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聖書に対する洞察,第2巻
洞-2 「柱」

柱

(はしら)(Pillar)

建造物のまっすぐな支え,柱状の物体,あるいはそのような支柱に似たものや比較できるもの。

古代中東の幾つかの民族は自分たちの偽りの宗教に関連した聖柱を立てましたが,それには大抵,陰茎像が含まれていました。イスラエル人は約束の地に入ったとき,そのような聖柱を処分しなければならず,その種の柱を立てることを禁じられました。(申 7:5; 16:22)とはいえ,彼らが異教の宗教を取り入れて,聖柱を使用した時期もありました。―王一 14:23; 王二 3:2。「聖柱」を参照。

神が憎まれた,柱の誤用とは全く異なるものとして,ヘブライ語聖書は,記念碑として柱や石を立てることに言及しています。そのような柱は偶像崇拝の対象でも性器の象徴でもありませんでした。それらは歴史上の業績や出来事を思い起こさせるものとなりました。

ヤコブはベテルで2度にわたり石の柱を立てました。どちらの事例にも,エホバがその場所でヤコブを特別な仕方で扱われたことに注意を払うことが関係していました。(創 28:18,19,22; 31:13; 35:14,15)ヤコブがラケルの墓に据えた柱が石であったことは間違いなく,その柱はモーセの時代にもまだ存在していました。(創 35:19,20)モーセが神から受け取った律法をイスラエル人が受け入れたとき,モーセは祭壇と,「イスラエルの十二部族に対応する十二本の柱」を建てました。(出 24:4)ヨシュアは各部族を表わす石に関して同様の指示を与えましたが,該当する記述はそれらの石を柱とは呼んでいません。それはイスラエルにとって記念となり,その12の石が意味した事柄を父たちが自分の子らに説明する機会を与えるものとなるはずでした。―ヨシュ 4:1-9,20-24。

契約や勝利は石,それも大抵は柱を立てて記される場合がありました。(創 31:44-53; ヨシュ 24:26; サム一 7:10-12)サウル王はアマレク人に対する勝利を収めた後,『カルメルに自分のための記念碑を建てました』。(サム一 15:12)ここで「記念碑」と訳されているヘブライ語は一般に「手」と訳出されますが,この語はまた,サムエル第二 18章18節で,アブサロムが立てて,「“アブサロムの記念碑”」(新世,聖ア,改標)と呼ばれている「柱」に関しても用いられています。したがって,サウルは勝利の記念碑もしくは柱を建てたようです。―イザ 56:5と比較。「アブサロム」を参照。

イザヤ 19章19節の預言には,記念碑としての柱という概念が含まれているかもしれません。その預言は西暦前8世紀に記され,西暦前607年にエルサレムが滅ぼされた後の状況を扱っていました。バビロニア人によってその地に残されたユダヤ人の中には,イザヤ 19章18節で予告されていたとおり,エジプトへ逃れて,エジプトの都市に住んだ人もいました。(エレ 43:4-7; 44:1)このため,エジプトの境界のそばに「エホバへの柱」があるという約束は,文字通りの柱があってもなくても,エホバがエジプトで注目もしくは記念されることを意味すると理解している注解者も少なくありません。―イザ 19:20-22と比較。

建造物の柱 聖書の記述や考古学上の発見は,中東で木や石やれんがの柱が建造物の支えとして用いられたことを示しています。建物の屋根の梁や上方の階は多くの場合,垂直の柱によって支えられていました。(箴 9:1; 裁 16:25,29; 王一 7:2)木やれんがの柱は石の基礎の上に据えられることもありました。ソロモンが建てた“レバノンの森の家”には,種々の梁と階上の間を支える杉材の柱が並んでいました。その建物の名称は,杉がレバノンから採られたこと,もしくは立ち並ぶ柱が森に似ていたことに由来するようです。その近くの“柱の玄関”も柱が多いことで注目されたようですが,記録にはその数や材料は示されていません。(王一 7:1-6。エゼ 40:16,48,49と比較。)アハシュエロスの宮殿の中庭には,大理石の柱が使われていました。―エス 1:6。

ソロモンの神殿の中で最も注目に値する柱は,玄関の前にあったヤキンとボアズという2本の巨大な銅の柱でした。(王一 7:15; 王二 25:17; エレ 52:21。「柱頭」を参照。)J・ダグラス編「新聖書辞典」(1985年,941ページ)によれば,王は儀式の場で一方の柱のそばに立ったようですが,その確証は得られていません。聖書は,王が「入り口のその柱の傍らに立って」いたと述べているにすぎないからです。(代二 23:13; 王二 11:14; 23:3)王は民に話しかけるために奥の中庭,あるいはどこか別の高められた場所に立っていたとも考えられます。

幕屋では比較的小さな柱,すなわち,聖所と至聖所の間の垂れ幕を支えるために4本,入口の仕切り幕を保持するために5本のアカシア材が用いられました。(出 26:32-37)他の60本の柱は,中庭の周囲にある亜麻の掛け布と中庭の門にある仕切り幕を支えました。―出 27:9-16。

ソロモンのつり台の天蓋を支えたのは,小さな銀の飾り柱だったようです。―歌 3:9,10。

比喩的な用法 建造物の柱は,その材料や働きのゆえに堅固な支えのふさわしい象徴となりました。それらは,確実な擁護を与えるものの例証となりました。クリスチャン会衆は宗教上の誤りとは対照的な真理を擁護するので,「真理の柱また支え」と呼ぶことができます。(テモ一 3:15)ヤコブとケファとヨハネに関しては,初期の会衆の『柱に思えた』と言われており,彼らは堅く据えられ,会衆の強力な支持者でした。(ガラ 2:9)征服するクリスチャンは神の「神殿」の中の柱とされ,霊的な建造物における恒久的な立場を得ます。(啓 3:12)柱が堅固であるという概念は,強力なみ使いの足を描写するのに柱について述べる箇所に見いだせます。(啓 10:1)シュラムの娘の愛する人であった羊飼いの脚は「大理石の柱」のようで,麗しく,強力でした。―歌 5:15。

奇跡的な雲と火の柱はイスラエルの宿営にどれほど長くとどまりましたか

エホバは奇跡的にイスラエル人をエジプトから連れ出して荒野に導き,「彼らの前方を行かれ,昼は雲の柱のうちにあって……,夜は火の柱のうちにあって彼らに光を与え,こうして……進めるようにされ」ました。(出 13:21)これは二つの柱ではなく,昼には雲のように,夜には火のように見える,一つの「火と雲の柱」でした。(出 14:24)エジプト人がイスラエル人を追跡すると,その柱は後方に移動し,壁のように広がったものと思われます。(詩 105:38,39)それはエジプト人の側には闇をもたらしましたが,イスラエル人の側には光を放ちました。(出 14:19,20)幕屋が立てられると,その上にあった柱は,エホバがご自分の聖なる場所におられることを示すしるしとなりました。(出 40:35)その柱はエホバを表わし,エホバはその中から話されました。(民 14:14; 12:5; 詩 99:7)その柱に歴史上最後に注目が向けられたのは,イスラエルが約束の地に入る直前のことでした。(申 31:15)彼らがその地に定住すると,かつて彼らの放浪中に導きとなったその柱はもはや必要とされませんでした。―出 40:38; イザ 4:5と比較。

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