,その額は場合によって異なりました。裁判人たちが,罪人の悔い改めの度合いなど幾つかの要素を考慮に入れて決定したようです。レビ記 6章1-7節で泥棒に求められている賠償額が,出エジプト記 22章7節で言われている額よりずっと少ないのはそのためでしょう。

      15. 誤って誰かを死なせてしまった人は,律法によってどのように憐れみ深く公正な扱いを受けましたか。

      15 律法には,意図せずに罪を犯してしまった場合についての規定もありました。これもエホバの憐れみの表れです。例えば,誤って誰かを死なせてしまった人は,イスラエルに点在する避難の町に逃げれば,「命には命」という原則に基づいて死刑にされずに済みました。裁判人たちによる審理の後,その人は大祭司が死ぬまで避難の町にとどまらなければなりませんでした。その後は,どこでも自由に暮らせました。このようにして,その人は神の憐れみの恩恵を受けました。そしてこの法は,人間の命がとても大切であることをはっきり示すものでもありました。(民数記 15:30,31; 35:12-25)

      16. 律法によってどのように個人の権利が守られましたか。

      16 律法によって個人の権利も守られました。負債を抱える人がどのように保護されたかを考えてみましょう。貸したお金の担保となる物を取るために相手の家に入ることは,律法で禁じられていました。お金を貸した人は,借りた人が担保にする物を持ってくるのを外で待たなければなりませんでした。このように,誰も他の人の家に無理やり入ることはできませんでした。お金を貸した人が担保として外衣を預かった場合には,日が沈んだら相手に返さなければなりませんでした。夜間に体を温めるのに外衣が必要だったからです。(申命記 24:10-14)

      17-18. 戦争に関して,イスラエルは他の国々とどのように違っていましたか。

      17 律法には,戦争に関係する規定もありました。神の民は,単に権力欲や征服欲を満足させるために戦うのではなく,それが「エホバの戦い」だということを意識すべきでした。(民数記 21:14)多くの場合,イスラエル人はまず降伏条件を提示しなければなりませんでした。相手が降伏しない場合,町を攻囲することができましたが,神の命令に従ってそうする必要がありました。昔や今の多くの兵士たちとは違って,イスラエル軍の人たちは,女性を暴行したり住民を虐殺したりしてはなりませんでした。環境に配慮することも求められていて,敵の果樹を伐採することは禁じられていました。d そのような制限を課された軍隊はほかにありません。(申命記 20:10-15,19,20; 21:10-13)

      18 幼い子供たちが兵士として訓練されている国もあると聞くと,ぞっとすることでしょう。古代イスラエルでは,20歳未満の男性は徴兵されませんでした。(民数記 1:2,3)成人した男性でも,恐怖で戦えない場合には免除されました。新婚の男性も兵役を1年間免除され,「家にいて,妻を喜ばせる」ことができました。それにより,危険な任務に出掛ける前に跡継ぎの誕生を見ることもできたでしょう。(申命記 20:5,6,8; 24:5)

      19. 律法によって,女性,子供,家族,やもめ,孤児はどのように守られましたか。

      19 律法によって,女性や子供や家族も守られました。親は,子供をいつも見守り,エホバについて教えるよう命じられていました。(申命記 6:6,7)あらゆる近親姦が禁じられ,行った人は死刑になりました。(レビ記 18章)姦淫も禁じられていました。家族をひどく傷つけ,家庭を崩壊させるからです。やもめや孤児のための法もあって,そうした人たちを苦しめてはならないと強い言葉で警告されていました。(出エジプト記 20:14; 22:22-24)

      20-21. (ア)モーセの律法で一夫多妻が認められていたのはどうしてですか。(イ)離婚に関して,律法で認められていたこととイエスが教えたことが違っているのはどうしてですか。

      20 「家族を守るはずの律法が,一夫多妻を認めていたのはなぜだろう」と考える人もいます。(申命記 21:15-17)この点を正しく理解するには,今の時代や文化に基づいてモーセの律法を見るのではなく,当時の状況を考慮に入れる必要があります。(格言 18:13)はるか昔にエデンでエホバが定めた結婚は,1人の夫と1人の妻が永続する絆で結ばれるものでした。(創世記 2:18,20-24)しかし,エホバがイスラエルに律法を与えた頃までには,すでに何世紀にもわたって一夫多妻が定着していました。エホバは,「民が強情」で,おそらく偶像崇拝の禁止といった基本的な命令にさえ従わない場合が多い,ということをよく分かっていました。(出エジプト記 32:9)それで賢明にも,その時代には結婚に関係する間違った慣習を全て正すことはしませんでした。とはいえ,覚えておきたいこととして,エホバが一夫多妻制を導入したわけではありません。むしろエホバは一夫多妻を規制し,女性たちが守られるようにしました。

      21 モーセの律法では,妻に恥ずべき点がある場合,夫が妻と離婚することも認められていました。(申命記 24:1-4)イエスはそのことについて,神がユダヤ人の「頑固さを考えて」譲歩したと説明しています。そうした譲歩は一時的なものでした。イエスは弟子たちに,結婚に関するエホバの当初の基準を守るよう教えました。(マタイ 19:8)

      律法は愛を強調している

      22. モーセの律法ではどのように愛が強調されていますか。誰に愛を表すことになっていましたか。

      22 現代の法律で,人を愛するようにと規定しているものはまずないでしょう。しかしモーセの律法は,何よりも愛を強調しています。申命記だけでも,ヘブライ語で「愛」を意味する言葉が20回余り出てきます。律法の中で2番目に重要なおきては,「仲間を自分自身のように愛さなければならない」というものでした。(レビ記 19:18。マタイ 22:37-40)神の民は,そのような愛を互いに表すだけでなく,外国人居住者にも表すことになっていました。自分たちもかつては外国人居住者だったことを思い出して,愛を表すべきでした。また,貧しい人や立場の弱い人にも愛を表して,その人たちが必要なものを得られるようにし,弱みに付け込んではなりませんでした。家畜にさえ優しくし,気を配るよう指示されていました。(出エジプト記 23:6。レビ記 19:14,33,34。申命記 22:4,10; 24:17,18)

      23. 詩編 119編を書いた人は,どういう気持ちになりましたか。あなたはどうしたいと思いますか。

      23 イスラエル人に与えられた律法は確かに素晴らしいものでした。詩編作者が,「私はあなたの律法を愛してやまない!」と書いたのもうなずけます。詩編作者は単に愛を感じただけでなく,律法に従って生きるよう努力することによって愛を表したいと思いました。そして,こう続けています。「[私はあなたの律法を]一日中じっくり考える」。(詩編 119:11,97)この人は,時間を取ってエホバの律法を学んでいました。その結果,律法を愛する気持ちが強くなっていったに違いありません。同時に,律法を与えてくださったエホバ神への愛も深まったことでしょう。あなたも,神の律法を学び続けるなら,法を定める偉大な方であり公正な神であるエホバとの絆を強めることができます。

      a 例えば,人間の排せつ物を埋めること,病人を隔離すること,死体に触れた人が体を洗うことなどを求める法がありました。そうした法は時代を何世紀も先取りしていました。(レビ記 13:4-8。民数記 19:11-13,17-19。申命記 23:13,14)

      b カナン人の神殿には性的な行為をするための部屋がありましたが,モーセの律法によると人は性関係によってしばらく汚れた人となり,神殿に入ることさえできませんでした。ですから,エホバの家での崇拝の一環として性行為をすることなど考えられませんでした。

      c 教えることは,律法の主な目的の1つでした。「ユダヤ大百科事典」(英語)によると,「律法」と訳されているヘブライ語「トーラー」には「教え」という意味があります。

      d 律法の中で,「あなたは人にするように野原の木を攻めるべきでしょうか」と問い掛けられています。(申命記 20:19)1世紀のユダヤ人学者フィロンはこの法について,神の考えによれば「人に対する怒りを何の罪もない物にぶつけるのは不公正なことだ」と説明しています。

      じっくり考えたいこと

      • レビ記 19:9,10。申命記 24:19 このような法を作った神はどんな方だと思いますか。

      • 詩編 19:7-14 ダビデは「エホバの律法」についてどう感じていましたか。神の律法は私たちにとってどれほど大切なものですか。

      • ミカ 6:6-8 エホバの律法を重荷と見なすべきでないのはどうしてですか。

      • マタイ 23:23-39 パリサイ派の人たちは律法の本質を理解していませんでした。どうしてそのことが分かりますか。私たちはどんなことに気を付ける必要がありますか。

  • エホバは「多くの人と引き換える贖い」を与える
    エホバに近づきなさい
    • イエスがてんびんの前に立っている。

      第14章

      エホバは「多くの人と引き換える贖い」を与える

      1-2. 聖書によると,人間はどんな状況にいますか。何によって救われますか。

      「創造物全てはこれまでずっと共にうめき,共に苦痛を感じています」。(ローマ 8:22)使徒パウロがこう書いているように,人間は惨めな状況にいます。多くの人にとって,苦しみや罪や死から逃れる方法はないように思えるかもしれません。しかし,限界がある人間とは違って,エホバにはどんなことも可能です。(民数記 23:19)公正な神であるエホバは,私たちが苦しみから救われるようにしてくださいました。贖いを与えることによってです。

      2 贖いは,エホバから人間への最高の贈り物です。贖いによって,人は罪と死から救われます。(エフェソス 1:7)贖いのおかげで,私たちには天もしくは地上のパラダイスで永遠に生きるという希望があります。(ルカ 23:43。ヨハネ 3:16。ペテロ第一 1:4)では,贖いとは何でしょうか。贖いから,エホバの完全な公正についてどんなことを学べるでしょうか。

      贖いが必要になったいきさつ

      3. (ア)贖いが必要になったのはどうしてですか。(イ)神がアダムの子孫に対する死刑を減刑するわけにいかなかったのはどうしてですか。

      3 贖いが必要になったのは,アダムが罪を犯したからです。神に背いたアダムは,病気,悲しみ,苦痛,死といった負の遺産を子孫に残しました。(創世記 2:17。ローマ 8:20)神は,情に流されて死刑を減刑するわけにはいきませんでした。「罪の代償は死」という,自分が定めた法を無視することになるからです。(ローマ 6:23)エホバが自分の公正の基準を軽視するなら,全宇宙が混乱し,無法状態になってしまうでしょう。

      4-5. (ア)サタンはどのように神を中傷しましたか。サタンが投げ掛けた疑問にエホバが答えることにしたのはどうしてですか。(イ)サタンはエホバに忠実に仕えている人たちのこともどのように中傷しましたか。

      4 第12章で考えたように,エデンでの反逆によってさらに重要な問題が生じました。サタンは神の名誉をひどく傷つけました。エホバはうそつきで,自分が創造した者たちの自由を奪っている冷酷な独裁者だ,と非難したのです。(創世記 3:1-5)また,神は正しい人間たちを地上全体に住まわせることを願っていますが,サタンはそれを邪魔することにより,神が失敗したかのように見せ掛けています。(創世記 1:28。イザヤ 55:10,11)サタンが投げ掛けた疑問にエホバが答えないとすれば,多くの天使や人間たちはエホバの統治が良いものかどうか疑うようになってしまうかもしれません。

      5 サタンはエホバに忠実に仕えている人たちのことも中傷しました。彼らは見返りがあるから神に仕えているだけで,苦しい目に遭えば仕えるのをやめる,と主張したのです。(ヨブ 1:9-11)サタンのこうした中傷が間違っていることを示すのは非常に重要だったため,エホバはサタンが投げ掛けた疑問に答えることにしました。では,どうすれば問題を解決し,同時に人間を救えるでしょうか。

      贖いは価値が等しいもの

      6. 人間を救うための神の手段は,聖書の中でどんな言葉で表現されていますか。

      6 エホバの解決策は,最高に憐れみ深く公正なものでした。どんな人間も考えつかないほど見事で,なおかつシンプルです。聖書の中で,買い取り,和解,償いなどと表現されています。(詩編 49:8,脚注。ダニエル 9:24。ガラテア 3:13。コロサイ 1:20。ヘブライ 2:17)一番ぴったりなのは,イエスが次の説明の中で使っている言葉です。「人の子も,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖い[ギリシャ語,リュトロン]として自分の命を与えるために来ました」。(マタイ 20:28)

      7-8. (ア)聖書の中で使われている「贖い」という言葉にはどんな意味がありますか。(イ)罪を贖うにはどんな代価を支払わなければなりませんか。

      7 贖いとは何でしょうか。「リュトロン」というギリシャ語は,「解く」とか「解放する」という意味の動詞に由来していて,戦争捕虜を解放するために支払われた代価を指して使われました。ですから,贖いとは基本的に,何かを買い戻すために支払われるもののことです。ヘブライ語聖書の中で「贖い」と訳されている「コーフェル」という言葉は,「覆う」という意味の動詞に由来しています。例えば,神はノアに,箱船をタールで「覆い」なさい,と指示しました。(創世記 6:14,脚注)それで,贖うとは罪を覆うことでもあると分かります。(詩編 65:3,脚注)

      8 「新約聖書神学辞典」(英語)によると,「コーフェル」という言葉は「常に等価のもの[または,対応するもの]を表して」います。ですから,罪を覆う,つまり贖うには,罪のせいで生じた損害と完全に等しい代価を支払わなければなりません。そのため,イスラエルに与えられた神の律法にはこう述べられていました。「命には命,目には目,歯には歯,手には手,足には足です」。(申命記 19:21)

      9. 神に信仰を持つ人たちが動物を犠牲として捧げたのはどうしてですか。エホバはそうした犠牲についてどう思いましたか。

      9 神に信仰を持ったアベルやそれ以降の人たちは,動物を犠牲として神に捧げました。そうすることによって,自分たちが罪深く,贖罪を必要としていると自覚していることを示しました。また,神が「子孫」によって人間を罪から解放する,という約束への信仰も示しました。(創世記 3:15; 4:1-4。レビ記 17:11。ヘブライ 11:4)エホバはそうした犠牲を喜び,その人たちの崇拝を受け入れました。しかし,動物は人間と同等ではないので,動物の犠牲は本当の意味で人の罪を覆うことはできませんでした。(詩編 8:4-8)そのため聖書に,「雄牛やヤギの血は罪を取り去ることができない」と書かれています。(ヘブライ 10:1-4)いずれ,動物の犠牲よりはるかに価値がある完全な贖いの犠牲が捧げられることになっていました。

      「対応する贖い」

      10. (ア)贖いが成立するには何が必要でしたか。どうしてですか。(イ)犠牲になるのが1人だけでいいのはどうしてですか。

      10 使徒パウロが書いているように,「アダムのゆえに全ての人が死んでいく」ことになりました。(コリント第一 15:22)ですから,贖いが成立するには,アダムと等しい完全な人間が自分の命を差し出す必要がありました。(ローマ 5:14)エホバの公正の基準からすると,アダムから罪と死を受け継いでいない完全な人間だけが,「全ての人のための対応する贖い」を捧げることができました。アダムが失った完全な命と等しい命を差し出すことができたからです。(テモテ第一 2:6)アダムの子孫一人一人のために,膨大な数の人が犠牲になる必要はありません。使徒パウロが説明している通り,「1人の人[アダム]によって人類に罪が入り,罪によって死が入り」ました。(ローマ 5:12)「死が1人の人を通して来たので」,神は「1人の人を通して」人類が罪と死から救われるようにしました。(コリント第一 15:21)どのようにでしょうか。

      「全ての人のための対応する贖い」

      11. (ア)贖いとなる人はどのように罪の代償を支払いますか。(イ)アダムとエバが贖いの恩恵を受けられないのはどうしてですか。(脚注を参照。)

      11 エホバは,1人の完全な人間が自分の命を差し出すようにしました。ローマ 6章23節によれば,「罪の代償は死です」。それで,贖いとなる人は「全ての人のために死を味わ」うことによって,アダムの罪の代償を支払います。(ヘブライ 2:9。コリント第二 5:21。ペテロ第一 2:24)贖いによって,アダムの子孫で神に従う人たちに対する死刑が取り消されます。罪のせいで死ぬしかなかったという問題が根本的に解決されるのです。a (ローマ 5:16)

      12. 1つの負債を帳消しにすることによって大勢が救われることを,どんな例えで説明できますか。

      12 例えで考えてみましょう。住民の大半が同じ工場で働いている町に,あなたも住んでいるとします。あなたも他の住民も良い給料をもらって,快適に暮らしています。ところがある日,工場が閉鎖されます。何があったのでしょうか。工場長が会社のお金を着服し,会社を破産に追い込んだのです。あなたも他の住民も急に仕事を失い,生活が苦しくなります。工場長1人の不正行為のために,従業員の配偶者や子供たち,また工場に出資していた人たちも大変な思いをします。この問題を解決するにはどうしたらいいでしょうか。1人の資産家が,助けの手を差し伸べることにします。その人は破産した会社の価値を認めていて,大勢の従業員たちのことも気の毒に思っています。それで,会社の負債を全額返済して,工場を再開できるようにします。1つの負債を帳消しにしたことにより,大勢の従業員とその家族,また出資者たちも救われます。同じように,アダムの罪という負債を帳消しにすることにより,膨大な数の人たちが救われることになります。

      誰が贖いを支払うか

      13-14. (ア)エホバは人類のための贖いを支払うために,何をしましたか。(イ)贖いは誰に支払われますか。その支払いが必要だったのはどうしてですか。

      13 エホバだけが,「人類の罪を取り去る……子羊」を与えることができます。(ヨハネ 1:29)しかしエホバは,誰でもいいから天使を遣わして人類を救おうとは考えませんでした。最大の犠牲を払って,自分が「深い愛情を抱く」独り子を遣わしました。(格言 8:30)その方は,エホバに仕える人たちに対するサタンの非難に決定的な答えを出すことができます。神の子は天での体や立場を喜んで「全て捨て」ました。(フィリピ 2:7)エホバは奇跡によって,独り子の命をユダヤ人の処女マリアの胎内に移しました。(ルカ 1:27,35)人間となったその子は,イエスと呼ばれることになります。イエスはアダムと等しい完全な人間だったので,第二のアダムとも言えます。(コリント第一 15:45,47)それで,罪深い人類のための贖いとして自分の完全な命を差し出すことができました。

      14 その贖いは,誰に支払われるのでしょうか。詩編 49編7節には,贖いが「神に」支払われると書かれています。でも,贖いを支払うのもエホバなのであれば,お金を1つのポケットから別のポケットに移すような無意味なものになってしまわないでしょうか。そんなことはありません。贖いは単なる物のやり取りではなく,命には命という法を守るために必要なものでした。エホバは,非常に大きな犠牲を払ってまで贖いを支払うことにより,自分の完全な公正の基準を必ず守るということを示しました。(創世記 22:7,8,11-13。ヘブライ 11:17。ヤコブ 1:17)

      15. イエスが苦しんで死ななければならなかったのはどうしてですか。

      15 西暦33年の春,イエス・キリストは,贖いを支払うために苦しみを受け入れました。無実の罪で訴えられて捕らえられ,有罪宣告を受け,処刑用の杭にくぎ付けにされました。イエスがそれほど苦しんで死ななければならなかったのはどうしてでしょうか。神への忠誠を貫く人はいないというサタンの主張が間違っていることを示す必要があったからです。イエスがまだ幼いうちにヘロデに殺されてしまわないように,神がイエスを守りました。(マタイ 2:13-18)成人したイエスは,サタンが投げ掛けた疑問についてよく理解した上で,サタンの激しい攻撃に耐えることができました。b イエスはひどい仕打ちを受けても「神に尽くし,潔白で,汚れがなく,罪人から分けられ」た状態を保つことにより,試練に遭ってもエホバに忠実に仕え続ける人たちがいることをはっきりと証明しました。(ヘブライ 7:26)だからこそ死ぬ直前に,「成し遂げられた!」と言うことができたのです。(ヨハネ 19:30)

      贖いが有効になる

      16-17. (ア)使徒パウロによると,イエスは復活後に何をしましたか。(イ)イエスが「私たちのために神の前に」出る必要があったのはどうしてですか。

      16 イエスは亡くなりましたが,贖いを有効にするためにまだ行うべきことがありました。それで,イエスが死んでから3日目に,エホバはイエスを生き返らせました。(使徒 3:15; 10:40)そうすることによって,忠実に奉仕したイエスに報いを与えただけでなく,イエスが神の大祭司として贖いを有効にできるようにしました。(ローマ 1:4。コリント第一 15:3-8)使徒パウロはこう説明しています。「キリストは……大祭司として来た時,……ヤギや若い雄牛の血ではなく,自分の血を携え,一度限り聖なる場所に入り,私たちを永遠に救ってくださいました。キリストは,実体の写しにすぎない,人が造った聖なる場所にではなく,天そのものに入りました。今や私たちのために神の前に出てくださっています」。(ヘブライ 9:11,12,24)

      17 キリストは天に入る時,文字通りの血を携えていったわけではありません。(コリント第一 15:50)その血が象徴していたもの,つまり,自分が犠牲にした完全な命の価値を携えていきました。イエスはその命の価値を,罪深い人類と引き換える贖いとして,天で正式に神に差し出しました。エホバがその犠牲を確かに受け入れたことが,西暦33年のペンテコステの日に明らかになりました。その時,エルサレムにいた120人ほどの弟子たちに,聖なる力が注がれました。(使徒 2:1-4)それは印象的な出来事でしたが,神に仕える人たちは贖いのおかげでさらに大きな恩恵を受けることになります。

      贖いの恩恵

      18-19. (ア)贖いによってどんな2つのグループが神と和解できるようになりましたか。(イ)「大群衆」の人たちは今どのように贖いの恩恵を受けていますか。将来はどうですか。

      18 パウロがコロサイのクリスチャンへの手紙の中で説明しているように,神はイエスの贖いの犠牲によって人間が再び自分と平和な関係を持てるようにしました。パウロによれば,「天のもの」と「地上のもの」という2つのグループが神と「和解」します。(コロサイ 1:19,20。エフェソス 1:10)「天のもの」とは,天で祭司として奉仕し,キリスト・イエスと共に王として地球を治めることになる,14万4000人のクリスチャンのことです。(啓示 5:9,10; 7:4; 14:1-3)その人たちはイエスと一緒に働き,地上にいる従順な人たちが1000年にわたって贖いの恩恵を徐々に受けられるようにします。(コリント第一 15:24-26。啓示 20:6; 21:3,4)

      19 「地上のもの」とは,パラダイスとなった地球で完全な人間として永遠に生きる見込みを持つ人たちのことです。啓示 7章9-17節で,その人たちは間もなく来る「大患難」を生き延びる「大群衆」と呼ばれています。とはいえ,その時まで贖いの恩恵を受けられないわけではありません。すでに「自分の長い衣服を子羊の血で洗って白く」しています。贖いに信仰を持っているので,神から正しい人と見なされ,神の友達になることができているのです。(ヤコブ 2:23)また,イエスの犠牲のおかげで「気後れすることなく祈り,惜しみない親切を示してくださる神に近づ[く]」ことができます。(ヘブライ 4:14-16)罪を犯しても,神に許してもらえます。(エフェソス 1:7)不完全な人間ですが,健全な良心を持つことができます。(ヘブライ 9:9; 10:22。ペテロ第一 3:21)ですから,今すでに神と和解することができています。(コリント第二 5:19,20)そして,将来の千年統治の間に,徐々に「腐敗への奴隷状態から自由にされ」,最終的に「神の子供の輝かしい自由を得る」ことになります。(ローマ 8:21)

      20. 贖いについてじっくり考えると,どんな気持ちになりますか。

      20 贖いについてじっくり考えると,私たちは感動し,「イエス・キリストを通して救ってくださる神に感謝」したくなります。(ローマ 7:25)贖いの仕組みはシンプルですが,神の考えは奥深いので,畏敬の気持ちでいっぱいになります。(ローマ 11:33)公正な神にますます引き付けられるのではないでしょうか。詩編作者のように,「正しさと公正を愛する」エホバ神をこれからも賛美しましょう。(詩編 33:5)

      a アダムとエバは贖いの恩恵を受けられません。モーセの律法には,「死に値する殺人者[故意に殺人を犯した人]の命のための贖いを受け取ってはならない」という原則があります。(民数記 35:31)アダムとエバは,悪いと分かっていながら故意に神に背いたので,明らかに死に値しました。永遠に生きる見込みを自ら放棄したのです。

      b 罪を犯した時に大人だったアダムと釣り合うように,イエスは完全な子供ではなく完全な大人として死ぬ必要がありました。アダムは,神に背くことがどれほど重大で,どんな結果になるかを十分に知りながら,故意に罪を犯しました。ですから,イエスが「最後のアダム」となって罪を覆うには,エホバへの忠誠を貫くとはどういうことかを十分に理解し,自分の意思で選ばなければなりませんでした。(コリント第一 15:45,47)そのようにして,犠牲の死に至るまで忠実に歩んだイエスの生涯は,「1つの正しい行い」となりました。(ローマ 5:18,19)

      じっくり考えたいこと

      • 民数記 3:39-51 贖いが完全に等しい価値のものであることは,なぜ大切ですか。

      • 詩編 49:7,8 神が私たちのために贖いを支払ってくださったことを考えると,どういう気持ちになりますか。

      • イザヤ 43:25 エホバは主に,人間を救うためではなく何のために贖いを支払いましたか。

      • コリント第一 6:20 贖いについて考えると,どういう生き方をしたくなりますか。

  • イエスは「地上に公正を確立する」
    エホバに近づきなさい
    • イエスが両替屋の台を倒し,神殿から出ていくよう両替人たちに命じている。

      第15章

      イエスは「地上に公正を確立する」

      1-2. イエスはどんな時に怒りましたか。どうしてですか。

      イエスが怒っている姿は想像しにくいかもしれません。とても温厚な人だったからです。(マタイ 21:5)でも,ある時イエスは怒りました。もちろん,われを忘れて怒ったのではありません。平和を愛する人だったイエスが怒ったのには,もっともな理由がありました。a ひどい不公正を目にしたのです。

      2 エルサレムの神殿は,イエスにとって大切な場所でした。天の父を崇拝するために建てられた,世界でただ一つの神聖な場所だったからです。各地のユダヤ人がはるばるやって来て,そこで崇拝を行いました。神を畏れる異国人も来て,神殿の中で入ることを許されていた庭に集まりました。ところが,イエスは宣教を始めて間もない頃に神殿に入った時,あぜんとするような光景を見ました。そこは神を崇拝する場所というより市場のようになっていて,商人や両替人が大勢いました。それだけでなく,その人たちは不公正にも,神殿に来る人たちからお金を巻き上げていました。どのようにでしょうか。(ヨハネ 2:14)

      3-4. エホバの家でどんなことが行われていましたか。イエスはどうしましたか。

      3 宗教指導者たちは,神殿税を払うのに使える硬貨は特定の1種類だけという規則を設けていました。そのため,神殿に来た人たちは,その硬貨を手に入れるために両替をしなければなりませんでした。両替屋は神殿の中に台を置いて商売をし,手数料を取っていました。動物を売る商人たちも,たくさんのお金をもうけていました。神殿で犠牲を捧げたいと思う人は,本来は市内のどの商人からでも動物を買うことができましたが,神殿の役人から不適当だと言われてしまうことがありました。しかし,神殿の境内で買ったものは必ず受け入れられました。それで商人たちは,言いなりになるしかない人々に法外な値段で売りつけることがありました。b あたかも強盗のような,非常に悪質な商売でした。

      4 イエスは,自分の父の家でのそうした不公正を大目に見ることはできませんでした。縄でむちを作り,牛や羊の群れを神殿から追い出しました。それから両替屋の所に行き,彼らの台を倒しました。たくさんの硬貨が大理石の床に散らばったことでしょう。イエスはハトを売っていた人たちに,「これらの物を運び出しなさい!」と厳しい口調で言います。(ヨハネ 2:15,16)その毅然とした行動に手向かおうとする人は誰もいなかったようです。

      「これらの物を運び出しなさい!」

      この親にしてこの子あり

      5-7. (ア)イエスは人間になる前に,どのように公正の感覚を身に付けましたか。イエスの手本から何を学べますか。(イ)サタンによって生じた不公正を正すために,イエスは何を行いましたか。将来は何を行いますか。

      5 商人たちは,また商売をしに戻りました。約3年後,イエスは再び不公正な商人たちを神殿から追い出します。その時にはエホバの言葉を引用し,神の家を「強盗のすみか」としている人たちを非難しました。(エレミヤ 7:11。マタイ 21:13)イエスは,貪欲な商人たちが人々を食い物にし,神殿を汚しているのを見て,天の父と同じ気持ちになったのです。それはもっともなことでした。イエスは計り知れないほど長い期間にわたって父から学び,エホバと同じ公正の感覚を身に付けていたからです。この親にしてこの子あり,ということわざの通りです。ですから,エホバの公正さをよく理解する一番いい方法は,イエス・キリストの手本について考えることです。(ヨハネ 14:9,10)

      6 サタンが不当にも,エホバ神はうそつきで,エホバの治め方は正しくないと言った時,エホバの独り子もその場にいて,そのひどい中傷を聞いていました。サタンが後に,見返りを求めず愛の気持ちからエホバに仕える者などいないと主張した時にも,イエスは聞いていました。そのような誤った非難に,イエスは心を痛めたに違いありません。そして,サタンが間違っていることを証明するために自分が重要な役割を果たすことを知って,喜んだことでしょう。(コリント第二 1:20)イエスは何を行うのでしょうか。

      7 第14章で学んだ通り,イエス・キリストは,エホバに仕える者たちの忠誠を疑問視するサタンの非難に決定的な答えを出しました。そのイエスの行動は,エホバの治め方には欠陥があるというサタンのうそを含め,エホバの聖なる名に対するあらゆる中傷を除き去るための根拠となります。救いへと導く方であるイエスは,天でも地でも全ての者がエホバの公正の基準に従うようにします。(使徒 5:31)地上にいた時,イエスは生涯を通じて神の公正さに倣いました。エホバはイエスについて,「私は彼に聖なる力を与え,彼は,公正とは何かを国々に明らかにする」と言いました。(マタイ 12:18)イエスはどのようにそうしたのでしょうか。

      イエスは「公正とは何か」を明らかにする

      8-10. (ア)ユダヤ人の宗教指導者たちは,ユダヤ人ではない人や女性を低く見るどんな規則を作りましたか。(イ)宗教指導者たちは安息日に関してどのように民に重荷を負わせましたか。

      8 イエスはエホバの律法を愛し,それに従って生きました。しかし,イエスの時代の宗教指導者たちは,律法を正しく教えず,従い方も間違っていました。イエスは彼らにこう言いました。「偽善者である律法学者とパリサイ派の人たち,あなた方には災いがあります!……律法の中のもっと重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです」。(マタイ 23:23)その人たちは,神の律法を教えながら,「公正とは何か」を明らかにせず,むしろ非常に分かりにくくしていました。幾つか例を考えてみましょう。

      9 エホバは自分の民に,周囲の異教の国々の人たちから離れているようにと命じていました。(列王第一 11:1,2)しかし,もっと極端な見方をする宗教指導者たちがいて,ユダヤ人ではない人たちを見下すように民に教えていました。ミシュナにはこんな規則さえありました。「家畜を異邦人の宿屋に置いておいてはならない。異邦人は獣姦を行うかもしれないからである」。ユダヤ人以外の人たちに対するそのような偏見は不公正であり,モーセの律法に示されている神の考えとは正反対でした。(レビ記 19:34)女性を低く見る規則もありました。口伝律法によれば,妻は夫と並んで歩いてはならず,後ろを付いていかなければなりませんでした。男性は公共の場所で女性と会話してはならず,自分の妻とさえ話せませんでした。女性は奴隷と同様,法廷で証言することは許されていませんでした。男性が捧げる公式の祈りの中には,自分が女性ではないことを神に感謝するものまでありました。

      10 宗教指導者たちが膨大な数の規則や規定を作ったせいで,肝心な神の律法が埋もれてしまって,ほとんど分からなくなりました。例えば,安息日についての法は本来,ただ安息日に仕事をすることを禁じるものでした。その日に休息しつつ,神を崇拝して爽やかな気持ちになれるようにするためです。ところがパリサイ派の人たちは,何が“仕事”に当たるかを勝手に決めて,民に重荷を負わせました。収穫や狩りなど,全部で39の活動を禁じたのです。そうした規則のせいで,次々に疑問が起きました。もし安息日にノミを殺したら,狩りをしたことになるのでしょうか。歩きながら穀物をむしって食べたら,収穫をしたことになるのでしょうか。病人を看病したら,仕事をしたことになるのでしょうか。そのような疑問に答えるために,宗教指導者たちはさらに細かい規則を作っていきました。

      11-12. イエスは,聖書に基づかないパリサイ派の人たちの伝統が間違っていることをどのように示しましたか。

      11 そうした風潮の中でイエスは,人々が公正とは何かを理解できるように助けました。自分の教えと生き方によって,宗教指導者たちが間違っていることを示したのです。まず,イエスの教えについて少し考えましょう。イエスは,無数の規則を作った宗教指導者たちを非難し,「[あなた方は]自分たちが伝える伝統によって神の言葉を否定している」と言いました。(マルコ 7:13)

      12 イエスは,パリサイ派の人たちが安息日についての法の趣旨を全く分かっていないことを明らかにしました。イエスの教えによれば,メシアは「安息日の主」なので,安息日に病気の人を治す権限がありました。(マタイ 12:8)そのことを強調するため,イエスは宗教指導者たちが何と言おうと,安息日に公然と奇跡によって人々を癒やしました。(ルカ 6:7-10)それはいわば,将来の千年統治の間に地球規模で行う癒やしの予告編でした。その1000年間は究極の安息日となります。それまで何千年も苦しんできた人類がついに罪と死から解放され,忠実な人たちは本当の意味で休息を味わうことになるのです。

      13. キリストの地上での宣教が終わった後,どんな律法が有効になりましたか。それは前のモーセの律法とどのように違っていましたか。

      13 イエスは弟子たちに新しい律法を与えることによっても,公正とは何かを明らかにしました。その「キリストの律法」は,イエスの地上での宣教が終わった後に有効になりました。(ガラテア 6:2)前のモーセの律法とは違って,たくさんの命令が書き記されたわけではなく,主にイエスが教えたいろいろな原則が新しい律法となりました。とはいえ,命令も幾つか含まれています。その1つをイエスは「新しいおきて」と呼び,私があなたたちを愛した通りにあなたたちも互いを愛しなさい,と弟子たちに言いました。(ヨハネ 13:34,35)「キリストの律法」に従って生きる人たちは,そのような自己犠牲的な愛を示すことで知られるようになります。

      公正の手本

      14-15. イエスは自分の権限をわきまえていることをどのように示しましたか。イエスを信頼できるのはどうしてですか。

      14 イエスは,愛について教えただけでなく,「キリストの律法」に沿って生きました。では,公正とは何かを生き方によってどのように明らかにしたのでしょうか。イエスの手本を3つ考えてみましょう。

      15 1つ目に,イエスは不公正なことを一切しないように気を付けました。不公正なことが行われるのは多くの場合,不完全な人間が高慢になり,自分に権限のないことをしようとするときです。イエスはそのようなことをしませんでした。ある時,1人の男性がイエスに,「先生,相続財産を私と分けるよう私の兄弟に言ってください」と言いました。それに対してイエスは,「私はあなたたち2人の裁判官や仲裁人に任命されていますか」と言いました。(ルカ 12:13,14)素晴らしい態度です。イエスはどんな人よりも優れた知力や判断力を持ち,神から高い権威を与えられていましたが,それでもこの件に関わろうとしませんでした。この場合には裁く権限がなかったからです。このようにイエスは,人間として地上に来る前の計り知れない期間を含め,常に慎みを示してきました。(ユダ 9)何が公正かというエホバの判断を信頼し,謙遜に従っています。

      16-17. (ア)イエスは神の王国の良い知らせを伝える時に,どのように公正さを示しましたか。(イ)イエスは公正の表れとしてどのように憐れみを示しましたか。

      16 2つ目に,イエスは神の王国の良い知らせを伝える時にも公正さを示しました。偏見を抱いたりせず,裕福な人にも貧しい人にも分け隔てなく接しました。あらゆる人に良い知らせを伝えるよう努力したのです。対照的にパリサイ派の人たちは,貧しい一般の人たちを「アム ハーアーレツ」つまり「地の民」と呼んで見下していました。そういう中で,イエスは勇敢に公正な見方を貫きました。良い知らせについて人々に教えた時だけでなく,一緒に食事をしたり,食べ物を与えたり,人を癒やしたり生き返らせたりした時にも,「あらゆる人」を救うことを願っている神の公正さに倣いました。c (テモテ第一 2:4)

      17 3つ目に,イエスは公正の表れとして深い憐れみを示しました。例えば,罪人に助けの手を差し伸べました。(マタイ 9:11-13)また,無力な人たちを快く支えました。宗教指導者たちはどんな異国人も信用してはならないと教えましたが,イエスはそうではありませんでした。主にユダヤ人を助けるために遣わされましたが,異国人も憐れみ深く助け,教えました。ある時にはローマの士官について,「イスラエルの中でも,これほどの信仰は見たことがありません」と言い,その士官の召し使いを奇跡によって癒やしました。(マタイ 8:5-13)

      18-19. (ア)イエスが女性を尊重していたことは,どんなことから分かりますか。(イ)イエスの手本から,勇気と公正の関係についてどんなことが分かりますか。

      18 イエスは女性に対しても公正でした。女性に対する一般的な見方に合わせたりはしませんでした。サマリア人の女性は異国人と同様に汚れていると見なされていましたが,イエスはスカルの井戸の所でためらわずにサマリア人の女性に伝道しました。それだけでなく,その女性に自分が約束のメシアであることを初めてはっきりと明かしました。(ヨハネ 4:6,25,26)パリサイ派の人たちは女性に神の律法を教えるべきではないと言っていましたが,イエスは多くの時間をかけて女性たちを教えました。(ルカ 10:38-42)また,女性の証言は信用しないという伝統があったにもかかわらず,イエスは復活した後に最初に幾人かの女性に会うことによって,女性たちを尊重していることを示しました。さらに,自分が復活したという重大なニュースを男性の弟子たちに伝えるよう頼むこともしました。(マタイ 28:1-10)

      19 このようにして,イエスは公正とは何かを国々に明らかにしました。そのために自らを大きな危険にさらすことも少なくありませんでした。イエスの手本から,神の公正さに倣うには勇気が要ることが分かります。イエスが「ユダ族の者であるライオン」と呼ばれているのも納得できます。(啓示 5:5)すでに考えた通り,ライオンは勇敢に示される公正の象徴だからです。近い将来,イエスは地球全体に公正が行き渡るようにし,本当の意味で「地上に公正を確立」します。(イザヤ 42:4)

      メシアである王は「地上に公正を確立する」

      20-21. メシアである王は現在,地上でどのように公正なことが行われるようにしていますか。会衆の中ではどうですか。

      20 イエスは1914年にメシアである王になってから,地上で公正なことが行われるようにしてきました。マタイ 24章14節で自分が語った預言が実現するように見届けてきたのです。イエスに従う人たちは,世界中の人にエホバの王国についての真理を教えています。イエスと同じように,男性にも女性にも,若い人にも年配の人にも,裕福な人にも貧しい人にも公平に伝道し,あらゆる人が公正な神エホバについて知ることができるようにしています。

      21 クリスチャン会衆の頭であるイエスは,会衆の中でも物事が公正に行われるように見守っています。預言されていた通り,「人々という贈り物」を与え,会衆内で忠実な長老たちが教え導くようにしています。(エフェソス 4:8-12)長老たちは,神の大事な羊の群れを世話する時,イエスに倣って公正を表します。個々の人がどんな立場で奉仕しているか,裕福かどうかなどに関係なく,全ての羊が公正に扱われることをイエスは望んでいるからです。

      22. エホバは不公正だらけの世の中を見てどう感じていますか。エホバから任命されたイエスは何をしますか。

      22 間もなくイエスは,地上をかつてないほど公正な場所にするために行動します。今の堕落した世の中は不公正だらけです。例えば,大勢の子供が飢餓で亡くなっている一方で,兵器の製造や快楽の追求のためにたくさんのお金や労力がつぎ込まれています。毎年,戦争や犯罪などでも大勢の人が亡くなっていて,ほかにも不公正なことがいろいろ起きているので,エホバは怒りを感じています。それで,正義のために戦うようイエスを任命しました。イエスはこの邪悪な世界を終わらせ,不公正を完全になくします。(啓示 16:14,16; 19:11-15)

      23. ハルマゲドンの後,キリストはどのように公正が行き渡るようにしますか。

      23 公正が行き渡るように,エホバは悪い人たちを滅ぼすだけでなく,イエスが「平和の統治者」として治めるようにします。ハルマゲドンの戦いの後,イエスの公正な統治によって地球全体が平和になります。(イザヤ 9:6,7)世界中の人たちを苦しめてきた不公正をなくせることを,イエスはとてもうれしく思うに違いありません。そして,その後もエホバの完全な公正を永遠に支持し続けることでしょう。私たちもエホバの公正さに倣うよう努力することは大切です。どうすればそうできるか,次の章で考えましょう。

      a イエスはエホバと同じように正当な怒りを表しました。エホバは,あらゆる悪に対して「憤りを表」します。(ナホム 1:2)例えば,不従順な民がエホバの家を「強盗のすみか」とした時,「私の怒りと憤りが,この場所に……浴びせられる」と言いました。(エレミヤ 7:11,20)

      b ミシュナによると,何年か後に,神殿で売られているハトの値段が高過ぎるという抗議の声が上がりました。その結果,値段がすぐに100分の1になりました。いったい誰がぼろもうけしていたのでしょうか。ある歴史家たちによれば,神殿の市場は大祭司アンナスの一族のもので,彼らの巨万の富の主な収入源となっていました。(ヨハネ 18:13)

      c パリサイ派の人たちによれば,律法を知らない一般の人々は「神に見放されて」いました。(ヨハネ 7:49)そうした人々を教えたり,その人たちと商売をしたり,一緒に食事をしたり祈ったりすべきではありませんでした。そのような人に娘を嫁がせるのは,野獣の前に放り出すよりも悪いこととされました。律法を知らない人たちには復活の希望もないと考えられていました。

      じっくり考えたいこと

      • 詩編 45:1-7 メシアである王は完全な公正が行き渡るようにしてくれる,と確信できるのはどうしてですか。

      • マタイ 12:19-21 この預言によると,メシアは弱い立場の人たちのためにどのように行動しますか。

      • マタイ 18:21-35 本当の公正は憐れみ深いものだということを,イエスはどのように教えましたか。

      • マルコ 5:25-34 イエスは公正な神に倣って,どのように人の状況を考慮に入れましたか。

  • 「公正を守り」,神と共に歩む
    エホバに近づきなさい
    • 2人の長老が姉妹と2人の子供を訪ね,姉妹の話によく耳を傾けている。

      第16章

      「公正を守り」,神と共に歩む

      1-3. (ア)エホバが私たちの命の恩人だと言えるのはどうしてですか。(イ)エホバは私たちに何を期待していますか。

      想像してください。あなたは沈みかけの船の中にいます。もう駄目だと思った時に,救助隊が来て,助けてくれます。危険から脱出して,「もう大丈夫ですよ」と声を掛けてもらい,本当にほっとします。救助してくれた人は,まさに命の恩人です。

      2 エホバはいわばそのように私たちを救ってくれました。贖いを支払って,私たちが罪と死から救出されるようにしてくれた,命の恩人です。私たちは,その貴重な贖いの犠牲に信仰を抱くなら罪が許され,永遠に生きられることを知っているので,安心できます。(ヨハネ第一 1:7; 4:9)第14章で考えたように,贖いにはエホバの愛と公正さがこれ以上ないほどよく表れています。では,私たちはどのように感謝を表せるでしょうか。

      3 私たちを愛情深く救い出してくださった方から何を期待されているかを考えるのは良いことです。エホバが預言者ミカに書かせた言葉に注目しましょう。「神はあなたに,何が善いことかを伝えた。エホバがあなたに求めていることは何か。ただ公正を守り,揺るぎない愛を抱き,慎みを持って神と共に歩むことである」。(ミカ 6:8)エホバが私たちに期待していることの1つは,「公正を守」る,つまり神の公正さに倣うことです。どうすればそうできるでしょうか。

      正しいことを行うよう努力する

      4. エホバは善悪に関する自分の基準に私たちが従うことを期待しています。どうしてそのことが分かりますか。

      4 エホバは善悪に関する基準を定めていて,私たちがそれに従うことを期待しています。エホバの基準は公正なので,その基準に従えば正しいことを行えます。イザヤ 1章17節には,「善を行うことを学び,公正に裁き……なさい」と書かれています。聖書には「正しいことをせよ」という言葉もあります。(ゼパニヤ 2:3)また,次のようにも勧められています。「新しい人格を身に着けましょう。その人格は神の意志に沿って形作られるものであり,本当の正しさ……に基づいています」。(エフェソス 4:24)本当に正しいことを行いたいと思う人は,暴力や汚れや不道徳を避けます。神に従う聖なる人にふさわしくないからです。(詩編 11:5。エフェソス 5:3-5)

      5-6. (ア)エホバの基準に従うことが大変ではないのはどうしてですか。(イ)正しいことを行うには努力を続ける必要があることが,聖書からどのように分かりますか。

      5 エホバの正しい基準に従うことは大変でしょうか。そんなことはありません。エホバとの絆がある人は,エホバが求めている事柄にいら立ったりしません。エホバの全てを愛しているので,エホバに喜ばれる生き方をしたいと思います。(ヨハネ第一 5:3)エホバは「正しい行いを愛する」方です。(詩編 11:7)神の公正さに倣うには,エホバが愛するものを愛し,エホバが憎むものを憎まなければなりません。(詩編 97:10)

      6 不完全な人間にとって,正しいことを行うのは簡単ではありません。私たちは古い人格と罪深い習慣を脱ぎ捨て,新しい人格を身に着けなければなりません。聖書によると,新しい人格は正確な知識によって「新しくされていきます」。(コロサイ 3:9,10)「新しくされてい[く]」という表現から分かるように,新しい人格を身に着けるには努力を続ける必要があります。正しいことを行おうと頑張っても,私たちは罪深いので,良くないことを考えたり,言ったり,行ったりしてしまうことがあります。(ローマ 7:14-20。ヤコブ 3:2)

      7. 正しいことを行おうと努力しているのに失敗してしまった場合,どう考えたらいいですか。

      7 正しいことを行おうと努力しているのに失敗してしまった場合,どう考えたらいいでしょうか。もちろん,罪を犯したことを軽く見るべきではありません。でも同時に,自分にはエホバに仕える資格がないと考えて,諦めてしまってはいけません。憐れみ深い神は,誠実に悔い改める人を許してくれます。使徒ヨハネの心強い言葉に注目しましょう。ヨハネはまず,「皆さんが罪を犯さないように,私はこれらのことを書いています」と言ってから,こう続けています。「とはいえ,もし誰かが[受け継いだ不完全さのせいで]罪を犯したとしても,私たちを助けてくださる方が父のもとにいます。……イエス・キリストです」。(ヨハネ第一 2:1)エホバがイエスの贖いの犠牲を与えてくださったおかげで,罪深い私たちでもエホバに受け入れてもらえます。そのことを考えると,エホバに喜んでいただけるようにベストを尽くしたいと思うのではないでしょうか。

      良い知らせと神の公正

      8-9. 良い知らせを伝える活動には,どのようにエホバの公正さが表れていますか。

      8 私たちは,神の王国の良い知らせを一生懸命伝えることによって,神の公正さに倣えます。良い知らせを伝える活動には,どのようにエホバの公正さが表れているでしょうか。

      9 エホバはこの邪悪な世界を終わらせる前に,まず人々に警告します。イエスは,終わりの時代に起きる事柄について預言した時,「全ての国の人々の間で,良い知らせがまず伝えられなければなりません」と言いました。(マルコ 13:10。マタイ 24:3)「まず」という言葉からも分かるように,世界中で良い知らせが伝えられた後に幾つかのことが起きます。それには予告されている大患難も含まれていて,その時に悪い人々は滅び,公正な新しい世界が始まることになります。(マタイ 24:14,21,22)エホバが悪い人々を滅ぼすのは不公正だ,と非難することは誰にもできません。エホバはそういう人たちに警告することにより,滅ぼされずに済むよう生き方を変える機会を十分に与えているからです。(ヨナ 3:1-10)

      10-11. 良い知らせを伝えると神の公正さに倣っていることになるのはどうしてですか。

      10 私たちが良い知らせを伝える時,どのように神の公正さに倣っていることになるでしょうか。まず,他の人が救われるように力を尽くすのは正しいことです。沈みかけの船から救助されるという例えを思い起こしてみましょう。無事に救命ボートに乗れたら,まだ水の中にいる人たちを助けたいと思うに違いありません。同じように,まだこの邪悪な世界という“水”の中でもがいている人たちを,私たちは助ける必要があります。良い知らせを聞こうとしない人が多いのは確かですが,エホバが辛抱し続けている限り,その人たちが救われるように「悔い改める」機会を与える責任が私たちにはあります。(ペテロ第二 3:9)

      11 会う人全てに良い知らせを公平に伝えることによっても,神の公正さに倣えます。神は「不公平ではない」ので,「神を畏れて正しいことを行う人はどの国の人でも神に受け入れられ」ます。(使徒 10:34,35)神に倣う人は,偏見を持ったり人を差別したりしません。人種や社会的地位や経済力などに関係なく,全ての人に良い知らせを伝えます。そのようにして,良い知らせを聞いて神に従う機会を与えるのです。(ローマ 10:11-13)

      人との接し方

      12-13. (ア)すぐに人を批判すべきでないのはどうしてですか。(イ)「裁くのをやめなさい」,「断罪するのをやめなさい」というイエスの言葉にはどんな意味がありますか。(脚注も参照。)

      12 エホバが私たちに接してくれるように人に接することによっても,神の公正さに倣えます。私たちはつい,人の間違いを非難したり,動機を疑ったりしてしまいがちです。しかし,エホバに動機を疑われたり,間違いを容赦なく非難されたりしたいとは思わないはずです。エホバはそんなことはしません。詩編作者はこう書いています。「ヤハよ,もしあなたが過ちに注目するなら,エホバよ,誰が立っていられるでしょうか」。(詩編 130:3)ありがたいことに,公正で憐れみ深い神は,私たちの過ちや欠点に注目し続けたりはしません。(詩編 103:8-10)では,私たちは人にどう接するべきでしょうか。

      13 神の公正が憐れみ深いものであることを意識しているなら,自分とあまり関係のないことや大して重要ではないことについて,すぐに人を批判したりはしないでしょう。イエスは山上の垂訓の中で,「裁くのをやめなさい。裁かれないためです」と警告しました。(マタイ 7:1)ルカによると,イエスはさらにこう言いました。「断罪するのをやめなさい。そうすれば決して断罪されません」。a (ルカ 6:37)不完全な人間は批判的になりがちだということを,イエスは知っていました。それで,話を聞いていた人たちに,人を厳しい目で見るのをやめるようにと言ったのです。

      姉妹が女の子と体の不自由な年配の男性に伝道している。

      良い知らせをあらゆる人に公平に伝えることによって,神の公正さに倣える

      14. 人を「裁くのをやめ」るべきなのはどうしてですか。

      14 人を「裁くのをやめ」るべきなのはなぜでしょうか。1つの理由として,そもそも私たちには人を裁く権限がありません。イエスの弟子ヤコブは,「法を定める方,裁く方はただひとり」,エホバだけだと述べてから,「隣人を批判するあなたは,いったい何者なのですか」と問い掛けています。(ヤコブ 4:12。ローマ 14:1-4)別の理由として,罪深い私たちは不公平に裁いてしまいがちです。偏見,傷ついた自尊心,嫉妬,傲慢さなどのために,人に対する見方がゆがんでしまうことがあります。さらに,人の心の中を見ることはできませんし,人の状況を全部知っているわけでもありません。そういう限界があることを考えると,すぐに人を批判しようとは思わないはずです。仲間のクリスチャンの言動を悪く解釈したり,神に十分に奉仕していないと非難したりすべきではありません。兄弟姉妹の失敗や欠点に注目するのではなく,エホバに倣って良いところを見るようにする方が,ずっといいのではないでしょうか。

      15. 神を崇拝する人は,どんなことを言ったりしたりしてはなりませんか。どうしてですか。

      15 家族にはどう接するべきでしょうか。残念なことに今の世の中では,心が休まる場所であるはずの家庭で,家族が非難し合っていることが少なくありません。それが暴言,暴力,虐待に発展することもあります。しかし,神を崇拝する人は,悪意のある言葉や痛烈な皮肉を言ったり,暴力を振るったりしてはなりません。(エフェソス 4:29,31; 5:33; 6:4)「裁くのをやめなさい」,「断罪するのをやめなさい」というイエスの助言は,もちろん家族にも当てはまります。そして,神の公正さに倣うには,エホバが私たちに接してくれるように人に接する必要があります。エホバは私たちに厳しかったり冷たかったりすることは決してなく,「優しい愛情にあふれ」ています。(ヤコブ 5:11)その素晴らしい手本に倣いましょう。

      「公正のために」仕える長老たち

      16-17. (ア)エホバは長老たちにどうしてほしいと思っていますか。(イ)罪を犯した人が心から悔い改めていないなら,何をしなければなりませんか。どうしてですか。

      16 私たち皆が神の公正さに倣う必要がありますが,特にクリスチャン会衆の長老たちにはそうする責任があります。「高官たち」つまり長老たちについて,イザヤはこう預言しました。「1人の王が正義のために統治する。高官たちが公正のために治める」。(イザヤ 32:1)エホバは長老たちに,公正のために仕えてほしいと思っています。では,長老たちはどうすればそうできるでしょうか。

      17 長老たちは,神の公正の基準を守るために会衆は清くなければならないということをよく理解しています。誰かが重大な罪を犯したときには,その問題を扱わなければなりません。そういう場合にも,公正な神は可能な限り憐れみを示したいと思っているということを忘れないようにします。ですから,悔い改めている人を見捨てるようなことはしません。でも,罪を犯した人が心から悔い改めていないならどうでしょうか。エホバの完全な公正に基づいて,聖書には「皆さんの中から悪い人を除きなさい」とはっきり指示されています。つまり,その人を会衆から追放するということです。(コリント第一 5:11-13。ヨハネ第二 9-11)長老たちは,そうしなければならないことを残念に思いますが,会衆の清さやエホバとの関係を守るために必要だと分かっているので,断固とした行動を取ります。それでも,罪を犯した人がいつか本心に立ち返って会衆に戻ってくることを望んでいます。(ルカ 15:17,18)

      18. 長老たちは,聖書に基づく助言を与える時,どんなことを意識しますか。

      18 公正のために仕えることには,必要なときに聖書に基づく助言を与えることも含まれます。もちろん,長老たちはあら探しをしたりはしませんし,事あるごとに人を正そうともしません。とはいえ,仲間のクリスチャンが「気付かず」に「道を踏み外し」てしまうことがあります。そういうとき,長老たちは公正な神に倣い,決して冷酷になったりせず,「その人を優しく正すことに努め」ます。(ガラテア 6:1)叱りつけたり,きついことを言ったりはしません。良くない行いをしたためにどうなるかを率直に伝えて戒めなければならないときにも,その過ちを犯した仲間がエホバの羊であることを忘れません。b (ルカ 15:7)愛情を込めて助言や戒めを与えるなら,受けた人は自分の行いを正そうという気持ちになりやすいでしょう。

      19. 長老たちはどんな判断や決定をすることがありますか。何に基づいて決めますか。

      19 長老たちは,会衆に大きな影響がある判断や決定をすることもあります。例えば,定期的に会合を持って,会衆内の兄弟たちを長老や援助奉仕者に推薦できるかどうか検討します。そういう時にも,公平であることの大切さを意識します。個人的な好みなどで決めようとするのではなく,聖書に書かれている指針に基づいて考えます。そのようにして,「偏見を抱いたり不公平になったりする」ことがないようにします。(テモテ第一 5:21)

      20-21. (ア)長老たちは何をするように努めますか。どうしてですか。(イ)「気落ちしている人」を助けるために,長老はどんなことができますか。

      20 長老たちが神の公正さに倣うべき分野はほかにもあります。イザヤは長老たちが「公正のために」仕えることを予告した後,こう述べています。「彼らはおのおの,風から逃れるための場所,暴風雨から避難するための場所,水のない土地に流れる水,乾き切った土地にある大岩の陰のようになる」。(イザヤ 32:1,2)それで長老たちは,仲間のクリスチャンを慰め,爽やかにするように努めます。

      21 今の世の中には落胆させるような問題がたくさんあるので,多くの人が元気づけてもらいたいと思っています。長老の皆さんは,「気落ちしている人」を助けるために何ができるでしょうか。(テサロニケ第一 5:14)感情移入し,話をよく聞いてください。(ヤコブ 1:19)その人は信頼できる人に心配事を打ち明けたいのかもしれません。(格言 12:25)その人がエホバからも兄弟姉妹からも必要とされ,大事に思われ,愛されていることを確信できるようにしてください。(ペテロ第一 1:22; 5:6,7)その人のために一緒に祈りましょう。自分のために長老が心から祈ってくれるのを聞くと,心温まる気持ちになるものです。(ヤコブ 5:14,15)気落ちしている人たちを愛情深く助けようとする長老たちの努力を,公正な神が見過ごすことは決してありません。

      気落ちしている人を元気づける長老たちは,エホバの公正さに倣っている

      22. どうすればエホバの公正さに倣えますか。そのように努力するとどうなりますか。

      22 神の公正さに倣うなら,エホバとの絆が強まります。エホバの正しい基準に従い,命を救う良い知らせを伝え,人の失敗や欠点に注目するのではなく良いところを見るようにするなら,神の公正さに倣っていることになります。長老たちは,会衆の清さを守り,聖書に基づいて励みになる助言を与え,公平な判断や決定をし,気落ちしている人たちを元気づけることによって,神の公正さに倣えます。エホバは,自分の民が「公正を守り」,神と共に歩もうとベストを尽くしているのを天から見て,とても喜んでいるに違いありません。

      a 「裁いてはなりません」,「断罪してはなりません」と訳している聖書もあります。それだと,裁いたり断罪したりし始めてはならない,というニュアンスになります。しかし,聖書筆者たちは原語で,否定命令を現在進行形で書いています。ですから,現在行っていることをやめなければならないという意味になります。

      b テモテ第二 4章2節によると,長老たちは兄弟姉妹を「戒め,忠告し,励まし」ます。「励まし」と訳されているギリシャ語は「パラカレオー」で,関連のある「パラクレートス」という言葉は弁護人を指すことがあります。ですから,長老たちは誰かを戒める場合にも,その人に寄り添い,再びエホバとの強い絆を持てるように助けなければなりません。

      じっくり考えたいこと

      • 申命記 1:16,17 エホバはイスラエルの裁判人たちにどんなことを求めていましたか。そのことから長老たちは何を学べますか。

      • エレミヤ 22:13-17 エホバはどんな不公正な行いをとがめていますか。エホバの公正さに倣うために大事なことは何ですか。

      • マタイ 7:2-5 仲間のクリスチャンのあら探しをすべきでないのはどうしてですか。

      • ヤコブ 2:1-9 えこひいきをすることについて,エホバはどう思っていますか。私たちはこの聖句の助言をどのように当てはめられますか。

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