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年代計算,年代学,年代記述聖書に対する洞察,第2巻
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エホバはアブラム(アブラハム)にこうお告げになりました。「あなたはこのことをはっきり知っておくとよい。すなわち,あなたの胤は自分たちのではない土地で外人居留者となって,その地の民に仕えねばならず,その[民]は必ず四百年のあいだ彼らを苦しめるであろう」。(創 15:13。使徒 7:6,7も参照。)この言葉が述べられたのは,約束された相続者,つまり「胤」であるイサクが生まれる前のことでした。西暦前1932年にはエジプト人の下女ハガルによってアブラムにイシュマエルが生まれ,また西暦前1918年にはイサクが生まれました。(創 16:16; 21:5)その「苦しめる」ことの終わりを印づける事件となったエジプト脱出の時から400年をさかのぼると(創 15:14),西暦前1913年となり,その時,イサクは約5歳でした。イサクが乳離れしたのはそのころのことだったようです。彼は自分の土地ではない所ですでに「外人居留者」として生活しており,今度はイシュマエルから『からかわれる』という形で,予告された苦しみの始めの部分に遭遇しました。イシュマエルは約19歳でした。(創 21:8,9)現代では,イシュマエルがアブラハムの相続人をあざけったことは取るに足らない事柄と思えるかもしれませんが,族長時代にはそうではありませんでした。その点は,サラの反応やハガルとその子イシュマエルをぜひ去らせてほしいというサラの願いが神に認められたことにより証明されています。(創 21:10-13)この出来事が神聖な記録に詳しく残されているという事実そのものも,この出来事がエジプト脱出の時まで終わることのない,預言された400年の苦しみの期間の始まりを印づける事柄であったことを指し示しています。―ガラ 4:29。
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出エジプト(エジプト脱出)聖書に対する洞察,第1巻
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出エジプト(エジプト脱出)の時 それでは,その400年間の苦しみはいつ始まり,いつ終わりましたか。ユダヤ人の伝承では,その期間はイサクの誕生の時から数えられています。しかし,苦しみが始まったことを示す実際の証拠は,イサクが乳離れした日に初めて生じました。証拠はその苦しみの始まった年代として西暦前1913年を指し示しています。その時,イサクはおよそ5歳,イシュマエルはおよそ19歳でした。「肉の方法で生まれた」イシュマエルが,『霊の方法で生まれた者を迫害するようになった』のはその時でした。(ガラ 4:29)幾分エジプト人の血を受け継いでいたイシュマエルは,ねたみと憎しみから,幼い子供であったイサクを『からかう』ようになりました。これは単なる子供のけんかでは済まされない問題になりました。(創 21:9)他の翻訳はイシュマエルの行動を「あざけっている」という言葉で描写しています。(ヤング; ロザハム,脚注)アブラハムの胤の苦しみはイサクの生涯中続きました。エホバは成人したイサクを祝福されましたが,それでもイサクはカナンの住民から迫害され,その住民からもたらされた種々の難事ゆえに,次々に場所を変えて移動せざるを得ませんでした。(創 26:19-24,27)ついに,イサクの息子ヤコブの晩年に,予告されていた「胤」がエジプトにやって来て住むようになりました。やがて,彼らは奴隷状態に陥りました。
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ハガル聖書に対する洞察,第2巻
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それから幾年もたって,アブラハムはイサクがおよそ5歳になった時「イサクの乳離れする日に大きな宴」を催しましたが,その時サラは,ハガルの子で当時19歳ぐらいになっていたイシュマエルが「からかっている」のに気づきました。それは決して無邪気な子供の遊びではありませんでした。その記述の次の節からうかがえるように,相続権に関してイサクをばかにすることが関係していたのかもしれません。エホバのみ使いはイシュマエルが闘争的な性質を示すことを予告していましたが,イシュマエルはその時そのような性質を表わし始めていたのです。(創 16:12)サラは息子イサクの将来を案じたためと思われますが,アブラハムにハガルとその息子を追い出して欲しいと言いました。それはアブラハムにとって不快なことでしたが,エホバの指示により,妻の願い通りに行ないました。翌朝早く,アブラハムはハガルにパンと水の皮袋を持たせ,彼女を息子と共に去らせました。―創 21:8-14。
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イサク聖書に対する洞察,第1巻
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アブラハムはイサクが乳離れする日に大きな宴を催しました。その時のことだったと思われますが,サラは,イシュマエルが腹違いの弟イサクを「からかっている」のに気づきました。(創 21:8,9)幾つかの翻訳(エルサレム,モファット,改標)では,イシュマエルはイサクとただ「遊んでいた」,つまりたわいない遊びをしていたとされています。しかし,このヘブライ語のツァーハクという言葉は,攻撃的な意味合いを含む場合もあります。そのため,この同じ言葉が他の聖句の中に出て来ると(創 19:14; 39:14,17),それらの翻訳はそれを,「笑い物にする」あるいは「悪ふざけをする」,「侮辱する」などと訳しています。
あるタルグムは,シリア語ペシタ訳と同様に,創世記 21章9節で,イシュマエルの発言に「あざ笑う」という意味を付しています。クックの「注解」はツァーハクという言葉についてこう述べています。「この箇所のその言葉は,一般に理解されているように,恐らく『あざけりの笑い』という意味であろう。アブラハムはイサクのことで喜びつつ笑い,サラは疑うように笑ったが,今度はイシュマエルがあざけって,それも恐らく迫害や暴虐を加える気持ちで笑った」。霊感を受けた使徒パウロはこの問題に決着をつけ,イシュマエルのイサクに対する接し方が,無邪気な遊びではなく,苦しめること,つまり迫害であったことをはっきり示しています。(ガラ 4:29)ある注解者たちは,続く節(創 21:10)でサラが,「この奴隷女の子がわたしの子と,イサクと一緒に相続人となることはないのです」と強く主張していることから考えて,イシュマエル(イサクより14歳年上)が,恐らく相続権に関してイサクと言い争い,イサクを嘲弄したのではなかろうかと述べています。
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イシュマエル聖書に対する洞察,第1巻
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1年後にイサクが生まれ,イシュマエルは14歳になりました。(創 16:16; 21:5)それから5年たった西暦前1913年,イサクが乳離れする日に,イシュマエルは腹違いの弟を「からかっている」のを見つけられました。(創 21:8,9)これは決してイシュマエルの側の無邪気な子供の遊びなどではありませんでした。むしろそれには,その記述の次の節に暗示されているように,相続権のことでイサクを嘲弄する言動が関係していたのかもしれません。使徒パウロは,その出来事は「象徴的な劇」であったと述べ,半分エジプト人の血を引くイシュマエルがイサクに対して行なった虐待が迫害であったことを示しています。したがって,それが,予告されていた400年に及ぶイスラエルの苦悩の始まりだったのです。その苦悩は西暦前1513年にエジプトでの束縛から救出された時に終わりました。―ガラ 4:22-31; 創 15:13; 使徒 7:6。「イサク」を参照。
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イシュマエル人聖書に対する洞察,第1巻
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イシュマエルがイサクに対して抱いた敵意はその子孫にまで受け継がれたようです。詩編作者は,エホバを「激しく憎む者たち」を列挙した際,その中にイシュマエル人を含めましたから,彼らの敵意はイサクの神をも憎むほどのものでした。(詩 83:1,2,5,6)しかしながら,明らかに例外もありました。イシュマエル人と呼ばれているオビルは,ダビデによって定められた組織上の取り決めのもとで,王のらくだをつかさどりました。―代一 27:30,31。
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