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  • 命
    聖書に対する洞察,第1巻
    • アダムは自分の命と子孫の命を失った アダムが創造された時,神はエデンの園に「命の木」を置かれました。(創 2:9)命の木とは言っても,その実の中に,命を与える特性が本質的に備わっていたということではないようです。この木は,神からその実にあずかることを許される人たちに『定めのない時に至る』命が神によって保証されることを表わしていました。その木は神がある目的を持ってそこに置かれたのですから,アダムは,満足でき十分であると神からみなされるまで忠実を証明した後に,その実を食べるのを許されたに違いありません。アダムは違犯をおかした時,その木から食べる機会を持てないようにされました。エホバは,「今,彼が手を出してまさに命の木からも実を取って食べ,定めのない時まで生きることのないように ―」と言われました。そのあとエホバは,その言葉どおりに行動されました。神は生きる価値のない者が義なる人たちのために造られた園で生活し,命の木から食べることを許されませんでした。―創 3:22,23。

  • 木
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 比喩的な用法 神はエデンの園で2本の木,すなわち「命の木」と「善悪の知識の木」を象徴的な目的のために用いられました。後者に関する神の定めに敬意を示さなかったことの結果として,人間の堕落がもたらされました。―創 2:9,16,17; 3:1-24。

      「善悪の知識の木」およびその実に課せられた制限の意義については,最初の人間夫婦の間の性的な行為と関係があるという誤った見方がされてきました。この見方は男性と女性であった二人に,『子を生んで多くなり,地に満ちよ』と言われた神の明白な命令と矛盾しています。(創 1:28)むしろその木は,「善悪の知識」を表わすことにより,またそれを人間夫婦に手出しの許されないものと定める神の宣言によって,人間のために何が「善」(神から是認されること)で何が「悪」(神から非とされること)かに関して,決定するもしくは規準を定める神の権利の象徴となりました。ですから,その木は,人間が自分を創造した方の地位に敬意を示すかどうか,また神により定められた自由の範囲,それも決して窮屈ではなく,人間の命を最大限享受する余地のある範囲の中に喜んでとどまるかどうかを試みるものとなりました。したがって,「善悪の知識の木」の実を食べることによってその禁じられた領域の境界を侵すことは,神の領分または権威に対する侵犯もしくは反逆となりました。―「主権」を参照。

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