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サタン聖書に対する洞察,第1巻
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主権に関する論争が持ち上がる サタンがエバに近づいたとき(蛇を介して話すことにより),実際には,エホバの主権が正当で義にかなったものかどうかに関して挑戦しました。彼は,神が不当にも女から何かを差し控えているのだとほのめかしました。また,彼女がその禁じられた木の実を食べたら死ぬと言った神は偽り者であると言明しました。さらにサタンは,神から自由になり,独立し,神のようになれると彼女に信じ込ませました。このようにしてこの邪悪な霊の被造物は,エバの目に自分を神よりも高いものとしました。またその時エバは自分を惑わしている者の正体を知らなかったらしいとはいえ,サタンはエバにとって神となりました。彼はこの行動により,それら男と女を自分の指導と支配の下に置き,エホバに対抗する神として立ち上がりました。―創 3:1-7。
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蛇,へび聖書に対する洞察,第2巻
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蛇の特徴としてよく知られている事柄が,様々な聖句の中で述べられています。滑るようなその動き(ヨブ 26:13),人をかむことや石壁を隠れ場とすること(伝 10:8,11; アモ 5:19),また用心深いこと(創 3:1)などがそれです。この最後の特徴は,イエスが弟子たちに,おおかみのような反対者たちの中にいる場合の振る舞いについて訓戒した際に,一つの例としてお用いになりました。―マタ 10:16。
そのような『用心深さ』については,著名な英国の動物学者,H・W・パーカーが,自著「へびの博物誌」(1977年,49ページ)の中でこう述べています。「身を守るためにはこれ以上引き下がれないというところまで来ても,その最初の段階の反撃は実際のものというよりは模擬的なものなのかもしれない。見かけは狂暴そうに何度も突進するが,相手に達するまでには至らず,口を開けてさえいないこともあるのだ。また,この段階で,もし敵がひるんだら素早く引き下がって逃げられるよう,そっととぐろを解くことも珍しくない。しかし,ついに全面攻撃に進んだ場合には,より狂暴にはなるものの,普段えじきを捕らえる時と同じやり方に従う。普通なら,かんでからえじきを放すへびや,締めつけるだけのへびでも,自分を虐待する者に対しては,これを繰り返しかんだり悩ましたりするのである」。
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主権聖書に対する洞察,第1巻
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この者が最初に近づいた人間,つまりエバに関して言えば,彼女は確かに,自分の創造者である神を認識していませんでした。それに,神を知る機会を活用してもいませんでした。自分よりも劣った者,つまり蛇を装ってはいても実際は反逆したみ使いである者の声に聞き従いました。聖書には,蛇が話すのを聞いてエバが驚いたことなど,少しも示唆されていません。聖書が実際に述べているのは,「エホバ神が造られた野のすべての野獣のうち[蛇が]最も用心深かった」ということです。(創 3:1)蛇が「善悪の知識の木」の禁じられた木の実を食べ,その時から賢くされたように見え,話せるようになったかどうかに関しては何も述べられていません。その反逆的なみ使いは,蛇を用いてエバに話しかけ,独立する機会,つまり「神のようになって善悪を知るようになる」機会(とエバが思ったもの)を提供し,エバは死なないと当人に信じ込ませることに成功しました。―創 2:17; 3:4,5; コリ二 11:3。
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主権聖書に対する洞察,第1巻
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論争点 このとき,どんな事柄が挑戦を受けたのでしょうか。後に悪魔サタンと呼ばれるようになったこのみ使いが提示し,さらにアダムが自分の反逆行為によって支持したこの挑戦によって,だれが非難され,だれの名が傷付けられたのでしょうか。エホバの至上権に関する事実,エホバの主権が存在するということに挑戦が投げ掛けられたのでしょうか。神の主権が危険にさらされたのでしょうか。そうではありません。エホバは至上の権威と力を持っておられ,天や地のだれも神のみ手からそれを奪えないからです。(ロマ 9:19)ですから,挑戦を受けたのは,神の主権の正当性,価値,神の主権が義にかなっているかどうかということ,すなわち,神の主権が価値ある義にかなった方法で,また神の臣民の最善の益を図って行使されているかどうかということだったに違いありません。その点は,エバに対する近づき方にも示唆されています。「あなた方は園のすべての木からは食べてはならない,と神が言われたのは本当ですか」と蛇は言いました。ここで蛇は,そのようなことは信じられない,神は不当に制限を課して,人間夫婦の正当な分を差し控えている,とほのめかしたのです。―創 3:1。
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