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アラム聖書に対する洞察,第1巻
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アラム・ナハライム(詩 60:表題)は一般に,「川の間の地」を指していると解されるギリシャ語の「メソポタミア」という語を使って訳されています。その二つの川とはユーフラテス川とチグリス川のことでした。ステファノは,まだカルデア人のウルにいた時のアブラハムについて,彼がメソポタミアに住んでいたと述べています。(使徒 7:2)それよりも何年も後,アブラハムがイサクのために妻を探させるため僕を遣わした時,(上)メソポタミア(アラム・ナハライム)のナホルの都市に行くよう,その僕に命じました。(創 24:2-4,10)また,ペトルのバラムもメソポタミア北部の山地の出身でした。―申 23:4。民 23:7と比較。「メソポタミア」を参照。
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ハラン聖書に対する洞察,第2巻
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アブラハムはハランを去ってからしばらくして,息子イサクの花嫁を見つけるため,親族(ハラン,もしくはその近くの町,つまり「ナホルの都市」に住んでいたと思われる)のところに自分の最年長の僕を遣わしました。(創 24章)後に,アブラハムの孫ヤコブは,自分の兄弟エサウの憤りを免れるため,またおじのラバンの娘たちの中から妻を見つけるためにハランに行きました。(創 27:42-46; 28:1,2,10)ヤコブはハランの近くにあったと思われる井戸のそばでラケルに出会いました。―創 29:4-12。
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